ちよ散歩、今回は前回の続きで旧中山道を日本橋まで歩きます。
すぐに、滝野川銀座の商店街になります。
そこに亀の子束子(たわし)本舗西尾商店があったのですが、入口に大きな亀の子束子が飾ってありました。
やがて、明治通りとの掘割交差点に出ます。
玉川上水を分水したのが、千川上水です。
ここには、江戸時代沈澱池がつくられ上水はここで砂やゴミを沈殿させたあと江戸市民へ給水されました。
1880(明治13年)、王子分水との分配堰が設けられました。
この公園には、六義園へ給水していた導水門のバルブが残っています。
商店街は、庚申塚商栄会となります。
ここが、都内唯一残る都電の庚申塚駅です。
踏切を渡ると、巣鴨庚申塚があります。
庚申信仰については(ちよ散歩②旧中山道板橋宿参照)。
巣鴨庚申塚は、江戸と板橋宿の間で休息所として茶店などがあり賑わいを見せていました。
猿の石仏で、下に見ざる・言わざる・聞かざるの三猿が見えます。
庚申信仰では、仏教では「青面金剛」を本尊としています。
神道では、申は猿の発想で「猿田彦」を担ぎ出しました。
巣鴨地蔵通商店街に入ると、景色が一変します。
今日は4の日とげぬき地蔵の縁日で、たいそう混みあっていました。
出店が両側に立ち並び、さらに狭くなった通りに人があふれています。
その中のひとつ、骨董品が並んでいます。
大きな招き猫が、見えます。
人をかき分け、やっとの思いで地蔵様の入口までやって来ました。
とげぬき地蔵は、萬頂山高岩寺といいます。
開創地は神田明神下で、下谷屏風坂下を経て1891(明治24年)当地に移転しました。
とげぬき地蔵の由来は、「針を飲み込んだ女中に地蔵尊の御影を一枚飲ませると腹の中のものを吐き御影を洗ってみると飲み込んだ針がささって出て来た」というものです。
これは境内にある洗い観音で、洗うために長蛇の列が出来ていました。
観音様に水をかけ、自分の悪いところを洗うと治るというものです。
1992(平成4年)に聖観世音菩薩像は新しくなり、同時に束子を廃止して布で洗うようになりました。
旧道と新道が交差する右手前に、眞性寺があります。
江戸中期造立の地蔵尊像があるのですが、破損箇所が目立ってきたので現在修理中です。
そこで、姿を縮小した御身代わり地蔵尊を迎えることになったそうです。
江戸の各街道出入り口に建立した、江戸六地蔵尊のひとつです。
巡礼順は、第三番です。
旧道は終わり新道の白山通りに吸収され、ここからは新道を歩きます。
左が旧白山通りで、右が車線の広い新白山通りです。
昔は、左の道しかなく都電も走っていました。
旧白山通りが中山道で左の道を進み、東洋大学を過ぎて坂を上ったところが白山上交差点です。
直進して、左に入って行きます。
ここの墓地に、板橋区の地名高島平の由来となった人物高島秋帆の墓があります。
高島秋帆の功績は、(ちよ散歩①東京大仏参照)。
このお寺には、八百屋お七に因むほうろく地蔵があります。
放火の大罪で火あぶりの刑となったお七の罪業を救うため、熱した炮烙(ほうろく・素焼きのふちの浅い土鍋)を頭にかぶり自ら焦熱の苦しみを受けたお地蔵様とされています。
中山道を進むと本郷通りとの丁字路に出て、そこが本郷追分です。
ここは、日本橋から来ると日光御成道(岩槻街道)との分かれ道です。
中山道最初の一里塚があり、追分一里塚とも呼ばれていました。
正面は東京大学で、この丁字路を右に曲がります。
東大の赤レンガの壁が続き、やがて正門を通ります。
赤門は、加賀藩主前田斉泰に嫁いだ徳川家斉の息女溶姫(やすひめ)のために建てられた朱塗りの御守殿門です。
雑踏が気にかかると、そこが本郷三丁目交差点です。
古川柳「本郷も かねやすまでは 江戸の内」とあり、この交差点の角にかねやすの店があります。
しばらく、本郷通りを行きます。
東京医科歯科大学の高い建物を仰ぎ見て過ぎると、湯島聖堂です。
右に曲がって聖橋手前の聖門(ひじりもん)から、湯島聖堂に入ります。
階段を下りると、唯一焼け残った入徳門(にゅうとくもん)があります。
さらに進むとこの孔子の銅像が現れ、高さは4.5mあります。
徳川綱吉は1690(元禄3年)湯島聖堂を創建し、孔子を祀る大成殿(孔子廟)や学舎を建て学問を奨励しました。
入徳門は工事中で通れませんので、横の迂回路を行きます。
この門をくぐると、この大成殿と左右には回廊があります。
土・日曜・祭日は、大成殿の中が公開されます。
1797(寛政9年)江戸幕府は学舎拡げて、孔子の生まれた中国昌平郷の地名をとって昌平坂学問所を開きました。
本郷通りを隔てて、神田明神があります。
両側には甘酒屋・土産屋・食事処などが並んでいます。
その中のあまざけ茶屋天野屋で、麹で作った明神甘酒を買いました。
徳川家康が幕府を開き江戸城を拡張された時、江戸城から表鬼門に当たる現在の地へ遷座しました。
坂を下り明神下交差点を右に曲がり、昌平橋の所で左に曲がります。
中央通りに出た所で、右に曲がりこの万世橋を渡ります。
橋を渡った所に見えるビルが肉の万世で、昼食はここの1階で排骨ラーメンを食べました。
このそばには子供の頃によく通った交通博物館がありましたが、現在は閉鎖されました。
交通博物館は、その昔あった万世橋駅の跡に建てられていました。
万世橋からは、真っすぐであと少しです。
靖国通りの須田町交差点をぬけ神田駅のガード下をくぐり、この三越本店を通り過ぎます。
ついに、日本橋のゴールに着きました。
日本橋は1603(慶長8年)創架され、五街道の起点と定められました。
現在の橋は、石造二連アーチ道路橋として1911(明治44年)完成しました。
この橋銘の文字は、第15代将軍徳川慶喜の筆によるものです。
橋柱上の獅子は、東京の守護を表わしています。
手前の広場には日本国道路元標(複製)のプレートが埋め込まれていますが、本物は橋の中央にあるそうです。
板橋宿までは(ちよ散歩②旧中山道板橋宿)で歩いていますので、これで都内の中山道はほぼ走破したことになります。
本日のおみやげは、神田明神あまざけ茶屋天野屋(左)の麹で作った明神甘酒(右)です。
-ちよ散歩③旧中山道日本橋・おわり-