フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

2003年6月(後半)

2003-06-14 23:59:59 | Weblog

6.15(日)

 夕方、散髪に出かけたが、床屋が混んでいたので、散歩に切り替える。「南天堂」で、江國香織『東京タワー』(マガジンハウス)を500円で、蓮見重彦『夏目漱石論』(青土社)を900円で購入。 「シャノアール」でクリームソーダを飲みながら、しばし蓮見節に耳を傾ける。

「漱石をそしらぬ顔でやりすごすこと。誰もが夏目漱石として知っている何やら仔細ありげな人影のかたわらを、まるで、そんな男の記憶などきれいさっぱりどこかに置き忘れてきたといわんばかりに振舞いながら、そっとすりぬけること。顔色ひとつ変えてはならない。無理に記憶をおし殺そうとするそぶりが透けてみえてもいけない。ただ、そしらぬ顔でやりすごすのだ。それには、首をすくめてその影の通過をじっと待つ。肝腎なのは、漱石と呼ばれる人影との出逢いなど、いずれは愚にもつかないメロドラマ、郷愁が捏造する虚構の抒情劇にすぎない。だが、やみくもに遭遇を避けていればそれでよいというわけのものでもない。漱石と呼ばれる人影のかたわらをそっとすりぬけようとするのには、それなりの理由がそなわっている。それは、ほかでもない、その漱石とやらに不意撃ちをくらわせてやるためだ。漱石を不意撃ちにすること。それも、ほどよく湿った感傷の風土を離れ、人影が妙に薄れる曖昧な領域で不意撃ちすること。だが、なぜ不意撃ちが必要なのか。誰もが夏目漱石として知っている何やら仔細ありげな人影から、自分が漱石であった記憶を奪ってやらなければならぬからである。人影は、いかにもそれらしく夏目漱石などと呼ばれてしまう自分にいいかげんうんざりしている。」

 夕食は、父の日ということで、すき焼きだった。娘からハンカチをもらう。

 

6.16(月)

 ただいま午前3時を少し回ったところ。〆切を過ぎていた原稿をようやく書き上げて、夜の道をポストに投函してきたところだ。帰りにコンビニで「大粒いくら醤油漬おむすびごはん」を1つ買ってきて、いま、それを食べた。夜食は体によくないので、いつもは食べないのだが、原稿完成のささやかな宴だ。

 

6.17(火)

 教授会のとき、いつものように本を読んでいたら、近くの席に座っていた安藤先生が「『少年カフカ』買いました?」と話しかけてきた。ああ、『海辺のカフカ』をめぐって村上春樹と読者がやりとりしたメールを本にしたやつか。まだ買っていない。「面白いですよ」と安藤先生。それからしばらくして、また安藤先生が話しかけてきた。「フィールドノートを拝見していると、大久保さんの買っている本はたいてい私も買っています。私、社会学専修に移ってもいいですか?」私は笑って聞き流したが、心の中で呟いた。「安藤さん、あなたは勘違いをしている。あなたが社会学的なのではなくて、私が文学的なのだ。」

 午後1時から始まった教授会が4時になってもまだ終わらないので、郵便局に行かねばならない私は、途中で退席。郵便局で用事を済ませた後、「あゆみ書房」に寄って『少年カフカ』を購入し(B5判の大きさの『少年ジャンプ』みたいな体裁の本だ。500頁もあって950円はお得感がある)、「シャノアール」で珈琲ゼリーを食べながら目を通す。しかし、よくもまあ1220通のメールに返事を書くよな・・・・。村上春樹現象を支えている春樹ファンの心理を分析するには欠かせない資料となることだろう。ただ、私自身はそういう分析には興味がなく、もっぱら村上の文章(「Author’s Voice」や「特別インタビュー 村上春樹、『海辺のカフカ』について語る」や「『海辺のカフカ』ができるまで 加藤製本見学記」)を読んだ。

 いったん研究室に戻り、雑用を片付けてから、今日は帰りに床屋に寄ろうと、午後5時前に大学を出る。地元蒲田の行きつけの床屋は2600円の低料金(もっと安いところもあるが、安かろう悪かろうになっていく)。今日の私の担当は中国人の女性で、日本語はカタコト。でも、国際情勢について語るわけではないから問題はない。散髪と洗髪がすんだところで、中国人の客が入ってきて、彼女はそちらの担当に回り(たぶんこういう場合のために雇われているのだろう)、髭剃りは別の(日本人の)女性にやってもらった。

 床屋を出て、さっぱりしたところで、「書林大黒」をのぞく。今日は文庫を中心に購入。

(1)クラウス・ヴァーゲンバッハ『若き日のカフカ』(ちくま学芸文庫)*600円(買値、以下同じ)

 本物の「少年カフカ」の写真が載っている。

(2)池内紀『カフカのかなたへ』(講談社学術文庫)*600円。

 カフカつながり。

(3)エーリッヒ・ケストナー『人生処方箋詩集』(ちくま文庫)*250円

詩集の元のタイトルは「ドクトル・エーリッヒ・ケストナーの抒情的家庭薬局(Lyrische Hausapotheke)」。「家庭薬局」とは「家庭的な薬局」のことではなくて「薬箱」のこと。

(4)ヘンリー・ソーロー『市民としての反抗』(岩波文庫)*200円

ソーローは散歩が好きだった。この本に収められている「散歩」という文章の中で、彼はこう書いている。「私は、少なくとも一日に四時間―大ていはそれ以上だけれどーすべての浮世の約束からすっかり解放されて、森の中を通り、丘や田畑を越えてぶらつかないと、自分の健康と元気を保てないように思うのである。それでいったい何をぼんやり考えているのか、一ペニーあげるから言ってごらん、いや千ポンドあげてもいい、と諸君が言うのは尤もなことである。ところが私としては、時々、多くの職人や店主が午前中いっぱい、いや午後もおそくまでーまるで足は立ったり歩いたりするためのものでなく、坐るためのものでもあるようにー足を組んで、彼等の店の中に坐っていることを思い出すと、よくもとっくの昔に自殺しなかったものだと考えるのである。」・・・・同感だね。

(5)カズオ・イシグロ『浮世の画家』(中公文庫)*250円

パッと見たとき、『浮世絵の画家』かと思っちゃいました。An Artist of the Froating World-確かに「浮世の画家」。意訳じゃありませんね。イシグロはアンソニー・ホプキンス主演の映画『日の残り』の原作者。だからこれも英国の話かと思ったら、舞台は戦後の日本だった。

(6)『日本児童文学名作集』上下(岩波文庫)*700円

 近代日本における「人生の物語」の生成を論じる上で、児童文学(童話)は欠かせぬ素材。

(7) 芹沢俊介『「イエス」の方舟論』(ちくま文庫)*300円

先日、朝倉喬司「戦後日本における犯罪の変容」という論稿を読んで、「イエスの方舟事件」(1980年)は戦後日本の家族の変容のある一面を象徴する事件であったと思ったので。

(8)中野孝次『ブリューゲルへの旅』(河出文庫)*250円

口絵の「雪中の狩人」が好きなので。

(9)川喜多二郎『発想法』(中公文庫)*180円

新書判では2冊もっているが、文庫判にもなっていたとは知らなかった。

(10)鶴見俊輔編『老いの生きかた』(ちくま文庫)*250円

今年から文学部の専任教員になられた鶴見太郎先生(俊輔氏のご子息)は、今日も教授会にネクタイをして出席されていた。無論、会議中に本なんか読んでいない。背筋を伸ばして前をみておられた。立派だ。

(11)『池波正太郎自選随筆集』上(朝日新聞社)*1000円

立派な箱入りの本。上下揃っていたらこんな値段じゃ買えないだろう。「チキンライス」という一文のなかで、彼は子どもの頃、お子様ランチのチキンライスが大嫌いであったと書いている。「トマトケチャップの匂いが、どうにもきらいだったのである。」それが戦時中に飛騨高山の〔アルプス亭〕で食べたチキンラス(それしかメニューになかった)でチキンライスの美味しさにめざめたのだそうだ。「プリプリと歯ごたえのある鶏肉がたっぷりと入り、トマトケチャップで熱く香ばしく炒めた飯を、あたたかく燃えているストーブの傍らで食べるたのしさ、うまさ、うれしさというものは、たとえようもなかった。以来、私はチキンライスが大好物となった。(中略)レストランで、いろいろ香料をまぜ合わせた上等のチキンライスよりも、私は、トマトケチャップだけで炒めたやつを、田舎の食堂などで食べるのが好きだ。」・・・・明日の昼食はチキンライスで決まりだ。

 

6.18(水)

 夕方からグループ発表の相談をしていたら8時になり、お腹がすいたので、そのまま文学部前の「レトロ」に食事に行く。相談の続きをするはずだったが、結局、雑談になる。女性問題で悩んでいるY君が、「女性は好意をもった男性にどんな風にそれを伝えるのだろう?」と質問すると、Aさんは、「友だちの例だけど」と断った上で、「相手の男性の二の腕に触るようになるの」と答えた。私はそれを聞いていて、二の腕に限らず相手の体に触れるのはその相手に好意(性的関心)をもっているというメッセージだというのは、デスモンド・モリスが『ボディ・ランゲジ』の中で書いていたなと思った。

同時に、私は別のきわめて個人的体験を思い出した。ずいぶん前の話だが、ある女子学生と昼食にうどんを食べていたときのことだ。彼女はうどんを3分の1くらい残して、こう言った。「先生、お食べになりませんか?」、そしてこう付け加えた、「私の食べ残しはおいやですか?」私は一瞬考えた。サンドイッチとか、お寿司とか、そういう個々の単位が分離している料理ならば、何の抵抗もなくいただくところだが、この場合はうどんですからね、うどん。ついさっきまで彼女がずるずるとやっていたその残りですからね。しかし、次の瞬間には、私は彼女の前にある丼を自分の前に引き寄せ、残ったうどんを食べ始めていた。無論、腹が空いていたからではない。ここは食べないわけにはいかないと判断したからである。おそらくあれは踏み絵のようなものだったのだと思う。もし、私がそれを食べなければ、彼女は自分の存在が否定されたと感じるはずだ。「私の食べ残しはおいやですか?」という問いは、そういうことである。怖い問いである。女性はしばしばこうしたやり方で、目の前にいる人間が自分を受け入れてくれる人間かどうかを試すのである。私はY君にこの話をしようかどうしようか迷ったが、しなかった。理由は2つ。第1に、Y君が女性恐怖症になるといけないから。第2に、同席していた3人の女子学生がこれを真似るといけないから。

 ところで、昨日のフィールドノートの冒頭で、教授会のときの安藤先生との会話を書いたが、どうも私の記憶に思い違いがあったらしい。私の記憶では、最初に『少年カフカ』についての会話があり、次に彼と私の読んでいる本が同じで云々の会話があるのだが、今日、安藤先生がおっしゃるには、『少年カフカ』についての会話は後で、しかも、彼と私の読んでいる本が同じで云々の会話は2人の間で交わされたのではなくて、私の同僚のM先生が冗談で「安藤先生、社会学専修に移ったら?」と言ったことに対して、「そうね、読んでいる本は大久保先生と同じだし」と答えて言ったものとのこと。私は驚くと同時に、芥川龍之介の「藪の中」という短編を思い出した。それはある殺人事件をめぐって複数の証人の語る内容がそれぞれ異なるという話で、現象学的社会学風に言えば、「現実」というものの多元的構成がテーマの話である。私の専門のライフヒストリー調査などでも、対象者の語る「人生の物語」は当人にとっての主観的事実であり、客観的事実と異なっていてもそれはかまわないという立場が主流である。だから、私と安藤先生との間で2人の会話のストーリーが違っていても問題ではないのだが、しかし、もし英文学専修の他の先生方がこれをご覧になっていて、「なるほど、安藤先生は社会学専修に移りたいと思っているわけね。そうか、そうか」と納得されてしまうと困るので(私は困らないが、安藤先生は困ると思うので)、そういうことはありませんということを書いておきます。

 

6.19(木)

 7限の授業(基礎演習)を終えてから、来週が発表のグループの相談を研究室でやっていたら、11時を回ってしまった。さすがに遅いだろうと(女子学生も2名いるし)、お開きにしたら、彼らはこれからどこかで相談を続けるらしい。青春である。

 

6.20(金)

 夜、地下鉄早稲田駅そばの「五郎八」で社会学専修の同僚と飲む(といっても私はビールを一杯と後はウーロン茶)。暑気払いならぬ、梅雨払い。もうすぐ7月だ。そうすれば、もうすぐ夏休みだ。あとひと踏ん張りだ。頑張ろう。帰宅して、ビデオに録っておいた「ブラックジャックによろしく」の最終回を観る。今期、一番のTVドラマだった。昨日、卒論指導をした二文の学生である看護士さんが、看護士仲間でも評判のドラマだと言っていた。

 

6.21(土)

 卒論ゼミを終えて、「シャノアール」で昼食。持参した新品のノートパソコン(パナソニックのレッツノート・ライトW2)で、今日の1限の「社会学基礎講義A」の講義記録を作成する。ノートパソコンは何台かもっているが、小型・軽量という点だけでいうと、液晶画面のサイズが10インチのもの(重量は1キロを切る)がいいのだが、キーボードの使いやすさ(キーとキーの間隔がある程度必要)を考慮すると12インチのものが最適だと思う。今回購入したレッツノート・ライトW2は、その12インチで、キーピッチがしっかり19ミリあるので入力作業はスムーズだ。また、コンポドライブ内蔵(やはり外付けより便利)なのに重量が1.29キロしかなく、標準で添付されているバッテリーの駆動時間が7.5時間というのも素晴らしい。

 ところで、今日の授業では、TVドラマ『彼女たちの時代』(1993年)を教材として使ったのだが、その中で、営業マンのための自己啓発セミナーの参加者ひとりひとりがみんなの前で「私は最低の人間です」というテーマで話をするという場面があった。なかなか印象的な場面ではあったのだが、私が授業の最後に、出席カードを配りながら、「では、カードの裏に自分がいかに最低の人間であるかを書いて下さい」と言ったところ、ほとんどの学生はそれが冗談であることを理解して、何も書かず、あるいは冗談には冗談をという内容のことを書いてきたのだが、何人かの学生がまじめにそれに答えて、それをそのまま講義記録に載せると、懺悔録みたいになってしまうような内容のことを書いてきた。う~ん、これからは、授業中に冗談を言うときは、言った後で、「いまのは冗談です」といちいち断らないといけないかもしれない。

 生協で本を4冊購入。

(1)ジョイムス・ホーガン『星を継ぐもの』(創元SF文庫)

 高村薫だったかな、新聞の読書欄で名作としてほめちぎっていたのを思い出して。最初の方をちょっと読んでみたら、うん、本当に面白そうな予感。まずい、まずい、いま読み始めたら仕事が滞ってします。ちょっとの間我慢しよう。子供の頃からSFは大好きなのだ。

 (2)小栗康平『映画を見る眼』(NHK人間講座テキスト)

 私はリアルタイムで観た邦画の中では小栗康平の『泥の河』が一番好きである。小津安二郎の『東京物語』は無論素晴らしい映画だが、いかんせん私が生まれる前年(1953年)に作られた映画だから、まずもって私は歴史的資料としてこの映画を観た(それもビデオで)。これに対して、『泥の河』は1981年の作品で、当時27歳の大学院生だった私はこの映画を(たぶん)新宿ピカデリーで観た。宮本輝の同名小説が原作だが、小さな船に住む姉弟(母はその船を売春宿として使っている)と岸辺のうどん屋の少年との出会い、交流、そして別れを、モノクロ映像で詩情豊かに描いた作品である。姉の松本銀子を演じた柴田真生子はいまどこでどうしているのだろう。

 (3)ウヴェ・フリック『質的研究入門』(春秋社)

 調査実習でのインタビュー調査の方法論の参考書として。

 (4)オスカー・ルイス『貧困の文化』(ちくま学芸文庫)

 上に同じ。いよいよ、7月から調査が開始だ。

 

6.22(日)

 梅雨の晴れ間は暑い。先週の「社会学研究9」の講義記録(第9回)をアップロードしてから散歩に出る。TSUTAYAでNiNaのアルバムを借りる。これには昨日授業で使ったTVドラマ『彼女たちの時代』の主題歌「Happy Tomorrow」が入っている。東急プラザ蒲田店6階の「栄松堂」をのぞく。隣のビル(サンカマタ)に強力なライバル店「有隣堂」が入ったので、ちょっと心配だったのだが、大丈夫、たくさんお客さんがいた。私はここの新刊書コーナーの品揃えはけっこう気に入っている。今日は2冊購入。

 (1)東海林さだお『もっとコロッケな日本語を』(文藝春秋)

 東海林さだおは天才である。彼より漫画がうまい漫画家はいるであろうが、彼より文章がうまい漫画家はいないであろう。いや、彼より文章がうまい作家もそんなに多くないのではなかろうか。

 (2)小谷野敦『性と愛の日本語講座』(ちくま新書)

 冒頭、こんなことが書いてある。「一九九〇年代に入ってからだと思うが、自分の夫や恋人を『パートナー』と呼ぶ女性(特にインテリ)が増えてきた。最近は男性でもそう言うのがいる。これは私は個人的に気持ち悪い。/米国の日本文学研究者のスーザン・ネイピアさんに、あれ、気持ち悪くないですか、と訊ねたら、気持ち悪い気持ち悪い、と同意してくれた。」そうか、やっぱり気持ち悪いんだ。実は私もそう思っていたので、同士を得たような気分になった。

 5階の「シビタス」で、ホットケーキとレモンジュースを注文し、『もっとコロッケな日本語』の冒頭の作品、「ドーダの人々」を読む。「喫茶店、ビアホール、居酒屋、レストラン、料亭、スナック、バー、クラブ、キャバレーなど、いわゆる水商売と言われている店で交わされている会話の八割は自慢話だと言われている。(中略)自慢話は「ドーダ!」である。ドーダ、このようにオレはエライんだぞ、ドーダ、と言っているわけだ。わたくしは長年にわたってドーダ学を研究してきた学究の徒である。」こんな風に始まって、以下、ドーダ学のフィールドワークの成果が報告されるのだが、いや、もう、面白いのなんの。とにかく人間観察が鋭い。社会学者で言えば、アーヴィン・ゴフマンを彷彿とさせる。そう、東海林さだおは漫画界のゴフマンである。「ドーダの人々」はパート2、パート3があるが、途中でホットケーキが運ばれてきたので、読書は中断(両手を使って冷めないうちに平らげないといけないから)。しかし、店内も混んでいるので、ホットケーキを平らげた後、水だけで粘るのはやめて、場所を「シャノアール」に替えて、パート2とパート3を読んだ。

 帰宅して、書斎で借りてきたばかりのCDを聴いていたら、娘が「ジュディ・マリの曲?」と聞いてきた。「NiNaというグループの曲だけど、女性2人のボーカルの1人がジュディ・マリのYUKIだ」と教えると、「そうか、そうか、懐かしい!」と言いながら自分の部屋に戻っていった。17歳の女の子も「懐かしい」という言葉を使うのかと、なんだか不思議な気がした(しかも自分の娘だし)。

 

6.23(月)

 眼が覚めると午後1時。しかし、寝坊ではない。睡眠時間は5時間なのだから。つまり、寝たのが午前8時なのだ。徹夜で何をしていたのかというと、調査実習の対象者への依頼状を作成し、それをコンビニで160部コピーし、返信用の葉書を自宅のプリンターで両面印刷し、依頼状を4つ折りにして(これがけっこう時間がかかった)返信用の葉書と一緒に封筒に入れて、テープで封をして近所のポストに投函する、という作業を一人でやっていたら、朝になってしまったのである。本来であれば、先週の水曜日の実習の時間に学生たち(25名)と一緒にやるはずの作業であったのだが、依頼状の作成が遅れたため、その日は封筒の宛名書きと切手貼りしかできなかったからである。明け方、お腹が空いたので、コピーをとりに外出したついでに、吉野家に入って牛丼の大盛(+生卵+けんちん汁+お新香)を食べた。店員の応対がよかったので、ついお新香も注文してしまったが、これは余計だったかもしれない。食べ終わって店を出るまで客は私一人だった。

 昼食の後、散歩に出る。「南天堂」をのぞいて古本を6冊購入。

(1)林秀彦『逃げ出すための都』(アーツアンドクラフツ)*200円(買値、以下同じ)

 東京をテーマにした随筆集。とくに表題にもなっている「逃げ出すための都―小津安二郎の東京」を読みたくて購入。「深川という、東京としては〝由緒〟ある土地で生まれた彼は、一体どれほど東京を愛していたのだろう?/すこしペダンティックに言えば、ピート・ハミルトンやアーウィン・ショーがニューヨークを愛したようには愛していないのである。もしかすると、東京とはそういう愛しかたのできない街なのかもしれない。」ちなみに著者自身も東京の生まれである。

(2)エリザベス・キューブラ=ロス『エイズ 死ぬ瞬間』(読売新聞社)*500円

 彼女はすでに『死ぬ瞬間』で、臨死(dying)における死の受容のプロセスを定式化しているが、本書はそれをエイズ患者に絞って論じたもの。

(3)吉田敦彦『世界の始まりの物語』(大和書房)*600円

 宇宙の始まりについての科学的説明と同じくらい、私には、神話や宗教における天地創造の物語が興味深い。

(4)吉田拓郎『もういらないー迷走する壮年』(祥伝社)*500円

 「俺にとって、人生の転機は50歳の誕生日だった」と、55歳の吉田拓郎は書いている。「40代後半から、『ついに俺も50を迎えるんだな』って、50代に確実に距離が近づいてきたとき、すごくイヤだった。50になりたくない抵抗があった。/50歳というと、俺の中でカッコいい人物は高倉健とショーン・コネリーぐらいで、他の50代って全然カッコよくなかったんだよ。俺が50になっても高倉健になれるわけがないんだし、彼はある種の遠い存在だからね、映画の中の。憧れではあるけど、俺は間違いなく高倉健にはなれないな、って結論だった。」そういう彼の憂鬱は、TV番組『Love Love 愛してる』でのKinKi Kidsとの共演をきかっけに払拭されていくことになる。本書の発行は昨年の4月5日(彼の56歳の誕生日)。そしてそれから1年後の57歳の誕生日に彼は肺癌を告知される。幸い術後は順調で、今月15日にはラジオ番組に出演し、生歌も披露した。50歳の転機に続く、今回の転機についても、ぜひ本を出してほしい。

(5)南ゆかり『その仕事、好きですか?』(ワニブックス)*500円

 雑誌『Oggi』に連載されたさまざまな職業で働く20人の女性へのインタビュー。調査実習の参考書として。

(6)斉藤孝『質問力』(筑摩書房)*700円

 帯に「初対面の人と3分で深い話ができる!!」とある。う~む、『声に出して読みたい日本語』の著者はこんな本まで書いているのか。もちろん調査実習の参考書として。もっとも大学教師をしていると、突然見知らぬ学生が研究室のドアをノックして入ってきて、すぐに進路相談とかの「深い話」を始めることがよくあるので、帯の宣伝文句には驚きませんけどね。

 

6.24(火)

 渋谷のル・シネマで『北京ヴァイオリン』を観る。ヴァイオリンの天才少年とその父親の物語。監督は『さらばわが愛 覇王別姫』のチェン・カイコー(音楽学院の教授役で出演もしている)。13年前、北京駅の待合室のベンチの下に男の赤ん坊が置き去りにされていた。傍らにはヴァイオリンのケース。一人の男がそれに気づき、「この子の親はどこだ!」と赤ん坊を抱いて駅構内を歩き回る。結局、男が赤ん坊を引き取り、男手一つで育てる決心をする。母親は少年が2歳のときに亡くなり、ヴァイオリンは母親の形見ということにした。少年は母親恋しさにヴァイオリンを習い、おそらくは音楽家だったであろう母親譲りの才能を開花させた。父親は少年を一流のヴァイオリニストにするべく、全財産(といっても毛糸の帽子の内側に隠せる程度のものなのだが)をもって北京に行き、2人の音楽教師(最初はチアン先生、次にユイ先生)に個人指導を依頼する。一方、少年は北京で美しい(しかしすれっからしの)ずっと年上の女性リリと出会い、淡い恋心を抱く。(こんな調子で書いていったら長くなるので)紆余曲折の末、少年はユイ教授の内弟子となり、国際コンクールの選抜大会への出場が決まる。夢の実現まであと一歩。このとき父親はコンクール出場の費用を稼ぐため(本当は自分が少年の近くにいない方がよいと判断して)田舎に帰ると少年に告げる。少年は淋しくて、父親と一緒に帰りたいとユイ教授に言うと、ユイ教授は父親から聞いていた少年の出生の秘密を話し、お父さんは君を立派なヴァイオリニストにするために今日まで頑張って来られたのだと諭す。少年はショックを受け、教授宅を飛び出し、父親のアパートに行く。しかし、結局、父親の思いに応えるため、迎えに来たユイ教授に連れられて戻っていく。そして・・・・(ここまでにしときます)。

難解なところの1つもない、素直に楽しめる作品。山田洋二の『幸福の黄色いハンカチ』のような作品だ。観客の95%は女性だったが(なにしろ平日の初回ですから)、ラストシーンではみんなハンカチを使っていた。父親役のリウ・ペイチーは、どこかでみたことがあると思ったが、あとでプログラムを見たら、チャン・イーモウ監督の『秋菊の物語』でコン・リーの夫役をやったと書いてあった。そうか、そうか、村長に睾丸を蹴られて寝込んでしまった(コン・リーはそれに憤慨して村長を訴えるために役所に出向くことになる)あの情けない亭主だ。リウ・ペイチーは今回の作品でサン・セバンチェス国際映画祭の主演男優賞を受賞した。それから、これもプログラムを見て知ったのだが、リリ役のチェン・ホンはチェン・カイコー監督の妻なんですね。チャン・イーモウ監督もコン・リーを妻にしているし、やっぱり監督って女優の心を射止めるんだね。ちなみに私がこの作品を『東京ヴァイオリン』としてリメイクするならば(!)、父親役は平田満、リリ役は常盤貴子、チアン先生役は豊川悦司、ユイ教授役は内藤剛を起用するだろう。少年役はもちろんオーデションで選ぶ。・・・・そんなこと考えてどうするんだ(常磐貴子と結婚しようと思っているのか)、という話ですけどね。

 映画館を出て、東急本店向かいのブックファースト(TVドラマ『彼女たちの時代』で深津絵里と水野美紀が屋上から「お~い、私はここにいるわよ~!」と叫んだ場所だ)で、梅本宣之『高見順研究』(和泉書院)を購入。駅に戻る途中の北海道ラーメンの店で旭川醤油ラーメンを食べる。それから大学に行き、研究室で二文の基礎演習のグループ発表の相談。発表は明後日なのにまだ内容が固まっていない。叱咤激励する。

 

6.25(水)

 一昨日の朝、調査実習のインタビュー調査の依頼状157通を投函したが、今日、最初の返信があった。依頼状を受け取られたのは昨日であろうから、その場で返信用の葉書に記入して、ただちに投函して下さったに違いない。素早い対応に感謝。で、返信の内容だが、調査に「協力できる」とのこと。幸先のよいスタートである。さっそく今日の調査実習の授業で報告し、担当の学生を決め、今夜中にお礼のメールを送信して、日程の打合せをするよう指示を出す。いよいよこれから調査実習は第2段階に入る。

 

6.26(木)

 早稲田社会学会の機関紙『社会学年誌』の次号の特集の打合せ。道場親信氏、入江公康氏、そして私の3人で「社会学者と社会」(仮題)という共通テーマでそれぞれ論文を書くことになっている。道場氏は新明正道、入江氏は高田保馬、私は清水幾太郎を取り上げる予定。道場氏は、来月2日の早稲田社会学会大会のシンポジウムの報告者の1人で、基本的はその内容を論文にまとめられる予定なので、3人の中で進度は一番速い。ただ、今日、論文の構想をうかがった限りでは、とても400字詰原稿用紙60枚に収まるような内容ではないことが気がかりであった。道場氏は『現代思想』の今月号に戦後の反戦運動の系譜についての論文を寄せているが、予定枚数を大幅にオーバーしたために前半を今月号、後半を来月号、と分割して載せることになったのだそうだ。『社会学年誌』は年1回の発行だから、そういうのはありませんからね、と特集のコーディネーターとして釘を刺しておく。

 インタビュー調査の依頼状への返信が、今日は8通。うちOKが7通。順調な滑り出しである。7通のうち3通は関東以外からで、愛知県、福岡県、熊本県である。九州の2県は夏休みを利用してインタビューに行ってもらうしかあるまい。もちろん旅費は実習費から支給する。ついでに九州旅行を楽しんでくればいい。「はい、行きます!」と快活に手をあげてくれる若者がいるといいのだが。

 夜、風呂上りに、今年初めてのプラムを3個食べる。とても美味しい。

 

6.27(金)

 今日、大学院の演習があったのだが、課題文献2本のうち、1本を勘違いして別の文献を読んでいたことに、教室に入ってから気づいた。本当は筒井清忠「『恋愛映画』の変貌」という文献を読んでこなくてはいけなかったのだ。しかし、不幸中の幸いというか、担当者の報告内容は文献を読んでいなくてもよく理解できた。というのは、戦後日本における教養主義的恋愛映画からエンターテイメント的恋愛映画への転換を論じて、その明確な転換点を1961年から始まった加山雄三主演の「若大将シリーズ」に求める、というのが論文の趣旨なのだが、実は、私、「若大将シリーズ」は全17作品のほとんどを見ているのである。1960年代は私の小学校・中学校時代と重なっている。東宝の怪獣映画を観にいくと、「若大将シリーズ」と2本立てであることが多かった。前者を観にいった私は、ついでに後者も観て、若大将や青大将(田中邦衛)たちがくりひろげる、恋と、スポーツと、歌と、アルバイトから構成される(勉強も学生運動も存在しない)大学生活なるものを、地上のパラダイスのように眺めていた。1960年代は大学の大衆化が急激に進んだが、「若大将シリーズ」は大学の大衆化の結果ではなく、むしろ原因の1つである。

1973年、私が大学に入学したとき、そこには「若大将シリーズ」的なものは何ひとつとしてなく、前年の11月に文学部のキャンパスで起こった革マル派(文学部自治会)による一般学生のリンチ殺人事件をきっかけとする、革マル派vs他セクトvs一般学生の激しくかつ陰湿な対立があった。大学での4年間、教場で試験を受けたことは数えるほどしかなく(試験妨害やロックアウトで)、始終、振り替えのレポートばかり書いていた記憶がある。

 

6.28(土)

 雨のせいだろうか、今日の卒論ゼミは出席者が半分しかいなかった。しかも、休んでいる学生は何の断りもない。気の向いたときにくればいいのだと思っているとすれば、心得違いもはなはだしい。論文の内容以前に、こういうところから指導していかないとならないのだから、卒論指導も楽じゃない。ゼミ形式は前期でやめて、後期からは個人指導(ただし希望者のみ)に切り替えようかと考えている。

 「あゆみブックス」で編集者の評伝を2冊購入。大村彦次郎『ある文藝編集者の一生』(筑摩書房)と、田邊園子『伝説の編集者 坂本一亀とその時代』(作品社)。前者は楢崎勤の出生から書き始め、彼の同時代人を列挙する。

 「楢崎勤は明治三十四年(一九〇一)十一月七日、山口県萩市東田町で歯科医楢崎東陽、母ちえの次男として生まれた。この年四月、昭和天皇裕仁が誕生した。同年生まれの作家には梶井基次郎、海音寺潮五郎、川崎長太郎、中谷孝雄、中村正常、村山知義、龍胆寺雄ら、詩人には岡本潤、高橋新吉、富永太郎、村野四郎らがいた。」

 一方、後者は坂本の死から書き始め、彼の性格を列挙する。

 「坂本一亀は、二〇〇二年九月二十八日、八十歳と九か月でその生涯を終えた。何年も透析に通っていた自宅近くの病院で、安らかに息を引きとったという。彼は二十五歳から三十五年間、出版社で文芸編集者として果敢に生きた。/編集者としての坂本一亀は、ファナティックであり、ロマンティストであり、そしてきわめてシャイな人であった。彼は私心のない純朴な人柄であり、野放図であったが、繊細であり、几帳面であり、清潔であった。」

 さて、私が「清水幾太郎とその時代」を書くときにどちらを採るか。あるいは、両者とも違う方法、たとえば清水の人生のハイライトシーンから書き始めるという方法も考えられる。ちなみに、清水は生涯に3冊の自伝を書いたが、最初の2冊では出生から書き始め、最後の1冊では昭和16年12月の忘年会(三木清、中島健蔵、豊島与志雄らと一緒。その2週間前にアメリカとの戦争が始まっていた)から書き始めた。自伝も3冊目となると、そのくらいの工夫、演出が必要となるのだろう。

 帰宅すると、インターネットで注文しておいた関川夏央『白樺たちの大正』(文藝春秋)が届いていた。私は関川さんの文章が好きである。彼の本で途中で読むのをやめた本は一冊もない。

 

6.29(日)

 長男の15歳の誕生日。彼は言葉を話し始めるのが遅く、最初のうちは何でも「サーサ」であった。母親も「サーサ」、テーブルも「サーサ」、猫も、杓子も、「サーサ」であった。また、もっと心配したのは、一人で部屋で遊んでいるときに、われわれには見えない何者かと奇妙な表情やジェスチャーで交信することであった。われわれは、彼を言語療法士や精神科医に見てもらい、脳波の測定を受けたりもした。幸い、われわれの心配は杞憂に終わり、ほどなくして彼はうるさいほど喋り始め、奇妙な行動も消失し、普通の幼児になった。現在の彼は、学業成績は優秀だが、運動神経は並で、芸術の才は乏しく、友人は多い方ではない。手に入る限りの星新一のショート・ショートを読破し、日曜日の夕方の「笑点」を楽しみにしている。要するに、昔の自分を見るようである。私は自分が大学教授であることが息子に何らかのプレッシャーを与えているであろうことを知っている。事実、小学校時代、彼は先生や同級生から「教授」と呼ばれていた。来年は高校受験だが、第一志望は私と妻の母校である都立小山台高校らしい。姉の方は、早々に両親と同じ高校には行かないと宣言して、事実、そうしたが、彼にはそういった生意気さは見られない。15歳。『海辺のカフカ』の主人公と同じ年齢である。無限の可能性という言葉は胡散臭くて使う気にはなれないが、それでも、彼の前には彼が思っている以上の可能性がある。人生は可能性の減少の過程だとよく言われるけれども、それは後から振り返ったときの感想で、可能性の渦中にあるとき、おうおうにして人はそのことに気づかないものである。しかし、私はそういうことを彼に言って聞かせようとは思わない。人がたくさんの可能性の中から、結局、1つの可能性を選択するのは、それなりの必然性(という言葉が強すぎるならば、蓋然性)が作用しているからである。私に出来ることは彼の人生の幸運を祈ることだけだ。

 

6.30(月)

 ひさしぶりに「誠龍書林」で古本を購入。ここは店外の格安本の棚に掘り出し物が多い。

(1)        高見順『いやな感じ』(文藝春秋新社)*100円

アナーキストの青年を架空の主人公に設定して、昭和という動乱の時代を描いた「全体小説」。昭和38年刊行の初版本が100円で入手できるとは!

(2)        安岡章太郎『僕の昭和史Ⅱ』(講談社)*100円

 Ⅰしかもってなかったので。

(3)松村友視『鎌倉のおばさん』(新潮社)*100円

新刊が出たとき、買おうかどうしようか迷って、結局、買わなかったので。100円なら迷わない。

(4)ジャコ・ヴァン・ドルマン『八日目』(青山出版)*200円

以前、見た映画のシナリオのノベライズ本。この映画を近々授業で使おうかと考えていたところだったので。

(5)小林信彦『植木等と藤山寛美 喜劇人とその時代』(新潮社)*500円

藤山寛美にはそれほど関心がないが、植木等は私の子供の頃、すなわち高度長期を代表するお笑い界の大スターであった。あの頃を「よい時代だった」と回想できるのは、もしかしたら、彼のイメージが時代のイメージと重なっているためかもしれない。

(6)美空ひばり『川の流れのように』(集英社)*500円

私が子供の頃、美空ひばりはただ歌謡界の大御所として存在しているとして思えなかったが、ずっと後になってCDで「東京キッド」(1950年)を聴いたとき、彼女の時代というものが確かに存在したことを知った。

(7)北山おさむ『ビートルズ』(講談社現代新書)*300円

北山おさむは、フォーク・クルセダーズの3人のメンバーの中で、音楽的才能は一番劣っていたが、知的センスは群を抜いていた。彼はフォーク・クルセダーズ解散後、音楽業界を離れ、精神科医となり、現在は九州大学の教授をしている。

(8)亀井俊介『ナショナリズムの文学』(講談社学術文庫)*340円

明治時代のナショナリズムが同時代の文学に与えた影響を論じた本。ここでは店内の文庫は全部定価の半値。

(9)玉村豊男『軽井沢うまいもの暮らし』(中公文庫)*170円

大学院の演習で読んだ文献の中で玉村豊男のことが紹介されていたので。

 夜、書斎で躓いて、足の小指の爪を割る。床の上にいろいろなものを置いているからいけないのだ。


2003年6月(前半)

2003-06-14 23:59:59 | Weblog

6.1(日)

 蒲田駅ビル(サンカマタ)6階に有隣堂が昨日オープンしたので、のぞいてみる。6階のフロアーの大部分を占める大型書店だが、開店2日目とあってかなり混雑している。じっくり見て回るのは平日にしようと、数冊購入して引き上げる。

(1)ダニエル・ベルトー『ライフストーリー:社会学的パースペクティヴ』(ミネルヴァ書房)

  今年の1月に出版された本だが、うかつにも気づかなかった。有名な論文「パン屋のライフヒストリー」も付録として収められている。訳者は日本女子大学の小林千寿子さん。いまやっている調査実習のクラスで読むのにうってつけだ。

(2)ロビン・コーエン、ポール・ケネディ『グローバル・ソシオロジー』Ⅰ・Ⅱ(平凡社)

  あの『大国の興亡』の著者、ポール・ケネディが社会学の教科書を書いたのかとちょっと興奮して購入したが、家に戻って著者紹介のところを読んだら、同姓同名の別人であった。でも、内容は興味深いものなので、よしとしよう。

 (3)『学研の図鑑 植物』

  なんで植物図鑑なんて買ったのと妻に言われたが、典型的な衝動買いである。新規開店のご祝儀のようなもの。研究室の前の廊下の窓から見える、斜面に群生している青い花の咲く雑草は「ショカツサイ」(別名「オオアラセイトウ」)であることを確認する。

夜、チャン・イーモウ監督の映画『至福のとき』(原題:幸福時光)をDVDで観る。盲目の美少女を演じた新人の菫潔(ドン・ジエ)は、若い頃の大塚寧寧と最近の宮沢りえを会わせたような感じで、いかにも「薄幸」という言葉がピッタリ。コミカルな人情ものと思って観ていたら、最後は切なく終わった。おじさんはあのまま死んでしまうんだろうか。美少女は父親と会えるんだろうか。観終わったあと、誰もが映画の続編を頭の中で考えずにはいられない、そんな終わり方だった。

 

6.2(月)

 本来であれば、今日は石川県の内灘に来ているはずであった。ちょうど50年前、その日本海に面した小さな漁村で、米軍の弾丸試射場建設反対運動が起こり、日本中の注目を集めた。内灘は戦後の米軍基地反対運動を象徴する場所となった。で、なぜ、私がその内灘に関心をもつのかというと、私の研究テーマの1つである「清水幾太郎」がその運動に深くコミットしていたからである(当時、清水は平和運動の教祖的存在であった)。しかし、原稿の執筆の遅れで、内灘行は延期せざるをえなくなった。

今日は我が家の飼い猫、「はる」の満1歳の誕生日である。「はる」は大学院生Oさんの家の猫が産んだ5匹の中の1匹で、生後2ヶ月まで待ってもらいうけた。それまでの仮の名前は「よしのぶ」で、これは父猫がジャイアンツの高橋由伸に似ているところから0さんが付けたもので、人間の名前を猫に付けるのは最近の流行なのかもしれない。我が家の猫となったところで、名前をどうするかで家族会議が開かれ、こういう場合の常として長女の案が通り、「はる」となった。最近の赤ん坊の名前同様、変わった名前である。「個性的であらねばならない」という近代社会の至上命令は、猫の命名にまだ及んでいるのである。以来、我が家では、「はるはどこだ?」「はるをみつけた」「はるがきた」などと、童謡の一節のような会話が交わされるようになった。

 

6.3(火)

 このまま夏になってしまうのではないか、そうだといいのにと思わせる、そんな一日。もし原稿の件がなければ、鎌倉の由比ガ浜にふらりと出かけていたに違いない。しかし、どんなに原稿で書斎に缶詰になっているときも、一日に一度は散歩に出ないと、私は死んでしまう生き物なのです(編集者の方がこれを読んでいる可能性があるので、書いておきます)。夕方、ちょっと有隣堂をのぞきにゆく。土志田征一編『経済白書で読む戦後日本経済の歩み』(有斐閣)と、麻生圭子『京都がくれた「小さな生活」。』(集英社be文庫)の2冊を購入。前者は仕事に必要な本。後者は仕事を忘れるための本。麻生さんはもともとは作詞家(小泉今日子や中森明菜のヒット曲を手がけた)なのだが、10年ほど前から作詞家を休業し、エッセイストとなり、そして7年前に結婚されたのを機に京都に移り住み、『東京育ちの京都案内』や『東京育ちの京都暮らし』といった「京都もの」を書かかれるようになった。私自身は、京都は訪れるのには魅力的な町だが、夏の蒸し暑さや、「一見さんお断り」の閉鎖性が苦手ということもあり、住みたいとは思わない。でも、麻生さんの書かれたものを読んでいると、京都の人たちの豊かな食生活をうらやましく思う。加茂茄子とか、聖護院蕪とか、壬生菜とか、野菜の1つ1つに土地の名前がしっかり付いているところが凄い。東京にも昔は練馬大根とかあったけれど、いまではみんな青くび大根。標準化された名前の野菜に慣れてしまった東京人の耳には、京野菜(!)の名前はとても新鮮で魅力的だ。

 

6.4(水)

 3限の「社会学研究9」を終えて、文学部向かいの「レトロ」で昼食(オムライス)をとりながら、持参したノートパソコンで講義記録の作成。講義記録は「要点」「質問」「感想」の3部構成。「要点」の部分は講義の前日に作成済みなので、あとは出席カードの裏に書かれたコメントを「質問」系と「感想」系に分類し、それぞれの中から採用する候補を決め、それをパソコンに入力しつつ、質問には回答を、感想にはコメントを付けていく。私がこの方法を授業に導入するようになったのは、文学部で教え始めて2年目(1994年)からである。大教室での授業でいかに学生の主体的参加を促すかという問題意識で始めたのだと思う。露文の井桁先生の「レビューシート」方式を参考にしたが、学生のコメントをただ載せるだけではなく、質問には回答を付け、感想にはコメントを付けるというところが自分なりの工夫だった。当時の講義記録の一部が手元に残っているが、いまと違って、個々の質問や感想には学生の実名が付いている。しかし、匿名を希望してプライベートな内容の感想を書いてくる学生が徐々に増えたので、翌年からは現在のように書き手の情報は一切付記しないことにした。匿名性が保証され、同時に、唯一私だけが書き手が誰であるかを知っているという状況は、コメントの内容をよりプライベートなものへと傾斜させる。匿名性が保証されているだけでは「落書き」と同じであり、読み手が私一人だけでは「懺悔」と同じである。匿名性と親密性を同時に求めることは都市生活者の心性である。・・・・夜、作成した講義記録をアップロードする。

 

6.5(木)

 7限の授業が終わった後、グループ発表の相談を2つ研究室でやって、大学を出たのが午後10時半。夕食がまだである。早稲田で食べてから帰るか、蒲田に着いてから食べるか、迷うところであるが、電車の中で目を通さないといけない文献があったので、蒲田に着いてから食べることにした(腹に物を入れてから電車に乗ると眠くなってしまう)。午後11時半、蒲田着。この時間帯で、駅から自宅までの間に簡単に食事ができるところは、立ち食い蕎麦屋、牛丼屋、ラーメン屋の3箇所である。昼食がつけ麺だったので、夕食も麺というのは避けたい。必然的に牛丼屋(吉野家)に入る。「ここまで来たらなんで家で食べないのか」という疑問をもつ人がいるかもしれないので、一言述べておくと、妻子に「お父さんはこんな時間まで食事もとらずに家族のために頑張って働いている」という姿を見せたくないからである。店員が注文を取りに来たので、牛丼並(280円)、生卵(50円)、けんちん汁(120円)を注文する。牛丼には並、大盛、特盛の3種類があって、私は並しか頼んだことがないのだが、ご飯は並で肉の分量だけ大盛にしてほしい場合はどう注文したらいいのだろうといつも思う(その場合の値段はいくらなのだろう)。店員に聞けばいいだけのことなのだが、ついつい聞けずに今日まで来ているのである。そして今日も聞けなかった。これをご覧の方で、ご存知の方がいたらぜひ教えて欲しい。けんちん汁を注文したのは今回が初めてで、注文のとき間違って「トン汁」と言ってしまったが、店員さんは何も言わなかった。しかも、私は実際にそれを食している間もずっと「トン汁」だと思っていたのである(!)。というのは、私の頭の中では、けんちん汁というのはすまし汁なのであるが、吉野家のけんちん汁は白味噌仕立てで、おまけに肉片まで入っているのである。そういうけんちん汁もあるということを今日初めて知った。でも、美味しかったけどね。

 

6.6(金)

 鶴田真由主演のTVドラマ『ゆうれい貸します』(NHK、全5回)が今夜から始まった。私は彼女のファンである。しかし、このことを人に話して好意的な反応を得たことがない。たとえば、露文の草野先生などは「鶴田真由って顔と身体のバランスが悪いですよ」と冷たく言い放った。いや、女性の前で、女優の話なんかした私が悪いんですけどね。たぶん外見の気の強そうな印象で損をしているのだと思う。しかし、私に言わせれば、彼女ほど「女」の情念を上手に演じられる女優は、あの年代では(彼女は今年33歳)、ちょっといませんね。そういう彼女の代表作は松本清張の小説をTVドラマ化した『張込み』だと私は思っている。退屈な地方の町の平凡な家庭の足の悪い主婦(鶴田)のところに、かつての恋人でいまは指名手配中の男が尋ねて来るのをひたすら待つ刑事(ビートたけし)の話なのだが、このときの彼女は実に素晴らしかった。日傘の下の人生を諦めてしまったような横顔と、内なる情念・・・・。今回の『ゆうれい貸します』はコミカルな人情話で(原作は山本周五郎)、彼女は幽霊の役なのだが、前世で愛した男の生まれ変わりの男(風間杜夫)を慕うというところが、彼女の持味にピッタリである。

 

6.7(土)

 大学の帰り、「丸の内ピカデリー2」で『めぐりあう時間たち』を観る。実によく構成された映画だ。1923年、ロンドン郊外のリッチモンドの屋敷で『ダロウェイ夫人』を執筆中の作家ヴァージニア・ウルフ。1951年、ロサンジェルスの住宅街で暮らす2人目の子供を妊娠中の主婦ローラ・ブラウン。2001年(現在)、ニューヨークで同性の恋人と暮らす編集者サリー・ヴォーン。この3人の女性の1日を同時進行で描いて、オムニバスではなく、1つの物語にした映画だ。3人の女性に共通するものは、「花」、「パーティー」、「同性愛」、「死」、そして『ダロウェイ夫人』。1時間55分の作品だが、フィリップ・グラスの音楽に乗った、最後まで緊迫感が途切れない場面展開で、途中で一度も腕時計を見ることがなかった。

大森で途中下車して、「天誠書林」をのぞく。かつて大森文士村と呼ばれた土地にある古書店らしく、正統派の文芸書専門店で、3月に出版された『東京古本とコーヒー巡り』(交通新聞社)という本の表紙にもなっている。以下の7冊を購入。

(1) 臼井吉見『人間の確かめ』(文藝春秋)

(2) 臼井吉見『事故のてんまつ』(筑摩書房)

 (3) 広津桃子『父 広津和郎』(毎日新聞社)

(4) 澤田隆治『私説コメディアン史』(白水社)

(5) 酒井美意子『ある華族の昭和史』(主婦と生活社)

(6) 瀬戸山和樹『東京病』(情報センター出版局)

(7) 近田春夫『考えるヒット5 大きくふたつに分けるとすれば』(文藝春秋)

 再び電車に乗る前に、大森駅前の「不二家」でケーキを3つお土産に買う。いつものように4つではなく、3つなのは、息子がいま修学旅行で京都に行っているからだ。しかし、帰ってくるのは明日だと思っていたのは私の勘違いで、実は今日帰って来るのであった。おまけに私はもう1つミスをした。今日、娘がパウンドケーキを焼くと言っていたのを忘れていた。間抜けなお土産になってしまった。ところで、この大森駅前の「不二家」は私が小学生の頃からあって、父の馴染みの神田の歯科医院に私も連れて行かれて虫歯の治療をした帰り途、何回かここに立ち寄ってフルーツパフェやホットケーキなどを食べた記憶がある(地元の歯医者では、私が治療中に大声で泣くので、他の子どもの患者が怖がるから来ないでくれと言われていたのである)。抜歯の後の30分は飲み食いができず、ちょうど大森あたりで麻酔が覚めるのであろう。当時(昭和30年代)、店頭にペコちゃんポコちゃんの大きな人形が置かれていた「不二家」は、子どもたちにとって憧れの場所であった。私は、治療の後の「不二家」を楽しみに、歯の治療の恐怖に耐えたのである。

 帰宅してから、インターネットで、マイケル・カニンガム『めぐりあう時間たちー三人のダロウェイ夫人』(集英社)、ヴァージニア・ウルフ『ダロウェイ夫人』(集英社)、『めぐりあう時間たち』のサウンドトラックCDを注文する。

夜、今日の講義の記録を作成し、アップロードする。

 

6.8(日)

 梅雨入り前のたぶん最後の晴天の一日。夕方、原稿執筆の手を休めて、オープンから1週間が立った「有隣堂」をのぞきにいく。やはり「蒲田地区最大級の売り場面積」を謳っているだけのことはあって、集客力がある(東口のアロマ・スクエア1階の「紀伊国屋書店」も大きいが、駅から5分ほどの距離が災いしてか、いつ行っても空いている)。今日は4冊購入。

(1)        村松友視『ヤスケンの海』(幻冬舎)

今年1月に亡くなった「スーパー・エディター」安原顯の評伝。私は安原のことは村上春樹に毒づいた評論家という認識しかなかったが、今回、本書に収められている、彼が『レコード芸術』1974年11月号に書いた大江健三郎批判のエッセイを読んで、これに比べれば村上春樹批判など批判のうちに入らないと思った。

(2)        小沢牧子『「心の専門家」はいらない』(洋泉社)

臨床心理学ならびに臨床心理士(カウンセラー)ブームを批判する書。著者に言わせると、カウンセリングとは、カウンセラー対クライエントという権力関係の中で、クライエントがカウンセラーに望まれている答えを自発的に探り当てる、ソフトな社会管理の装置である。なるほどね、カウンセリング理論ではカウンセラーはクライエントに語らせるだけで自分の意見は言ってはいけないことになっているが、すべての対人的相互作用がそうであるように、人は相手(とくに権力者)に認められたいがために、相手の期待する行為を無意識のうちにしてしまうものだ。つまり、カウンセリング場面において、クライエントはカウンセラーにとっての「よいクライエント」を演じてしまうのだ。

(3)        那須壽編『クロニクル社会学』(有斐閣)

どこかにあるはずなのだが、どうしても見当たらないので(学生に貸したような気もするのだが、誰だかわからない)、また購入。那須先生の印税収入に貢献してしまった。那須先生で思い出したが、私の息子が幼稚園に通っていた頃、那須先生から自宅にかかってきた電話を息子が取り、「那須ですが・・・・」という声を聞いて、茄子を連想してしまい、「えっ? ナスって名前なの? ホントにナスって名前なの?」とずっと電話を握ったまま那須先生に質問していたことがあった。那須先生、あのときは困ったらしい。もし私がそのときの那須先生だったら、「うん、かみさんはニンジン(妊娠)して、キュウリ(郷里)に帰っているんだ」くらいのことは言ってやったのにね(理解できないか)。

(4)        湯沢雍彦『データで読む家族問題』(NHKブックス)

 商売道具として。

 購入した本を抱えて「シャノアール」に入り、クリームソーダを注文。パフェを一人で注文するのは恥ずかしいが、クリームソーダは大丈夫。『「心の専門家」はいらない』の最初の2章を読んでから、帰宅。

 

6.9(月)

 Tシャツに半パンという夏の定番姿で、終日、書斎で原稿書き。今日はアクエリアスの1リットルボトルを近所のコンビニに買いに行くとき以外、一歩も外に出なかった。毎夏、海水浴でお世話になっている、上総興津の民宿に電話して、今年の予約を入れる。相変わらず愛想のない婆さんだ。でも、元気でなによりだ。

 

6.10(火)

 会議が3つ。「たかはし」の二重弁当を昼と夜に食べる(昼は800円、夜は1000円)。帰りがけに「あゆみブックス」で新書を2冊購入。

(1)        中島義道『ぐれる!』(新潮新書)

創刊された新潮新書の最初の10冊の中の1冊。同じ著者が『人生を〈半分〉降りる』(ナカニシヤ出版)で展開した思想をより積極的に展開したもので、「女のぐれ方」「男のぐれ方」「若者のぐれ方」「中年のぐれ方」「老人のぐれ方」と、性別と年齢によっていかにぐれるべきかを論じている。たとえば、「中年のぐれ方」の章には、こんなことが書いてある。「ぐれるとは、現代日本の二大潮流である仕事中心にも家庭中心にもなびかないこと。どうも、昨今は仕事中心主義を国民こぞって反省しはじめた結果、行き着く先は家族中心主義と決まっているようで、これを足蹴にしなければ『ぐれ道』は達成されない。」―実にいいこと言ってます。

(2)        渋谷知美『日本の童貞』(文春新書)

修士論文が新書になるとは大したものだ。著者紹介の欄には東大の大学院(教育社会学)の出身としか書いてないが、学部は早稲田大学第一文学部(人文専修)である。正岡先生が卒論の指導をされていて、内容はフェミニズム(上野千鶴子批判?)で、「実によく書けている」と言われるのを聞いたことがある。

 蒲田駅について、まっすぐ家には帰らないで、「シャノアール」で珈琲とハムトーストを食べながら、『ぐれる!』を読み終える。酒の飲める人は、職場と家庭の間に居酒屋やバーが存在するのであろうが、私の場合は喫茶店である。

 

6.11(水)

 いま、間もなく午前5時(12日の)になろうとするところ。長らく抱えていた原稿をようやく書き上げて、添付ファイルで編集担当者に送信した。でも、・・・・まだ2本残っている。疲れてはいるが、脳細胞がヒートダウンするまで少し時間がかかりそうなので、寝る前に今日のフィールドノートを記しておこう。

 次回の大学院の演習の課題文献の1つである、佐木隆三「昭和の猟奇事件」を読む。「津山事件」(1938年)、「阿部定事件」(1936年)、「小平善雄事件」(1946年)と並んで、「大久保清事件」(1971年)が取り上げられていた。私が17歳、高校2年生のときに世間を騒がせた連続殺人(若い女性ばかり8人)事件である。自分と同じ姓の人物がこの種の事件を起こすというのは実に居心地の悪いものである。17歳というのは私のこれまでの人生の中で最も明るさに満ちていたときであったが、唯一、この事件だけが太陽の中の黒点のような存在である。しかし、中には姓だけでなく下の名前まで同じ人というのはいたであろう。「清」という名前はきわめてオーソドックスな名前であるから。しかし、調べてみたわけではないが、あの事件が報道されて以降に、全国の大久保姓の両親の下に生まれた男の子で「清」と命名された者は皆無であろう(女の子でも「清子」はいないと思う)。それは「悪魔」と命名するのに等しい行為である。あれから30数年が経過し、「大久保清事件」を知らない世代も徐々に増えている。でも、私は、もし息子が自分の子どもに「清」と命名しようとしたら、体を張ってそれを阻止することだろう。息子がどういう人生を生きていこうとそれはかまわない。しかし、「大久保清」という名前の封印を破ることだけは許すわけにはいかない。・・・・時計が5時を回った。空が明るくなってきた。頭がぼんやりとしてきた。眠るとしよう。

 

6.12(木)

 山崎哲『〈物語〉日本近代殺人史』(春秋社)を読み耽る。600頁を超える大作だが、とにかく面白い。そのためフィールドノートのアップが一日遅れてしまった。

 

6.13(金)

 夕べから左目がチクチクする。ゴミでも入ったのかと目を洗ったが、チクチクするのは直らない。ものもらいでもできたのかと、妻に見てもらったら、逆さまつげが目頭の内側に1本生えているとのこと。これが原因だ。場所が場所なのでうっかりピンセットで抜いて化膿でもするといやなので、近所の眼科に行く。ここの女医さんは私が小学生だった頃の校医さんで、もう80歳ぐらいではなかろうか。最後に診察してもらってから20年になる。けれど先生は私のことを覚えていて、「おひさしぶりね。最初に来たときはこんなだったかしら。」と、手のひらを床から1メートルくらいの空間に静止させた。身長のことを言っているのだが、いくらなんでもそんなに小さくはなかったでしょう。で、目の方だが、逆さまつげというのは間違いで、抜けたまつげが、涙腺の穴に刺さっているのだとのことで、ピンセットであっさり取れる。初診なので1400円。とんだ散財だった。

 

6.14(土)

 1限の基礎講義を終えて、研究室で一服してから、生協文学部店をのぞいて、『小林秀雄全作品9 文芸批評の行方』(新潮社)と丸谷才一『輝く日の宮』(講談社)を購入し、それを持って「すず金」に昼飯を食べに行く。開店の直前で、店の外に7、8人の人が列を作っていた。夏日のせいだろうか。一瞬、どうしようかと迷ったが、そのとき店が開いたので、みんなの後についてすっと入って、カウンター席に座る。鰻重を注文して、小林秀雄が昭和12年に報知新聞に発表した「戸坂潤氏へ」という文章を読む。これは同じく報知新聞に戸坂潤が発表した「本年度思想界の動向」という文章の中で、小林が「伝統主義者」「復古主義者」「日本主義者」として批判されたことへの反論として書かれたものである。

「揚足を取るのはいいが、あげてもしない足をあげたことにして物をいい、相手をやっつけたような顔を読者にしてみせるのは、評家の悪徳であり、僕も今日まで原稿で喧嘩する機会を幾度ももったから、そういう悪徳がしばしば抗し難いものであることも承知しているし、僕がこの悪徳を超脱しているような顔もしたくない。しかし、戸坂氏のようにああ臆面もなく露出されては困りものだ。」

 批評の達人が批判への反論を書くのだ。面白くないはずがない。それを読み終わって、次に「菊池寛論」を読み始めたが、これもまた面白い。

「文芸批評を発表し始めてからもう七八年になるだろうか、その間一っぺんもこの人物に関して真面目に想いを廻らしたことがない。氏の作品を批評の材料に選んだ事も選ぼうと考えた事もない。自ら省みて滑稽の感に堪えぬ。金があって勝手な事を考え、気儘な勉強が出来た身分ではない。ジャアナリズムが命の親で、殆ど文芸時評というもので生計を立てて来た事を想えば、よくもそれで商売が成立って来たものだと思う。」

 しかし、そのとき鰻重がやってきたので、読書はこれでお仕舞い。

 食事を終えて、研究室に戻り、少々昼寝。椅子を3つ並べてその上に横になる。教員ロビーの救護室にはベッドが2つあるのだが、それが使えたらどんなによいだろうと思う。午後は、研究室で学会関係の打合せ。研究室を訪ねてきた二文の学生2人と雑談。研究室を出たのは6時ちょっと前。帰宅の途中で有楽町のビッグカメラに寄ってノートパソコンの夏の新作を見る。昨日、生協でパナソニックのレッツノートW2を注文したのだが、発売されたばかりの人気商品なので取り寄せには少々時間がかかるとのことだった。それでもしここにあれば、生協の方はキャンセルにして、購入するつもりだったが、展示品が一台あるだけでやはり取り寄せ商品だった。

 電車の中で丸谷才一の10年ぶりの小説を読む。彼の技巧と学識の限りを注ぎ込んだ作品。ジョイスが意識されていることは当然として、私は、唐突かもしれないが、丸谷は密かに(あるいは無意識に)村上春樹の向こうを張ってこの作品を書いたのではなかろうかということを思った。丸谷は村上のデビュー作『風の歌を聴け』が群像新人賞をとったときの審査員の一人、それもこの作品をもっとも強く推した審査員だった。以後、一貫して、彼は村上を高く評価してきた。私小説の伝統に真っ向から立ち向かって来た丸谷にとって、村上春樹は次世代の日本文学の覇者となるべき作家だった。そして事態は丸谷の期待どおりになりつつある。いまや村上は平成の漱石であり、日本人3人目のノーベル文学賞の最有力候補である。こうした事態を、文芸評論家としての丸谷は喜び、作家としての丸谷は嫉妬している。その嫉妬が、そして自身の技巧と学識に対する自負が、『輝く日の宮』を彼に書かせたに違いないと私は直感する。前々作『裏声で歌え君が代』や前作『女ざかり』とは、趣向の懲りようも気合の入り方もまるで違う。近々、丸一日を充てて、この小説を読まねばならぬ。