熊野中辺路の高天原。
条件が揃えば遥か下界は雲海に包まれます。
2007年の奉納演奏依頼何度登って来た事でしょう、今も祭礼で私のCDアルバムを流して戴いていたりしています。
龍神村在住の秘密結社の方に、このエリアでの奉納演奏の場所選びの時に初めて連れて来て戴き「高原熊野神社」を訪れた時に、背丈2m程のニホンカモシカが現れました!
それでこの場所に間違いないと、
奉納演奏が決まりました。
その時に案内して戴いた長老は今はもう居ません。
一昨年に亡くなられてしまいました。
そんな・短いお付き合いでしたが、
訪れる度にオファーなしにもかかわらず毎回お会いする事が出来、高原の多くの事を教えてもらいました。
多くが一般的にあまり知られていない熊野の歴史でもありました。
この世界には、
表に出てはいけない事があります。
南北朝という時代がかつてありました。
皇室とこの場所との関係は、天皇家が分断したその少し以前に溯ります。
711年振りに皇太子様とその後秋篠宮様がお忍びで訪れた様子が、今も休憩所に平然と飾られています。
不思議な事にその訪問直後、両家に後継者となる新しい命が誕生されます。
実際このエリアには、南朝に使えた氏族の住居跡や墓の多くが今も残ります。
日本の象徴と熊野は深く関わっています。
日本の再生、蘇りの場所でもあるのです。
今回は、終戦の時その天皇が「日本の象徴」であるという言葉を編み出した、
熊野本宮出身の「玄峰老師」という高僧の紙芝居の音楽の打ち合わせの旅でした。
縄文時代からの、古代文明を受け継ぐきらびやかな文化・祭事などはもう全て失われ、どこにも観る影もありませんが、
そんな太陽信仰の巨石遺跡が今も沢山残ります。
やっぱり・熊野は奥深い場所です。