長沼健氏がお亡くなりになりました。
長沼健氏といえば元サッカー日本代表監督でメキシコ五輪銅メダルに導いてくれたことを思い出します。僕らの夢をふくらませてくれた人でもありました。
1968年10月14日長沼氏はメキシコ、プエブラの空の下にいた。監督としてメキシコ五輪のサッカー予選リーグ初戦ナイジェリア戦が始まろうとしていた。
予選リーグB組 日本、ナイジェリア、ブラジル、スペイン
現在のワールドカップで考えると卒倒しそうな組み合わせだ。
ナイジェリアといえば今ではアフリカの強豪だが、当時は無名で当然勝つと踏んでいた。
第一戦 日本3-1ナイジェリア
エース釜本がハット・トリックで日本初戦を飾る。
次はブラジル戦だ。プロが出場できないとはいえサッカーの本場ブラジルは優勝候補の一角であった。初戦スペインに破れ崖っぷちだった。
第二戦 日本1-1ブラジル
前半1点取られ後半に入る。ここで長沼監督の采配が的中する。あせりが出てきた38分途中交代で入っていた一発屋渡辺が同点ゴールを決める。
最後はスペイン戦。この組では一番の強敵と思えた。しかも日本は勝点が必要だった。
最終戦 日本0-0スペイン
日本は互角以上に戦った。シュートが何回もバーに当たった。最後には長沼監督は決勝トーナメントのことを考えて地元のメキシコよりフランスを選び引き分け狙いに行ったのだ。
日本は第一目標である「ベスト8入り」を果たすのである。
決勝トーナメント
日本-フランス、メキシコ-スペイン、ハンガリー-グアテマラ、ブルガリア-イスラエル
狙い通りフランスと戦うこととなる。しかしフランスはメキシコを予選リーグ4-1でくだしており強敵に変わりはなかった。
準々決勝 日本3-1フランス
「メキシコの奇跡」前半25分釜本のシュートで日本先取点もすぐに同点にされる。後半14分杉山から釜本で逆転、さらに25分渡辺が3点目をあげる。日本は新しい歴史を作った。
ベスト4
日本-ハンガリー、メキシコ-ブルガリア
戦後の五輪ではソ連を始めとする東欧圏が優勝していた。なぜなら東欧共産国はステートアマとして名目はアマチュアだが実力はワールドカップ級だったからだ。
ハンガリーは前回東京五輪でも優勝しており、日本は本大会初めてワールドクラスの国との対戦となる。日本が世界にどの位通じるか指針となる試合になった。
準決勝 ハンガリー5-0日本、ブルガリア3-2メキシコ
世界の壁は厚かった。前半0-1と持ちこたえたが、後半は息もつかせぬ猛攻を受け防ぎようがなくPKだけで2点取られての大敗であった。
日本は銅メダルを賭けて地元メキシコと対戦することになった。正直落ち込んで勝つ見込はないと思っていた。
三位決定戦 日本2-0メキシコ
長沼監督以下日本は立ち直っていた。クラマー氏の「固くなるのはメキシコだ」という話に勇気をもらっていた。前半18分日本の得点パターンである杉山からのセンタリングを釜本が受けシュート先取点を取る。39分また杉山アシスト釜本ゴールで前半終了2-0とする。
個人技ではメキシコが上回る。後半早々PKを取られるが失敗してくれた。この頃からファンは応援から非難に変わって行く。残り5分でメキシコが決定的チャンスを逃すと座布団の雨が降る始末となる。
やがてタイムアップ日本は銅メダルを獲得したのだ。グランドで抱き合う選手たち、そこに笑顔の長沼監督たちが寄って行く。
そして長沼監督はアステカの空に舞った。
試合内容他はサッカーマガジンを参考にしました。長沼健氏のご冥福をお祈りいたします。
追記
日本はフェアプレイ賞を受賞した。岡野俊一郎コーチは選手登録しており銅メダルをもらっている。釜本は7得点で得点王に輝いてメキシコのヒーローとなる。
ある在留邦人は「メキシコ人は日本のスポーツ選手といえばボクシングの関光徳しか知らなかったが、これからはカマモトになる」と話している。
関光徳氏は元東洋太平洋フェザー級チャンピオンでメキシコでも活躍した選手でした。現在はジムの会長をしていましたが先日お亡くなりになりました。
くしくもメキシコで活躍されたお二人が2008年6月にお亡くなりになられたのは運命でしょうか。お二人のご冥福をお祈りいたします。
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