2011. 11/5 1023
四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(84)
「かくて心やすくうちとけて見たてまつり給ふに、いとをかしげにおはす。ささやかにあてにしめやかにて、ここはと見ゆるところなくおはすれば、宿世の程くちをしからざりけり、と、心おごりせらるるものから、」
――(薫は)こうして自宅でくつろいで女二の宮をご覧になってみますと、なかなかお美しくいらっしゃる。お身体は小柄で、しっとりと落ち着いていらして、これといって難点もお見えになりませんので、薫はお心のうちで、自分の宿世も満更でもないのだ、と、得意にならずにはいられないものの――
「過ぎにしかたの忘らればこそはあらめ、なほまぎるる折りなく、もののみ恋しくおぼゆれば、この世にてはなぐさめかねつべきわざなめり、仏になりてこそは、あやしくつらかりける契りの程を、何のむくいとあきらめて思ひ離れめ、と思ひつつ、寺のいそぎにのみ心を入れ給へり」
――亡き御方(大君)のことが忘れられるものならばともかく、未だに心の紛れることがなく、何かにつけて恋しくてなりませんので、現世ではきっと慰めかねることなのであろう、成仏してこそ、不思議で辛かった大君との宿縁の程を、何の因果であったのかと
明らかにして、きっぱりと諦めもしよう、と思いながら、宇治の旧邸を寺にする準備にばかり熱中しておられます――
「賀茂の祭りなど、さわがしき程すぐして、二十日あまりの程に、例の、宇治へおはしたり。つくらせ給ふ御堂見給ひて、すべきことどもおきてのたまひ、さて例の朽木のもとを見給ひ過ぎむがなほあはれなれば、そなたざまにおはするに、女車のことごとしきやうにはあらぬ一つ、荒ましき東男の、腰に物負へるあまた具して、下人も数多くたのもしげなるけしきにて、橋より今わたり来る見ゆ」
――賀茂の祭りなどで騒がしいひと頃が済んでから、四月二十日過ぎに、薫はいつものように宇治にお出でになりました。造りかけの御堂をご覧になって、工事についてあれこれお指図をなさったりして、さて、例の「朽木のもと」つまり、老女の弁の君に逢わずに素通りしますのも気の毒ですので、そちらへいらしてみますと、女車が一つ、あまり大仰ではありませんが、腰に壺やなぐいを負った、荒々しい東男(あづまおとこ)を大勢連れ、下人もたくさん従えて、威勢ありげに橋をわたって来るのが見えます――
「田舎びたるものかな、と見給ひつつ、殿は先づ入り給ひて、御前どもなどはまだ立ちさわぎたる程に、この車もこの宮をさして来るなりけり、と見ゆ」
――(薫は)田舎くさい者たちだな、と御覧になって、薫が先に山荘にお入りになって、前駆の者たちがまだ立ち騒いでいますと、その車もまたこの御住いに向かってくるようです――
「御随身どもかやかやと言ふを制し給ひて、『何人ぞ』と問はせ給へば、声うちゆがみたる者、『常陸の前司殿の姫君の、初瀬の御寺に詣でてもどり給へるなり。はじめもここになむ宿り給へりし』と申すに、おいや、聞きし人なななり、とおぼし出でて、人々をば他方にかくし給ひて、『はや御車入れよ。ここにまた人宿り給へど、北面になむ』と言はせ給ふ」
――薫の御随身(みずいじん)どもが、がやがや言うのをお制しになって、「あれは何人か」と尋ねさせますと、田舎なまりのある者が、「常陸の前司殿の姫君が、初瀬にお参りなさってのお帰りです。往きにもここでお泊まりになりました」と言います。ああそうだった、これこそ話に聞いていた人らしい、と思い出されて、お供の者どもを、目立たぬところへお隠しになりますと、宿直人に耳打ちなさって、女車の一行に、「早く姫君のお車を中に入れなさい。ここには別の方が宿っておいでになりますが、そちらは北面(きたおもて)の方にいらっしゃいますから」と、言わせられます――
◆賀茂の祭=4月の中の酉の日に行われる
では11/7に。
四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(84)
「かくて心やすくうちとけて見たてまつり給ふに、いとをかしげにおはす。ささやかにあてにしめやかにて、ここはと見ゆるところなくおはすれば、宿世の程くちをしからざりけり、と、心おごりせらるるものから、」
――(薫は)こうして自宅でくつろいで女二の宮をご覧になってみますと、なかなかお美しくいらっしゃる。お身体は小柄で、しっとりと落ち着いていらして、これといって難点もお見えになりませんので、薫はお心のうちで、自分の宿世も満更でもないのだ、と、得意にならずにはいられないものの――
「過ぎにしかたの忘らればこそはあらめ、なほまぎるる折りなく、もののみ恋しくおぼゆれば、この世にてはなぐさめかねつべきわざなめり、仏になりてこそは、あやしくつらかりける契りの程を、何のむくいとあきらめて思ひ離れめ、と思ひつつ、寺のいそぎにのみ心を入れ給へり」
――亡き御方(大君)のことが忘れられるものならばともかく、未だに心の紛れることがなく、何かにつけて恋しくてなりませんので、現世ではきっと慰めかねることなのであろう、成仏してこそ、不思議で辛かった大君との宿縁の程を、何の因果であったのかと
明らかにして、きっぱりと諦めもしよう、と思いながら、宇治の旧邸を寺にする準備にばかり熱中しておられます――
「賀茂の祭りなど、さわがしき程すぐして、二十日あまりの程に、例の、宇治へおはしたり。つくらせ給ふ御堂見給ひて、すべきことどもおきてのたまひ、さて例の朽木のもとを見給ひ過ぎむがなほあはれなれば、そなたざまにおはするに、女車のことごとしきやうにはあらぬ一つ、荒ましき東男の、腰に物負へるあまた具して、下人も数多くたのもしげなるけしきにて、橋より今わたり来る見ゆ」
――賀茂の祭りなどで騒がしいひと頃が済んでから、四月二十日過ぎに、薫はいつものように宇治にお出でになりました。造りかけの御堂をご覧になって、工事についてあれこれお指図をなさったりして、さて、例の「朽木のもと」つまり、老女の弁の君に逢わずに素通りしますのも気の毒ですので、そちらへいらしてみますと、女車が一つ、あまり大仰ではありませんが、腰に壺やなぐいを負った、荒々しい東男(あづまおとこ)を大勢連れ、下人もたくさん従えて、威勢ありげに橋をわたって来るのが見えます――
「田舎びたるものかな、と見給ひつつ、殿は先づ入り給ひて、御前どもなどはまだ立ちさわぎたる程に、この車もこの宮をさして来るなりけり、と見ゆ」
――(薫は)田舎くさい者たちだな、と御覧になって、薫が先に山荘にお入りになって、前駆の者たちがまだ立ち騒いでいますと、その車もまたこの御住いに向かってくるようです――
「御随身どもかやかやと言ふを制し給ひて、『何人ぞ』と問はせ給へば、声うちゆがみたる者、『常陸の前司殿の姫君の、初瀬の御寺に詣でてもどり給へるなり。はじめもここになむ宿り給へりし』と申すに、おいや、聞きし人なななり、とおぼし出でて、人々をば他方にかくし給ひて、『はや御車入れよ。ここにまた人宿り給へど、北面になむ』と言はせ給ふ」
――薫の御随身(みずいじん)どもが、がやがや言うのをお制しになって、「あれは何人か」と尋ねさせますと、田舎なまりのある者が、「常陸の前司殿の姫君が、初瀬にお参りなさってのお帰りです。往きにもここでお泊まりになりました」と言います。ああそうだった、これこそ話に聞いていた人らしい、と思い出されて、お供の者どもを、目立たぬところへお隠しになりますと、宿直人に耳打ちなさって、女車の一行に、「早く姫君のお車を中に入れなさい。ここには別の方が宿っておいでになりますが、そちらは北面(きたおもて)の方にいらっしゃいますから」と、言わせられます――
◆賀茂の祭=4月の中の酉の日に行われる
では11/7に。