フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

12月30日(水) 晴れ

2015-12-31 03:25:46 | Weblog

9時、起床。

トースト、目玉焼き+ベーコン、サラダ(コーン、トマト、レタス)、紅茶の朝食。

昼ごろ、買い物に出かける。今日も晴天。野良猫のなつが玄関先で水を飲んでいる。

花屋で神棚につける注連縄を買う。喪中なので年賀状は出さず、門松も立てないが、49日(忌)は明けているので、注連縄はいいんじゃないかと思うが、控えるべし説もあるようである。正直、この辺りのことはよくわからない。

花屋のある商店街には「喜八」がある。安心してください。開いてますよ(笑)。

「あるす」の前を通ったら、看板と「営業中」の札が出ていた。顔を出すことにした。

モカを注文。今日が年内最後の営業とのこと。来てよかった。

マスターから70年前、つまり終戦の年の話をうかがう。当時、マスターは小学校の6年生で、お母様の横須賀の実家に疎開していたそうだ。終戦になって、海軍の食糧用の畑のジャガイモを獲ってよいことになり、小学生は芋掘り作業の日々となったが、校庭まで運ぶのが一苦労なので、買い出しに来た街の人たちに途中の道で配ってあげたそうである。そうか、ジャガイモか。海軍カレーに使われていたのだろう。しばらくして蒲田に戻ってきたが、小学校は相変わらず横須賀まで寿司詰の電車に乗って通っていたが、同じ県内なら転校は簡単にできたので、川崎の小学校に転校したそうである。東京は焼け野原で小学校に転校生を受け入れる余地はなかったのだという。今は昔の物語。マスターからもっと話を聞きたかったが、大掃除の女王(妻)からケータイに「どこにいるの。早く帰ってらっしゃい」と電話が入る。

「よいお年を」の挨拶をして店を出る。マダムが庭で獲れた夏みかんを持たせてくれた。

昼食はテイクアウトの鮨(千代田鮨)。

食事の後、もう一度外出。花屋で榊を買うのを忘れた。お正月ということで榊には松が付いていたが、これはやっぱり取った方がよいだろう。

郵便局で寒中見舞い用に50円切手のシートを購入。卒業生の中には私が喪中であることを知らず(みんなが私のブログを読んでいるわけではない)、年賀状を送って来る者もいるだろうから。

明日はいよいよ大晦日。買い物に出ている人で街に活気があるような気がする。

女塚神社に寄る。

明晩の初詣の前に今年最後のお参りをする。

境内には猫が多い。

一階の掃除の最後の細かな部分の処理をする。「よくできました」と女王からお褒めの言葉をちょうだいする。

夕食は鶏肉のネギ胡椒のソテー。


12月29日(火) 晴れ

2015-12-30 04:14:29 | Weblog

9時、起床。

トースト(バター&リンゴジャム)、サラダ(大根、トマト、レタス)、紅茶の朝食。

今日も奴隷のように掃除をする。

野良猫のなつが一階の座敷に入ってきて、仏壇を見上げている。自分のことを一番世話してくれていた母に挨拶をしているようにも見える。

今年の一番大きな出来事は母の死であったが、それは家庭生活や社会生活を含めてそれがもたらした影響をトータルに考えた上での判断で、心理的ショックがものすごく大きかったという意味ではない。こういう書き方をすると、なんだか自分が冷たい人間のような気がするし、実際、そうなのかもしれないが、「年老いた親の死」というのは順当なことであるように思うのだ。9年前に父が82歳で亡くなり、今年母が88歳で亡くなった。子供として老親の死を見届けることができてよかった。これまで親がやっていたこと、親戚づきあいや、ご近所とのつきあいや、お寺さんとのつきあいをこれからは自分が引き継いでやっていく。親の死というのは、心理的なものにとどまらず、社会的なものでもあるのだ。家庭内に関しては、すでに二人の子どもが他出し、今回、同居していた母が亡くなったことで、家族関係はよりシンプルなものになった。私と妻と飼い猫のはると野良猫で半飼い猫のなつである。妻と2人で旅行や食事に出かけることが増えそうである。

現在の自宅は、15年ほど前に、両親と私たち一家が同居するときに新築した三階建住宅で、一階(和室2、ダイニングキッチン、風呂、トイレ、そして書庫)は両親の生活空間、二階(リビング、和室1、洋室1、キッチン、風呂、台所)は私たち夫婦の生活空間、三階(洋室3、トイレ)は子どもたちの生活空間であった。人数が最大値のときに建てた家なので、現在は無駄に部屋数があり、大掃除も大変である。三階はすでに妻の植民地と化しているが、一階は私の趣味室(二階の書斎と併用することで仕事と趣味の分離を図る)、そして客間=外部に開かれた空間として活用したいというのが私の野望である。

昼食は焼きそば。

午後も大掃除。ときどきサボって書斎に籠るのだが、大掃除の女王の手先となった息子がやってきて、「お母さんが呼んでるよ」と私を連行していく。

今日も大掃除で一日が暮れようとしている。

夕食はすき焼き。

肉の質は申し分ないものの、量が3人で600グラムというのはちょっともの足りない。

割り下は「今半」のものを使っている。

ごちそうさまでした。いつもはすき焼きは30日の夕飯なのであるが、30日は息子が大学時代の友人たちと会うそうなので、今日のメニューになったのである。となると、明日の夕食の献立はなんだろう?(ちなみに31日は天ぷらと蕎麦と決まっている)。


12月28日(月) 晴れ

2015-12-29 17:38:52 | Weblog

8時、起床。

鱈子のお茶漬けとサラダの朝食。

今日も大掃除。

昼食は大掃除の女王(妻)と「phono kafe」に食べに行く。「phono kafe」は今日が年内最後の営業。

妻はこの後買い物に出るので、自転車に乗って行った。大原さんが「奥様は自転車に乗るというイメージがありませんでした」と言った。それはもしかしてセレブっぽいイメージということでしょうか?

私はおにぎりセット、妻はご飯セットを注文。

おからコンニャク竜田揚げ(もう一皿頼んだ)。

ほうれん草とキノコのゆず酢和え

テンペと白菜の葛あん

カリフラワーとブロッコリーのヨーグルトソース添え

ヤンコンのひじきソース和え

ごちそうさまでした。よいお年を。 

妻は自転車に乗って買物へ(=私の束の間の自由時間)。

西口の商店街の奥の方にある「オクムラ写真館」でマイナンバーカードに添付する写真を撮ってもらう。ご主人にこの写真館はいつからやっているのですがと尋ねたら、開業して60年ほど経っていますとのこと。ご主人が二代目のようである。

2枚で1500円也。いま日本中の写真館はマイナンバー特需ではないだろうか。

「テラス・ドルチェ」で一服しようとしたら、私が母の遺産相続の処理を依頼した会計事務所のKさんがちょうど出てくるところだった。ここで昼食をとられたようである。今年はお世話になりました。来年もよろしくお願いしますの挨拶を交わす。Kさんは私のブログをよく見てくださっているのだが、先日のゼミ合宿やゼミ論提出後の懇親会の様子を見ていたら、学生時代に戻りたくなったそうだ。「学生時代にもっと勉強しておくのでした・・・・」。はい、卒業生はみんなそう言います。

ブレンドを注文。私の後から入ってきて近くの席に座った男性がブルーマウンテンを注文した。ご主人が申し訳なさそうにブルーマウンテンはいま切らしておりましてと言った。男性は少し考えてマンデリンを注文した。これでマンデリンも切らしていたらまずいだろうなと思ったが、かしこまりましたとご主人が言ったので、安堵した。

昨日は曇りだったが、今日は晴れている。駅前もにぎわっている。

ドラッグストアで歯間ブラシを購入。

初詣はいつもここ。「紅白歌合戦」を観終わってから一家そろって行く。

「一方堂書林」(古本屋)をのぞいていく。

入口の左側の平台の上にはコミック雑誌の最新号が並んでいる。

入口の右側の平台の上には月刊のエロ本の類が置かれている。

神保町や早稲田や本郷の古本屋は古本屋の中ではエリートで、場末の古本屋というのはたいていこういうものである。

ちゃんとした古本は中の棚に並んでいる。

飯坂耕太郎『「芸術写真」とその時代』(筑摩書房、1986年)を購入。2500円→1800円。「芸術写真」とは明治の終わり頃から昭和の初め頃まで見られた絵画のような(絵画的効果を重視した)写真群の総称である。

自宅に戻る途中、向こうからやってくる妻と出会った。吹き出しを付ければ、「いつまでほっつき歩いているのよ。早く帰って掃除よ、掃除!」となるだろう。奥さま、その台詞はセレブにお似合いではありません。

アマゾンに注文していた本が届いた。

デボラ・チェンバース『友情化する社会ー断片化の中の新たな〈つながり〉』(岩波書店)

以前のブログで、私は諸富祥彦『孤独であるためのレッスン』(NHブックス)を「幸福の物語」のポストモダンバージョンの1つである「孤独である幸福」について考えるための参考書として紹介したが、私は本書を「幸福の物語」のもう一つのポストモダン・バージョンである「仲間のいる幸福」について考えるための参考書として読もうと思う。

訳者の一人、辻大介は「訳者あとがき」の中でこう述べている。「たとえば日本の家族社会学にとっては、家族を友人と類比的に位置づけ、家族を親密性の単位として/友人をケアの単位としてとらえなおす本書のような試みは、意外に新鮮な-しかし抵抗感のあるーものかもしれない。「友だち家族」ということばがあることからもわかるように、現象面では、家族の友情化は進みつつある。しかし、理念的・規範的な面では、家族が友人よりも重要で絶対的な拠りどころであることが、未だに暗黙の前提とされたちではないか。・・・(中略)・・・家族から、血縁であることや性的関係性や生活の共同性を取り除いていったとき、そこに残るものは何か。あるいは、地域共同体や職場を離れ、一切の利害関係がなくなったとき、それでもそこにいた相手とのつきあいがつづくとすれば、何がそうさせるのか。私たちはその何かを、友情とか親しさ(親密性)と呼ぶしかあるまい。その点で、「友情」とは、おそれくは私たちの社会性の原基をなすものに与えられた名辞でもある。なぜ彼・彼女とつきあうのかと問われて、私たちは必ずしも明確な理由を答えられるとは限らない。しかも、それは「愛」というほど大仰なものではなかったりもする。そうした漠然として「友情」的なものに、私たちの社会は大きく支えられれているのではないか。」(296-297頁)。 

夕方、名古屋から息子が帰ってきた。妻が買っておいたお菓子(ザクザク)でお茶。

夕食はラムチョップ。いつもは2本だが、今日は奮発して4本もある(息子は5本ですけどね)。

デザートは苺。


12月27日(日) 晴れのち曇り

2015-12-28 15:23:01 | Weblog

8時、起床。

トースト、カレー、牛乳の朝食。

妻から言われるままにあれこれの片付け。

掃除をするので一階のガラス戸を開けたままでいると、野良猫のなつが家の中に入ってきて、探索を始めた。

探索に飽きると日当たりのよい場所で居眠りをする。

いいな、野良猫は。私が片付けに飽きてサボっていると妻に叱られる。

買物に外出。

静かな曇り日の年末の日曜日。

花屋で仏花を買い、「近江屋」で昼食用にコロッケとハムカツを買った。

思はざる道に出でけり年の暮れ  田中裕明

 

ケータイに妻から電話がかかってきて、ドラッグストアで台所用品を購入。

昼食はトースト、コロッケ、ハムカツ、キャベツ、紅茶。

午後も妻から言われるままに、ただし、さぼりさぼり、家の中の片付け。

夕食は鶏肉とブロッコリーの炒め物。

それと、はんぺんチーズのソテー、サラダ、鱈子の佃煮、卵と玉ねぎのみそ汁、ご飯。

大掃除は、明後日の燃えるごみの日まで、まだまだ続く。


12月26日(土) 晴れ

2015-12-27 12:01:43 | Weblog

7時半、起床。

トースト(リンゴジャム)、サラダ(ハム、トマト、レタス)、紅茶の朝食。

11時に家を出て、大学へ。

地下鉄の向かいに座った若い女性がぶ厚い(目測だが500頁はあろう)本を読んでいた。大分読み進んでいて、残りの頁は100頁ほどである。誰も彼もがスマホゾンビになっている昨今、電車の中でぶ厚い本を読んでいる人は目を引く。それは図書館の蔵書印が押されている世界文学全集(たぶん)の一冊で、しかし、こちらに向いている背表紙の文字(作家名とタイトル)を私の視力では判読することができない。何とかして知りたいと少し体を前に乗り出して目を凝らしてみたが読めない。思い切って聞いてみるという手もないわけではないが、隣に座っている人なだまだしも、通路を隔てて向かいの席に座っている人に、「何の本をお読みなのですか?」と尋ねるのはやはり唐突すぎるだろう(以前、私は電車の中で村上春樹の新作を読んでいたら隣に座っていた見知らぬご婦人から「面白いですか?」と聞かれたことがある)。間もなく早稲田駅だ。もし彼女が早稲田の学生であれば、そこで降りるであろうから、ホームで自分が早稲田の教員であることを告げ、彼女の読んでいた本のタイトルを尋ねてみようと思った。しかし、彼女は早稲田駅では降りなかった。彼女が何の本を読んでいたのかは永遠の謎として残った。

ドイツから一時帰国しているユミさん(論系ゼミ一期生、2011年卒)が研究室を訪ねてくる。去年も今日と同じ12月26日に一時帰国中の彼女と会っている。そして去年の今年も彼女が年内最後に会う卒業生である。紅白歌合戦でいえば、二連連続のオオトリである。そういうめぐりあわせのようである。

にもかかわらず私はデジカメを鞄に入れ忘れたてきてしまった。なのでここから先の写真はケータイ(ガラケー)のカメラで撮ったものである。画素は荒く、ピントは甘く、仄明るい光を的確にキャッチできない。それでも彼女のもっている生き生きとした明るい雰囲気は伝えられるだろう。

研究室でしばらく話をしてから、ユミさんの希望で「五郎八」へ昼食を食べに行く。

私は揚げ餅蕎麦(冷製)、彼女は天せいろ。

食後のお茶はこれも彼女の希望で「SKIPA」に飲みに行く。

神楽坂に行く東西線の車内でユミさんが「駅についたときに流れる音楽が変わりましたよね」と言った。えっ、そうなの、気づかなかったな。さらに上りと下りでは音楽が違うという。久しぶりに帰国した人ならではの気づきである。「何の曲?」と私が聞くと、「それがわからないんです」とユミさん。 神楽坂駅で降りて、私には彼女に言った。「駅員さんに尋ねてみたら」。ユミさんは「えっ、ほんとに?」という顔をしたが、私がもう一度うながしたら、改札を出るときに駅員さんに尋ねた。駅員さんはあれこれ調べて(親切な方である)曲名を紙に書いてユミさんに渡してくれた。彼女の言っていた通り、上りと下りでは違う曲がかかっていた。しかも、駅員さんの説明では、これは向谷実という人がメトロのために作曲したもので、駅ごとに曲の違う部分を流していて、始点から終点まで聞くと一曲の作品になるそうである。へぇ、それは凄いね。ユミさんは大いに感激したが、そこには自分の素朴な質問に駅員さんが丁寧に答えてくれたことに対しての感謝の気持ちが大きかったと思う。

聞いてみるものである。私もあの地下鉄の向かいの女性に本をタイトルを尋ねてみるべきだったか。いかに個人化が進んだ社会といえども、いや、個人化が進んでいるからこそ、対話の可能性(あるいは願望)はそこに広がっているとみるべきだろう。

 「SKIPA」ではもう一つの「ありふれた奇跡」が待っていた。私たちが座った席の隣にいらしたご夫妻は「SKIPA」の常連だが、その娘さんがドイツに滞在していて、ユミさんがドイツに渡った頃、右も左もわからない彼女のために宙太さんがその娘さんを紹介してくれて、彼の地でユミさんは彼女と会っているのである。のんちゃんがそのご夫妻にユミさんのことを紹介し、ついでに私も「ユミさんの大学時代の先生です」と紹介してくれた。世界はどこかでつながっている」ということを実感した瞬間だった。

私はアイスチャイ、ユミさんはホッとチャイを注文。

「SKIPA」には1時間ほど滞在し、宙太さんとのんちゃんに「よいお年を」の挨拶をして店を出た。

「梅花亭」でお菓子を買って女将さんに「よいお年を」の挨拶をする。

この後、表参道でお母様と会う約束があるユミさんとは、神楽坂から飯田橋まで歩いて、東西線に乗った。彼女は九段下で降りた。

ドイツでの日々は時間がゆっくり進むそうだ。一日があっという間で、一週間もあっという間で、そしてあっという間の年末を迎えているわれわれとは違う時間がそこには流れている。あと一年くらいはいまの生活を続けて、日本に帰って来るつもりだが、海外での経験を生かして職探しという方向ではなく、結婚して家庭をもち、子供を産むという方向でユミさんは帰国後の人生を考えているようである。仕事の方面でやりたいことはとりあえずドイツでやったということのようである。職歴(キャリア)中心で人生を考え、結婚や出産はオプションのように考える風潮の強い現代ではかえって新鮮な印象を受けた。どのような人生をめざすにしろ、一度きりの自分の人生、自分の気持ちに正直に素直であることが大切である。正直に素直に生きることは案外難しいのだ。

夕食はカレーライス(この写真はデジカメです)。