釣り

2006年10月23日 | 健康・病気
夜、9時からの「釣りバカ日誌14」を観るか、
10時からの「プレミアム10 今日までそして明日から
~吉田拓郎・3万5千人の同窓会つま恋で31年ぶり」
にするか悩んだ末に、「浜ちゃん」を観てしまった。
当然、「つま恋」はビデオに予約録画した。
明日観ようと考えてます。

今日の「釣りバカ日誌14」はあまりよくなかった。
それなりに西田敏行の演技は楽しめたが、シナリオがイマイチ。
高島礼子の魅力を初めて知ったことはよかった。

そんなことから今夜は釣りのことについて書きます。
はっきりいって私は釣りが好きです。
現在はまったくしてないが、かなり好きです。

子どもの頃、実家の近くの川や池でよく釣りをやった。
道具は、篠竹の竿に木綿糸、ウキは木を削って作った。
それをとめるのは自転車のタイヤのバルブを切ったやつ。
重りは絵の具のチューブだった。
釣り針は代わりがないのでしかたなしに買った。
畑の隅に積んであるたい肥の中のミミズを捕まえて餌にした。

これでけっこう釣れました。
15センチほどのフナが釣れると狂喜した。
ドジョウもよくかかった。
しかし、ドジョウは針を呑み込みなかなかとれないのでイヤだった。

高校生の頃は、隣の栃木県の小貝川まで自転車で行って釣りをした。
ハヤがよく釣れた。

上京して会社の人たちと、東京湾でハゼ釣りをしたことがあった。
城ヶ島沖でサバを釣ったこともありました。
浦安から船で行くのですが、釣り場に行くまでにめいっぱい船酔いした。
あのときは辛かった。

30代に狩野川にアユ釣りに1度行ったが、
まったく釣れなくて辛かった。

40代になって河口湖にブラックバス、ブルーギル釣りに行った。
フライフィッシングは楽しく、よく釣れた。
しかし、ブラックバス、ブルーギルが
日本にいることが不愉快なのでもうやりたくない。

それにしてもあの“ひき”のあと魚を釣り上げたときの感動。
あれは忘れられない。浜ちゃんの気持ちがよく分かる。
できることなら釣りを趣味としてやりたいが、時間のない私には難しい。
年を取ったらやってみようかな、などと考えている今日この頃です。


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シントコサロン

2006年10月22日 | 健康・病気
今日は、私たちの飲み仲間のひとり、Aさんの家の新築祝いがあった。
午後1時からそれは始まった“らしい”。

だけど、私は仕事だった。
一昨日、昨日も忙しかったが、今日は今年一番大変だった。
通所者は3人、バイトで来ている青年(30代)は、
二日酔いのためか、来て、トイレで吐いて帰った。
ところが仕事量は平日の倍はあった。
結局、すべての作業が終わったのが午後8時、
それから1人を東所沢の自宅まで、
1人を所沢駅まで送って家に着いたのが8時40分。
車の中で日本シリーズをラジオで聴いていた。
日ハムが逆転していた。

団地の駐車場に着いて、しんちゃんに電話した。
20何回コールしても出ない。
エレベーターの中でみっちゃんに電話、15回目で出てくれた。
こんな2人の電話番号しか知らないとは、なんと心細いことか。

そもそも私は、新築祝いに呼ばれていなかった。
だから行けないと思っていた。
呼ばれていたら、職場に休みの希望を出していて休んでいた。
今日、こんな苦労はしなくてよかった。
昨夜、楽家に行ってそんな話をすると、Nパパが、
「おぎちゃんは、来ることになってるよ」という。
「来ることになってるよ」といわれても、誰からもいわれていない。
ずーっと寂しい気持ちでこの1ヶ月暮らしていた。

Aさんは“シントコサロン”の中心人物です。
私と同じ歳、コンビニを経営している。
わが息子も高校生のときそこでバイトをさせてもらった。
温厚で人当たりがよく素晴らしい人物です。
私は、なんとしても“新築祝い”に出たかった。

9時過ぎ、なんとかAさんの家にたどり着いた。
1階がコンビニ、2階が賃貸しのオフィス、3階が自宅。
リビングというのだろうか、入ると、左側がホームバー様式になっていた。
右に大きなテーブルがあり、その前に45インチの
シャープの液晶テレビがデーンと鎮座していた。
そこでは日本シリーズをやっていた。
オーディオシステムもすごいものがあり、羨ましかった。
同じ歳なのにこの暮らしの違いはなんなんだ!

新築祝いなのに、あらかた料理はなく、
悲しいことに私の好きな日本酒が終わっていた。
ビール、韓国のどぶろく、ウーロンハイを飲んだ。

Sくんがギターを弾いていた。
9月に子どもが生まれていたので「おめでとう」といった。
若いときプロを目指していたぐらいなので、
ギターのテクニックは素晴らしい。

そのあとみっちゃん、しんちゃんたちと話してあとはゴチャゴチャ。

この“シントコサロン”の仲間にいられてよかったなと思った。
それにしても、午後1時から飲んでいて、
10時ぐらいまでみんないた。
そのあと、ブロックヘッズに行ったのだ。

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日本シリーズ初戦

2006年10月21日 | 健康・病気
今日は、日本シリーズがある、ってことで、私は朝からウキウキしていた。
中日も日本ハムにも何の思い入れはない。
でも、私は野球が大好きなんです。
夕方6時には帰れなくとも、7時ぐらいから、
ビール片手にテレビを観ようと楽しみにしていた。

ところが、土曜日だというのにすごい野菜のパッケージ数だった。
土曜日は登所してくる通所者は少ない。
今日は、4名だった。
いつもはこの倍以上の人数はいるのだ。
結局作業が終了したのが7時20分。
私の車で通所者を所沢駅まで送迎して家に着いたとき、
時計は8時を回っていた。

シャワーを浴び、“ビール片手にテレビ”になったのは8時半になっていた。
しかし、ゆっくり観ていられなかった。
義母が9時から観たいテレビがあると、昼間女房からメールが来ていた。

8時50分まで食事をして、楽家に行った。
義母には、「みんな楽家で日本シリーズ観ているんですよ。
おれも行ってきます」といって家を出た。
義母によけいな気を遣わせたくなかった。

ところが楽家では違う番組が流れていた。
「日本シリーズ観てないのですね。おれ帰ります」というと、
「何いってんのよ。チャンネル回せばいいじゃない。誰も観てないんだから」
とNママにいわれた。
チャンネルを日本シリーズにしてもらったが、誰も観ていず、
別な話に花が咲いていた。
私は野球のゲームに集中できなかった。

結果、中日が勝ったが、私はほとんど試合内容を知らない。
明日、私は日本シリーズをちゃんと観たい。

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健康診断

2006年10月20日 | 健康・病気
私の勤務する作業所では年に2回健康診断をする。
食品を扱っているからです。
私は、前回の春には人間ドックに行ったので、
作業所としては健康診断をしていない。
作業所は毎日仕事があるので2日にわけて交代で病院に行く。
水曜日に私は、6人を送迎車に乗せて近くの病院に引率した。

ラジオもつけない送迎車の中でひとり喋り続けているKくん。
他の通所者は黙っている。
20分ほどで病院に到着。
私は車イスのリフトを動作させYさんを降ろす。
彼は知的障害者ではない。
小児麻痺で車イスの生活をしている。

自閉症のKくんは、一番先に車を出て
常に喋り続けながらその辺をさまよっている。
最近は、お笑い芸人のことが中心になっている。

私は、全員の尿を持って先頭を歩く。
今回は検便はないようだった。
当然、最後尾は37歳のダウン症のSくんだ。
太っていてすべてのことの動きがスローなのです。

受付をすませ、私たちは内科の部屋の前で待機した。
静かな病院の中でもKくんは話し続けている。
私はほっといた。
「黙って!」といったって、彼は話すことをやめはしない。

最初に血圧を測るように女性の看護師
(看護婦と書けばいいのか)にいわれた。
みな神妙な顔をしてトンネルのようなところに腕を入れていた。
次は、身長と体重測定だ。
細い角柱に背中を合わせてプレートの上に乗っていると、
上から角柱についた板が降りてきて頭の上で止まる。
これで終わる。簡単になったものだ。
不思議そうな顔をしていたSくんが可笑しかった。
みな靴を履いていたのに、彼は靴と靴下を脱いでいた。
やはり太っていることを気にしているのか。
少しでも体重を減らそうと彼なりに“努力”している。

医者の診察が終わって、健康診断は終了した。
みなに帰るようにいうと、Sくんがいない。
探すと血圧計のトンネルに腕を突っ込んでいた。
「Sくん、もうそれはいいんだよ」
「ボクはこの紙が欲しいんです」
血圧計から出てきた記録紙を大切そうに持って、Sくんは病院を出た。
翌日Sくんは、その紙を嬉しそうに私に見せてくれた。
きっと家に帰って、お母さんにも見せたのだろう。

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武甲温泉

2006年10月19日 | 健康・病気
「そば処和味」の駐車場を出て車を走らせていくと、
通行止めの看板があり、その先で道路の拡幅工事をしていた。
私は、来るときは何事もなく通れたので、
工事をしている人がそのうち工事を中断して
通してくれると勝手に思っていた。

これが私の甘いところです。
女房が、そして義母がそんなわけないといいだした。
案の定、工事は中断されることなく続いていた。
義母が訊いてこようと車を出た。
じっとしていられないたちなんですね。
私の場合何時間までも待っている。
これで失敗することが多い。

結局、蕎麦屋に戻って訊いてみよう、ということになった。
Uターンして見ると、回り道の案内板があった。
私がアホでした。
行くときは、昼休みのため工事をしてなかったようだ。
でも、工事をしている人も、待っている私たちに
何かいってくれてもよさそうなものだと思う。
でも、やはり私の考えが甘いようだ。反省。

それから「道の駅」荒川村、「道の駅」ちちぶに寄ってから、
武甲温泉に行った。
ここは、まあよかった。
露天風呂、いや、外風呂がよかった。
ここの“露天風呂”も屋根があり、露天ではなかった。
私はこだわりたい。
屋根のある外風呂を、“露天風呂”といってほしくない。

帰りは道路も空いていて1時間半ほどで所沢の自宅に着いた。
事故もなく楽しい秩父路のドライブでした。

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そば処「和味」

2006年10月18日 | 健康・病気
子の権現をあとにして私たちは秩父に向かった。
お昼が近かったので蕎麦でも食べようということになった。
秩父は蕎麦の産地なのです。
2年ほど前に女房と行った蕎麦屋に行こうと思った。
しかし、なんの情報も持ってきてなかった。
前回はネットで調べて行ったのです。

秩父市内に入り国道299号を左折し140号に入った。
かすかな記憶を頼りに車を走らせた。
そのうち女房が場所を思い出してきた。
そして着きました。
国道から山に1キロほど登ったところにその蕎麦屋はあるのです。
そば処「和味(なごみ)」に着いてその店の名を思い出した。 

「そばは、1日限定49食です。」と
ウェヴサイトの「“そば”へのこだわり」に書いてある。
秩父のそば粉で年間作るために、1日50食が限界で、
1食は店主が味見をするためらしい。
そんなことはないだろう?
53食の日も62食の日もあるのではないか、
と勘ぐる下衆(げす)な九想です。
ま、そんなことはどうでもいい。

天せいろそば(1360円)を食べた。
うまかった。ここの蕎麦は文句なしにおいしい。
野菜の天ぷらも満足だ。
そば茶もうまかった。

女房がレジで勘定をすませている横から、
「この蕎麦焼酎を下さい」といって、
レジの隣にあったカラスケースに入っていたボトルを指さし
義母が私に買ってくれた。
その心遣いが嬉しかった。
家に帰ってボトルの裏のラベルを見ると、
「製造者 ニッカウヰスキー株式会社」と書いてあった。
門司工場で造られたものだった。
このことは義母には内緒にしておこう。

駐車場から車を出し店の前を通るとき、
「店主が手を振ってくれた」と義母が感激していた。
そりゃ私が店主でもこんな山の中まで来てくれた客に手は振るだろう。
ただ義母の気持ちも分かる。
長年住んでいた練馬の都営住宅を出て所沢に住むようになって、
親しい人たちと離れてしまった。
義母は“孤独”なのです。
いくら女房と私がどんなに話しかけてもそれは癒されない。
でも、秩父の山の中で蕎麦屋のおやじに手を振られただけで、
義母の心は温かくなった。よかった。

みなさんも秩父に行くことがあったならば、
ぜひこの「和味」に行って食べてください。
九想が責任持ってお勧めします。

昔の九想話を探したら「和味」のことを書いたのがありました。

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子の権現 天龍寺

2006年10月17日 | 健康・病気


今日は私も女房も仕事が休み。
義母と3人で秩父へドライブに行きました。

まず、カーナビに設定した所は「子の権現」。
所沢から秩父へ行くバイパスが出来たのになぜか、
カーナビは飯能の市街を通る道を案内してくれた。
帰りにその理由が判明した。
その新しい道がカーナビのDVDに途中から存在しなかったのです。

子の権現は山の中腹にあった。
かなり狭い山道を3キロほど車で登った。
降りてくる車とすれちがうときはかなり緊張した。
駐車場に車は1台もなかった。
境内まで登っていく途中の売店は閉店していた。
山門をくぐった先に仁王が2人いた。
コンクリートで造られた安っぽさが哀しい。
しかし、そのあたりから見る山々がきれいだった。

鉄で造られた草鞋と下駄がまた哀しく安っぽかった。
せめて半分の大きさでいいから藁と木で出来ていたら、
などと女房に話すと、
「それじゃ、すぐダメになっちゃうじゃない」
それは分かるが、やはり本物でなければ…。
このへんに経営者(じゃない)の心の貧しさを感じた。
本堂脇の小道を登ると鐘楼があった。
これは大きなほんもので嬉しかった。
義母も女房も私も鐘を打った。かなり気持ちよかった。

(明日も、秩父ドライブの続きを書きます)

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友、音信不通

2006年10月16日 | 健康・病気
彼との出会いは私が40歳のときにパソコンを買い、
パソコン通信を始めたときで、
ニフティーサーブの「メール友だち募集」というようなコーナーに、
書き込んであったものに私がメールを送ったのだった。

京都で暮らす私と同じ歳の男性、彼は離婚をしていて独身だった。
その頃私は中学生の息子2人と女房と貧しい生活をしていた。
中小企業で働く私。
彼は、名の通った大きな会社で働いていた。
高卒の私とすれば、京都の有名私立大学卒業の彼が眩しかった。

月に何回かメール交換をした。
そしてその年の夏に私が京都に行った。
彼は車で京都駅まで迎えに来てくれた。
それから彼のふるさとの琵琶湖までドライブして京都に戻り、
三千院の近くの寺にいった。
彼と話していて終わりがなかった。
何十年も付き合ってきたように語り合った。
夜は木屋町で痛飲した。

それからも頻繁ではないがメール交換はしていた。
どちらかといえば電話で話すほうが多くなった。
彼も阪神ファンなので、タイガースが勝った夜は必ず電話が来た。

5年ほど前、彼は会社を辞め起業した。
ホームページ作成を請け負うことを主体とした会社です。
会社のパソコンのシステム導入などのコンサルティングもしていた。
滋賀県の米原に事務所を持ち、精力的に業務展開をしていた。
資金繰りに苦労しながらも順調に業績は伸びていたようだった。
そして再婚した。子どもも生まれた。

その頃、私は生産管理として転職した会社で製造に回され腐っていた。
彼の仕事を関東支部としてやらせてもらえないかな、
なんて考えたこともあった。
しょっちゅう電話で仕事の話をした。
インターネットを使ったビジネスのことを語り合った。

彼が仕事のことで東京に来たとき、うちに泊まった。
夜は、私の所沢でのパソコンの友だちとの集まりに参加して飲んだ。
女房も彼のことは気に入ってくれた。

3年前、私が京都に行くとき、彼の米原の事務所に寄った。
パソコンが3台もありその仕事場が羨ましかった。
京都の別な友人と会ってから次の日再会し、
私の友人のいる淡路島にドライブした。
その夜は、淡路島の友人夫婦、彼と私で鱧(はも)料理を楽しんだ。

次の日の夜は甲子園に行った。
憧れの甲子園での阪神戦観戦をした。
残念ながらその日、阪神は広島に負けた。
彼は、贔屓の矢野のユニホームを買って羽織り応援していた。
ビールがうまかった。

今年の初め、彼は事務所を移転した。
その頃まで月に2、3度電話で話していた。
しかし、野球のシーズンが始まり、
阪神が勝ったときなど電話するが彼が出ない。
これまで私が電話して彼が留守のときは、必ず翌日電話がかかってきた。
それもない。

プロ野球のシーズンが終わってしまった。
彼と一言もこのシーズンに阪神の話をしてない。
どうしているんだろう。
Sさん、この九想話を読んでいたら連絡して下さい。

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部屋の鍵

2006年10月15日 | 健康・病気

  秋の夜ことりと置きしルームキー  高山きく代

心に深く沈む句ですね。
私の愛する「増幅する俳句歳時記」の10月15日の句です。
私は、独身のときアパートの部屋の鍵はかけていなかった。
友だちが来たときにいつでも入れるようにしておきたかった。
部屋に盗られて惜しい物は何もなかった。

現在、私は家の鍵をジーパンの右ポケットに入れている。
車のキーと一緒にしているのだが、
家の鍵を開けるとまたジーパンのポケットに戻すので、
“ことり”という音とは無縁です。


なのでこの句の環境とは違う。
しかし、句の情景は理解する。

  パソコンの電源入れし秋の夜  九想

私とすればこんなところですね。
家に帰ってパソコンの電源を入れてから、私の時間が始まる。

アパートの部屋の鍵をかけないことで後悔していることがある。
私が独身の最後の頃、ひとりの女に振られた。
彼女と付き合っていたときに、毎日のように手紙を書いていた。
彼女からも頻繁に来ていた。
しかし、あるときから手紙が来なくなった。
そして振られた。
ある日、アパートに帰ると誰かが部屋に来ていた雰囲気があった。
机の引き出しが1センチほど開いていた。
そこは彼女からの手紙を入れていたところだった。
引いて見ると、100通近い手紙があとかたもなかった。

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ぬれおかき

2006年10月14日 | 健康・病気
誰が考えたのかこんなもの。
買っておいて忘れてしまったおかき、
ある日それを見つけ食べてみると、湿気っていた。
腹が空いているので我慢して食べる。
ああぁ…。買ったときにすぐ食べていればよかった。

でも、まてよ。この歯ごたえはこれはこれでいい。
もう少ししょっぱくしてみたら食べられるかも…。

これも人生の味かも知れない。
生きているなんてこんなもんだ。

これを製品化した人はえらい。
とってもうまい。

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