昨日、NKHの「介護Uターン・故郷の親が倒れたとき」という番組を見た。
定年二年前にして、故郷の親の介護をするために、会社を退職して千葉の自
宅を売り払い山口に帰る人と、奥さんが親を介護するために、八年間別居して
いる人の二人を紹介していた。
今日の手話ニュース(夜8時45分から、私は家にいるとき毎日見ている。
このことはいつかここに書きたいと思っています)でも、毎年10万人ぐらい
が親の介護のために故郷に帰っているといっていた。
家を出て都会に暮らし、家族を持ちマイホームを建て、子供たちが独立し、
さあ自分の老後を楽しもう、というときに、田舎の親が病気になり介護をする
ために故郷に帰る。自分の老後どころではなくなる。
私の母は84歳、茨城で兄と暮らしている。
女房の両親も、ここから電車で1時間ほどのところの東京都練馬区に住んで
いる。義母には、息子たちが小学生になったときから、昼間世話になっている。
今でも週に4日は来てくれる。女房に弟がいるが、義母は二人で暮らせなくな
ったら、私たちのところに来たいといっている。そのときは一緒に暮らそうと
私は思っている。
それはそうとして、私も女房も歳をとる。テレビを一緒に見ながら、
「自分の始末が出来なくなったら死にたいな」
と私がいうと、女房も
「UとKには世話になりたくない」
という。それは私も同じ気持ちだ。誰にも世話になりたくない。
7年前、親父と最後に過ごした病院での2週間。下の処理をするときの薬臭
い便、痩せ細った身体なのにやけに重い腰、あのとき逆の立場にはなりたくな
いとつくづく考えた。
といってもいつか私もそのようになり、誰かに世話になることだろう。あっ
さり死ねるといいのですが、そうもいかないですね。
いろいろ女房と話し合ったテレビ番組でした。
最近、女房がよく口にする言葉、
「専業主婦になりたい」
これを聞くと、私は辛い。
私の収入が、もっと沢山あれば女房を働かさないでもすむ。
彼女に対して、どんな慰めの言葉もありません。
明日、世間は祭日で休日の人が多いだろう。女房の会社は休みではない。
ちなみに、私の今の会社も祭日は出勤です。
さあ、明日は、夫婦そろってがんばって働こう。
目が覚めて、枕元のポケットラジオのスイッチを入れてイヤフォンを耳にす
る。「こども電話相談室」をやっていた。
はっきりしない頭でぼんやり聞いてると、
「地球で最初に咲いた花はなんですか?」
と、女の子が質問した。
私は、おもいっきり目が覚めた。そんなこと考えたことなかった。
「なんだろう。私も知りたいな」
と先生はいって、植物は胞子植物から種子植物になって…、と説明した。
地球で最初に咲いた花は、どんな花なんだろう。
番組最後の質問は男の子で、
「朝になると、なんで気持ちいいのですか?」
といった。
スタジオの先生たちが楽しそうに答えていた。
私も、天気のいい日曜の蒲団の中で、楽しい気分になった。
きまぐれで、今週から毎日ここに何か書こうと思い書いてきた。
今日も何を書こうかなと考えて一日過ごしてきた。
しかし、書く気になれない。
テレビで「糸井重里のインターネット・トーク」「黒澤明の世界」を見た。
どちらもよかった。
大沢在昌の「一年分、冷えてる」という小説を読み終えた。
これらについて書こうかなとは思ったのですが、元気がない。
なんかへんに落ち込んでいる。今日は生きていることが妙に辛いです。
今夜は、会社の人と所沢で飲みました。
彼は、2月に今の会社に入社した。40歳です。以前の仕事は、競輪場の職
員だったそうです。
どういう仕事をしていたか訊くと、各レースにどの選手を走らせるかという
ことを決めていたという。
前日に翌日のことを決めるそうですが、決定する頃スポーツ新聞社の記者が
取材に来て大変だったそうだ。
競輪の選手は4,000人ほどいるそうですが、いろんな人がいて面白いこともあ
ったが、イヤなこともたくさんあたそうです。
ときには八百長があったという。普通のレースで優勝すると百万円もらえる。
だから、年取った選手が、そろそろおれに勝たせろというと、若い人は逆らえ
なかった。でもこれは選手の中だけのこと、外には漏れていなかった、と彼は
いっていた。
いろいろ競輪界のこと聞いたのですが、メモを取っていないのできちんと書
けなくて残念です。なにしろ手はいつも酒を持っているものですから…。
今日、一緒に仕事している女の子二人がビリヤードに行くと話していた。
それを仕事しながら聞いてた私は、
「ビリヤード? いいな。おれ二十歳の頃よくやってたんだ。仲間に入れてく
れる?」
というと、
「行きますぅ」
と女の子がいってくれたので、隣の机で仕事をしているSにも行こうと誘い、
4人で行くことになった。
ビリヤード場の前で7時に待ち合わせた。
24と28の女の子、30の男と46のおじさん、考えたらへんなグループ
だ。
私は二十歳の頃、ビリヤードが好きで週に3、4回やっていた。今はあまり
ない4つ玉だった。一緒にやったのは、2年前、息子と山口まで墓参りに行っ
てきた、23で死んだボクシングをやっていた友人とだった。その頃そいつと
は、酒を飲むかギターを弾くか、ビリヤードをやっていた。
今のビリヤード場には、ほとんどポケット台しかない。今日もやったのはナ
インボールというゲームだった。
私がビリヤードをやってた頃は、東京ではほとんど四つ玉の台しか置いてな
かった。その頃大阪、京都に行ったときビリヤード場に入ると、ほとんどポケ
ット台で、四つ玉は、奥の方に2台ぐらいうやうやしくあるだけだった。なん
でかな、と思っていた。やっぱりビリヤードは四つ玉だ、と今でも私は思って
いる。
7時10分から9時40分までやった。私が4回勝ち、女の子二人が3回づ
つ勝ち、Sは勝てなかった。
楽しかった。会社の話もしないで、ただ、ビリヤードに夢中になって4人遊
んだ。
勝てなかったSが、こんどはボーリングをしようと悔しがっていた。
私は、駅から5分ほどの公団住宅に住んでいるのですが、団地から新所沢駅
に行くところに交差点がある。
その交差点が昨日からスクランブル交差点になった。
今朝通勤で、いつものようにその交差点を通るとき、赤信号で車を停めた。
信号が青になり車を発車させると、私の車のそばに立っていた人も歩き出した。
私はあわてて車のブレーキをかけ、歩行者を渡らせてから交差点を過ぎた。
歩行者の信号機は赤だった。
人間って、なんとなく習慣で行動してしまうものですね。
ここのところ急に涼しくなり、すっかり秋らしくなった。
ほんの二週間ほど前にはエアコンをつけていたのに、蒲団を一枚掛けて寝て
いる。
といっても、まったく蒲団の中に身体全部を納めていると少し暑い。右足と
か蒲団の外に出してちょうどいい。左足と右足で、蒲団を挟み込んで寝るのが
子供の頃から好きだった。
「これはなかなかの贅沢だなァ~」なんて心の中で呟く。
昔、私が小さかった頃、母が寝る前に「寝るのが一番だなぁや」とよくいっ
ていた。
現在、私も「寝ることが一番」と思っている。それも同じ寝るなら、これか
らの秋が最高です。蒲団を一枚掛けて寝るくらいが心地いいですね。
黒沢明が亡くなりましたね。
歳が歳だけにそれほどの感慨もないのですが、なんといっても、私は黒沢明
の映画で映画に目覚めたものですから、黒沢映画と私の出会いを書いてみます。
私が初めて黒沢映画(と意識して、実は子供の頃観ていた)を観たのは、そ
の頃月に1回開催されていた東京都文京区立小石川図書館の「名作映画鑑賞会」
(という名前だったような)でした。
私が19歳のときだったと思う。本郷三丁目の小さな(従業員7、8人)試
薬会社(この会社を私が辞めた後に、赤軍派の大導寺綾子が入社してきました)
で私は働き、夜はお茶の水のある予備校の夜間部に行っていた。15日と月末
に私は、集金のために本郷、神田、お茶の水界隈の大学の医学部や医療機器の
会社などを自転車で集金のために回っていた。そんなときに、小石川図書館の
「名作映画鑑賞会」のポスターを見たのだと思う。
図書館の小さな上映室ですから、スクリーンは畳三枚ぐらい(へたな表現で
すね)だったかな。そのとき観たのは「羅生門」でした。初めのシーン、雨の
中の羅生門で心を打ち抜かれた。あのシーンで“ほんもの”と感じました。私
はそのとき芥川の「藪の中」をまだ読んでなく、ストーリーにも引き込まれた。
それから黒沢映画を観ましたね。おもに池袋の文芸座でした。
黒沢映画に出会えたことは、私にとって幸せでした。