晴れ。ちょいとだるいまま仕事へ。
ウィトゲンシュタイン「青色本」を読む。
訳が昔読んで面白かった大森荘蔵だったので借りてきたもの。
「家族的類似性」以外はこちらの体調のせいもあって今ひとつ。
「茶色本」というのもあるらしいけれど
今のところどうやら読まずに終わる気がする。
「自分が見ているものだけが存在する」というのが「独我論」だとして
その種の「罠」にはまり込んで抜け出せない人々が多いように思われる。
常に「自分は正しい」模様。
少なくとも「他人の意見」に耳をかたむけようとする態度は見られない。
それで「お気楽」ならそれはそれで結構なのだが
やたらに「苦しい」のだと訴えたりするからややこしい。
とりあえず「苦しい理由」と「現在の状況」などを説明してはみるものの
そこでも「自分に都合のいい解釈」しかしなかったりして。
どこまで行っても「自分という壁」が立ちはだかる。
そのことに気付いてくれればどうにかなるかもしれないけれど。
「自分が正しい」とばかり言いたがるのは
実は「自分が間違っている」ことに無意識のうちに気付いているから。
その「単純」にどこかで出会ってくれることを祈るのみ。
もっともそれが「来世」でしかないことも少なくなく。
人はただでさえ間違いやすい存在なのだから
常に「自分を疑う」というのが基本だと思いつつ。
それで崩れるような「自分」なら崩れてしまえばいいだけのこと。
「崩れた」経験を持たないといたずらに「怯える」だけに終わるのもよくあることで。
「出口のない迷宮」から抜け出すためには
「出口を探す」のではなく「迷宮」そのものを壊すのが早いことを知ろう。
ウィトゲンシュタイン「青色本」を読む。
訳が昔読んで面白かった大森荘蔵だったので借りてきたもの。
「家族的類似性」以外はこちらの体調のせいもあって今ひとつ。
「茶色本」というのもあるらしいけれど
今のところどうやら読まずに終わる気がする。
「自分が見ているものだけが存在する」というのが「独我論」だとして
その種の「罠」にはまり込んで抜け出せない人々が多いように思われる。
常に「自分は正しい」模様。
少なくとも「他人の意見」に耳をかたむけようとする態度は見られない。
それで「お気楽」ならそれはそれで結構なのだが
やたらに「苦しい」のだと訴えたりするからややこしい。
とりあえず「苦しい理由」と「現在の状況」などを説明してはみるものの
そこでも「自分に都合のいい解釈」しかしなかったりして。
どこまで行っても「自分という壁」が立ちはだかる。
そのことに気付いてくれればどうにかなるかもしれないけれど。
「自分が正しい」とばかり言いたがるのは
実は「自分が間違っている」ことに無意識のうちに気付いているから。
その「単純」にどこかで出会ってくれることを祈るのみ。
もっともそれが「来世」でしかないことも少なくなく。
人はただでさえ間違いやすい存在なのだから
常に「自分を疑う」というのが基本だと思いつつ。
それで崩れるような「自分」なら崩れてしまえばいいだけのこと。
「崩れた」経験を持たないといたずらに「怯える」だけに終わるのもよくあることで。
「出口のない迷宮」から抜け出すためには
「出口を探す」のではなく「迷宮」そのものを壊すのが早いことを知ろう。