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永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(582)

2009年12月06日 | Weblog
09.12/6   582回

三十八帖 【鈴虫(すずむし)の巻】 その(12)

虫の音の品定めなどなさったり、お琴の合奏をされたりして興の乗ってきました時刻になって、源氏は、

「月見る宵の、いつとてももののあはれならぬ折はなき中に、今宵の新たなる月の色には、げになほわが世の外までこそ、よろづ思ひ流さるれ。故権大納言、何の折々にも、亡きにつけていとど忍ばるること多く、おほやけわたくし、物の折ふしのにほひ亡せたる心地こそすれ。花鳥の色にも音にも思ひわきまへ、いふかひある方の、いとうるさかりしものを」
――月の美しい宵はいつであっても物のあわれを思わない折などないものですが、今夜の月の光を見ますと、まことにあの世の事までも連想されるものですね。亡き権大納言(柏木)のことを何時も思い出しては、ああもう亡くなったのだと気づかされて、公私につけても催し事に風情がなくなってしまったと思わせられます。花や鳥にも趣き深く、豊かで、語り合うには実に行き届いた人であったものを――

 とおっしゃって御袖で涙をぬぐっていらっしゃる。しかし、

「御簾の内にも、耳留めてや聞き給ふらむと、片つ方の御心には思しながら、『今宵は鈴虫の宴にて、明かしてむ』」
――きっと御簾の内で女三宮が、柏木のこの話を聞き耳を立ててお聞きかとおもいますと、一方では妬ましくもお思いになりながら、「今夜は鈴虫の宴を夜通し楽しもう」とおっしゃる――

 御杯が二まわりしました頃に、冷泉院から御消息が参りました。内裏での宴が中止になりましたので、こちらにおいでになりませんか、というもので、冷泉院の(歌)

「雲の上をかけはなれたるすみかにも物わすれせぬ秋の夜の月」
――退位した私の住処にも、忘れずに秋の夜の月が訪れてくれました――

 源氏は久しくお出入り申し上げておりませんでした冷泉院からのお便りに、今の私を物足りなくお思いになってのことと、勿体ない思いで、(返歌)

「月かげはおなじ雲井に見えながらわが宿からの秋ぞかはれる」
――上皇のお栄にはお変わりなく、私の身の上の変わったために秋の風情も変わりました――

ではまた。


源氏物語を読んできて(581)

2009年12月05日 | Weblog
09.12/5   581回

三十八帖 【鈴虫(すずむし)の巻】 その(11)

 源氏の琴の音色に女三宮はお数珠をくる手をお休めになって、聞き入っていらっしゃる。十五夜の月が差し出て、光のはなやかをも身に沁みて、源氏は、

「空をうちながめて、世の中さまざまにつけて、はかなく移りかはる有様も、思し続けられて、例よりもあはれなる音に、掻き鳴らし給ふ」
――空をうち眺めて、こうして出家していまわれた女三宮をはじめ、前の尚侍(朧月夜)、斎院(朝顔の斎院)もみな出家してしまわれ、身の周りがさまざまにはかなく移り変わっていく有様を思い続けていらっしゃると、あわれさが胸にあふれてきて、琴にもしみじみとした音色が加わるのでした――

 今宵八月の十五夜には、きっと管弦のお遊びなど催されると予想して、蛍兵部卿宮や夕霧が六条院にいらしてみますと、あちらの対にということで琴の音を頼りに尋ねておいでになります。源氏は、

「いとづれづれにて、わざと遊びとはなくとも、久しく絶えにたる、めづらしき物の音など、聞かまほしかりつる一人ごとを、いとようたづね給ひける」
――あまりにもつれづれでしたので、特に管弦の催しというのではなく、久しく聞いていなかった琴の音を聞きたくて、一人で弾いておりましたが、よくまあ、尋ねて来て
くださったことです――

 とおっしゃって、お席を設けてお招じ入れになります。
内裏で今夜の月の宴がある筈のところ、中止になったとかで物足りない思いの人々が伝え聞いて、上達部までも参上なさいました。

◆世の中のこと=男女のこと

◆写真:仲秋の名月

ではまた。


源氏物語を読んできて(580)

2009年12月04日 | Weblog
09.12/4   580回

三十八帖 【鈴虫(すずむし)の巻】 その(10)

「阿弥陀の大呪、いと尊くほのぼの聞ゆ。げに声々聞こえたる中に、鈴虫のふり出でたる程、はなやかにをかし」
――(女房たちの)阿弥陀の大呪(だいず)が真に尊くほのぼのと聞こえます。なるほど、とりどりの虫の声の中に鈴虫が鈴を振るように鳴き出したのが、はなやかに際立って聞こえます――

 源氏は、この虫の音に昔のいろいろな事を重ねて思い出にふけりながら、「松虫は、長寿らしい名を持っているが、短命らしい。人にも親しまぬようで奥山や遠い野で鳴くらしい。それに比べて鈴虫は親しみやすく、賑やかなのが、実に可愛いですね」とおっしゃると、女三宮は、(歌)に、

「大方の秋をば憂しと知りにしをふり捨てがたき鈴虫の声」
――だいたい秋は侘しいものと分かりましたが、鈴虫の声には未練が残ります。(「秋」に「飽き」を響かす)

 と、大そう優雅な感じで、上品でいらっしゃる。源氏は、

「いかにとかや。いで思ひの外なる御事にこそ」
――おや、何とおっしゃいます。心外なお言葉ですね――

 とおっしゃって、(歌)

「こころもて草のやどりをいとへどもなほすず虫の声ぞふりせぬ」
――鈴虫が人を離れても良い声で鳴くように、あなたはご自分で出家されたのだが、
そのお声ははやり変わらずに若々しくて、今でも思い切れないのです――

 と、七絃琴をお取り寄せになって、珍しくお弾きになる。

◆阿弥陀の大呪(あみだのだいず)=阿弥陀如来根本大陀羅尼という真言の呪文

◆鈴虫と松虫=一説には、古くは、鈴虫と松虫の呼び名が今と入れ替わっていたという。

◆写真:源氏物語絵巻「鈴虫の巻」。端近で物思いの出家した女三宮か?

ではまた。


源氏物語を読んできて(579)

2009年12月03日 | Weblog
09.12/3   579回

三十八帖 【鈴虫(すずむし)の巻】 その(9)

 そんなある日、源氏はこのお庭内に虫を放ち飼いなさって、風が吹いて涼しくなる夕方、ご自身がこの宮邸にお渡りになり、

「なほ思ひ離れぬさまを聞こえ悩まし給へば」
――なおも、女三宮を思い切れないような胸の内を仄めかされますので――

 女三宮はお心の内で、例のとおりの好き心よと、ただもう迷惑にお感じになるのでした。宮はお心の内で、

「ひと目にこそ変わることなくもてなし給ひしか、内には憂きを知り給ふ気色しるく、こよなう変わりにし御心を、いかで見え奉らじの御心にて、おほうは思ひなり給ひにし御世の背きなれば、今はもて離れて心安きに、なほかやうになど聞こえ給ふぞ苦しうて、人離れたらむ御住まいみのがな、と思しなれど、およずけてえさも強ひ申し給はず」
――(源氏は)人前でこそ気どられぬように変わりないご態度でしたが、内心ではあの柏木の事件を恨めしくも憎くも思っておられるご様子がはっきりと見え、お仕打ちもこれまでとは打って変わって陰険になられて参りましたので、何とかして顔を合せまいと決心して出家の道を選んだのです。今はこうして源氏にかかわりを持たずに安心して過ごしておりますのに、やはりこんな風に言い寄って来られるのは厭で、もっと離れたところに住みたいと思われるのですが、ご自分からは分別もいくらか備わっていらして、強いてはおっしゃいません――

「十五夜の夕暮れに、仏の御前に宮おはして、端近うながめ給ひつつ念誦し給ふ。若気尼君たち二三人花奉るとて、鳴らす閼伽杯の音、水のけはひなど聞こゆる、様かはりたるいとなみに、そそきあへる、いとあはれなるに」
――十五夜の夕暮れに、女三宮が仏間に来られて、端近なところで物思いがちに念仏を唱えていらっしゃる。若い尼の女房達二三人が、花をお供えしますのに、閼伽杯に水をそそぐ時の金具が触れ合う音などさせて、こうした浮世離れのした御用に忙しげなのも、
まことにあわれ深い、そんなときに――

 例のように源氏がお渡りになってこられて、「虫の音の降るように鳴き乱れるゆうぐれですね」とおっしゃって、ご自分もそっと経文を誦されます。

◆およずけ=自分から

◆十五夜の夕暮れ=旧暦の秋は7月~9月。ここでは8月の十五夜

◆写真:「鈴虫の巻」復元模写(1)
出家した女三宮の御殿の庭に、源氏が鈴虫(今の松虫)を放された。
十五夜の夕暮れ、源氏が訪れる。

ではまた。


源氏物語を読んできて(578)

2009年12月02日 | Weblog
09.12/2   578回

三十八帖 【鈴虫(すずむし)の巻】 その(8)

 女三宮には、

「御封のものども、国々の御庄、御牧などより奉るものども、はかばかしき様のは、みなかの三條の宮の御蔵に納めさせ給ふ」
――(女三宮の)御領地から上がる収入、諸国にある荘園、牧場などから奉られるものの中から主だったものは皆、三條の宮の御蔵にお納めさせになります――

 なおその上に源氏は蔵を建て増しされて、さまざまの宝物や、朱雀院の形見として数多くの物など、女三宮所有の財産はみな三條の宮のお蔵に移され、厳重に保管なさいました。一方、

「明け暮れの御かしづき、そこらの女房の事ども、上下のはぐくみは、おしなべてわが御あつかひにてなむ、いそぎ仕うまつらせ給ひける」
――日常の宮のお世話や、大勢の女房たちのこと、上下の使用人の暮らし向きなどは、みな源氏のご負担として、あちらの三條の宮のご増築を急がせるのでした――

 こうして秋になって、

「西の渡殿の前、中の塀の東の際を、おしなべて野につくらせ給へり。閼伽の棚などして、その方にしなさせ給へる御しつらひなど、いとなまめきたり」
――尼君(女三宮)の御殿の、西の渡殿の前の、中の塀の東の際を、一面の野原の風情にお造りになりました。閼伽の棚などを設えて、尼宮に相応しいご設備がたいそう優雅でいらっしゃる――

 女三宮の後を慕って当座の興奮から、我も我もと競争のように出家を希望されましたが、源氏は、

「あるまじき事なり。心ならぬ人すこしも交じりぬれば、かたへの人苦しう、あはあはしき聞こえ出で来るわざなり」
――それはよろしくない。本心から望むのでない人が少しでも交じっていると、はたの者が迷惑するし、浮ついた評判も立つものだからね――

 と、お諌めになって、出家を願った人々のうちで、乳母や老女房はもちろん、若い女房の中でも道心固く、一生尼で過ごせそうな者だけを選んで、源氏はお許しになります。そこで、十人ほどが尼姿になってお仕えすることになったのでした。


◆女三宮の財産=出家後の女三宮の主な収入となるものに、内親王としての俸禄、荘園各地からの収入、牧場からの収入があり、さらに朱雀院からの財産分与、母君の遺産と、かなりの財産をもっていた。

ではまた。


源氏物語を読んできて(577)

2009年12月01日 | Weblog
09.12/1   577回

三十八帖 【鈴虫(すずむし)の巻】 その(7)

 この法会は、宮の御念誦堂開きの内々の催しのおつもりでしたが、帝も朱雀院もお聞き及びになって、勅使や御使いが使わされました。御誦経のお布施など置きどころのないほど賜りました上に、華やかな御寄進までありましたので、僧たちは夕方帰る寺にお布施の品々を置ききれないほど、たくさん頂いておいとましたのでした。

 源氏は、

「今しも心苦しき御心添ひて、はかりもなくかしづき聞こえ給ふ」
――女三宮がご出家された今になって、花の盛りを、ああもったいないと思う気持ちがつよくなって、いっそう心を込めてお世話なさる――

 朱雀院は、お譲りになった三條の宮に女三宮が別居してお住まいになる事も、ゆくゆくはそのようになるのであるから今からのほうが安心でしょうと、源氏におっしゃるのですが、源氏は、

「よそよそにてはおぼつかなかるべし。(……)なほ生ける限りの志をだに、失ひはてじ」
――別居では気がかりでなりません。(お側でお世話申すことを怠っては私の本意に背きます。死ぬまではいくらもない命ですが)生きている限りは、私の厚意を失いたくありません――

 とおっしゃりながらも、一方では三條の宮を念を入れて立派に修理なさるのでした。

ではまた。


源氏物語を読んできて(法事・法服2)

2009年12月01日 | Weblog
法親王球代五條袈裟姿

 平安時代の僧服には、法会用法服装束と、国家行事の儀式に用いる鈍色装束、ならびに平常家居、宿直(とのい)の用としての宿装束、それに加行(げぎょう)の律(りつ)装束が用いられた。
 
法皇、法親王あるいはこれに准ぜられる方々の宿装束を裘代(きゅうたい)といい、平安期初期に定められた。裘代とは大裘(だいきゅう)、即ち最高の礼服(らいふく)に代えるという意味である。
 
ここでは平安後期の姿になぞえ、僧綱襟という方立(ほうた)て襟をつけ、裘代(きゅうだい)の下には衵、単、大帷(おおかたびら)、指貫の下は大口あるいは下袴、襪をはき、手には檜扇、数珠を持ち五条袈裟をかける。

◆写真と参考  風俗博物館