退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「『意味』に重きを置かないことと飽きることあるいは母親の体調悪化と中途半端な読書」について

2017-09-24 01:53:07 | Weblog
『くもり。ときどき少し降る。

「バイオコスム」読了。

なぜこんなにも確率の低いこと(地球における人類の誕生)が現実になったのか。
そこに「意味」を見出さない方向でよろしく。

確率の高低はそれが現実になることそのものとは別の話。
いわゆる「奇跡」は起きる。

「正規分布」も「ロングテール」も「珍しさ」を否定してはいない。
それだけのこと。

繰り返すがあくまで「限りない試行錯誤」のなせる業。
もっともそれを生み出す「単純なコード」の存在には心惹かれる。

折しも「究極の量子コンピューター」の基本原理が開発されたニュースが。
もちろんだからといってそれが「全能」を可能にするわけではない。

われわれの脳が発見するパターンは今後人工知能を超えることはないのかも。
ただしそこから「学習」はできる。

「プロジェクト・ランウェイ シリーズ13」を観終わる。

早送りを効率的に使ってどうにか。
散発的に現れる「素晴らしさ」と安定感ふたつの交錯ぶりよ。』でまた寝る。

くもりのち晴れ。風が秋らしさを増す。

母親が体調を崩す。
頭がクラクラする模様。

上の妹夫婦が病院へ連れて行っての検査の結果は特に悪いところはなし。
念のため明日もう一度神経内科で検査するとのこと。

というわけで今宵も老舗バーは欠席。
久方ぶりにコンビニでパスタとサラダを買って早目の帰宅。

その後二階へ上がって飲みながらマル激を観る。

今回のゲストは都合5回目になるという鈴木邦男。
宮台節が炸裂して一部ではお馴染みの「邦男伝説」をたっぷり。

損得勘定を優先する「愛国者」の跳梁跋扈ぶりを糾弾する内容。
「内から湧き上がる感情」を土台とした「徳」を重視せよと。

「敵ながら天晴れ」もどこへやら
「卑怯」という感覚を失った人々の動きがむしろ国を危機にさらすことなど。

アクセル・ホネット「承認をめぐる闘争」を少しだけ読む。

ヘーゲルの初期の発想を見直す内容のようだが十分にはわからぬまま。
ウトウトしながらのせいもあるけれど。

とりあえずもう少し読み進めなければ何とも言えず。
明日以降の展開次第か。

さて。

もうちょいと飲んでゴソゴソして寝る予定。
コメント
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