Forever hill

男は夢に追われる孤独なランナー

ちよ旅14函館本線と余市

2016-06-07 18:13:07 | 旅行記

ちよ、今回はまずは今春開業した北海道新幹線で北海道まで行きます。

函館本線余市までの「ローカル線の旅」と、余市の「ニッカウヰスキー余市蒸留所」を訪ねます。

  

ようやく、北海道新幹線に乗れました。

E5系はやぶさ1号グランクラスで、新函館北斗に着いたところです。(上)

新函館北斗駅では乗換口が大混雑で、乗り継ぎ時間が11分でしたが乗り遅れそうになりました。

  

鉄道旅と言えば駅弁で、特急の中で食べた駅弁「山海いろごはん」です。(左上)

山が竹の子キノコなど海はホタテイクラなどで、山と海のいいとこ取りのお弁当でした。

何とか乗り込んだスーパー北斗9号で、函館本線と室蘭本線の分岐駅長万部で下ります。(右上)

   

                     長万部(おしゃまんべ)

あいにく雨が降ってきましたが、ここから函館本線「ローカル線の旅」の始まりです。

昼間の下り列車は13:16発のこれ一本だけで、一両編成のワンマンカーです。(左上)

これからの画像は、雨降りのガラス越しなので悪くなりますが悪しからず。

   

        二股(ふたまた)        蕨岱(わらびだい)        黒松内(くろまつない)

この辺り、雑木林の中を進みます。

  

     熱郛(ねっぷ)          目名(めな)           蘭越(らんこし)

遠くに、高い山々が見えてきます。

  

     昆布(こんぶ)           ニセコ             比羅夫(ひらふ)

ニセコアンヌプリは雲間から見えたのですが、残念ながら羊蹄山はまったく見えませんでした。

裾野も見えず、羊蹄山がどこにあるのかもわかりませんでした。

有珠山が噴火した時北斗星は迂回してこの函館本線を通ったのですが、羊蹄山を背に走る北斗星の貴重なオレンジカードを持っています。

 

    倶知安(くっちゃん)

長万部からの「ローカル線の旅」は、のんびりと1時間34分かけて終点の倶知安に着きました。(上)

 

まだまだ、「ローカル線の旅」は続きます。

22分の待ち合わせで、小樽行きの二両編成ワンマンカーに乗り換えます。(右上)

次の駅は小沢(こざわ)ですが、撮影に失敗して画像はありません。

  

    銀山(ぎんざん)                   然別(しかりべつ)                    仁木(にき)

 

 

    余市(よいち)

倶知安から45分で、目的地の余市に到着です。(左上)

「ようこそ!果実・ウイスキーの里 よいちへ」、ウイスキー樽が迎えてくれました。(右上)

 

余市の駅からも歩いてすぐのところに、ニッカウヰスキー余市蒸留所があります。

正門受付(左上)と、外から見た工場(右上)です。

見学は無料で、正門から中に入ります。

手前の建物がキルン塔と呼ばれる乾燥棟で、スコットランドにいるような錯覚におちいる風景です。(上)

 

ぐるっと見学すると、モルトウイスキーのつくりかた」がわかります。

製麦 大麦を水に浸して発芽させ、麦粒の中に酵素を生成させます。

乾燥 発芽したらピート(草炭)を焚いて乾燥させ、芽の成長を止めてモルト(麦芽)をつくります。乾燥棟(左上)

粉砕・糖化 細かく砕いたモルトと温水を混ぜ合わせると、酵素が働き甘い麦汁ができます。粉砕・糖化棟(右上)

 

醗酵 麦汁に酵母を加えて醗酵させると、糖分がアルコールに分解され醗酵液(もろみ)ができます。醗酵棟(左上)

蒸溜 醗酵液(もろみ)を加熱し、アルコール分と香味成分を抽出します。それを冷却装置で冷して蒸溜液にします。蒸溜棟(右上)

 

混和棟(左上)

貯蔵・熟成 蒸溜液をアルコール分63%程度に調整し、樽に詰めて長時間熟成させます。1号貯蔵庫(右上)

こうして、長い時間と多くの工程を経てモルトウイスキーがつくられていきます。

 

ニッカウヰスキー創業者、竹鶴政孝の胸像です。(左上)

1918(大正7)竹鶴政孝はスコットランドに単身留学して、本場のウイスキー製法の技術と知識を身につけて帰国します。

妻はスコットランド人リタといい留学中に結婚、リタは竹鶴政孝を「マッサン」と呼んでいました。

1924(大正13)寿屋(後のサントリー)の山崎蒸溜所が完成、竹鶴政孝は初代の工場長になります。

1934(昭和9)竹鶴政孝は寿屋を退社し、余市にウイスキー工場を建設します。

それは、「理想のウイスキーづくり」を追求するためでした。

余市を選んだのは、余市の気候や風土などがスコットランドに似ていたからです。

創立当時のニッカウヰスキー工場(旧社名は大日本果汁)の旧事務所です。(右上)

 

リタハウス(左上)

旧竹鶴邸、竹鶴政孝・リタ夫婦が暮らした私邸の母屋を復元したものです。(右上)

 

貯蔵庫を改装した、ウイスキー博物館があります。

ブレンドの達人で「キング オブ ブレンダ―」と呼ばれ、英国人W・Pローリーがモデルと言われています。(左上)

醗酵液(もろみ)は、このポットスチル(蒸溜釜)で2回蒸溜されてモルトウイスキーになります。(右上)

蒸溜所によってポットスチルの形や加熱方法は異なり、それがその蒸溜所の個性になります。

余市蒸留所では、ストレートヘッド型ポットスチル石炭直火蒸溜が特徴です。

  

数種類のウイスキーの試飲ができるニッカ会館レストラン「樽」もあります。(左上)

左奥に見える建物は、限定グッズを揃えるショップの「ノースランド」です。

以上で見学は終わり、正門近くのキルン塔に戻ってきました。(右上)

この後、小樽から札幌に出て泊まりました。

  

今日のおみやげは・・・。

ノースランド限定の「ニッカウヰスキー樽」と「キング オブ ブレンダ―」のマグネットです。(左上)

北海道限定の「ジンギスカンキャラメル」「北海道ビールキャラメル」です。(中上)

北海道新幹線限定のライラック・ラベンダーラインの「H5系車両ストラップ」です。(右上)

ーちよ旅14函館本線と余市・おわりー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     

 

 

 

 

 

 

 


ちよ旅12高梁と備中松山城

2015-05-25 22:21:42 | 旅行記

ちよ、今回も前回の続きで備中松山城その城下町である高梁(たかはし)の街を散策します。

「現存12天守」のうち最後に残ったのが備中松山城で、ここに行けば完全制覇となります。

 

岡山駅から伯備線特急やくも9号で高梁に向います。(左上)

やくも号の運転席の仕切りはガラス張りなので、前方の景色がよく見えます。(右上)

楽しみな駅弁は、栗おこわ弁当です。(上)

高梁駅に着いて、高梁テクテクマップをもらって散策に出発です。

城見通りを行くと、この建物があります。

1904(明治37)建築された旧高梁尋常高等小学校本館です。(上)

この本館の保存活用を図るため、1978(昭和53)高梁市郷土資料館として開館しました。

 

美観地区の紺屋川と桜並木です。(左上)

1889(明治22)に建設された高梁キリスト教会堂です。(右上)

この教会堂は、現存する県内最古の教会堂です。

   

石火矢町の武家屋敷に、やって来ました。

150石どりの旧埴原家(左上)と、漆喰壁の長屋門が美しい旧折井家(右上)です。

この辺りは、映画「男はつらいよ」「バッテリー」のロケ地になっています。

 

いよいよ、備中松山城への遊歩道に入って行きます。(左上)

途中に、大石内蔵助腰掛石なるものがありました。(右上)

水谷家断絶の後、城を受取りにきたのが播州赤穂の大内内蔵助でした。

城代として登城の際、この石に腰掛けて休息したと伝えられています。

この遊歩道も、竹田城跡の登山道と同じ位きついです。

何回も休みながら、シャルトバス終点のふいご峠までたどり着きました。

ここから城までは、さらに約700m20分かかります。

  

やっと石垣が見えてきましたが、これは中太鼓丸櫓跡です。(左上)

伝達手段として使われた太鼓丸櫓の一つで、太鼓の合図の中継地点でした。

いよいよ城の入り口の大手門跡ですが、登城道に対して矩折り(かねおり・直角に曲がる)となっています。(中上)

内部は高い石垣で囲まれた枡形構造で、防御に対して工夫をこらし実戦向きに築かれています。(右上)

  

まさに、山城ならではの大手門右手にそびえる石垣群です。(左上)

天然の岩盤の上に石垣を築き、さらに土塀を建てています。

三の平櫓東土塀で、四角い矢狭間と丸い筒狭間を備えている現存する土塀です。(中上)

二の丸まで登ってきて、ようやく天守が見えてきます。(右上)

天守のある山城の中では、最も高い所(標高430m)にあります。

本丸からの現存する天守です。(上)

1240(延応2)地頭秋庭三郎重信大松山(現天守より北側の峰)に砦を築いたのが始まりです。

現在の天守は小松山にあり、1683(天和3)水谷勝宗により修築されたものと伝えられています。

「現存12天守」の中では、唯一の山城です。

 

天守二階からの眺めです。(左上)

天守北側にある二重櫓で、天然の岩盤の上に石垣を築き建てられています。(右上)

備中松山城の中では、天守・土塀とともに現存する建築のひとつです。

秋から冬にかけて雲海が発生して、備中松山城も天空の山城となります。

これで、「現存12天守」の完全制覇(写真を撮っただけのも含む)成りました。

帰りは疲れてしまい、シャトルバスでふもとの駐車場まで下りました。

その後、タクシーで高梁駅に出て特急やくも18号で岡山に帰りました。

帰りの新幹線で食べた、駅弁のままかりと鰆(さわら)セット寿司なめらかフルーツゼリーです。(上)

今日のおみやげは、岡山名物のままかり生酢漬けと桃泉果(とうせんか)です。

桃泉果は、まるごとひとつの白桃をゼリーが包んでいます。(上)

―ちよ旅12高梁と備中松山城・おわりー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ちよ旅11竹田城跡

2015-05-19 17:01:06 | 旅行記

ちよ、今回は日本のマチュピチュ・天空の城と言われる竹田城跡を訪れます。

遺構好きにとってこの日本屈指の山城遺構は、絶対に行きたいところのひとつです。

 

開業当時の形に改装された、東京駅丸の内北口ドームの天井です。(上)

東京駅からのぞみ103号で出発します。

列車旅の楽しみは、何と言っても駅弁です。

まずは、「あなご寿司三昧」です。(上)

3時間で姫路に着きました。

せっかくですので、約5年をかけて天守閣の修理を終えた姫路城を見に行きます。

最も変わったのは屋根の部分で、屋根瓦の継ぎ目に目地漆喰を使用したことです。

白鷺城は、前にも増して白く輝いていました。(上)

姫路城は戦争の空襲にも奇跡的に生き残り、現存12天守のひとつです。

先を急ぎますので、姫路城は写真を撮っただけです。

姫路駅に帰ると、名物の「明石焼き」がありました。(上)

たこ焼きに比べると中がとろとろで、だし汁をつけて食べます。

  

姫路から播但線はまかぜ3号(左上)に乗って、竹田駅(右上)に着きました。

踏切を渡って駅裏登山道より、標高353mの山頂にある竹田城跡に挑みます。

この登山道は工事で通行止だったのですが、最近になって通れるようになりました。

 

これは登ってすぐのところにある、竹田城の城主や家臣たちの屋敷の遺構です。(左上)

険しい登山道ですが、昔の人も登城の折にはこの道を登ったと考えられています。(右上)

山頂に近づくにつれて、勾配がさらにきつくなります。

進んでは休みを何回も繰り返して、ようやく竹田城跡にたどり着きました。

  

  

1443(嘉吉3)山名氏赤松氏との対立の中、最前線基地として但馬守護大名山名宗全が築城したとされています。

以後太田垣氏が7代にわたって城主となりますが、1580(天正8)羽柴秀吉の但馬征伐により落城します。

最後の城主赤松広秀が豪壮な石積みの城郭を整備したと言われていますが、1600(慶長5)関ヶ原の役のあと廃城となっていきます。

  

  

山頂に石垣だけが残っている雰囲気から、規模は小さいものの日本のマチュピチュと呼ばれています。

秋から冬にかけて朝霧が発生し、雲海に包まれた竹田城跡はまさに天空の城となります。

帰りも舗装道路ではなく、表米神社登山道から下ります。

こちらもかなりの急勾配ですが、下りは少しは楽でなんとか無事に下りてきました。

 

登山道の名前のとおり、下りてくると表米神社に着きます。

境内には、土俵を囲んで六段の貴重な石積み相撲桟敷があります。(左上)

手前には舞台もあって、歌舞伎の見学にも使用されたと考えられます。

下りてきた表米神社の参道を、ふり返って見たところです。(右上)

当初の予定では、竹田城跡の全景が見渡せる立雲峡の展望台に登るつもりでしたが・・・。

思った以上に疲れ果てて、断念しました。

このあとはまかぜ6号で姫路に戻り、山陽新幹線岡山に出て泊まりました。

―ちよ旅11竹田城跡・おわりー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ちよ旅6弘前散策

2013-11-29 00:47:18 | 旅行記

ちよ、今回も前回の続編で函館からの帰りに弘前に寄ります。

161160163_2

 

 

 

 

 

 

函館からスーパー白鳥26号に乗って青森に着きました。(左上)

ここから、弘前行の普通列車に乗り換えます。(中上)

弘前駅に着いて、駅の1階入口にある弘前市観光案内所レンタサイクルを借ります。(右上)

城下町として栄えた弘前には江戸時代の面影が残り、なおかつ明治・大正時代に建てられた教会洋館が残っています。

この「レトロモダンな街」を、これから電動チャリンコで散策して行きます。

まずは真っ先に行きたかった、弘南鉄道大鰐線の始発駅中央弘前駅をめざします。

170171

174 

 

 

 

 

 

これが、昭和レトロの雰囲気が漂う中央弘前駅の駅舎です。(左上)

駅舎の中はもっと懐かしくて、出札所・改札口や上壁の時刻表はまさにレトロです。(中上)

列車が到着しましたが、この大鰐線は奥羽本線とほぼ平行に進み途中でクロスして終点の大鰐駅は奥羽本線の大鰐温泉駅と隣接しています。(右上)

1952(昭和27年)弘前電気鉄道として開業されましたが、1970(昭和45年)弘南鉄道に吸収合併され弘南鉄道大鰐線として存続しています。

164中央弘前駅のそばにあるのが、日本聖公会弘前聖天教会です。(左)

大正時代に建てられたゴシック様式の赤煉瓦造りの聖堂は、ジェームス・M・ガーディナー(アメリカ)の設計です。

異国にいるような雰囲気のある教会ですが、鐘の音も美しく朝晩に鳴り響きます。

 

 

 

さて、夜の繁華街でもある鍛治町(昼なので静か)を通り追手門広場へ向かいます。

177その途中にあるのが、青森銀行記念館です。(左)

青森県初の銀行で、1904(明治37年)旧第五十七銀行の本店本館として建造されました。

弘前洋風建築の祖・堀江佐吉の集大成といわれ、ルネッサンス風のシンメトリー(左右対称)様式で和洋折衷が施されています。

 

 

 

追手門広場に着くと、そこでは市民マラソン「アップルマラソン」の真っ最中で人がごった返していました。

181183188

 

 

 

 

 

 

まずあるのが、旧東奥義塾外人教師館です。(左上)

青森県初の私立学校東奥義塾の外国人教師の住居で1900(明治33年)の建築といわれ、現在1階はカフェとなっています。

その隣が、旧弘前市立図書館です。(中上)

先ほどの青森銀行記念館と同じく堀江佐吉により、1906(明治39年)に建造されました。 

ルネッサンス様式を基調に、八角形のドーム型双塔が特徴的な洋館です。

この追手門広場には、ミニチュア建造物群があります。

14の歴史的建造物が、10分の1サイズになって並んでいます。

これは、たった今見て来た旧弘前市立図書館のミニチュアです。(右上)

 

いよいよ、弘前城のある弘前公園です。

192195198

 

 

 

 

 

 

追手門より公園内に入ります。(左上)

周辺を土塁で築き内外に桝形を設けた二層の櫓門(やぐらもん)で、平穏時代からはこちらが正門です。

やがて、中濠に架かる杉の大橋を渡ります。(中上)

杉材を用いたのでこの名が付きましたが、1821(文政4年)濠の両側が石垣になると檜材によって架け替えられました。

杉の大橋を渡るとすぐに南内門で、ここをくぐると二の丸です。(右上)

現在、城門は中濠沿いの内門が2つと外濠沿いに3つの計5つが残されています。

199206208

 

 

 

 

 

 

南内門をくぐり、中濠左角にあるのが未申櫓(ひつじさるのやぐら)です。(左上)

南内門を中心にこの未申櫓と左右対称的な右角に位置するのが、画像はないですが辰巳櫓(たつみのやぐら)です。

とは敵を攻撃したり物見のために造られた見張り台で、防弾・防火のため土蔵造りです。

未申や辰巳は櫓の方角を十二支で示したもので、未申は南西・辰巳は南東を示しています。

本丸と二の丸を結ぶ、下乗橋(げじょうばし)までやってきました。

下乗橋の上から見た、天守です。(中上)

この橋の二の丸側に下馬札があり、藩士は馬から下りるように定められていたことから下乗橋と名付けられました。

同じく、下乗橋から見た内濠の画像です。(右上)

209

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

改めて、本丸にある弘前城天守です。(上)

弘前城は、1611(慶長16年)津軽二代藩主津軽信枚(のぶひら)によって築かれました。

天守は1627(寛永4年)落雷で焼失しましたが、1811(文化8年)九代藩士寧親(やすちか)が隅櫓の改築をし再建されました。

今の天守は本丸南東の辰巳櫓を改築したもので、最初の天守は反対側の本丸南西の角にあったそうです。

江戸時代に建築され現存する天守としては関東以北では唯一のもので、全国的にも弘前城を含めても12城しかありません。

「江戸時代から現存する12天守」とは、弘前城・松本城・犬山城・丸岡城・彦根城・姫路城・丸亀城・備中松山城・高知城・松江城・松山城・宇和島城以上の12です。

今回弘前城に来ましたので、12のうち行ってないのは備中松山城ひとつとなりました。(単に外から見ただけのも含む)

明治末期からの植樹が進み、今では全国的にも有名な「弘前さくらまつり」がゴールデンウィークに開催されています。

212213214

 

 

 

 

 

 

本丸から見る天守閣はこんな感じで、いまいち冴えません。(左上)

これを見ると、櫓を改築して天守にしたのがよくわかります。

また、下乗橋を渡って二の丸にもどります。

二の丸東内門で、この門をくぐって行くと外濠沿いの東門に出ます。(中上)

ここをくぐらず北へ向かうと、二の丸東門与力番所があります。(右上)

番所は城門の主要な箇所に見張り所として配置されたもので、城内12ヶ所に建てられました。

216217219

 

 

 

 

 

 

内濠辺りでは、かすかながら紅葉が進んでいました。(左上)

濠は内濠・中濠・外濠と、三重にめぐらされています。

また、外堀である西濠沿いの散策路の両側には長い桜並木が続き春にはまさに「桜のトンネル」になります。

中濠の角に建つ丑寅櫓(うしとらのやぐら)で、方角は北東を示します。(中上)

現在では、先ほどの未申櫓・辰巳櫓とこの丑寅櫓とで櫓は3つ残されています。

賀田橋を渡り四の丸を進み、最後の北門(亀甲門)まできました。(右上)

北の神である玄武が亀に似ていることから、亀甲門とも言われています。

築城にあたり大光寺城から移築再建したと言われ、築城当時はこちらが正門でした。

柱などから矢傷跡が発見され、唯一実戦の痕跡をとどめています。

 

北門から弘前公園を出て亀甲橋を渡ると、すぐにそこは仲町伝統的建造物群保存地区です。

226222229

 

 

 

 

 

 

この地区には、江戸時代の武家屋敷や商家が今でも残り保存されています。

江戸時代、城にわら工品を納めていた豪商の石場家住宅です。(左上)

現在は地酒を扱う酒屋で、今も居住中の住宅ですが見学も出来ます。

石場家住宅に残る、「こみせ」と呼ばれる江戸時代の木造のアーケードです。(中上)

江戸後期に建てられた、天然藍染め工房川崎染工場です。(右上)

江戸時代に行われていた天然藍染めを、当時の道具を使って染物体験(要予約)が出来ます。

 

すぐそばの、津軽藩ねぷた村に向かいます。

001243231_2

 

 

 

 

 

 

500円を払って、立体的になる入村券をもらい中に入ります。(左上)

ここでは、さまざまな津軽の文化をまるごと見て体験出来ます。

まずはねぷたの館で、弘前ねぷた祭りについての説明を受けます。(中上)

「ねぷた」の語源は、「眠たし」が津軽弁でなまって「ねぷてぃ」から「ねぷた」になったそうです。

同じ語源でも、青森では「ねぶた」とにごります。

真ん中の画像上方にあるのがねぷた太鼓で、お囃子に合わせて太鼓の体験が出来ます。

合間にかけるかけ声は、「ヤーヤドー」です。

説明をしてくれたお兄さんの、見事なお囃子の笛です。(右上)                                             

235

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このねぷたの館には、10mもの実物大のねぷたが展示されています。

弘前ねぷたは扇型をしていて、正面の絵は「鏡絵」といい三国志・水滸伝などの勇壮な武者絵が描かれています。(上)

234236

 

 

 

 

 

 

一方、裏面の絵は「見送り絵」といい対称的に妖艶な美人画が描かれています。(左上)

「凱旋ねぶた」と呼ばれる青森ねぶたに対し、弘前ねぷたはゆっくり練り歩く姿が戦いに向かうように見えることから「出陣ねぷた」とも呼ばれています。

これは金魚ねぷたで、元来金魚は幸福を呼ぶ魚と言われ当時の庶民はねぷたにして広めました。(右上)

今では、ねぷた祭りの際には子供達が提灯のように手に持ち街を練り歩きます。

ねぷたの館の後は、弘前ねぷたの資料を展示しているねぷたの間「ヤーヤ堂」があります。

さらに津軽蔵工房「たくみ」と続き、ここでは津軽塗こぎん刺し・弘前こけしなどの津軽民芸品の製作工程を見学や体験が出来ます。

津軽三味線「山絃堂」では、時間が合えば津軽三味線の生演奏を聴くことが出来ます。

最後が独楽処「ずぐり庵」で、古くから伝わる津軽独特の「ずぐり」などを実演してくれます。

 

ねぷた村をあとにして、急いで駅に帰ります。

248帰る途中に寄ったのが、日本キリスト教団弘前教会です。(左)

1875(明治8年)創設された、東北最古のプロテスタント教会です。

現礼拝堂は、1906(明治39年)弘前洋風建築の祖・堀江佐吉の四男斎藤伊三郎が建設しました。

総ヒバ造りの洋風ゴシック式木造建築として、極めて貴重です。

 

 

このそばには同じ弘前教会でも、画像はないですがカトリック弘前教会があります。

こちらは、1910(明治43年)堀江佐吉の弟横山常吉によって建てられました。

レンタサイクルの返却は5時までですが、それまでに無事弘前駅に着きました。

250

251

 

 

 

 

 

「りんごのまち 弘前」では、駅前ポストの上にもりんごが乗っています。(左上)

弘前のスイーツと言えばアップルパイですが、焼き立てをいただきました。(右上)

-ちよ旅6弘前散策・おわり-

 

ちよ旅6弘前散策・おまけ

弘前から新青森に出て、「はやぶさ18号」グランクラス東京へ帰りました。

259行きは「和軽食」でしたので、帰りは「洋軽食」赤ワインです。(左)

サンドイッチメニューはカルボナーラ風たまごと岩手ロースハム・レンコンサラダ、彩り野菜ポテトサラダです。

付け合せは三陸産さんま竜田揚げ黒酢あんかけ、フルーツです。 

 

 

 


ちよ旅5函館の夜景

2013-11-01 23:49:19 | 旅行記

ちよ、前回の続編ですが函館の夜景を見に行きます。

「竜飛海底駅見学コース」を終えて、「スーパー白鳥25号」函館駅に着くともう真っ暗になっていました。

「肝心の天気は・・・」と、空を見上げると函館山の山頂が見えます。

実は昨年の6月にも函館に来たのですが、その時の函館山は低い雲におおわれていて山頂は見えず函館の夜景を断念せざるを得ませんでした。

これで、2年越しの想いにリベンジ出来そうです。

126まずは、駅前にあるその名も「ホテル駅前」にチェックインします。

タクシーでロープウェイ山麓駅まで行こうとしましたが、山頂まで行けるということで一気に山頂まで行くことにしました。

登るにつれて坂道を曲がる度に、木々の間から夜景がチラチラ見え始めて興奮してきました。

 

 

 

そして、函館山の山頂に着きました。

129_3

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これが、ナポリ・香港とともに「世界三大夜景」に数えられる函館の夜景です。(上)                                                                                     

函館湾津軽海峡に挟まれた独特な地形で、凝縮された函館市街の夜景は息をのむほど圧巻です。

写真技術がヘタなのもありますが、この感動は写真ではとうてい伝わりません。

この函館の夜景は人の目で見るのが一番で、ぜひ自分の目で確かめて脳裏に焼付けてください。

帰りはロープウェイで山麓駅まで下りるのですが、「125人乗りのゴンドラ」が3分で運んでくれます。

 

山麓駅からは、南部坂を下って市電通りまで歩きます。                                                           

142「函館どつく前」からくる線路と「谷地頭」から線路が交差して一本の線路になる所にあるのが、市電「十字街」の駅です。

元町周辺にはライトアップされた場所がたくさんあるのですが、昨年散策したのでパスします。

「ちよ旅1函館②夜景とライトアップ散策」をご覧ください。

「十字街」から市電に乗り、「函館駅前」で降ります。

 

 

149松風町の方に歩いて、お目当ての居酒屋「根ぼっけ」を見つけました。

根ぼっけとは海の棚などに根づいた真ぼっけのことで、回遊しないので大型で脂がのっています。

目方は2kg前後、体長は50cm位のものを言います。

根ぼっけ焼きを食べましたが、確かに脂がのっていました。

また食べるのと飲むのに夢中になってしまい、写真を忘れました。

 

145

147_2 

 

 

 

 

かわりに撮った、しめで食べたいくら丼(左上)と梅おにぎり(右上)です。

このあと、ホテルまで歩いて帰りました。

 

次の朝、「朝市」をのぞいてみました。

151152274

 

 

 

 

 

 

丼自慢の店が、一列に並んでいる「どんぶり横丁市場」です。(左上)                 

「朝市大通り」で、ここ「朝市」には約280もの店がひしめき合っています。(中上)

その中の「創業59周年小西食品」で、タラコ・いくら醤油漬け・うに数の子などをしこたま買い入れました。

画像は、おみやげのいくら醤油漬けです。(右上)

154158

 

 

 

 

 

 

函館から「スーパー白鳥26号」で、青森に向かいます。(左上)

列車旅行の楽しみは、何と言っても駅弁です。

朝食は、「うにいくら弁当」です。(右上)                                            

-ちよ旅5函館の夜景・おわり-