Forever hill

男は夢に追われる孤独なランナー

ちよ散歩29越生梅林

2011-02-24 16:54:57 | まち歩き

ちよ散歩、今回は越生梅林(おごせばいりん)まで紅梅、白梅を見に行きます。

002東武越生線JR八高線の駅でもある越生駅からスタートです。

越生線は、東上線坂戸から越生までの短い距離です。

駅前の通りを行くと、右側に越生町観光案内所があります。

そこで、地図などの情報を仕入れます。

 

 

059県道を越えて行くと、あるのが法恩寺(ほうおんじ)です。

これは、優美な姿を残した見事な鐘楼です。

1901(明治34年)の火災で、山門とともに焼け残ったものです。

この鐘楼と山門は1714(正徳4年)に再建されたものです。

 

 

009坂道を上って行き、細い山道に入った所に越生神社があります。

越生神社奥の高取山は、戦乱に備えた越生氏の砦跡です。

は、山麓のこの越生神社一帯にあったとされています。

祭礼での囃子は、江戸神田囃子のながれをくんでいます。

 

 

012さらに山道を上って行き、正法寺(しょうぼうじ)の所で右に降ります。

ここは、死期を悟った僧が生きながら食を絶ち仏となる聖地とされていました。

この事を、入定(にゅうじょう)といいます。

今でも寺域には、「入定場」という地名が残っています。

 

 

ここから街中を進むと、越生町役場の所に出ますので真っすぐ進みます。

県道沿いには歩道がなく危険ですので、もらった地図によるとこの道が梅林までの推奨徒歩コースとなっています。

やがて三滝入口の交差点となり、ここで歩道橋を渡ります。

016しばらく行くと弘法山があり、山麓に弘法山入口の立札があります。

そこから階段を登って行くと、中腹にあるのが弘法山観世音(こうぼうやまかんぜおん)です。

ここの観世音は、弘法大師の作と伝えられています。

安産子育の観音様として、参拝者が絶えないそうです。

 

 

この後は徒歩コースの地図どおりに歩き、ようやく越生梅林にたどり着きました。

050046033_2

 

 

 

 

 

 

044_2030023_2

 

 

 

 

 

 

水戸偕楽園と並び、関東三大梅林のひとつである越生梅林です。

600年前の古木や、白加賀・越生野梅・紅梅など約千本あります。

時期が少し早く、紅梅は見ごろでしたが白梅はまだ咲き始めでした。                                                         

越生梅林では3月21日(日)まで梅まつりが開催され、土・日を中心にして郷土芸能などが披露されます。

入場料200円と書いてありましたが、無料で入れました。

子供たちに大人気のミニSLがあり、満開の梅のトンネルを走り抜けるのもあと少しです。

052越生梅林を出て、すぐそばにある梅園神社に寄ってみます。

越生梅林の起源は、九州大宰府から菅原道真公の霊を分祀した時梅園神社に植えられたのが始まりと言われています。

ただし梅園神社と改称したのは、1907(明治40年)のことです。

 

 

 

さらに、越生梅林前の道を奥へ進みます。

039右に曲がると、最勝寺があります。

本尊の十一面観世音は、争いのある世の中を救う仏だそうです。

ここの境内には、見事な紅梅が咲いていました。

 

 

帰りは、県道沿いの白線だけの歩道を歩きゴールの越生駅までもどりました。

061

 

 

 

 

 

今日のおみやげは、梅林内の売店で買った梅ゼリーです。(上)

-ちよ散歩29越生梅林・おわり-

 

 

 

 

 


ちよ馬券2011フェブラリーS

2011-02-20 01:47:27 | ギャンブル

ちよ馬券、今週は待ってました今年最初のGⅠフェブラリーSだ。

春の4歳上ダート王決定戦で、東京競馬場ダート1600mで行われる。

フェブラリーS優勝馬のヴァーミリアン(2008)、サクセスブロッケン(2009)が引退し、エスポワールシチー(2010)も出ない。

今年は飛び抜けた存在の馬がいないので、どの馬にもチャンスがあり混戦模様だ。

まずは、昨年のJCダートを制した12トランセンド(牡5)ここを勝ってドバイに行きたい。

前哨戦の根岸S1、2着馬、14セイクリムズン(牡5)7ダノンカモン(牡5)

ディープインパクト池江泰郎調教師が定年を控え、最後のGⅠに送り出すのが6バーディバーディ(牡4)

同じ最強世代の4歳からは、中山金杯をしぶとく勝った2コスモファントム(牡4)がダートのGⅠに挑戦してきた。

忘れちゃいけない、公営の星で川崎記念をぶっちぎった13フリオーソ(牡7)鞍上デムーロで必勝態勢。

これからのダート界を引っ張っていくのは、果たしてどの馬か。

本命は・・・。

やはり、世界を狙う12トランセンドを本命にする。

マイル実績がないと言われるが、どの馬にも一長一短あるならば単に実力だけで比較する。

このメンバーの中では、唯一中央GⅠ馬で実力は一歩抜けていると見る。

相手は・・・。

まずは、名前の出た馬はすんなりと。

14セイクリムズン、7ダノンカモン、5バーディバーディ、2コスモファントム、13フリオーソ

根岸Sで3着に突っ込んできた、3ダイショウジェット(牡8)

平安Sを勝った、10ダイシンオレンジ(牡6)。

川崎記念でフリオーソの2着、武豊11メイショウタメトモ(牡6)

3着には、どの馬が飛び込んできてもおかしくなく波乱含み。

結論

三連複軸1頭流し 12-2、3、5、7、10、11、13、14 28点買い

結果追記します。

結果追記

やはり、12トランセンドは強かった。

ゲート直後の芝もなんのその、抜群のスタートで先頭に立つ。

四コーナーから16マチカネニホンバレにからまれたが、遊んでやったに過ぎない。

直線に入り引き離し、実力どおりの優勝。

マチカネニホンバレをかわして伸びてきたのが、池江調教師究極の仕上げの5バーディバーディ

ところが、四コーナー大外を回されながら13フリオーソがものすごい勢いで突っ込んできた。

フリオーソは、トランセンドには届かずもバーディバーディを捕らえて2着。

バーディバーディが3着で、しぶとい7ダノンカモンが4着に入った。

トランセンドに遊ばれたマチカネニホンバレは、それでも5着にねばった。

2コスモファントムは最下位に終わり、すでにダートを忘れて芝の馬となっていた。

3着に波乱があると見たが、比較的順当な結果に終わった。

これで、トランセンドは堂々とドバイに行ける。

これからのダート界を引っ張る、新しいヒーローの出現だ。

馬券的には、もう少し荒れてくれれば良かったがバッチリ的中した。

三連複  6-12-13  3,200円  的中 

次回は3/27(日)の高松宮記念です。    


ちよ散歩28小江戸川越

2011-02-09 23:24:12 | まち歩き

ちよ散歩、今回は小江戸と言われる川越市内を散策します。

川越にはJR川越線東武東上線併用の川越駅と、西武新宿線の終着駅である本川越駅があります。

さらに東上線川越駅の次の駅川越市駅があり、近い距離に三つの駅があるのが川越市の特徴です。

001今日は、川越駅からスタートです。

細い道のショッピング街であるクレアモールを、北へ向かいます。

かなり長い距離を歩きますが、人の波は絶えません。

 

 

 

003途中にあった、最近オープンした小江戸蔵里(くらり)です。

約120年続いた酒造蔵を利用した、産業観光館です。

おみやげ処、まかない処などに分かれています。

 

 

 

004_3喜多院不動通りを渡り、大正浪漫夢通りへと入って行きます。

その名のとおり、大正時代の建物が続きます。

これらの建物は、喫茶店シマノコーヒーの大正館(左)と和菓子屋のいせや(右)です。

 

 

 

いよいよ蔵造りの町並みです。

007まず、入口にあたる仲町交差点の角にあるのが松崎家です。

こういった土蔵造りの店舗は、江戸の町家形式として発達しました。

しかし、今の東京ではほとんど見ることが出来ません。

川越のこの通りに、江戸の面影を残しています。

 

 

010_2このように建物ひとつにしても、江戸の文化が川越に流通していました。

それが、「川越を小江戸」と言う所以(ゆえん)なのでしょう。

蔵造りの町並みに、人力車が似合います。

 

 

 

021右側に見えてくる高い建物は、現埼玉りそな銀行川越支店です。

明治時代に、第八十五国立銀行として設立されました。

今の建物は、1918(大正7年)に改築されたものです。

西洋の建築様式で、大正ロマンを感じます。

 

 

012中頃にある、蔵造りの町並みを代表するりっぱな建物です。

特に、瓦に重厚感があります。

正面は原家で、屋号は陶舗やまわ陶器の店です。

となりは、宮岡家です。

 

 

018

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここで右に曲がると、川越のランドマーク時の鐘が見えます。(上)

最初のものは、江戸時代初期川越城主酒井忠勝によって建設されました。

現在のものは、1894(明治27年)に再建されたものです。

高さは16mあり、今でも1日4回時を知らせています。

017時の鐘入口の角に建つのが、酒屋の滝嶋家です。

ごらんのとおり、時の鐘付近は人がいっぱいです。

思った以上に、小江戸川越は注目されているようです。

 

 

 

014蔵造りの町並み最後に紹介する建物は、大澤家住宅です。

1792(寛政4年)呉服店として、建てられました。

明治の川越大火でも、焼け残ったそうです。

川越商人に、蔵造りを建てさせるきっかけになった建物のひとつです。

 

 

027_2寺町通りから、菓子屋横丁に向かいます。

横丁と言うのがぴったりで、狭い路地の両側に駄菓子を売る店が並んでいます。

川越と言えばさつま芋で、大学芋とおみやげに飴を買いました。

 

 

 

蔵造りの町並み終わりの交差点札の辻から北へ向かい、広済寺の前を右に曲がります。

030 しばらく行くとあるのが、川越氷川神社です。

ここには1990(平成2年)に建立された大鳥居があり、高さ15mもあり木製のものとしては国内随一だそうです。

中央額の文字は、勝海舟の直筆です。

 

 

 

南に進み、川越城跡に向かいます。

川越城の本丸御殿には、玄関と広間が現存しています。

残念ながら本丸御殿は保存修理工事のため休館中で、平成23年3月26日(土)14時から公開される予定です。

034しかたなく、となりにある三芳野神社に寄ります。

ここは、わらべ唄「とおりゃんせ」歌詞の発祥地と言われています。

しばし休憩で、菓子屋横丁で買った紅東(べにあずま)の大学芋を頬張ります。

 

 

 

川越城は江戸時代松平信綱が城地を拡大し、徳川家親藩・譜代大名の重要な居城でした。

040 維新後、破壊され現在唯一残っているのが富士見櫓跡です。

この高台が、富士見櫓が建てられていたところです。

本丸西南の隅櫓として建てられ、三重櫓の高いもので天守閣の代わりをつとめていました。

 

 

 

また南に進み、いよいよ喜多院に向かいます。

045まずは、喜多院の山門があります。

家康に取入った天海僧正が、1632(寛永9年)に建立したものです。

建立後すぐの1638(寛永15年)川越大火にも、焼失を免れました。

喜多院では、最古の建築物です。

 

 

048喜多院は平安時代の創建とされ、江戸時代天海の時に栄えました。

寛永の川越大火後の再建時には、江戸城から移築したものを書院・客殿としました。

ですから、「家光誕生の間」「春日局の間」が喜多院に存在するのです。

 

 

 

喜多院境内には五百羅漢の石仏群があり、これは1782(天明2年)から約50年間かけて建立されたものです。

058059055

 

 

 

 

 

 

顔、動作などひとつとして同じものはなく、人間味にあふれる様々な表情を見せてくれます。(上)

全部で538体あるそうで、ずっと見ていても飽きません。

喜多院のとなりにある、仙波東照宮に寄ります。

071入れるのは隨身門から石段を登り、この拝殿までです。

家康没後、遺骸は日光に移送されました。

その途中、天海が喜多院で大法要を営んだことで 建立されました。

日光・久能山とともに三大東照宮のひとつと称されています。

 

 

069しかし、日光東照宮に比べたらはるかに小さく質素なものです。                          

正門の扉にあった、徳川家の「葵」の紋所です。

水戸黄門で、おなじみのものです。

 

 

 

帰りは、東照宮中院通りを西へ向かいます。                                              

074中央通りと交差するところが、駅ビル西武本川越PePeの入口です。

ここを直進し、案内板どおりに進みます。

ゴールの川越市駅に、無事に着くことが出来ました。

 

 

 

081

 

 

 

 

 

今日のおみやげは、菓子屋横丁小江戸茶屋で買ったノスタルジーを感じさせるガラスの瓶に入ったフルーツ飴です。(上)   

-ちよ散歩28小江戸川越・おわり-