その昔、オヤジにやっとボロ中古車を買ってもらい、すぐにひとりでドライブ旅行に出た。車に家財道具を詰め込んで旅に出るのが、子供の頃からの夢であった。
時は春、行く先は四国。なぜ四国か。それは行ったことがない所だったからだ。計画は行き当たりばったり、気の向くまま。
前の晩興奮して眠れず、待ちきれず暗いうちに出発した。・・・が、東名の沼津あたりでパンク。一時は死ぬかと思った。最初から大冷汗。前途多難。
路肩で修理して再出発。路肩でパンク修理なんて今なら絶対やらない。怖いもの知らずとはこの事か。
あとは順調で浜名湖SAで日の出を迎える。東名、名神を無事に走り切り、明石からフェリーで淡路島へ。淡路島からまたフェリーに乗ってやっと四国へ上陸。
フェリーに乗るのも初体験で冷汗ものだった。当時は橋などひとつもかかっていない。四国は陸の孤島であった。
ます゛向かったのが鳴門。うず潮より鳴門ラインからの内海の景色がとても美しく印象に残っている。きれいな海岸線を西へ。
屋島ドライブウェイではノッキングで後ずさりしそうで冷汗。屋島からは瀬戸内海に夕日が映って見え、きれいで日が沈むまでいた。
その日は高松まで。畑の真ん中に車を止め、後座席の寝袋にくるまる。貧乏旅行ですべて車の中で寝た。足は伸ばせないが寒くはなかった。
次の日、朝食はオフクロに作ってもらったおにぎり。ここまで口にしたのはおにぎりだけ。十個位作ってもらった。近くの栗林公園の名園を見てから出発。
五色台スカイラインを通り、坂出の海岸に出る。これがまた狭い道路でトラックとすれ違いざまにドブに脱輪。幸いドブに泥がつまっていたのでバックで脱出できた。今日も冷汗から始まる。
丸亀城を見て、一気に琴平まで。日本人なら一度は行ってみたい金刀比羅まいり。本宮まで階段を何百段も登らなくてはならない。
登り始めは両側にお土産屋がぎっしり。だんだん足がきつくなる。有料だが楽な籠もあるのだ。籠は横向きに登って行く。本宮からの眺めがまたすばらしい。登ってきたかいがあるというもの。
さらに走り、高校野球で有名な池田町に入る。なんとネズミ捕りにひっかかる。冷汗のピーク。赤信号で先頭に止まったのが運の尽き。スピード発進してしまった。罰金の額だけが頭に残る。
気を取り直して、大歩危、小歩危を見ながら進む。ここでは鉄橋を渡る列車の写真を撮った。鉄道ファンでもあるのだ。
そして当時はまだ秘境の祖谷峡へ向かう。道は極端に狭い。下は谷底ガードレールなんてない。冷汗の連続。そこに向こうから路線バスがくる。すれ違いもできない。絶体絶命。
さあどうする。どうすると言っても自分では動けない。・・・なんとかバスの方がバックしてくれた。汗びっしょり。
やっとの思いで着いたところにはかずら橋がある。かずらの木を編んで橋にしている。下がつつぬけで見える。高所恐怖症ゆえ渡らず。
帰りはまた来た道を引き返す。また冷汗。対向車が来ないことを祈る。運転には自信がないのだ。
そして高知まで来た。ここでは裁判所の駐車場にかってに止め眠る。誰もとがめる人がいない。昔は平和だった。
次の朝愕然とした。ちょうど日曜で門が閉められていた。これは明日まで出られないか・・・。ところが門に鍵がかかっていなかった。
どうにか旅行は続けられ、板垣退助の銅像を見て高知を出発。竜河洞という鍾乳洞に行ってみた。大きな洞くつで水がかぎりなく透明に近いブルーでとてもきれいだった。
いよいよ坂本竜馬と会うため桂浜へ。途中道が狭く冷汗。桂浜で坂本竜馬の銅像と対面した。ゴミとお土産屋の建物が興ざめ。
ここから足摺岬へ向かうのだが、道が狭いのがいやで一度高知方面にもどり国道に出る。このころから雨が降ってくる。途中四万十川の土手を通り、土佐清水ではかつお船が見事に並んでいるのに驚く。
足摺スカイラインではものすごい濃霧ほんの先が見えない、また冷汗。ひたすらすぐ前の道路を見て運転した。怖かった。
やっとこさ足摺岬に着いて、初めてとんかつライスを食べた。公共駐車場でゆっくり寝た。
灯台が有名で思えば遠くにきたもんだ。椿のトンネルは時期的に少し遅かった。落ちてしまい地面が椿の花だらけとなっていた。
次の日、出発してすぐ竜串という所があった。団体にまぎれてグラスボートに乗る。着いたのが見残しという所。奇形の岩が延々と続き気持ち悪い程見事であった。
さらに宇和島に向かう途中山崩れで引き返し海岸線を行くことになる。渋滞がほとんどない四国だったがその時だけ渋滞した。それでも海がきれいで退屈しなかった。
宇和島城に寄り、松山まで来た。病院の駐車場にかってに車を止める。横になるとライトアップされた松山城が見える絶好の場所であった。ここでも怪しむ人はいなかった。平和な時代。
松山では子規堂に坊ちゃん列車があった。松山城はローブウェイとリフトで登る。桜がちらほら咲き始めていた。このお城と桜は絶景である。
道後温泉街を散歩していると四人組の女性たちに写真を撮ってと頼まれた。ついでに自分のカメラでも撮らせてもらった。写真はすべてポジでスライドにした。
四国五十一番所の石手寺まで足を伸ばす。おみやげに姫だるまを買う。
天気快晴とてもおだやかな海岸線を今治まで行って、そこから三原行きのフェリーに乗る。これで四国とはおさらばである。冷汗の連続であったが四国を一周したのだ。
このあと尾道の夜景を見たり、倉敷、吉備路を回ったり、姫路城に行ったりして旅行は続く。最初はどうなるかと思ったがなんとか無事に旅行は終わるのである。
子供の頃からの夢を実現してみると、とても楽しくてまたすぐ行きたくなった。
その後車は変わって行くがひとり旅は続いた。東北、九州一周、北陸、北海道一周、佐渡、山陰から山陽、紀伊半島縦断・・・何回も行った所もあり、今だに続いている。
さすがに車の中では寝なくなったが、気ままな旅の原点はこの四国一周にある。