フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

11月29日(木) 晴れのち曇り

2012-11-30 09:14:09 | Weblog

  8時、起床。体重を計る。残り一日で今月末の目標体重をクリアーすることは難しい。敗因を分析するに、社会的な要因としては、今月は会食の機会が多かったことがあげられる。一人の食事は自分の都合で内容・分量をコントロールできるが、会食の場合はそうはいかない。そして心理的な要因としてはやはりチュンの死があるように思う。空腹を満たすことで空洞を埋めようとしているのであろう。

  赤飯、玉子焼き、浅利の味噌汁の朝食。

  昼から大学へ。研究棟の裏手の銀杏の黄葉に目を奪われる。

  3限は大学院の演習。紅茶を淹れ、いただきものの焼き菓子をふるまう。カフェのマスターのようである。

  授業を終えて、「maruharu」に昼食をとりに行く。本日のサンドウィッチはカニバーグとやらだったが、「軽めの食事、軽めの食事・・・」と自分に言い聞かせ、野菜サンドと本日のスープを注文。顔に見覚えのある学生がいたが、誰だったか思い出せない。社交的な会話を交わしているうちに、来年度、大学院に入ってくる学生であることを思い出す(入試の面接のときに会っていたのだ)。のんびり食事がしたかったであろうに、教員が隣に座って、落ち着かなかったであろう。ごめんね。

  あゆみブックスをのぞいたら、朝井リョウの新作『何者』(新潮社)が目立つ場所に平積みされていたので、購入して、2階の「シャノアール」で読む。彼は今春大学を卒業して、専業作家ではなく、会社勤めをしながら、寝る間を惜しんで執筆をしていると聞いている。

  今日は後の予定はないので、研究室には戻らず、帰宅する。とはいっても、まっすぐに帰るにはまだ早い時間だったので、蒲田に着いて、駅ビルの「カフェドクリエ」で1時間ほど読書をしてから、妻へのお土産にチョコレートと黄色い薔薇を買って帰る。

  明日の授業の準備を終えてから、『孤独のグルメ』(昨日の分の録画)を観る。両国のちゃんこ鍋の店「大内」が舞台だったが、あの鍋の最後に食べていたうどんは実に美味しそうだった。ちゃんこ鍋そのものはいいから、あの〆のうどんだけ食べたい。それなら体重には影響しないだろう。


11月28日(水) 曇り一時小雨

2012-11-29 02:30:09 | Weblog

  7時、起床。真冬にまた一歩近づいた。ハニー&バタートーストとホットミルクの朝食。 

  書斎に窓の外に野良猫のなつがやってきて「ニャン」と挨拶をするので、窓を開けてやると、中に入ってきた。 空っぽの鳥籠のところへいって、中をのぞいて、「あれっ?」という顔でこっちを見る。なつはチュンが死んだことを知らない。ジェリーを失ったトムみたいなものだ。そろそろ鳥篭を片づけなくちゃ。


「チュンは?」  「もういないんだ」

   電車に乗る前に「まやんち」へ寄ってお八つに購入し、クリスマスケーキの予約をする。

  店長さんが先日の私のブログを見たそうで、「他のスタッフの方にも登場したいただいていいですか」と聞くと、ちょうど傍らにスタッフの方がいて、店長さんに「次は〇〇ちゃんね」と言われて、ガッツポーズをされた。壁に「スタッフ募集」の紙が常時貼ってあるので、「3人では手が足りないのですか?」と聞くと、店長さんは、「全員主婦なのでいつどうなるかわかりませんから」と言って笑った。えっ、全員主婦? さきほどガッツポーズをされた方は大学生のアルバイトだと思っていた。

「まやんち」のクリスマスケーキ

  昼食は神楽坂で途中下車して「SKIPA」で。少し雨が降ってきた。チキンカレーと、食後にプリンと紅茶。プリンは初めて注文してみたが、いい焼き加減と甘さで美味しかった。 

  研究室の食器棚の中を片づける。賞味期限が1990年代のインスタントコーヒー、砂糖、切り餅、焼き海苔なんかが出てきた。文字通り前世紀の遺物である。たぶん食べても毒ではないと思うが、まとめてゴミ箱に捨てる。ながらく使っていない食器類を廊下の流しで洗う。蛇口からお湯が出ることを最近になって知ったので、洗う気になったのである。これで「カフェ・オオクボ」を店開きできそうだ。「スタッフ募集」の貼紙でも出そうかしら。

  6時に大学を出る。蒲田駅で家族と待ち合わせて、「五右衛門」で食事をする。TAKANOでケーキを買って(息子のおごり)、家で食べる。今日は少々甘味を食べすぎたかもしれない。


タコとヤリイカのペペロンチーノ


TAKANOの苺ショートケーキ 


11月27日(火) 晴れ

2012-11-28 08:28:31 | Weblog

   8時、起床。ベーコン&エッグ、トースト、紅茶の朝食。

  11時頃、家を出て、大学へ。カメラを忘れる。

  キャンパスの工事区域が広がって、研究室への径路が少々遠回りになる。でも、そのおかげで、研究棟の裏手の黄葉した銀杏を眺めることができる。

  

  午後の2つの演習で使う資料のコピーを済ませてから、研究室で昼食。コンビニで購入したおにぎり2個(鮭と梅干し)。 火曜日はこのパターンが定着したようである。

  3限は選択基礎演習。私の演習はグループ発表+(学期末の)個人レポートという形で行なっている。とくに1年生だけのこの選択基礎演習はグループ発表のもつ意味が大きいと考えている。電車の中というフィールドを指定して、研究テーマは各グループが相談して決めて、観察から得られたデータを分析して、考察の結果を発表する。この一連の過程をグループとしてどれだけ組織的に行なえるかがポイントである。

   4限は演習「ケーススタディの方法」。この演習ではフィールドに相当するものがテキストの中で紹介されているサブカルチャーの作品群である。それを自分たちで実際に読んで(小説・コミック)、見て(TVドラマ、映画)、著者の考察に自分たちの考察を重ねていく。その作業をどれだけ組織的に行えるかがポイントである。

   6限は研究室で来年度の卒研の仮指導。学部の日程では今週の土曜日が仮指導の日となっているが、OさんもO君も4限の私の演習を取っているので、今日行うことにした。「maruharu」へ行ってテイクアウトしてきたサンドウィッチ(カレー、タマゴ、ハム)を摘みながら行なう。卒研は4年次の単位なので、正式なスタートは来年4月だが、それまでの期間に参考文献をどんどん読んで、準備は進めておいてもらう。4月までに何冊くらい読めそうかを聞いたところ、O君は5冊と答え、Oさんは10冊と答えた。そこでもう一度、O君に尋ねたところ、11冊と答えた(笑)。4ヶ月で10冊読めれば大したものである(就職活動と並行して進めるわけだから)。1冊読み終えるごとに私にメールで報告してください。目標の10冊に到達したら、サンドウィッチでなく、本格的な夕食をご馳走しましょう。

  仮指導が終わったのが8時。雑用を片付けて、9時に大学を出る。あゆみブッスクで榎本博明『「やりたい仕事」病』(日本経済新聞社)を購入し、電車の中で読む。丸の内の「屏南」で夕食(坦坦麺)。10時半、帰宅。


11月26日(月) 雨のち曇り

2012-11-27 10:31:39 | Weblog

  8時、起床。夕食の残りのフライ、レタス、トースト、紅茶の朝食。

  スープ代わりの小さなカップ麺(うどん)を食べながら、昨日購入した益田ミリ『すーちゃんの恋』を読む。普通の女性たちの人生問題(恋愛、結婚、出産、職場の人間関係、生き甲斐、老後の不安など)がテーマのコミックだ。誰もが漠然とそれを抱えながら、やりすごしながら生きている、そうした人生問題が、吹き出しの中に言葉となって表現されることで、自問自答、はっきりと対峙すべきものとなる。もちろんそれでは息が詰まるから、適当なところでお風呂に入ったり、寝ちゃったりするわけで、人生問題は宙吊りのまま、また明日へと持ち越されることになる。 そうした日々が作者の細かな(ときに意地悪な)観察眼を通して描かれている。読んでいて爽やかな気分になるというタイプの作品ではないが、読みながら、主人公と一緒に自分の人生問題を考えている。映画化されて来年3月に公開されるらしい。


はるにも人(猫)生問題はあるのだろうか

  夕方、雨の中、ジムへ行く。筋トレ2セットと有酸素運動40分(500キロカロリーを消費)。

  ジムを出る頃には雨は上がっていた。くまざわ書店に寄って、「すーちゃん」シリーズの既刊3冊を購入(最初の2冊は文庫化されていた)。夕食後、3冊読了。

  このとき一緒に買った本がほかに2冊。酒井隆史『通天閣 新・日本資本主義発達史』(青弓社)は700頁を越える大作で、今年のサントリー学芸賞の受賞作。初めの部分を読んでみたが、なんだかとても面白そう。冬休みになったら読もう。

 もう1冊は西尾維新『クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い』(講談社文庫)。明日の演習「ケーススタディの方法」で取り上げられる予定のライトノベルで、私はこの作家の作品はこれまで一冊も読んだことがないので、目を通しておこうと購入。レジに持っていったら、普通、「カヴァーはどういたしますか?」と聞かれるのだが(たいてい「けっこうです」と私は答える)、この本については、レジの女性は無言でカヴァーを付けた。私、何かいけないことでもしたのだろうか。

 


11月25日(日) 晴れ

2012-11-26 10:30:32 | Weblog

  7時半、起床。塩バターパン、洋風和菓子2個、紅茶の朝食。   

  午後、散歩に出る。

  まずは昼食をとりに下丸子の「喜楽亭」へ。壁の蔦がずいぶんと赤くなった。

  引き戸を開けて、店内に入って、驚いた。客が3組もいるではないか。実に珍しいことだ。ご主人も忙しそうに動いている。「ご繁盛ですね」と言いながら、ロースカツ定食を注文すると、「すみません。ロースカツはもうなくなってしまって」と言う。「じゃあ、チキンカツ定食を」と注文し直す。これで5回連続のチキンカツ定食だ。今日も本心ではチキンカツ定食を注文したかったのだが、たまには他のメニューも注文しなくてはいけないかなという気持ちが働いてロースカツ定食を注文したまでなので、これでよかったのである。

  私のチキンカツ定食が運ばれてきたときにはすでに先客はみな食事を済ませて店を出ていたので、いつものように、ご主人とおしゃべりをしながらの食事となる。「こんなときもあるんですね」と私が言うと、ご主人はまんざらでもなさそうな顔で、「昨夜なんかは、駅前の区民センターで練習していたオーケストラの若い人たちがやってきて、冷蔵庫にあったビールが全部なくなりました」と言った。

  田園調布まで行き、駅前から千歳船橋行きのバスに乗って、世田谷美術館に「松本峻介展」を観に行く。バスは20分に一本の間隔で出ている。田園都市線の用賀駅から歩くという手もあったが、久しぶりでバスに乗ってみたかった。私は自分で自動車の運転をしないし、バスも日常的に使っていないので、道路網というものが頭の中にない。私の頭の中の地図は鉄道中心なのだ。なのでバスによる移動は新鮮だ。鉄道を使うと離れているように思われる地点も、道路を使うと、意外に近いということがわかる。


田園調布駅から美術館入口までは停留所は15。所要時間は30分弱。

  世田谷美術館は砧公園の中にある。 

  美術館い着いたのが3時。閉館は6時なので、じっくりと鑑賞することができた。 

  松本峻介は1912年に生まれて1948年に死んだ。今年が生誕100年ということで、油彩約120点、素描約120点、スケッチ帖や所管などの資料約180点からなる大規模な回顧展だ。7月に神奈川県立近代美術館(葉山館)で観ているが、その後、宮城県立美術館、島根県立美術館を廻って、世田谷美術館にやってきたので、再度の訪問となった。

  36年の生涯を、(1)前期(1927年~1941年頃)、(2)後期:人物(1940年頃~1948年)、(3)後期:風景(1940年頃~1947年)、(4)展開期(1946年~1948年)という4つの章(時期×モチーフ)に分けて、松本峻介の画業の変遷を辿っている。どの章にも心惹かれる作品があるが、とくに(1)の都市を「モンタージュ」の技法を使って描いた作品や、(3)の橋や運河や工場を静謐なタッチで描いた作品の前で長い時間立ち止まった。

  彼の「モンタージュ」は、われわれが生きている「現実の世界」を描くのに効果がある。われわれは職場で仕事をしながら家庭のことを考えたり、その逆もある(現実の世界の複合性)。また、目の前の世界に対応しながら頭の中の世界に反応したりもする(現実の世界の多元性)。いま目の前にあるものだけが現実なのではない。複合的で多元的な現実の世界を一枚の画布に描こうとすれば、「モンタージュ」の技法が使われるのは必然的なことのように思える。こんなことを言えば笑われそうだが、松本の「モンタージュ」の作品を観ていると、シャガールの作品が思い浮かぶ。シャガールにとっての動物は、松本にとっての建物ではないかと思うのである。

  彼は中学生のときに聴力を失ったが、彼の描く橋や運河や工場の風景が静謐なのはそのためではない。実際、「モンタージュ」の技法を駆使して描いていたときの都市の風景は喧騒に満ちていた。彼の関心は、都市の中心の喧騒から、都市の周辺の静寂に移っていったのだと思う。しかし、そのベクトルは都市を離れて田舎へ向かうことはなかった。あくまでも彼の関心は都市の内部に留まっていた。彼は永井荷風の読者だったのではないか、荷風もまた松本峻介の作品を気に入ったのではないかと、妄想をしたりする。

  2時間ほどかけて展示会を観てから、売店でポストカードなどを購入し、地階の「セタビカフェ」で一服してから美術館を出る。まだ5時半だが、日はすっかり暮れて、公園に人影はほとんどなかった。

  

  帰りも来たときと同じ路線バスで、30分弱で田園調布駅に着いた。

   蒲田に着いて、「一二三堂」で図書カード(娘の誕生日のプレゼント)と、小川洋子の新作『ことり』(朝日新聞出版)を購入。

   自宅に到着するちょっと前に妻からケータイに電話があり、「いま、どこ?」というので、「家の目の前」と答えると、「スーパーでじゃが芋を買って来て」と言われ、商店街の方へ逆戻りする。

   7時、帰宅。夕食はフライの盛り合わせで、さきほど買ってきたじゃが芋もポテトフライになって出てきた。