永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1271)

2013年06月23日 | Weblog
2013. 6/23    1271

五十四帖 【夢浮橋(ゆめのうきはし)の巻】 その5

「『なま王家流などいふべき筋にやありけむ。ここにももとよりわざと思ひしことにも侍らず、ものはかなく見つけそめては侍りしかど、またいとかくまで落ちあふるべき際とは思ひ給へざりしを、めづらかに、あともなく消え失せにしかば、身を投げたるにや、など、さまざまに疑ひ多くて、たしかなることは、え聞き侍らざりつるになむ』」
――(薫は)「ちょっとした王家の末につながる血筋だったようです。私としても、もともと晴れて妻にと思ったわけでもなく、ふとしたことから逢い初めるようになったのですが、それでもこのようなまで落ちぶれる身の上とは考えも及びませんでした。まったく思いもかけぬうちに跡かたも無く消え失せてしましましたので、身投げしたのだろうか、などと、さまざまに取り沙汰されましたが、いずれも確かとは分からず、ついにはっきりとは聞き出せぬままに終わってしまったのでした――

 さらに、

「『罪軽めてものすなれば、いとよしと心安くなむ、みづからは思ひ給へなりぬるを、母なる人なむ、いみじく恋ひ悲しぶなるを、かくなむ聞き出でたる、と告げ知らせまほしく侍れど、月ごろ隠させ給ひける本意たがふやうに、ものさわがしくや侍らむ。親子の中のおもひ絶えず、悲しびに堪へで、とぶらひものしなどし侍りなむかし』などのたまひて…」
――「尼となって罪障も軽くなるよう出家させて頂いたようで、何よりだと私自身は安心いたしましたが、母なる人がひどく悲しんでいられるので、きょう伺った事情を知らせてやりたいのです。しかし、この幾月もの間、ずっと隠しておいでになった尼君の御本心に背くようで面倒なことになるかもしれません。親子の間の恩愛は断ちきれず、悲しみに堪えず、こちらへ尋ねてくるかもしれませんからね」などとおっしゃって、――

「さて、『いとびんなきしるべとは思すとも、かの坂本に下り給へ。かばかり聞きて、なのめに思ひ過すべくは思ひ侍らざりし人なるを、夢のやうなりことどもを、今だに語り合はせむ、となむ思ひ給ふる』とのたまふけしき、いとあはれと思ひ給へば、容貌をかへ、世を背きにき、と覚えたれど、髪髭剃りたる法師だに、あやしき心は失せぬもあなり、まして女の御身はいかがあらむ、いとほしう罪得ぬべきわざにもあるべきかな、と、あぢきなく心みだれぬ」
――さて、それから薫は、「はなはだご迷惑な案内役とはお思いでしょうが、その坂本へ下山していただけますまいか。ここまで伺った以上、このままいい加減に見過ごすわけにはいかない女(ひと)でしたので、せめて尼姿となった今となっても、夢のような出来ごとの数々を、話し合いたいと思います」とおっしゃるご様子が、僧都にはいかにもあわれに思われるのでした。僧都は心の中で、浮舟が髪を落してこの世を捨ててしまったのだと、自分は思ったのでしたが、髪や鬚(ひげ)を剃った法師だとて愛欲の心はなくならぬ者も居るということだ。まして婦女子の身では、どんなものだろう、可哀そうに、今薫の君に逢ったならば、迷いが出て、きっと罪作りなことにもなりかねまい、と僧都はますます途方にくれるのでした――

◆なま王家流(なまわかんどほり)=ちょっとした王家筋

では6/25に。