永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1024)

2011年11月07日 | Weblog
2011. 11/7     1024

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(85)

「御供の人も皆狩衣すがたにて、ことごとしからぬ姿どもなれど、なほけはひやはしるからむ、わづらはしげに思ひて、馬ども引きさけなどしつつ、かしこまりつつぞ居る。車は入れて、廊の西のつまにぞ寄する」
――こちらの薫の方の供人は皆狩衣姿で、それほど物々しいいでたちではありませんが、やはり貴人の一行であると分かるらしく、浮舟の方の供人は厄介そうに思って、馬などを遠くへ引いて行ったりして、南面に畏まっています。女車は門内に引き入れて、廊の西の端に寄せます――

「この寝殿はまだあらはにて、簾もかけず。おろし籠めたるなかの二間に立てへだてたる、障子の孔よりのぞき給ふ。御衣の鳴れば、脱ぎ置きて、直衣指貫のかぎりを着てぞおはする」
――この寝殿は新築のため、まだ戸締りや簾もかけていません。すっかり格子を下ろしきった中の二間の、間仕切りの障子の穴から、薫はそっと覗いて御覧になります。薫は下着は衣づれの音がしますので脱ぎおき、直衣と指貫(さしぬき)だけを召していらっしゃる――

「とみにも下りで、尼君に消息して、かくやむごとなげなる人のおはするを、誰ぞ、など案内するなるべし」
――(車の女人は)すぐには降りず、尼君に使いをやって、貴い方がいらっしゃるようですが、どなたでしょうか、などと尋ねているようです――

「君は、車をそれと聞き給へるより、『ゆめ、その人にまろありとのたまふな』と、先づ口かためさせ給ひてければ、皆さ心得て、『はやう下りさせ給へ。客人はものし給へど、他方になむ』と言ひ出だしたり」
――薫はあの車が浮舟のだとお聞きになりますと、すぐに、「決してあの人に、私が居るとはおっしゃるな」と、真っ先に口止めされていらっしゃいましたので、邸内の人々は皆そうと心得て、「早くお降りくださいませ。客人はいらっしゃいますが、あちらのお部屋ですから」と言わせるのでした――

「若き人のある、先づ下りて、簾うち揚ぐめり。御前のさまよりは、この御許馴れてめやすし。またおとなびたる人いま一人下りて、『早う』といふに、『あやしくあらはなる心地こそすれ』と言ふ声、ほのかなれどあてやかにきこゆ」
――若い女房が先ず下りて、車の簾を揚げます。先ほどのお供周りの田舎風なのに比べますと、この女房はもの馴れていて見ぐるしくありません。また年輩の女房がもう一人おりてきて、「お早く」と促しますと、浮舟の「なんだかこう、丸見えな感じがしますわ」という声が、微かではありますが、たいそう上品にきこえます――

では11/9に。


源氏物語を読んできて(1023)

2011年11月05日 | Weblog
2011. 11/5     1023

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(84)

「かくて心やすくうちとけて見たてまつり給ふに、いとをかしげにおはす。ささやかにあてにしめやかにて、ここはと見ゆるところなくおはすれば、宿世の程くちをしからざりけり、と、心おごりせらるるものから、」
――(薫は)こうして自宅でくつろいで女二の宮をご覧になってみますと、なかなかお美しくいらっしゃる。お身体は小柄で、しっとりと落ち着いていらして、これといって難点もお見えになりませんので、薫はお心のうちで、自分の宿世も満更でもないのだ、と、得意にならずにはいられないものの――

「過ぎにしかたの忘らればこそはあらめ、なほまぎるる折りなく、もののみ恋しくおぼゆれば、この世にてはなぐさめかねつべきわざなめり、仏になりてこそは、あやしくつらかりける契りの程を、何のむくいとあきらめて思ひ離れめ、と思ひつつ、寺のいそぎにのみ心を入れ給へり」
――亡き御方(大君)のことが忘れられるものならばともかく、未だに心の紛れることがなく、何かにつけて恋しくてなりませんので、現世ではきっと慰めかねることなのであろう、成仏してこそ、不思議で辛かった大君との宿縁の程を、何の因果であったのかと
明らかにして、きっぱりと諦めもしよう、と思いながら、宇治の旧邸を寺にする準備にばかり熱中しておられます――

「賀茂の祭りなど、さわがしき程すぐして、二十日あまりの程に、例の、宇治へおはしたり。つくらせ給ふ御堂見給ひて、すべきことどもおきてのたまひ、さて例の朽木のもとを見給ひ過ぎむがなほあはれなれば、そなたざまにおはするに、女車のことごとしきやうにはあらぬ一つ、荒ましき東男の、腰に物負へるあまた具して、下人も数多くたのもしげなるけしきにて、橋より今わたり来る見ゆ」
――賀茂の祭りなどで騒がしいひと頃が済んでから、四月二十日過ぎに、薫はいつものように宇治にお出でになりました。造りかけの御堂をご覧になって、工事についてあれこれお指図をなさったりして、さて、例の「朽木のもと」つまり、老女の弁の君に逢わずに素通りしますのも気の毒ですので、そちらへいらしてみますと、女車が一つ、あまり大仰ではありませんが、腰に壺やなぐいを負った、荒々しい東男(あづまおとこ)を大勢連れ、下人もたくさん従えて、威勢ありげに橋をわたって来るのが見えます――

「田舎びたるものかな、と見給ひつつ、殿は先づ入り給ひて、御前どもなどはまだ立ちさわぎたる程に、この車もこの宮をさして来るなりけり、と見ゆ」
――(薫は)田舎くさい者たちだな、と御覧になって、薫が先に山荘にお入りになって、前駆の者たちがまだ立ち騒いでいますと、その車もまたこの御住いに向かってくるようです――

「御随身どもかやかやと言ふを制し給ひて、『何人ぞ』と問はせ給へば、声うちゆがみたる者、『常陸の前司殿の姫君の、初瀬の御寺に詣でてもどり給へるなり。はじめもここになむ宿り給へりし』と申すに、おいや、聞きし人なななり、とおぼし出でて、人々をば他方にかくし給ひて、『はや御車入れよ。ここにまた人宿り給へど、北面になむ』と言はせ給ふ」
――薫の御随身(みずいじん)どもが、がやがや言うのをお制しになって、「あれは何人か」と尋ねさせますと、田舎なまりのある者が、「常陸の前司殿の姫君が、初瀬にお参りなさってのお帰りです。往きにもここでお泊まりになりました」と言います。ああそうだった、これこそ話に聞いていた人らしい、と思い出されて、お供の者どもを、目立たぬところへお隠しになりますと、宿直人に耳打ちなさって、女車の一行に、「早く姫君のお車を中に入れなさい。ここには別の方が宿っておいでになりますが、そちらは北面(きたおもて)の方にいらっしゃいますから」と、言わせられます――

◆賀茂の祭=4月の中の酉の日に行われる

では11/7に。

源氏物語を読んできて(1022)

2011年11月03日 | Weblog
2011. 11/3     1022

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(83)

次の歌は、薫大将がお庭に下りて、冠に挿す花を折って、献上された時の歌とか。

「『すべらぎのかざしに折るとふじの花およばぬ枝に袖かけてけり』うけばりたるぞにくきや」
――「主上の思召しに添って、わたしはおおけなくも藤壺の姫君に袖をうち交わしたことです。(藤の花に女二の宮を譬え、帝のお心にお添い申すために、およびもつかぬ婿とさせていただきました)」帝の婿君として、さも得意げなのが憎いではありませんか――

 帝も女二の宮の美しさをたたえたお歌が二首ほどありました。

 また、

「『世のつねのいろとも見えず雲居までたちのぼりけるふじなみの花』これや此の腹立つ大納言のなりけむ、と見ゆれ。かたへはひがごとにもやありけむ。かやうに、ことなるをかしきふしもなくのみぞあなりし」
――「宮中に生い立たれた藤の花(女二の宮)は、並々の色とも見えません。(帝に選ばれた薫は、何と果報者よ)」この歌は、あの立腹している按察使の大納言の作であったらしい。これらの歌は聞き間違いがあったかもしれませんが、格別面白い点のない歌ばかりだったとか――

「夜更くるままに、御遊びいとおもしろし。大将の君の「あなたふと」うたひ給へる声ぞ、かぎりなくめでたかりける。按察使も、昔すぐれ給へりし御声の名残りなれば、今もいとものものしくて、うちあはせ給へり」
――夜の更けるままに、管弦のお遊びはいよいよ佳境にはいり、薫大将の催馬楽の「安名尊(あなとうと)」をお謡いになるお声は、ことのほか美しいものでした。按察使大納言も、昔、音にきこえた美声の持ち主でしたので、今も朗々と薫大将の御謡いに合わせていらっしゃる――

「その夜さりなむ、宮まかでさせたてまつり給ひける。儀式いと心ことなり。上の女房さながら御送り仕うまつらせ給ひける」
――姫宮(女二の宮)はその夜、宮中から三条の宮(女三の宮と薫の御邸)へ退出なさいました。その儀式がまた格別ご立派で、帝付きの女房たちに、そっくりお供をおさせになります――

「廂の御車にて、廂なき糸毛三つ、黄金づくり六つ、ただの檳榔毛二十、網代二つ、童下仕えへ八人づつさぶらふに、また御迎へのいだし車どもに、本所の人々乗せてなむありける。御送りの上達部殿上人、禄など、いふかぎりなききよらをつくさせ給へり」
――(姫宮は)四方に廂のあるお車で、引き続いて廂のない糸毛の車三つ、金の金具を打った車六つ、普通の檳榔毛(びろうげ)の車二十、網代の車二つに、女房たちを乗せ、童と下仕えが八人ずつ付き添っています。また薫大将方からのお迎えには、出し衣(いだしぎぬ)の華やかな車に、三條の宮の女房たちが乗っています。お供の上達部や殿上人などには、禄として最上のものをお持たせになりました――

◆廂の車=から‐ぐるま 【唐車】

大型で、最も華美な様式の牛車(ぎっしゃ)。唐破風(からはふ)造りの屋根をつけて檳榔(びろう)の葉で葺(ふ)き、同じ葉を総(ふさ)にして庇(ひさし)・腰などに垂らしたもの。檳榔を染め糸に代えることもある。太上天皇・皇后・東宮・准后・親王や摂関などが晴れのときに用いた。唐庇(からびさし)の車。唐の車。


では11/5に。


源氏物語を読んできて(1021)

2011年11月01日 | Weblog
2011. 11/1     1021

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(82)

「上臈の親王たち大臣などのたまはり給ふだにめでたきことなるを、これはまして御婿にてもてはやされ奉り給へる、御おぼえおろかならずめづらしきに、かぎりあれば、くだりたる座に帰りつき給へる程、心ぐるしきまでぞ見えける」
――(天盃は)親王たちや大臣などがいただくのが面目あることなのに、薫の場合はまして御婿君としてお引き立てに与るのですから、帝の御信望のめでたさも並々ならぬものです。しかし、それとても身分上の制限がありますので、薫は末席に戻ってお控えになるところは、お気の毒にみえます――

「按察使の大納言は、われこそかかる目も見むと思ひしか、ねたのわざや、と思ひ居給へり。この宮の御母女御をぞ、昔、心がけきこえ給へりけるを、参り給ひてのちも、なほ思ひ離れぬさまに、きこえかよひ給ひて」
――按察使の大納言(柏木亡き後、次弟で、紅梅の大納言)は、自分こそ女二の宮を得てこういう光栄にも会いたいものだと思っていましたので、妬ましいことだ、と思っていらっしゃいます。この方は、昔、この女二の宮の御母女御に懸想しておいでになりましたのが、入内なさって後も、なお諦めけれず、お文を差し上げたりして――

「はては宮を得たてまつらむの心つきたりければ、御後見望むけしきももらし申しけれど、きこしめしだに伝へずなりにければ、いと心やまし、と思ひて、『人がらは、げに契りことなめれど、なぞ、時の帝のことごとしきまで婿かしづき給ふべき。またあらじかし、九重のうちに、おはします殿近き程にて、ただ人のうちとけさぶらひて、はては宴やなにやと、もてさわがるることは』など、いみじそしりつぶやき申し給ひけれど、さすがゆかしかりければ、参りて、心の内にぞ腹立ちゐ給へりける」
――揚句のはては、この女二の宮をお迎えしたいと思いそめて、その由を女御にお洩らし申し上げましたが、女御が帝のお耳にさえお入れしませんでしたので、ひどく気を悪くしていらっしゃいまして、「なるほど、薫大将のお人柄はご立派で、格別のお生まれでもあろうが、どうしてまた、時の帝がこれほどまでに大袈裟にかしずかれることがあろうか。他に例はないだろうよ。御所内の、しかも帝のいらっしゃる御殿(清涼殿)に近いあたりで、皇族ならぬ普通人が馴れ馴れしく伺候して、その上、宴だ何だと大騒ぎなさるとは」などと、ひどく不満を洩らしながらも、それでも藤の宴は見たかったので参上し、心の内で腹を立てておいでになります――

「紙燭さして歌どもたてまつる。文台のもとに寄りつつ置く程のけしきは、おのおのしたり顔なりけれど、例のいかにあやしげにふるめきたりけむ、と思ひやれば、あながちに皆もたづね書かず。かみの町も、上臈とて、御口つきどもは、ことなること見えざめれど、しるしばかりとて、一つ二つぞ問ひ聞きたし」
――参列の人々は、紙燭(しそく)を灯して、文台のもとに歩み寄って、懐紙にしたためた祝歌を奉るときの様子は、それぞれ得意顔ではありますが、歌がらはいつものとおりで、さぞ古風なものばかりであったと思いやられますので、無理に探して書きとめようとは思いません。身分の高い人の歌だからといって、詠み振りが格別なところもないようですが、
この夜の記念のつもりで一つ二つ尋ねておきました――

では11/3に。