ちよ散歩、今回は池袋東口周辺を探索します。
サンシャインシティーからスタートですが、行く途中に時習小学校・西巣鴨町役場記念碑を見つけました。
時習小学校は、1901(明治34年)に創立され5年前閉校となりました。
この敷地の南側一角には、旧西巣鴨町役場が建っていたそうです。
現在、ここには平成帝京大学が建っています。
池袋東口と言えば、サンシャインシティーです。
サンシャインシティーの中で、代表的なビルサンシャイン60です。
サンシャインシティーが出来る前、ここには巣鴨プリズンがありました。
巣鴨プリズンとは、拘置所のことです。
巣鴨プリズンには、戦犯約4,000人が収容されていました。
東京裁判により東条英機元首相らA級戦犯七人を含む六十人の死刑が、この地で執行されました。
いつだったか、東条英機たちの幽霊が出ると話題になりました。
都市開発地区へ、入って行きます。
東池袋4丁目は、都市開発で道路も広くなり高層ビルが建ち生まれ変わりました。
摩天楼のような、エアライズタワー(左)とライズアリーナビル(右)です。
このそばでも、高層ビルの工事が進んでいます。
都電の踏切を渡り、首都高5号線をくぐります。
とてつもなく広い霊園で、かなりの著名人の墓があるそうです。
中々、見つけられませんでした。
偶然みつけたのが、15代市村羽左衛門と6代尾上梅幸のお墓でふたつ並んでいました。
このふたりは、戦前歌舞伎界の第一人者であったそうです。
雑司ヶ谷霊園を、出ます。
すぐにあるのが、旧マッケーレブ邸(雑司が谷旧宣教師館)です。
この建物は、1906(明治40年)アメリカ人宣教師J・M・マッケーレブが自邸として建てたものです。
19世紀後半アメリカ郊外住宅の特色を有する、貴重なものです。
また都電の踏切を、越えて行きます。
鬼子母神堂は、安産・子育の神様である鬼子母神をお祀りしています。
昔なつかしい駄菓子を、売っていました。
この店では以前郷土玩具ススキミミズクが売られていましたが、今では作る人がいるのでしょうか。
鬼子母神を出て、明治通りに出ます。
やがて、明治通りに架かる千登世橋が見えてきます。
千登世橋の上には目白通りが走っていて、右に行くと学習院大学から目白駅となります。
明治通りを、真っすぐ行きます。
やがて都電が平行するようになり、学習院下駅のところを左に曲がります。
しばらく歩くと、神霊山金乗院という寺があります。
ここには目白不動堂があり、本尊不動明王像は目黒、目赤(ちよ散歩⑤本郷追分参照)など五色不動のひとつとされています。
神田川を渡り、寄り道です。
都電で唯一残る荒川線は、この早稲田と三ノ輪橋を往復しています。
早稲田大学構内も行きたかったのですが、時間がかかりそうなので止めました。
神田川沿いの歩道に、もどりました。
ここは細川家の下屋敷で、明治に入って本邸となりました。
この庭園は、旧細川邸をそのまま公園とし江戸情緒が漂います。
園内の建物は、松聲閣(しょうせいかく)と呼ばれ細川家の学問所であったところです。
神田川沿いの歩道を、行きます。
坂が険しく、自分の胸を突くようにしなければ上れない坂です。
急坂には、江戸の人がよくつけた名前です。
この坂の左には、神田上水の守護神として祀られた水神社があります。
右には、関口芭蕉庵があります。
松尾芭蕉は、もともと治水技術者で神田川改修工事に関わりました。
1677(延宝5年)から3年間、ここに住んでいました。
芭蕉の句碑もありましたが、達筆で読めませんでした。
ここから、椿山荘の庭園を自由に見学することができます。
起伏に富み規模の大きな庭園で、頂上辺りにあるのがこの三重塔です。
和の庭園と洋のホテル、まさに対照的な存在です。
椿が自生していたことから、名が付いたという椿山荘です。
その名付け親は政治家山県有朋で、久留里藩黒田家の下屋敷だったところに別荘を建て庭が築造されました。
椿山荘を出て、歩道を歩いて行きます。
神田川沿いの歩道が遊歩道となっていて、ここが江戸川公園です。
ここには、神田上水の取水口である大洗堰がありました。
神田上水をここで堰止めて、江戸へと供給していたのです。
この大洗堰の取水口に上水の流水量を調節するため、「角落(かくおとし)」と呼ばれた板をはめこむため石柱が設けられました。
ここには、当時の石柱が移転保存されています。
この遊歩道を歩いて、目白通りに出ると江戸川公園は終わりです。
目白通りを、左に曲がります。
音羽通りを行くと、右に鳩山会館の門があり急坂を上って行きます。
この音羽御殿が、現れます。
この洋館は1924(大正13年)鳩山一郎が建てたもので、由紀夫・邦夫兄弟の祖父にあたります。
その後復元修復され、往年の輝きを回復し一般公開されています。
音羽通りを、真っすぐ行きます。
不忍通りの手前に、創業1887(明治20年)の甲月堂があります。
ここで、栗蒸し羊羹を買いました。
これは、仁王門で正面両脇に金剛力士像が見えます。
徳川将軍の祈願寺としての伽藍の中で、重要な表門です。
この鐘楼は、伝統を重んじた格式の高い袴腰付重層入母屋造の形式で江戸時代中期の造営です。
当時の様式を伝える、貴重な文化遺産となっています。
梵鐘は、1682(天和2年)寄進されたものです。
不忍通りを右に曲がり、首都高の下を池袋方面に向かいます。
やがて、サンシャイン60が見えてくるとゴールは近いです。
本日のおみやげは、護国寺前甲月堂の栗蒸し羊羹です。
-ちよ散歩⑧池袋東口界隈・おわり-
画像一部を、更新しました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます