退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「素敵な古典ふたつと歯痒さ」について

2017-09-17 02:20:23 | Weblog
雨。終日そぼ降る。

今宵は仕事場の研修で老舗バーへは行けず。

D・H・ロレンス「黙示録論」を読む。

「現代人ははたして他者を愛しうるか」
この問いとその答えは今でも十分に通用する内容。

ロレンスは「コスモスとともに生きよ」というのだけれど
今さらそれが可能だとも思えず。

「個人」としては「聖人」になることがあっても
いざ他人と関わりを持った途端そこに「支配」が忍び込むこと。

そして「劣等感ゆえの優越思想」が描き出す「復讐の醜さ」よ。
第二次大戦におけるドイツを思い出すのもいいだろう。

あまりに悲惨な状況に追い詰められると誰もがそうなるのは覚えておくべきか。
福田恆存が「ここ」から出発したのは不勉強にも知らなかった次第。

「人間論」として秀逸。
このあたりが「常識」になると人は少しだけ「寛大」になれるかも。

セシル・B・デミル「海賊」(’38)を観る。

群衆シーンの素晴らしさをあらためて。
キャストについても同様。

フレデリック・マーチの「劣等感と潔さ」、フランシスカ・ガールの「田舎娘の純情」、
エイキム・タミロフの「異形の者のやさしさ」(グレチェンを異なる愛称で呼ぶユーモアよ)。

イアン・キースの「策士の狡猾」、ウォルター・ブレナンの「友情とマイペース」、
ヒュー・サザーンの「将軍の毅然」、ビューラ・ボンディの「ルールの硬軟」など。

「国籍のない」海賊のボスが愛する彼女のために「尊敬される存在」になろうとするものの
部下の行った「ルール違反」のせいでその責任を取り再び海へ戻るお話。

昔の「アメリカの歴史」のお勉強にもなる内容。
「独立の複雑さ」を知っておこう。

「町を救ったはずの英雄」が「同胞の乗った船を襲った海賊」だとわかった途端
手のひらを返す「民衆の怖ろしさ」も忘れずに。

毎日この種の作品に接していればいいものをと思いつつ
それが出来ない自分が歯痒い限り。
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