フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

11月7日(水) 晴れ

2012-11-08 02:36:36 | Weblog

  7時半、起床。暖かな立冬の朝だ。

    冬来る眼をみひらきて思ふこと  三橋鷹女

  バタートーストと紅茶のシンプルな朝食。

  11時頃自宅を出て、大学へ。

  昼休みの時間を使って36号館AV教室(382)で現代人間論系進級ガイダンス。現代人間論系に関心のあるであろう1年生が多数参加した。論系主任の岡部先生が論系の紹介をした後、教員ひとりひとりが簡単な自己紹介。限られた時間故たいした話もできなかったが、もし時間があれば、文化構想学部の前教務主任として、「文化構想」とはどういうことかという話をしてみたかった。文化とは行動様式のことである。それも先天的(生得的)な行動様式である本能とは別の後天的(学習的)な行動様式のことである。したがって文化構想とは、新しい行動様式(ものの見方、考え方、行動の仕方)を創り出していこうということである。なぜその必要があるのかというと、文化は人間が環境に適応していくためのノウハウであるが、環境が大きく変化していく時代にあっては、従来の文化に頼っていては却って適応障害に陥るからである。ここ数年、私が講義や演習やゼミを通してやっていることは、「さらなる個人化の時代のライフスタイル」について考えるということである。このテーマに関心のある学生はどうぞ現代人間論系にいらっしゃい。

  ガイダンスを終えて、「SKIPA」に昼食をとりにいく。日常の職場空間(早稲田)から半歩横にずれた場所(神楽坂)で昼食をとることは、私が構想する文化の一部である。自宅(家庭)と職場(あるいは学校)は長いこと個人の生活空間の2つの重心であった。個人の日々の生活はこの2つの重心の間の振り子運動であった。しかし、さらなる個人化の時代では、2つの重心の引力は弱くなり、ときに重心そのものが消失することもある。いきおい個人の生活空間は不安定になるが、そうした環境で生きていくためには、重心の多極化と重層化という戦略(=文化)が有効である。多極化とは自宅と職場以外にも生活の重心を作ることであり、重層化とは既存の重心の磁場を同心円的に拡張することである。そのことの意味は、生活空間の内部で発生する諸々のリスクの分散ということであり、また、個人の行動の自律性の増大ということである。

 
チキンカレー、食後にチャイ、サービスでいただいた蕎麦粉で作ったクッキー

  今日は午後に2人卒業生が研究室にやってきた。一人はOさんといって一文の卒業生だが、在学中に私の授業を受けたことはなく(専修は社会学ではない)、卒業後に私のブログの読者となった人である。数年のブランクを経て、来春、大学院へ進学することが決まったので、その報告を兼ねての研究室訪問である。以前にお目にかかったときよりも健康そうに見える。院生の生活はなかなか大変だが、生活のペースを崩さないように注意しながら勉強に取り組むことである。

  夕方にOさんが帰ってしばらくして(7時頃)、ゼミ一期生のKさんが会社帰りにやってきた。前回(今年の3月)にやってきたときは、毎日帰宅が0時前後でかなり辛そうであったが、いまは仕事を終えてこの時間に研究室に顔を出せるようになったわけで、彼女本来の笑顔が戻っていた。「maruharu」へ食事に行く。今日はナイトメニューのある日だ。ビール(Kさん)とコーラ(私)で乾杯し、9時半頃まで(閉店は9時のはずだが・・・)あれこれの話題でおしゃべりをした。

 
ロンドン旅行のお土産(チョコレート)をいただく

 
最初に注文したエビトースト

  10時半、帰宅。メールのチェックをすると、昨日のTさんからメールが届いていて、どうぞブログのリンクを貼って下さいと書かれていた。彼女のブログのタイトルは「つぼみな日々」という。