永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1263)

2013年06月07日 | Weblog
2013. 6/7    1263

五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その55

「御前のどやかなる日にて、御ものがたりなど聞え給ふついでに、『あやしき山里に、年ごろまかり通ひ見給へしを、人の謗り侍りしも、さるべきにこそはあらめ、誰も心の寄る方のことは、さなむある、と思ひ給へなしつつ、なほ時々見給へしを、所のさがにや、と、心憂く思う給へなりにしのちは、道も遥けき心地し侍りて、久しくものし侍らぬを、先つ頃もののたよりにまかりて、はかなき世のありさまとり重ねて思う給へしに、ことさら道心を起すべくつくりおきたりける、聖の住処となむ覚え侍りし』と啓し給ふに」
――御前ものどやかに、つれづれな折から、薫はお話を申し上げるついでに、「鄙びた宇治の山里に、この年月、通って世話をしていました女(ひと)がございまして、何かと謗りを受けましたが、これも縁というものでございましょう。誰でも気に入った女のことではそうしたものだという気になりまして、時折り通っておりましたが、「世を憂じ山」という場所のせいでしょうか、亡くなって後は道のりも遠くなったようで、長らく参りませんでした。先頃、ちょっとしたついでに出掛けてまいりまして、つくづくこの世のはかなさを味わいましたが、それにつけましてもあの山荘は、殊更道心をもよおすように造られた聖の住いなのだと、しみじみそう思ったことでございました」と申し上げますと――

「かのこと思し出でて、いといとほしければ、『そこにはおそろしきものや住むらむ。いかやうにてか、かの人は亡くなりにし』と問はせ給ふを、なほうち続きたるを思し寄る方と思ひて、『さも侍らむ。さやうの人離れたる所は、よからぬものなむ必ず住みつき侍るを、失せ侍りにしさまもいとあやしくなむ侍る』とて、くはしくは聞え給はず」
――(中宮は)僧都が噂したあの女の話を思い出されて、大そう気の毒にお思いになって、「宇治には恐ろしい物の怪でも棲んでいるのでしょうか。その人はどのように亡くなられたのですか」とお訊ねになりますので、引き続いて二人も死んだのを、このように仰せになるのかと思い、「そういうこともございましょう。あのように人けのない所には何やらの変化(へんげ)のものが必ず住みつくと申します。亡くなりました時の模様もまことに府に落ちません」と言って、詳しくも申し上げられない――

「なほかく忍ぶる筋を、聞きあらはしけり、と思ひ給はむが、いとほしく思され、宮の、ものをのみ思して、その頃は病にもなり給ひしを思しあはするにも、さすがに心苦しうて、かたがた口入れにくき人の上と思しとどめつ」
――(中宮は)これ程秘密にしていることを、すっかり聞き出してしまったと薫がお思いになるのではないかと、お気の毒にもお思いになり、一方、匂宮がその頃物思いばかりなさって、まるで病気にまでなったことを考え合わせますと、親としては匂宮のためにもさすがに心苦しくて、いづれにしても、浮舟の事はうっかり口出しできないと思われて、そのままにしてしまわれたのでした――

「小宰相に、忍びて、『大将、かの人のことを、いとあはれと思ひてのたまひしに、いとほしうてうち出でつべかりしかど、それにもあらざらむものゆゑ、と、つつましうてなむ。君ぞ、こごと聞きあはせける。かたはならむことは、とり隠して、さることなむありける、と、おほかたの物語のついでに、僧都の言ひしこと語れ』とのたまはす」
――(中宮は)小宰相に、そっと、「薫大将が、あの人(浮舟)のことを、たいそうあわれ深く話されたので、つい僧都の話を言い出したいくらいだったけれど、それほど確かな話でもないのに、とそのまま呑み込んでしましました。でも、あなたは何もかもすべて聞いたのでしょう。差し障りのあることは伏せて置いて、何かの話のついでに、こう言う事がありましたと、僧都のおっしゃった事をお話なさい」と仰せになります――

では6/9に。