
ビン玉。
勝浦漁港。
この場所も多くの観光客で賑っていました。
十数年前に母が亡くなる前の年に一緒に宿泊したホテルです。
見事にこのGW直前の予約に一室だけが空いていました。
誰もが知る一番大きく名の知れたホテルで、
半島の山全体が巨大な迷路の様になっていて中に幾つもの温泉があります。
懐かしいです。
その時には丁度「熊野博覧会」が行われていて、
その前年には「和歌山リゾート博」があり、
私もたまたまリゾートページェントの音楽を担当させて戴ていた頃でした。
勝浦でお会いしたその方に、町おこしの一環でされている場所に連れて行ってもらいました。
手造りの足湯。
勝浦ではあちらこちらから湯が湧き出ています!
そしてビン玉、
かつて勝浦のマグロ漁て使用されていたブイで、
今はプラスチックに打って変わり産業廃棄物として残っているという事でした。
それを燈籠代わりに街角に吊るす。
橋の欄干にもありました。
私も海辺で生まれたのでわかりますが、
こんな長閑な漁村でこの足湯に浸かり、この光を眺めていたりしたらあっという間に時間は経過してしまうでしょう。
その正面には「ホテル浦島」が観えていました。
勝浦の路地を運転してもらいながら、憧れの「吾作」に到着します。
本来ならこの日は定休日でしたが、ラッキーにもこの日はそれをずらして開店していました!
「吾作」の料理はこの日も最高でした!
「ながれこ」。
大阪では「とこぶし」と言いますが貝好きの私にとってはたまりません。
貝ずくしです。
何をもってもこれ以上のものはありません。
マグロの腸なんかはここでしか食せません。
帰りにスーパーで買って帰りました。
なんとサメの塩漬け!
これは絶品で、勝浦でも一件しかないお店を紹介してもらいなんとか辿り着く事が出来て持って帰りました。
なかなか購入は難しいという事でこれもラッキーでした。
早速家でも、
これ以上の酒の肴はありません。
しめは「ウニボナーラ」に「ナガレコペペロンチーノ」。
こんなオシャレも登場し、
やっぱり「吾作」は最高です!
この夜は、熊野に捧げるいっぱいの思いに花が咲きました!
私は何故か、これまでに熊野に音を捧げた最初を2002年の熊野本宮大社だったと思っていたのですが、
1988年の、「日本文化デザイン会議'88熊野」白虎社「ミナカタクマクスのようなテレビジョン」
/和歌山那智勝浦、弁天島での音楽奉納が最初であった事を想い出しました!
もちろんこの無人島・弁天島での演奏の事は忘れもしませんが、一連の熊野奉納の事とは別個に捉えていました。
この頃から既に音楽班として熊野権現に導かれていたのです。
もちろん・海水浴や観光では当たり前の様に子供の頃から訪れている場所でした。
さらに弁天島には 、’93「熊野国際アートフェスティウ゛ァル」「白虎社」公演「ドリームタイム」の音楽監修として二度目の演奏に行く事になります。
もう今はこの無人島に渡る事は難しいという話でした。
奇跡的に前回2回の壮大なイベントが行われた場所ですが、現在の行政の規則では橋を架ける事は無理という事で。
この夜、「白虎社」も「mar-pa」も消滅した今、
もう一度ここの弁天様に御礼参りをしなければいけないというここでの奉納演奏の話が持ち上がりました!
でもそれは大潮の一番海底が現れる中、橋を架けずに大潮の時に歩いて渡るという、2時間の中でセッティングして演奏・撤収というとてもスリリングな条件でした。
今だからこそ思うのですが、
私はどれだけ熊野に縁があったのかと・・・
熊野の「一の鳥居」のあった「藤白神社」海南市で生まれ、ずっと何も識らないままで過ごし、外に出て今こんな事になっています。
勝浦の夜は更ける。
旅館に戻るとここにもビン玉。
グランドピアノもありましたが、
「お手を触れないでください」との事。
逆に演奏したくなってしまいます!
大自然の中故に、カメムシも窓にへばり付く。
勝浦港の静かな夜景。
そして戴いて来た貴重なビン玉に灯された光りも、
今、家の玄関を照らしています。
癒されます。
ありがとうございました。
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