2013. 6/13 1266
五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その58
「宮の御ことを、いとはづかしげに、さすがにうらみたるさまには言ひなし給はで、『かのこと、またさなむ、と聞きつけ給へらば、かたくなにすきずきしうも思されぬべし。さらに、さてありけりとも、知らず顔にて過ぐし侍りなむ』と啓し給へば、『僧都の語りしに、いとものおそろしかりし夜のことにて、耳もとどめざりしことにこそ。宮はいかでか聞き給はむ。聞えむかたなかりける御心の程かな、と聞けば、まして聞きつけ給はむこそ、いと苦しかるべけれ。かかる筋につけて、いと軽く憂きものにのみ、世に知られ給ひぬめれば、心憂くなむ』とのたまはす」
――(薫は)匂宮の御事にはたいそうお心配りをなさって、恨んでいる風には言われずに、「その女のことを、又探し出したなどと、宮がお聞きになりましたなら、さぞかし私を色好みな、戸お思いになりましょう。それで、私はもうもう浮舟が生きていたという事すら知らぬ顔で過ごそうかと思います」と申し上げますと、中宮は、「その僧都の話は、話はしたのですが、大そう気味悪い夜のことだったので、耳にも入らなかったのですよ。匂宮がどうしてお聞き及びになりましょう。あなたには申し訳ないほど怪しからぬお振舞いだったとか、今更また宮のお耳にでも入ったなら、それこそ困った事と思っています。匂宮がこうした女の問題では、たいそう軽率で困ると世間では定評になっておられるらしいので、心配なことです」などと仰せになります――
「いと重き御心なれば、必ずしも、うちとけ世語りにても、人の忍びて啓しけむことを洩らさせ給はじ、など思す」
――中宮はたいそう慎み深い御人柄でいらっしゃるので、打ち解けた世間話にもせよ、人が内密に申し上げたことを必ず口外なさることはあるまい、と薫は思うのでした――
「住むらむ山里はいづこにかあらむ、いかにして、さまあしからずたづね寄らむ、僧都に逢いひてこそは、たしかなるありさまも聞きあはせなどして、ともかくも問ふべかめれ、など、ただこのことを起き臥し思す。月ごとの八日は、必ず尊きわざせさせ給へば、薬師仏に寄せたてまつるにもてなし給へるたよりに、中堂には、時々参り給ひけり」
――(薫はお心の中で)浮舟が住んでいるという山里は、いったいどこなのだろう。どうにかして、見ぐるしくない様にして、訪ねていくことができるだろうか。ともかくも僧都に逢って、たしかな事情も聞き合せるなり何なりするのがよいだろう、などと寝ても醒めてもただただ、この事ばかりを考えておいでになります。毎月八日には、必ず薬師如来の尊い御供養をなさって、その御寄進のために、時々比叡山の根本中堂にお出かけになります――
「それよりやがて横川におはせむ、と思して、かのせうとの童なる、率ておはす。その人々には、とみに知らせじ、ありさまにぞ従はむ、と思せど、うち見む夢の心地にも、あはれをも加へむ、とにやありけむ。さすがに、その人とは見つけながら、あやしきさまに、容貌ことなる人の中にて、憂きことを聞きつけたらむこそいみじかるべけれ、と、よろづ道すがら思し乱れけるにや」
――そのついでに、横川に赴こうとお思いになって、あの(浮舟)弟の童を連れてお出ましになります。浮舟の家族たちには、すぐには知らすまい。その時の様子をみてのことにしようとお考えになられましたが、幼い弟を伴う事にしましたのは、夢のような気がするこの再会に、一段の情趣を添えようとのお気持で、小君を伴われたのであろうか。そうはいうものの、確かに浮舟都巡り逢いながら、みすぼらしい尼たちの中に混じって、ほかの男でも通わせてでもいるような、厭な噂でも耳にしたりしては、どんなに辛い事だろう、と道すがらも、さぞかし千々に思い乱れておいでだったことでしょう――
◆せうと=「せうと」は女より男の兄弟を指していう語。
◆五十三帖 【手習(てならひ)の巻】終り
五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その58
「宮の御ことを、いとはづかしげに、さすがにうらみたるさまには言ひなし給はで、『かのこと、またさなむ、と聞きつけ給へらば、かたくなにすきずきしうも思されぬべし。さらに、さてありけりとも、知らず顔にて過ぐし侍りなむ』と啓し給へば、『僧都の語りしに、いとものおそろしかりし夜のことにて、耳もとどめざりしことにこそ。宮はいかでか聞き給はむ。聞えむかたなかりける御心の程かな、と聞けば、まして聞きつけ給はむこそ、いと苦しかるべけれ。かかる筋につけて、いと軽く憂きものにのみ、世に知られ給ひぬめれば、心憂くなむ』とのたまはす」
――(薫は)匂宮の御事にはたいそうお心配りをなさって、恨んでいる風には言われずに、「その女のことを、又探し出したなどと、宮がお聞きになりましたなら、さぞかし私を色好みな、戸お思いになりましょう。それで、私はもうもう浮舟が生きていたという事すら知らぬ顔で過ごそうかと思います」と申し上げますと、中宮は、「その僧都の話は、話はしたのですが、大そう気味悪い夜のことだったので、耳にも入らなかったのですよ。匂宮がどうしてお聞き及びになりましょう。あなたには申し訳ないほど怪しからぬお振舞いだったとか、今更また宮のお耳にでも入ったなら、それこそ困った事と思っています。匂宮がこうした女の問題では、たいそう軽率で困ると世間では定評になっておられるらしいので、心配なことです」などと仰せになります――
「いと重き御心なれば、必ずしも、うちとけ世語りにても、人の忍びて啓しけむことを洩らさせ給はじ、など思す」
――中宮はたいそう慎み深い御人柄でいらっしゃるので、打ち解けた世間話にもせよ、人が内密に申し上げたことを必ず口外なさることはあるまい、と薫は思うのでした――
「住むらむ山里はいづこにかあらむ、いかにして、さまあしからずたづね寄らむ、僧都に逢いひてこそは、たしかなるありさまも聞きあはせなどして、ともかくも問ふべかめれ、など、ただこのことを起き臥し思す。月ごとの八日は、必ず尊きわざせさせ給へば、薬師仏に寄せたてまつるにもてなし給へるたよりに、中堂には、時々参り給ひけり」
――(薫はお心の中で)浮舟が住んでいるという山里は、いったいどこなのだろう。どうにかして、見ぐるしくない様にして、訪ねていくことができるだろうか。ともかくも僧都に逢って、たしかな事情も聞き合せるなり何なりするのがよいだろう、などと寝ても醒めてもただただ、この事ばかりを考えておいでになります。毎月八日には、必ず薬師如来の尊い御供養をなさって、その御寄進のために、時々比叡山の根本中堂にお出かけになります――
「それよりやがて横川におはせむ、と思して、かのせうとの童なる、率ておはす。その人々には、とみに知らせじ、ありさまにぞ従はむ、と思せど、うち見む夢の心地にも、あはれをも加へむ、とにやありけむ。さすがに、その人とは見つけながら、あやしきさまに、容貌ことなる人の中にて、憂きことを聞きつけたらむこそいみじかるべけれ、と、よろづ道すがら思し乱れけるにや」
――そのついでに、横川に赴こうとお思いになって、あの(浮舟)弟の童を連れてお出ましになります。浮舟の家族たちには、すぐには知らすまい。その時の様子をみてのことにしようとお考えになられましたが、幼い弟を伴う事にしましたのは、夢のような気がするこの再会に、一段の情趣を添えようとのお気持で、小君を伴われたのであろうか。そうはいうものの、確かに浮舟都巡り逢いながら、みすぼらしい尼たちの中に混じって、ほかの男でも通わせてでもいるような、厭な噂でも耳にしたりしては、どんなに辛い事だろう、と道すがらも、さぞかし千々に思い乱れておいでだったことでしょう――
◆せうと=「せうと」は女より男の兄弟を指していう語。
◆五十三帖 【手習(てならひ)の巻】終り