永子の窓

趣味の世界

枕草子を読んできて(48)(49)(50)(51)(52)

2018年04月07日 | 枕草子を読んできて
三五   牛飼は   (48) 2018.4.7

 牛飼は、大きにて、髪あかしらがにて、顔赤らみて、かどかどしげなる。
◆◆牛飼いは、身体つきが大きくて、髪は赤毛の白髪で、顔が赤らんで、才気のありそうなのがよい。◆◆



三六  雑色随身は   (49)2018.4.7

 雑色隋身は、やせてほそやかなる。よき男も、なほ若きほどは、さる方なるぞよき。いたく肥えたるは、ねぶたからむ人とおぼゆ。
◆◆雑色や隋人は、痩せてほっそりしているの。身分のある男性も、やはり若いうちは、そうであるのが良い。ひどくふとっているのは、眠たげな人と感じられる。◆◆




三七  小舎人は   (50)2018.4.7

 小舎人は、小さくて、髪うるはしきが、裾さはらかに、すこし色なるが、声をかしうて、かしこまりて物など言ひたるぞ、りやうりやうじき。
◆◆小舎人童は、小さくて、髪をきちんとしていて、その髪の裾の方はさらっとしていて、少し翡翠色に光っているのが、明るくうつくしい声で、かしこまって何か言っているのこそ、物馴れて気がきいた感じだ。◆◆

■小舎人(こどねり)=小舎人童をいうのであろう。近衛の中・少将が召し連れる少年。
■りやうりやうじ=「労労じ」に同じか。巧者で美しい、ものなれていて才気があるなどの意という。



三八  猫は  (51)2018.4.7

 猫は、上のかぎり黒くて、ことはみな白き。
◆◆猫は、背中だけ黒くて、そのほかは白いのがよい。◆◆

                                

三九   説経師は   (52) 2018.4.7

 説教師は、顔よき。つとまもらへたるこそ、説くことのたふとさもおぼゆれ。ほか目しつれば、忘るるに、にくげなるは、罪や得らむとおぼゆ。このことはととむべし。すこし年などのよろしきほどこそ、かやうの罪得方の事も書きけめ、今は、いとおそろし。
 また、「たふとき事。道心おほかり」とて、説経すといふ所に、さいそにいにゐる人こそ、なほこの罪の心地には、さしもあらで見ゆれ。
◆◆説経師は顔の美しい人がいい。じっと見つめているのにこそ、説くことの尊さも感じられるものだ。さもないと余所見をしてしまうので、説経も聞きわすれるから、憎らしい顔の説経師は、おそらく罪を得ているのだろうと感じられる。このことは書かないでおこう。もう少し年が若かったころには、このような罪を得るような筋のことは書かなかったであろうが、今は仏の罰がおそろしい。
 また、「尊いことだ、私は道心が強いのだ」といって、説経するところに真っ先に行って座り込んでいる人こそは、やはり私のような罪深い気持ちからすると、実はそんなに尊くも信心深くもないように見える。◆◆

■説教師(せきょうじ)=法会で仏法の要義を講ずる僧。
■まもれへ=「まもらふ」は、注目する、凝視するの意。
■さいそ=最初
■いにゐる=往に坐る、か。


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