今年最初のちよ散歩は、初詣がてら川崎大師まで歩きます。
京急川崎駅からスタートです。
ソープランドがひしめき、昼間なのにあちこちで呼込みのお兄さんから声を掛けられました。
さすがに街並の写真はNGでしたが、粋な街灯を撮ってきました。
第一京浜を渡って、川崎競馬場に向かいます。
公営競馬から、大井ハイセイコーや笠松オグリキャップのような怪物くんの出現を期待します。
ここで行われた川崎記念で、フリオーソ(船橋)が圧勝しました。
その公営の星が、中央GⅠフェブラリーSに出場します。
追記
2/20(日)フェブラリーSで、フリオーソは直線ものすごい追込みをみせ2着に入りました。
開催はなかったのですが、場外売り場として賑わっていました。
そうです、川崎のもうひとつの顔はギャンブルの街なのです。
昔のスタンドは取壊され、今は軟式野球や他のイベントに使用されているようです。
前の球場は、大洋ホエールズ(現ベイスターズ)やロッテオリオンズ(現マリーンズ)の本拠地であった時期があります。
大洋ホエールズとは、「巨人の星」の左門豊作がいた球団と言ったほうが早いかも知れません。
1960(昭和35年)三原修監督率いる大洋ホエールズは、川崎球場を本拠地にして日本一に輝いています。
ちなみにホエールとはクジラのことで、給食にクジラの竜田揚げが出ていた頃の話です。
さて、大師通りを川崎大師に向かいます。
やがて道路の左側に見えてくるのが、京急大師線の川崎大師駅です。
この前の信号を渡り、厄除門をくぐり表参道へと入って行きます。
ここまでけっこう歩いたので、表参道終わりの角にある創業明治17年という松月庵で昼飯です。
暖まったところで、すぐ仲見世です。
「トントントン・・・」と、せき止め飴の店から飴を切る威勢のいい音が聞こえてきます。
川崎大師は平間寺と称し、真言宗智山派の大本山です。
11代将軍家斉が厄除に訪れた事から、厄除大師として広まりました。
初詣客は、明治神宮・熱田神宮に次いで全国3位です。
仲見世を通り過ぎ、いよいよ川崎大師に入ります。
ここには京都東寺の国宝尊像を模刻した、四方を守る四天王像が安置されています。
それ以前は、現在の不動門が、山門でした。
大山門をくぐり境内に入ります。
こちらは大本堂で、大山門より少し古く1964(昭和39年)の落慶です。
ここでお参りを済ませ、一年間の無病息災を祈りました。
それと、厄除弘法大師御守と金襴袋を買いました。
八角は建築物としては最も円に近く、包容力・完全性を象徴しています。
この塔は、新しくて1984(昭和59年)の落慶です。
このお堂は、戦災で焼失後1948(昭和23年)に再建されたものです。
鐘の方は相当古く、1795(寛政7年)に鋳造されたものです。
これは、降魔成道(ごうまじょうどう)釈迦如来像です。
「左手を膝の上に、右手を大地に指した」ような姿をしています。
お釈迦様が悟りをひらいた、このような姿を降魔成道と言います。
この不動門は、現在の大山門が復興するまでこの寺の山門でした。
大山門建立に伴い、不動門としてこの位置に移築されました。
大山門前にある、江戸後期天保年間より続く大師名物久寿餅を売る住吉の屋根看板です。
ここで、その久寿餅をおみやげに買いました。
寒いので、甘酒も買って飲みながら帰ります。
帰りは、表参道を駅とは反対方向の産業道路へ向かいます。
産業道路へ出たら左に曲がり、歩いて行くと多摩川に架かる大師橋を渡ります。
上下線開通は、2006(平成18年)とまだ新しい大師橋です。
旧大師橋は、1939(昭和14年)開通しました。
旧橋は骨組が描く曲線が美しく名橋と称され、画像手前に見えるのは保存されている旧大師橋の親柱です。
多摩川の夕焼けを見ながら大師橋を渡り、京急空港線大鳥居駅のゴールに着きました。
今日のおみやげは、大山門前住吉の久寿餅です。(上)
-ちよ散歩27川崎大師・おわり-