ふろむ播州山麓

旧住居の京都山麓から、新居の播州山麓に、ブログ名を変更しました。タイトルだけはたびたび変化しています……

天狗談義 №7 「天狗への憧れと期待」

2011-02-20 | Weblog
馬場あき子「天狗への憧れと期待」※は大好きな文です。ダイジェストで紹介しましょう。
 天狗が雷鳴の音をもっていたということは、古代中国の雷神観からすれば、天狗とは天帝に近侍するものの一種と考えられていたのかも知れない。「天鼓」(てんこ)とか「天狐」(てんこ)と考えられ、「天狗」が「あまぎつね」と読まれるという筋道から、狐の通力などが想像されるようになったのかもしれないが、その原型に「大流星」という不可解な非生物的現象があったことは確かである。…古い時代の、流星を天狗とする説がずっと意識の底流にあったことをものがたるものである。
 そしてまた、天狗が宇宙空間とかかわり、飛行(ひぎょう)をその性能のひとつにせざるを得ない発想も、ここにひとつの根があるといえる。
 ※『鬼の研究』三一書房1971年刊・ちくま文庫版1988年刊 所収

 古代の中国では、またその影響を受けた古代日本でも、「天狗」は常に天の星や雷そして鼓や狐…、それらと関係づけて考えられたようです。しかし中世に近づくと、日本ではなじみの鳥天狗<とりてんぐ>が中心になります。そして後世の鼻高天狗はだいぶ遅れて室町時代あたりにはじめて登場し、江戸時代は鳥天狗から首席の座を奪う。以降は彼ら鼻高族が主流になるようです。

 『源氏物語』に天狗が1カ所だけですが、登場します。「夢浮橋」です。
「天狗、木霊などやうなものの」
 そして「手習」には
「狐、木霊やうの物の」とあります。
<天狗―木霊―狐>は密接な関係で捉えられていたようです。
 木霊(こたま)は、樹神、樹木の精霊。「和名抄」古太万(こたま)。古い木に宿って人気(ひとけ)の少ないときに形をあらわし、害をすることがあると信じられた。「やまびこ」は木霊・樹神の応答と考えられました。流星から山中の精霊への変身がみられます。鳥天狗誕生の直前、『源氏物語』が書かれた約千年前、どうも天狗は森の精霊であった。狐も同類のようです。
 
 平安時代末期、九百年近く前に書かれた『今昔物語集』。鳥天狗の話しを満載して登場するのですが、それまでの日本古代の天狗たちは、流星状であったり、雷や天の狐と近い天空の関係物のようにみられていました。ところが今昔の少し前、西暦1000年あたりから、徐々に「木霊」に接近しています。そして平安末期に今昔「鳥天狗」(とりてんぐ)が確立します。
 日本古代中世の「天狗史」はざっと言って、天―流星・彗星・雷―狗・鼓・狐―木霊―鳥天狗―鼻高天狗…。このように進化変身して来たようです。
 紫式部の言う「木霊」の登場で、天狗はやっと「山」の物か者の位置を得たのかもしれません。次回は『今昔物語集』の天狗たちが登場するまでの、平安時代の「天狗研究」を、おさらいしようかと思っています。
 しかし問題がふたつあります。力量の不足はさて置いて、近ごろ時間が不足しています。欲張ってあれもこれもと鼠のように齧ることが一因ですが、深酒も大きな原因です。困ったひとです。わたしは…。けれど本来の天狗たちの雄姿を明示し、彼らの復権を遂げ、名誉や失地の回復のために尽くさねば、と思ったりしています。

 ところで昨日、岸根卓郎先生の出版記念パーティで七条東山のハイアットリージェンシーホテルに行きました。国立京都博物館の南向かいです。少し早めに出かけ、西隣の三十三間堂を拝観しました。千一体の観音像は壮観ですが、目当ては「迦楼羅王」。カルラは双翼で鉤状嘴の仏像です。わたしは、鋭い眼で諸仏を守護するカルラの英姿に圧倒されました。また彼はピーヒョロロと、横笛を吹いていました。
 なお出版記念会は岸根卓郎著『見えない世界を科学するー科学が解き明かす人類究極の謎―』のお祝いでした。彩流社からの刊行ですが、この本の誕生には実は3年近く前から、わたしも関わりました。やっとの発刊ですが、すばらしい本です。一読をおすすめします。
<2011年2月20日 南浦邦仁>

コメント (2)
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