永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(605)

2009年12月29日 | Weblog
09.12/29   605回

三十九帖 【夕霧(ゆうぎり)の巻】 その(20)

 御息所はつづけて、「昨夜は、わたしが気分が悪く、『それでは少しお待ちします』、とおっしゃったのでお泊りになったのでしょう。あの方は真面目で堅い方ですもの」とおっしゃりながらも不審に思われて、お心の内では、

「さる事ももやありけむ、ただならぬ御気色は、折々見ゆれど、人の御様のいとかどかどしう、あながちに人の誹りあらむことは省きすて、うるはしだち給へるに、たはやすく心ゆるされぬ事はあらじと、うちとけたるぞかし、人少なにておはする気色を見て、這い入りもやし給ひけむ、」
――そんなことがあったのかも知れない。何となく懸想じみたご様子が見えないでもなかったけれど、夕霧大将のお人柄がしっかりしていらして、努めて人から非難されるような事は避け、真面目に振る舞っていらっしゃるので、まさかこちらの信頼につけ入るようなことはなさるまいと、油断しておりました。山荘ですので侍女や使用人も少なく、それをご存知で忍び込まれたのであろうか――

 阿闇梨がお帰りになってから、御息所は小少将(こしょうしょう=御息所の甥の妹)を召され、昨夜何があったのかを詰問なさる。小少将は御息所に初めからのありようや、今朝の御文や、落葉宮のお言葉などを申し上げます。

「年頃忍びわたり給ひける心の中を、聞こえ知らせむとばかりにや侍りけむ。有難う用意ありてなむ、明かしも果てで出で給ひぬるを、人はいかに聞こえ侍るにか」
――ここ何年も、お心に秘めておられたことをお知らせしようという事でしたでしょう。とても慎み深くお気を使って、夜も明けないうちにお帰りになりましたのを、人はどのように申し上げたのでしょうか――

 と、まさか阿闇梨が申し上げたとは知らず、小少将は他の侍女がそっとお知らせでもしたのかと思うのでした。御息所はご病気の上に、このようなご心配まで加わってひどくお苦しみのご様子で、涙をほろほろとこぼされたのでした。
 
◆うるはしだち給へる=麗しだつ=取り澄ました様子。生真面目に振る舞う。

◆這い入りもやし給ひけむ=這い入り・も・や・し給ひけむ=忍び込みなさったのか。「も」は強調。「や」は反語。

ではまた。


源氏物語を読んできて(僧の社会③)

2009年12月29日 | Weblog
僧の社会(3)
 
 こうした宗教界の堕落に見切りをつけて、既成の寺院に属さないで、山奥へ入り込んで修業をつづける僧も少なくなかった。叡山でいえば、まず根本中堂のある東塔が開けたが、そこを捨てた僧が西塔を開き、さらにその奥の横川に籠り下界には降りないということになる。

 これからの『源氏物語』の「手習の巻」に出てくる横川の僧都(よかわのそうず)は、実在の横川の恵心院にいた源信僧都をモデルにしたと言われている。源信は恵心僧都とも呼ばれ、紫式部と同時代人で、彼女よりも長く生きた。式部の幼少の頃には、すでに『往生要集』を発表していたと思われる。彼女が出仕した寛弘二.三年ごろは、道長が病に罹り、源信を招こうと使いを送ったものの、応じず、まもなく少僧都も辞し、以後道長の日記に彼の名はあらわれない。

 源信は長い籠山・著述をつづけ、最後まで貴族には近づかなかった。
                       ◆参考『源氏物語手鏡』より

◆写真:法親王球代五條袈裟姿
 
 平安時代の僧服には、法会用法服装束と、国家行事の儀式に用いる鈍色装束、ならびに平常家居、宿直(とのい)の用としての宿装束、それに加行(げぎょう)の律(りつ)装束が用いられた。     風俗博物館より