ちよ旅、今回は根岸競馬場跡を見に行きます。
遺構が好きで、ここは6年ぶりになりますが見事な遺構が存在します。
今では、競馬場跡地は巨大な根岸森林公園となっています。
その根岸森林公園の一部にあるのが、「根岸競馬記念公苑・馬の博物館」です。(左上)
馬の博物館では、馬と人とのかかわりを歴史から競馬まで幅広い分野で紹介されています。
中庭に建つトキノミノル像で、はるか遠くにこれから行く遺構が見えます。(右上)
トキノミノルは10戦10勝の負け知らずで1951(昭和26年)の日本ダービーを制しましたが、その17日後に破傷風で急死しました。
ダービーを勝つために生まれてきた幻の馬と言われ、像の土台前面には「幻乃馬」と書かれています。
根岸競馬記念公苑には「ポニーセンター」があり、今は天皇賞馬マイネルキッツが入厩しているそうです。
これが競馬場跡地の壮大な根岸森林公園で、どこまでも芝生が続いています。(上)
この場所は競馬場でいうとまだ内馬場で、本馬場のコースはさらにこの外側にあったようです。
右回りで1周約1600mコース幅20mと狭く、急なカーブと坂で構成され難度の高いコースのひとつとされました。
これが、貴重な遺構の根岸競馬場の1等馬見所(観客スタンド)です。(上)
1860年代に横浜で始まった近代競馬は、1866(慶応2年)日本初の洋式競馬場である根岸競馬場が完成して本格化します。
しかし、1923(大正12年)関東大震災によって半壊します。
1930(昭和5年)アメリカ人のJ・H・モーガン設計による新スタンドが完成し、各地で建設されるスタンドモデルにもなりました。
3年後の1933(昭和8年)には、現在の東京競馬場が開設されています。
J・H・モーガンは、当時の横浜洋館の設計を数多く手掛けています。
残っているのはその新スタンドの1等馬見所(4,500人収容)だけですが、となりにもっと大きな2等馬見所(12,000人収容)がありました。
3つの大きな柱はエレベーターホールで、小窓はふさがれていますがガラス張りだったそうです。
2等馬見所と下見所(パドック)は、老朽化のため1988(昭和63年)に解体されました。
競馬場は当時高級な社交場で、入場料だけでも1等馬見所が5円2等馬見所が2円でかなり高価だったと思われます。
スタンド前の本馬場あたりは米軍駐留地となっていて立ち入れないので、正面からはこれが精一杯の画像です。(左上)
この広場は、設計者の名をとってモーガン広場と呼ばれています。(右上)
根岸競馬場は途中横浜競馬場に名称が変わりますが、1943(昭和18年)閉鎖となり海軍省に接収されるまで続きました。
今にも倒れそうで老朽化が心配されますが、横浜市にはぜひ補強修復をしてこの貴重な歴史遺構を残していってもらいたいものです。
さて、ここから伊勢佐木町まで歩きます。
神奈川県のご当地ラーメンとなっている、サンマーメン(生馬麺)を食べに行きます。
伊勢佐木町には元祖と言われる玉泉亭があり、そこに入ります。(左上)
サンマーメンとは、もやしや野菜などのあんをかけたラーメンのことです。(右上)
もう少しあんにとろみがあれば、最高でした。
さらに歩くと、伊勢佐木町を一躍全国的に有名にした「青江三奈 伊勢佐木町ブルース」の看板がありました。(上)
この前には歌碑があり、楽譜と歌詞の書かれたレリーフがあります。
スイッチを押すと、1分間「伊勢佐木町ブルース」が流れます。
作詞はあの川内康範で、ため息から始まる刺激的な歌でした。
「カステラ1番 電話は2番 3時のおやつは文明堂」のフレーズと、「クマのカンカン踊り」のCMを憶えていますか。
そのCMでおなじみの横浜文明堂本店(伊勢佐木町4丁目店)に寄ります。(上)
ドラ焼きを持ったドラえもんが、迎えてくれます。
今日のおみやげは、文明堂の「極上 金カステラ」です。(上)
このカステラは、卵黄を増量して食感が一段としっとりして底のザラメもたっぷりの逸品です。
さらに、手焼きなのは伊勢佐木町と関内の直営店限定品です。
味は最高でしたが、ザラメ1コの大きさがもう少し小さいと食べ易いのですが。
ーちよ旅8根岸競馬場跡・おわりー
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