ちよ
散歩、今回は少し遠出して横浜山手を散策します。
JR根岸線山手駅からスタートします。
駅から坂を上って行くと、まずは根岸競馬記念公苑があります。
馬の博物館があり、「日本の馬文化」を知ることができます。
これは、馬の博物館前にあるトキノミノルの像です。
この公苑には、ポニーセンターもあり乗馬が楽しめます。
すぐとなりが、相当に広い根岸森林公園になっています。
なぜ広いのか、広いのも納得です。
ここは、初めて洋式競馬が行われた根岸競馬場跡地なのです。
1866(慶応2年)に完成し、翌年最初の競走が行われました。
その証拠に、昔のスタンドの一部がまだ残っています。
現存しているこの建物は、一等馬見所です。
トキノミノル像の所から、後方に見えたのはこのスタンドです。
競馬ファンとしては、この遺構を見たくて横浜までやって来ました。
![031 031](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/03/06723fee8cdcb426b33f08c90e758b0c.jpg)
もともと、居留外国人の娯楽として始まった根岸競馬場です。
結局、1943(昭和18年)に閉鎖され海軍省に接収される前年まで競馬が行われていました。
設計者は、数々の洋館を手がけているJ.H.モーガン氏です。
今にも壊れそうですが、出来れば残していってもらいたい建物です。
根岸森林公園をあとにして、バス通りを北へ向かいます。
ここからは、横浜山手地区の洋館めぐりとなります。
山手本通りを、かなり歩きます。
すると、山手イタリア山庭園への案内板が見えてきます。
イタリア領事館がおかれたことから、イタリア山と呼ばれています。
この庭園は、花壇を幾何学的に配したデザインになっています。
この建物は、明治政府外交官の家でこの地に移築されました。
外交官の家の奥にあるのが、このブラフ18番館です。
大正末期の外国人住宅で、最近までカトリック山手教会の司祭館として使用されていました。
この建物も、移築復元されました。
山手本通りにもどり、また北へ進みます。
このバス停「山手町」の手前を、右に曲がります。
しばらく行くと、山手公園があります。
日本最初の洋式公園として、1870(明治3年)に開園されました。
この地に、1878(明治11年)専用テニスコートが建設されました。
この公園が、日本テニス発祥の地とされています。
この建物は、横浜山手テニス発祥記念館です。
当時からのテニスの歴史を、かいま見ることが出来ます。
公園内には、コートをならすローラーの形をした「日本庭球発祥之地」の碑があります。
この建物は、山手68番館です。
テニスコートのクラブハウスに、なっています。
手前の桜は、まだ二分咲きです。
フェリス女学院大学を横に見て、山手本通りにもどります。
先ほどの、山手町バス停前のカトリック山手教会聖堂です。
元町方面から上がってくる、汐汲坂や代官坂と交差します。
それらを、左に見ながら真っすぐ進みます。
やがて、このベーリック・ホールがあります。
イギリス人貿易商ベリック氏の邸宅として、建てられました。
設計は、競馬場と同じJ.H.モーガン氏です。
スパニッシュスタイルを基調とし、最大規模を誇ります。
すぐとなりが、元町公園で山手を象徴する公園のひとつです。
園内には、山手80番館遺跡やブラフ溝などの記念碑があります。
かつて、山手はブラフ(切り立った崖)と呼ばれていました。
ブラフという言葉が、よく出てきます。
この建物は、園内にあるエリスマン邸です。
絹糸貿易商会支配人エリスマン氏の私邸として、建築されました。
「現代建築の父」と呼ばれた、A.レーモンド氏の設計です。
これも、元町公園に移築復元されました。
元町公園から道路の反対側にあるのが、この山手234番館です。
この建物は、外国人向けの共同住宅でした。
従来は、4つの住戸が左右対称に向かい合っていました。
横浜に現存する、数少ない遺構のひとつです。
![077 077](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/ec/eebcc9112b6c9b17b30a6d19ed666252.jpg)
![078 078](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/e6/6e6b88e1917916b500f2bf403309e797.jpg)
元町公園前の歩道で見つけた、レトロ調電話ボックス(左上)です。
「自動電話」と、書いてありました。
山手234番館のとなりにある、山手聖公会(右上)です。
さらに、そのとなりの山手資料館です。
この建物は、貴重な明治時代の木造洋館です。
その時代のものとしては、横浜に唯一現存するものです。
山手資料館のとなりが、このレストラン山手十番館です。
観光客に人気のある店で、一階は喫茶店になっています。
近くには、ビール由来のビアサケ通りがあります。
その通りには、麒麟麦酒開源記念碑やビール井戸などのビールに関する記念碑が残っています。
道路の左側は、すでに山手外国人墓地となっています。
山手外国人墓地より、マリンタワーを望みます。
画像右奥の建物が、外国人墓地資料館です。
この墓地は、アメリカ使節ペリー一行の海兵隊員を葬ったのが始まりとされています。
山手本通りは、外国人資料館の所で右に曲がります。
右側に、岩崎ミュージアムがあります。
この地には「ゲーテ座」という西洋劇場があり、居留外国人の社交場となっていました。
関東大震災で、崩壊しました。
そのまま真っすぐ進むと、港の見える丘公園となり山手洋館めぐりのゴールです。
港の見える丘公園、展望広場地区の展望台です。
正面に、横浜ベイブリッジが見えます。
横浜港やランドマークタワーなどが、一望出来ます。
園内の、イギリス地区にある横浜市イギリス館です。
1937(昭和12年)英国領事館公邸として、建築されました。
この建物には、モダンと伝統を加味した重厚な美しさがあります。
横浜市イギリス館の奥にある、山手111番館です。
1926(大正15年)アメリカ人住宅として、現在地に建てられました。
設計は、また出ましたJ.H.モーガン氏です。
スパニッシュスタイルの赤瓦と白壁が美しい西洋館で、地階には喫茶室があります。
イギリス地区から、西側のフランス山地区に移動します。
横浜開港期に、フランス軍隊が駐屯していました。
それで、フランス山と呼ばれるようになりました。
山の下には、フランス領事館が建てられました。
山の上に建てられたのが、フランス領事官邸です。
その官邸では、井戸の水汲み用風車が設置されました。
この風車は、当時をしのぶモニュメントです。
下の赤レンガの塊は、公園整備の際見つかった風車基礎の遺構です。
すぐとなりに、1930(昭和5年)に建てられた2代目領事官邸の遺構も残っています。
フランス山を下りて、新しい「みなとみらい線」の元町・中華街駅を通り過ぎます。
すぐに、この元町ショッピングストリートとなります。
途中で、右に曲がり中華街に向かいます。
中華街からの横浜散歩は、次の機会で・・・ということで。
お腹がすいたので、中華街で昼飯です。
![128 128](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/40/c92a418223a2661f2defb10a8ea5c720.jpg)
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中華街はずれにある、「梅蘭」(左上)という店に入ります。
ここの、梅蘭やきそば(右上)が絶品です。
普通のあんかけやきそばとは反対で、外側のカリッとしたやきそばの中に熱々のあんかけの具がたっぷり入っています。
本日のおみやげは、中華街聘珍樓の黒豚肉包と黒胡麻あんまんです。
-ちよ散歩⑮横浜山手・おわり-