退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「おばさんやおばあさんあるいは中立的なAIと『心』を無視すること」について

2017-09-04 01:54:56 | Weblog
『晴れ。今日は昼も涼しい。

今宵は久方ぶりにじっくり老舗バー。

マスターが戦争の複雑さと大衆演劇の魅力について語る。

後者についてマスターは煩すぎるので
間に入る「人材」が重要なのかと思う。

「おばさん」が観客として集まることは確かだから。
この「資源」をどう生かすかがポイント。

「ハンナ・アーレント『人間の条件』入門講義」読了。

どうにか読み終えたのみ。
やはり「オリジナル」で確かめるしかない。

NHK「AIに聞いてみた どうすんのよ!?ニッポン」の後半を観る。

やはりマツコの指摘がいい意味で目立つ。
有働アナは案外「ショボい」。

おそらくは「血縁でない家族」が重要かも。
「血縁=家族」という従来のルールを疑うのが「まっとう」なはず。

何にせよ「こうでなければならない」という発想は微妙。
「歴史」を振り返ればその「感覚」が「常識」でないと。

結局その種の発想は「自らの限界」が生み出すもので。
いわゆる「現実」はもっと複雑なもの。

さて。』と書いてまた寝る。

晴れ。暑さはさほどでもなく。

長谷川眞理子・山岸俊男「きずなと思いやりが日本をダメにする」を読む。

「心」というよくわからないものと
「お説教」をなぜか重視するわが国の「前近代性」についてのあれこれ。

むしろそのせいで「戦争」に突っ込んでいった過去を忘れずに。
「精神主義」は常に「現実」を見ないもの。

とりわけ「遺伝子と環境」に関するいたずらな「二項対立」を否定する「事実」に注目。
「白黒付ける」のはここでも問題がありそう。

「いじめの根絶」より「いじめのエスカレート」をなくそうというのにふむふむ。
この種の「リアル」が受け入れられない理由を考えたいところ。

ただし残念ながら現在の政治家や官僚たちには「好ましい制度設計」は出来ず。
ならばそうでない人々がそれをするしかない模様。

「特定の思い込み」に「閉じ込められている」人々が大勢いる。
彼ら彼女らにそれを知らせるためには「思いがけないこと=奇跡」が必要らしい。

「空気の支配」に対する鈍感さをもっと。
大して「未来」も考えずにここまで来た自分が「証拠」になってくれるといいのだけれど。

われわれはなぜ「劣化」したのか。
案外その答えは単純で「理を尊重しなくなったから」。

「圧倒的に複雑な世界」に対する「畏れ」を失ったからだと言ってもいい。
自分の気分次第で「世界」を判断すること。

その愚かさをあらためて知っておく方がいいだろう。
そして「おばあさん」を大切に。
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