Forever hill

男は夢に追われる孤独なランナー

ちよ散歩38木根川橋

2011-08-08 00:04:08 | まち歩き

ちよ散歩、今回はさだまさしの曲にもある木根川橋まで歩きます。

JR総武線錦糸町駅北口から、スタートです。

005まずは、錦糸公園の裏にあるはずの精工舎に寄りますが・・・。

残念ながら精工舎は2002(平成14年)解体され、巨大ショッピングモール「olinas」に変わっていました。                                                                  

余談になりますが、母は戦時中出稼ぎに来てここにあった精工舎で働いていました。

あの3月10日の東京大空襲に遭遇し、命からがらいなかに逃げ帰ったと聞いています。

 

 

006蔵前通りを、亀戸天神に向かいます。

蔵前通りに架かる天神橋から、横十間川を見た画像です。

横十間川は、やがて北十間川に流れスカイツリーの真下を通り隅田川に流れ込みます。                                      

 

 

 

天神橋を渡ると、すぐに亀戸天神です。

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菅原道真公を祀る亀戸天神は、1662(寛文2年)創建です。

江戸時代から「学問の神様」として、信仰を集めています。

鳥居(左上)と、男橋と言われる最初にある太鼓橋(右上)です。

本殿手前にあるもうひとつの太鼓橋を、女橋と言います。

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毎年1月に「うそ替え神事」が行われ、檜の木彫りの鷽(うそ)が授与されます。

新しい鷽に替えると、「凶がうそに替わり一年の吉を招く」とされています。

また、の名所としても知られています。

本殿(左上)と、紋入りの賽銭箱(右上)です。

亀戸天神から北に向かい、浅草通りに出て東京スカイツリーを見に行きます。

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浅草通りの歩道橋の上から撮った、東京スカイツリーです。(左上・中上)

ここからのスカイツリーが、ベストビューです。

北十間川に架かる京成橋から撮ったスカイツリーですが、こちらは建設中の巨大ビルが邪魔をします。(右上)

京成橋から京成押上線とほぼ平行した道を、荒川に向かいます。

押上・曳舟を抜け、明治通りを渡って真っすぐ進みます。

028荒川に出たところにあるのが、木根川橋です。

荒川と中川は地図で見ると河口からずっと平行していますが、木根川橋手前で中川が急に東に蛇行して荒川と離れて行きます。

木根川橋が架かっているのは荒川と、中川から分かれた綾瀬川です。

 

 

 

昔、さだまさしの「随想録」というライヴ・アルバムを持っていました。

当時はカセットの2枚組で、その中で「木根川橋」の曲が歌われています。(そのカセット所在不明です。)

「木根川橋」は中学の同窓会で恩師に思い出を語るという曲で、恩師に話かけるセリフから始まります。

「♪~木根川橋から 水道路抜けた 白髭神社の縁日は~」が、歌の始まりです。

「随想録」はライヴ録音ですのでトークがおもしろく、曲の前にさだが「木根川橋も木造だったのに鉄こんキンクリートに変わっちまった」とボケて嘆いています。

白髭神社に行く前に、綾瀬川沿いを下流に進みます。

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3番の歌詞に出てくる、木根川薬師があります。

「♪~木根川薬師の 植木市の日には~」が、3番の始まりです。

昔の雰囲気があるのは、この建物ぐらいです。(左上)

この仁王門に立つ金剛力士像は修復され、1995(平成7年)70余年ぶりに安置されたものです。(右上)

この木根川薬師のとなりにあるのが、さだの出身校中川中学です。

さだまさしは長崎の出身ですが、バイオリン修行のため中学から上京していました。

さて、水道路までもどって白髭神社に向かいます。

途中、そば屋で本日の定食「黒豚とんかつ」の昼飯です。

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六叉を左斜めに進むと、白髭神社があります。(上)

江戸時代には、「葛西の客人(まらうど)大権現」と称され江戸名所のひとつとして参拝者が絶えなかったそうです。

ここのパンフレットには、「さだまさし氏の木根川橋に縁日の様子が歌われています」と書かれています。

さて、六叉にもどり蛇行した中川の先を見に行きます。

地図で見る中川の蛇行がすさまじく、この荒川はもともと放水路で中川を分断しています。

ですから、荒川より都心寄りにも旧中川の蛇行のあとが見られます。

立石・青砥を抜けて環七を渡って行くと、中川に架かる高砂橋に着きます。

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高砂橋の上から、下流へ向かって撮った画像です。(左上)

上流からきた中川はこの高砂橋を越えた所で左右に分かれ、左に行くのが新中川で右に行くのが本流です。

新中川は浸水災害防止のため、中川の水を旧江戸川にまで流すため開削された放水路です。

新中川沿いを進み、高砂諏訪橋から先ほどの高砂橋を撮った画像です。(右上)

高砂橋を越えた本流は、画像左側へ大きく蛇行して行きます。

最後に、本流と新中川分岐点の先端にある新中川通水記念公園に寄ります。(左上画像の真ん中あたり)

050ここには、この「中川放水路通水記念碑」があります。

碑の裏面には、大工事の末1963(昭和38年)に中川放水路が完成したとあります。

この蛇行した中川を見ると、浸水災害の大きさが想像できます。

帰りは、環七に出て青砥橋を渡り京成青砥駅がゴールです。

 

 

今日のおみやげは、忘れました。

-ちよ散歩38木根川橋・おわり-