永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1270)

2013年06月21日 | Weblog
2013. 6/21    1270

五十四帖 【夢浮橋(ゆめのうきはし)の巻】 その4

「『のちになむ、かの坂本にみづから下り侍りて、護身など仕うまつりしに、やうやう息出でて人となり給へりけれど、《なほこの領じたりけるものの、身に離れぬ心地なむする。このあしきもののさまたげをのがれて、後の世を思はむ》など悲しげにのたまふことどもの侍りしかば、法師にては、勧めも申しつべきことにこそは、とて、まことに出家せしめたてまつりてしに侍る……』」
――「その後やっと(西坂本)の小野に私自身下りまして、延命の加持などいたしましたところ、次第に息を吹き返して並みの身体になりましたが、御当人は、『やはりまだ自分の身体に取り憑いたものが離れないような気がします、こういう悪い物の障りを逃れて、来世の安楽をお願いしたい』などと悲しげにおっしゃったりしますので、出家のことは、法師としては、こちらからお勧めしても上げたい事だと存じまして、本心からご出家おさせしたわけでございます…」――

「『さらに、しろしめすべきこととは、いかでかそらにさとり侍らむ。めづらしきさまにもあるを、世語りにもし侍りぬべかりしかど、聞えありて、わづらはしかるべきことにもこそ、と、この老人どものとかく申して、この月ごろ音なくて侍りつるになむ』と申し給へば」
――全く、貴方様のご関係筋だとは、存じませんでした。何分めずらしい出来ごとでございますから、世間の恰好の噂話にもなりかねません。そのような評判が立ちましては面倒なことになるかもしれぬと、母尼たちがあれこれ申しまして、今まで沈黙を守って来たのでございます」と申し上げます――

「さてこそあなれ、とほの聞きて、かくまでも問ひ出で給へることなれど、むげに亡き人と思ひ果てにし人を、さはまことにあるにこそは、と思す程、夢の心地してあさましければ、つつみもあへず涙ぐまれ給ひぬるを、僧都のはづかしげなるに、かくまで見ゆべきことかは、と思ひ返して、つれなくもてなし給へど…」
――(薫は)こうこうだそうだ(小野で尼になっているようだ)と、小耳に挟まれた時は、半信半疑でしたでしょうが、やはりここまで出向かれて詮索しただけのことはあり、まったく死んでしまったとばかり諦めきっていた人が、それでは本当に噂どおり生きていたのか、そうお思いになりますと、ただただ夢のような気がして、思わず涙がこぼれそうになるのでした。けれども僧都の行いすました手前も恥かしく、こんな姿を見せてはと思い直し、さりげなくお振舞いになるのでした――

「かく思しけることを、この世にはなき人とおなじやうになしたること、とあやまちしたる心地して、罪深ければ、『あしきものに領ぜられ給ひけむも、さるべき前の世の契りなり。思ふに高き家の子にこそものし給ひけめ。いかなるあやまりにて、かくまではふれ給ひけむにか』と問ひ申し給へば」
――(僧都は)薫の君がこれほど思っておられたものを、なんと、この世では死んだも同然な尼にしてしまったことよ、と、過ちでも犯したように罪深い心地がして、「その方が執念深い物の怪に取り憑かれておしまいになられたのも、そうなる前世の因縁でございます。その方はお察ししますところ、身分ある方のお子でいらっしゃったのでしょう。どうした間違いで、これほどまで落ちぶれてしまわれたのでしょう」とお訊ね申し上げます――

では6/23に。