3.15(月)
午前中、大学に行く前に近所の耳鼻科医院で耳の具合を診てもらう。大分、耳垢が溜まっていて、ビックリ。それを除去してもらっただけで、いくらか耳鳴りが小さくなったように感じた。ここの女医さんは近所の産婦人科医院の娘さんで(といっても私とそれほど歳は変わらないのだが)、彼女の兄さんはやはり近所で歯科医院をやっており、私はそちらでもお世話になっている(そろそろ定期検診に行かなくちゃ)。耳鼻科で出た処方箋を持参した近所の薬局の主人は私の中学時代の1年先輩である。ついでに言うと、先日、私に中近両用眼鏡を作ることを勧めた近所の眼科医は小学校時代の校医さんで、同級生の母親でもある。生まれ育った街で暮らすということはこういうことである。みんな一緒に歳を取っていく。
文学部生協店の書棚にはこんな「お願い」を書いた紙が貼ってある。呆れたことに、立ち読みのとき、平積みの本の上に飲み物の入った缶を置く学生がいるらしい。大学生が、である。それも文学部の学生が、である。私の感覚ではそういう学生は、即刻、店内立ち入り禁止処分にすべきである。そもそも書店に飲み物を持って入ることがおかしいし、それを許す店側もどうかしている。私は、何かを飲みながら立ち読みをしている学生を見かけたときは、いつも「外に出て飲みなさい」と注意する。生協も、このような「お願い」の貼り紙を店内に貼るのはやめて、「店内での飲食禁止」の貼り紙を入口のところに貼ればよいのである。ちなみに、現在、入口のところには「万引き禁止」の貼り紙がある。先日の教授会で報告されたことだが、生協文学部店での万引き被害が増加しており、生協は対策として警備員を配置することにしたそうだ。そして万引き犯を捕まえたときは、学外者であれば警察に通報、学生であれば大学事務所に連絡という方針で対処するとのこと。やれやれ、学生担当教務主任の仕事がまた一つ増えるわけだ。初犯は停学、再犯は退学が妥当であろう。
夜、4月開校の専門大学院ファイナンス研究科に推薦合格した卒業生(ドイツ証券勤務)のHさんが合格の報告にやってきた。「十万石」というお饅頭をお土産にいただく。さっそく一個賞味したが、とても上品な甘さで、すこぶる美味である。一週間は日持ちするとのことなので、今週、報告書の最終原稿の提出に来る調査実習の学生たちに振る舞ってあげようと思う(ただし早い者勝ち)。
3.16(火)
朝起きたら喉の腫れが昨日よりひどくなっていて、肩も張っている。耳鳴りもするし、寒気もする。ソファーに横になって読書。こういう状態でも本だけは読める。特技といっていいかもしれない。
夕方、体調がいくらか回復したので(薬が効いているだけかもしれない)、東急プラザの「植むら」に行って、父の傘寿と母の喜寿の祝いの会席を予約。栄松堂書店で山村修『気晴らしの発見』(新潮文庫)を購入。山村修の本は初めて買うのだが、解説を中野翠が書いており、彼女が解説の執筆を引き受けた本ならば信用できる。ちょうど戸田奈津子が字幕を担当している映画なら信用できるように。
夜、『僕と彼女と彼女の生きる道』を観る。今期一番のTVドラマもいよいよ来週で最終回だ。初回を観たとき、「彼女と彼女」とは妻(りょう)と娘の家庭教師(小雪)のことかと思い、ところが、その後妻の影は薄くなり、「彼女と彼女」とは娘と家庭教師のことだったのかと思ったが、ここに来て、いや、「彼女と彼女」とは妻と娘のことなんだと確信した。間違いない(長井秀和の口調で)。ところで娘の父親に対するあの丁寧な言葉遣いは最後まで変わらないのだろうか。私はてっきりあれは親子の心理的距離の表現なのだとばかり思っていた。あの『北の国から』で、当初、父親が息子のことを「純君」と呼んでいて、それがある回の事件をきっかけとして二人の間の心理的距離が一挙に縮まり、「純」と呼ぶようになったように、どこかで娘の言葉遣いも打ち解けたものになるのだとばかり思っていた。でも、来週で、終わりですからね。あの口調はあのままなのだろうか。健気さの演出なのであろうが、やっぱり、他人行儀な感じは否めないと思うのだが・・・・。娘の親権の行方よりも私はその方が気になります(ドラマの流れからして凛が父親と再び一緒に暮らすようになるのは、間違いない)。
3.17(水)
丸の内ピカデリー2で『ホテルビーナス』を観た。レディースデイのためだろう(あるいは草彅剛の人気のためか)、女性客が圧倒的に多い。劇場はスクリーンの大きさの割に奥行きがなく、私は一番後ろの中央の席に座ったのだが、それでスクリーンとの距離はちょうどよい感じだった。国籍不明の北の最果ての街(ロケ地はウラジオストク)の薄汚れたホテルに長期滞在するそれぞれ人に言えない(言いなくない)過去をもつ6人の客、そして1人の従業員とオーナーの群像劇。物語の進行につれて一人一人の過去が明らかになっていく。ふと、高倉健主演の映画『居酒屋兆治』を思い出した。時代遅れの居酒屋を営む夫婦(高倉健と加藤登紀子)と常連客たちの物語で、それぞれの人物の哀しみをしみじみと描こうとして、しかし、描ききれていなかったという印象がある。たぶん高倉健の存在感が突出していたためだろうと思う。それに対して、この『ホテルビーナス』は、一人一人の抱える辛い過去と、そこから脱出しようともがき、苦しみ、そして再起していく姿をバランスよく丹念に描いて成功していると思う。草彅剛も独特の存在感のある役者だが、その存在感は決して周囲の人物を威圧するものではない。
監督のタカハタ秀太は、ウラジオストクという雰囲気のある街をロケ地に選んだセンスがまず素晴らしい。映像の切れもいい。同じ音楽をやや多用しすぎの感はあるが、効いていることは間違いない。脚本の麻生哲朗は、これが脚本家としてのデビュー作とは信じがたい。私が知っている中では岡田恵和のタッチに似ている。観客が求めているセリフを探し出すのが上手なのだ。
日本人の役者が韓国語のセリフをしゃべり日本語の字幕が出るというのは、日本人と韓国人の外見が似ているためだろうか、意外なことに違和感がなかった(英語をしゃべったら果たしてどうだったろう)。改めて考えてみると、外国語の(韓国語と限らず)セリフを耳で聴きながら、日本語の字幕を目で読むという行為は、面白い行為だ(諸外国では自国語での吹き替えが一般的で、アメリカ映画の場合は、どの国のどの時代に物語の舞台が設定されようとも俳優は英語を喋っている)。字幕を読みながら映画を観るというのは例外的なケースだ。われわれが日本語吹き替え版に物足りなさを感じるのは、俳優の口の動きと声の不一致、俳優の容姿と声の不一致、この二重の不一致のためである。身体性を剥奪された声を聞くよりも、俳優本人の生の声を聞きながら、それに意味を刻み付ける方が官能的なのであろう。
映画が終わったのが午後1時。それから大学に行き、「五郎八」で昼食(揚げ茄子のみぞれおろし蕎麦)をとり、研究室で学校班の最終原稿を受取り、生殖家族班の相談を受ける(どちらのチームにも十万石饅頭とお茶を振る舞う)。夕食も「五郎八」(鴨南蛮うどん)。これから4月中旬の授業開始に向けて3キロの減量をしなくてはならない。授業もボクシングの試合のように体の切れが大切なのだ。教員も映画俳優のようにクランクインに合わせて身体を絞り込んでいくのである。そのため食事はご飯が減ってパンと麺類が増えることになる。甘いものも、遠ざけねば・・・・。
3.18(木)
『白い巨塔』の最終回を観ながら、いま、調査実習クラスのIさんの一家もこのドラマを観ているのだなと思った。Iさんのお父様はつい最近肺癌(ステージ1)と診断され、来週手術と決まった。いまは一旦退院されて、手術の日を待っているところだ。昨日、「五郎八」で食事をしているときに、Iさんに「明日の最終回は観るの?」と尋ねたら、「やっぱり、観ちゃうでしょうね」と言っていた。自分の父親がドラマの主人公と同じ病気になるなんて嘘のような話だが、家族みんながこのドラマのファンで、これまでも一緒に観てきたそうだから、最終回だけ観るのを避けるのはかえって不自然ということだろう。お父様は一貫して元気に振舞っておられ、最初は取り乱されていたお母様も、手術で癌を取り除くという単純明快な治療方針が決まって、いまは落ち着きを取り戻され、あれこれ入院の準備に余念がないそうだ。Iさんも混乱する日々の中で調査実習の報告書の原稿を書き上げたのである。
夜、病院を抜け出した財前が里見の診断を受け、二人が診断結果についてやりとりする場面は、ドラマ全体を通じての白眉といえるものだったが、私にはそれとは別に、財前が死んだ日の朝、病院の屋上で里見が佐枝子に言った「久しぶりに空を見ました」という言葉が印象的だった。
この「フィールドノート」をときどきお読みいただいている方は気づかれていたと思うが、昨年の12月24日から28日の5日間、「フィールドノート」は更新されなかった。実は、この期間、私は入院していたのである。昨年の夏以来、ときどき血尿が出て、いろいろ検査を受けていたのだが、いまひとつ原因がはっきりせず(当然、尿路系の癌の疑いがあった)、入院して、疑わしい箇所の細胞を採取して検査しましょうということになったのである。手術室に入るのも、脊椎麻酔というものをされるのも初めての経験であった。クリスマスイブに入院し、クリスマスに検査(手術)を受け、28日に退院した。入院していた5日間、麻酔が効いていて動けなかった検査当日を除いて、病室のあった9階のディールーム(見舞い客と談話したり、食事を他の患者と一緒に取ったりするための部屋)からよく空を眺めた。風の強い日が多かったせいもあって、青空が高く澄んでいた。とりわけ早朝が素晴らしかった。東の空が白み始め、最初に朝日を浴びるのは西の彼方の真っ白な富士山で、続いて東に広がる京浜工業地帯の町工場の煙突がキラキラと輝いて、一日が始動する。普段は夜型の生活をしていて、沈む太陽は見ていても、昇る太陽を見ることのない私は、こうした夜明けの風景をとても新鮮で崇高なものに感じた。年が明けて、ほどなくして検査の結果が出た。「ほぼ白」(まず癌ではないだろう)というものだった。ただし血尿の原因は特定化されず、「突発性腎出血」(要するに原因不明)ということになったが、ここ数ヶ月、血尿は出ていないので、自然に修復されたのかもしれない。
人間、こういうことがあると、「生きる」ことに自覚的になるものだ。癌という病気は、そう診断が下りるにしろ下りないにしろ、それを意識する人間に「死」を予感させる。今回、その予感は当らなかったが、遅かれ早かれ誰にも死はやってくるものであるし、私の場合、家系的に考えて癌になる確率は高いだろう。癌を意識しすぎて、癌ノイローゼのようになっては困りものだが、「死」の予感を多忙さの中で紛らわすことなく、「生きる」ことに自覚的であること、空の美しさに自覚的であることは、大切なことだと思う。
3.19(金)
昼、家を出るとき、息子と妻が中学の卒業式から戻ってきたので、玄関先で記念写真を撮る(肖像権の問題がクリアーできずアップロードはいたしません)。息子は私と同じ大田区立御園中学を卒業し、私と妻の母校である都立小山台高校に入学することになった。うまくいけば(?)、将来妻となる女の子とそこで出会うかもしれない。
午後、研究室で調査実習の報告書の最終原稿の提出を待つ。午後3時、職業班のM君到着。さっそく原稿のチェック。とはいっても、内容に関してはさんざん言ってきたので、書式のチェックのみ。しかし、書式の約束事項がきちんと班内で共有されておらず、赤がたくさん入る。不受理。納期は守っても欠陥品ではだめである。編集作業初日の来週月曜日に再提出となる。午後5時、生殖家族班のIさん到着。一部の原稿に図表が貼られていない。未完成品である。Hさんが図表をもっていま駆けつけるところだという。それまでの間、研究室のパソコンで原稿の校正をしてもらう。午後6時を過ぎて、ようやく定位家族班の面々が到着。本来は午後4時の約束である。しかし、納期は遅れたものの、ほぼ完成品といえるものであった。受理。生殖家族班の図表貼り作業が終了し、原稿を受理したのは午後7時半。今夜は息子の卒業を家族で祝う予定であったが、「先に始めていれくれ」と電話を入れる。誰かが時間を守らないと、そのツケは別の誰かに回るのである。世の中はそのような仕組みになっている。
深夜、『爆笑!オンエア・バトル』のチャンピオン大会を観る。1位アンタッチャブル、2位スピードワゴン、3位ペナルティという結果であった(前年度チャンピオンのアンジャッシュは4位であった)。上位3組は僅差で、いずれも面白かったが、私はペナルティが一番笑えた。今回の出場者の中で、唯一、「昭和的な笑い」(もっと言えば全盛期の「コント55号的な笑い」)をしっかりと継承しているのが、このペナルティであると思う。ちなみに準決勝で最高点を得た長井秀和は、それがプレッシャーになってしまったのであろう、ガチガチの滑りまくりで、惨憺たる結果に終わった。滑舌の悪い毒舌では饒舌な笑いに対抗できないのだ。忘れるな(長井秀和の口調で)。
3.20(土)
終日、調査実習の報告書の原稿(400字詰め原稿用紙換算で1200枚ほど)を読む。
3.21(日)
今日も終日、調査実習の報告書の原稿を読む。散歩好きの私が、昨日と今日、一歩も外へ出ていない。寒いからちょうどいいや、と痩せ我慢をしている。ときどき不明の箇所について、原稿を書いた学生にメールや電話で問い合せる。学生が自宅にいるときは心が穏やかでいられるが、外出中で、なかなかメールの返信がなかったり、携帯電話の向こうから繁華街の喧騒が聞こえてきたりすると、コノヤローと思ってしまう。ちゃんとした原稿も書けねえくせにどこをほっつき歩いていやがるんだ、と思ってしまう。ヤクザの親分のようになってしまう。「ねぇ、誰から電話?」なんて側で女の子の声がしようものなら、モー大変である。思わず買ったばかりの携帯電話を床に叩きつけてしまいそうになる。桑原、桑原。
3.22(月)
午後1時から研究室で、Kさん、I君、Hさん、Y君に来てもらって、報告書の原稿の最終チェックの作業(途中、Iさんが人形焼の差仕入れをもって応援に来てくれた)。みんなで夕食に「ごんべえ」のカツ丼を食べ(ただしI君だけは山菜うどん)、地下鉄の終電の間際まで頑張って、どうにか終わらせる。午前1時、帰宅。一風呂浴びて、あらためて全体に目を通してから(2、3箇所のチェック漏れを発見)、「目次」を作成し、「はじめに」を書き上げ、最後に、報告書のタイトルを決める(実はこの瞬間まで決まっていなかったのだ)。すでに朝の7時半である。2時間ほど仮眠したら大学へ行く。たぶん途中の薬局で200円の(もっと奮発しちゃうかもしれない)リポビタンDを立ち飲みすることだろう。
3.23(火)
午後、印刷所の人に報告書の原稿を渡す。ようやく私の手を離れた。後は印刷・製本されて、31日に搬入されるのを待つだけといいたいところだが、当初の予定だった300頁を50頁もオーバーしているため、これから印刷所と費用の交渉をしなくてはならない。なにしろこっちが考えていたよりも見積額が10万円くらい高いのである。正月料金というのはあるが、年度末料金というのもあるのだろうか。
夜、『僕と彼女と彼女の生きる道』の最終回を観た。あれま、彼(草彅)は娘と一緒には暮らせないんだ・・・・。おまけにそれから半年経ってもまだ彼女(小雪)の気持ちがわからないんだとか言っている・・・・。「いい人」キャラもたいがいにしなさい、と言いたい。凛の健気さの象徴である「はい!」のお返事も、結局、変わらない。このままいくとどんな娘になるのだろう。思春期に急にぐれて、「うっせーんだよ!」とかなっちゃうんじゃいかと心配だ。なにしろ『北の国から』の蛍の例がありますからね。
3.24(水)
東劇で『大脱走』を観た。1963年の映画で、公開40周年を記念してのニュープリントでの上映である。子どもの頃からTVでは何度も観て、好きな洋画マイ・ベストテンの第9位にランクされる作品だ(ちなみに第1位は『ウェストサイド物語』)。2時間54分の上映時間中、中だるみのような箇所がまったくないのが凄い。もちろん大河ドラマの総集編みたいに筋だけを追っているような代物でもない。トンネルを掘って収容所から脱走するまでの一糸乱れぬ協同作業は忠臣蔵の赤穂浪士のようであり、いったん脱走してからの単独あるいは二人一組での逃避行は群像劇のようである。今回、ひさしぶりに観て思ったのは、主演のスティーブ・マックィーンの颯爽たるライダーぶりや、勇壮快活なテーマ曲とは裏腹に、かなり切ない映画であるということ。当初の計画では250名が脱走するはずであったが、途中で歩哨に気づかれたため、脱走したのは76名。そのうち首尾よくドイツ国外に脱出できたのは10数名(映画の中で確認できたのはジェームズ・コバーン、チャールズ・ブロンソン、ジョン・レイトンの3名だけ)で、残りは途中で捕まってしまい、そのうちゲシュタポに捕まった50名は収容所に送り返されることなく銃殺されてしまうのだ(静かな丘陵地帯に響く機関銃の音が実に印象的)。捕まって収容所に戻ってきたジェームズ・ガーナーが仲間たちの死を知らされて上官に言った、「(脱走に)それだけの価値があったのかな」という一言に心底同意してしまう。もう一つ、マックィーン、コバーン、ブロンソン、この3人の男たちがすでにこの世にいないということも、切なさに拍車をかける。
午後、研究室の片づけ。使わなくなったパソコン、不要になった印刷物、みんな捨てる。別れた恋人が部屋に残していったあれこれの物を捨てるように(そういう経験はないけど)、思い切りよく捨てる。いまは、そういう季節である。
3.25(木)
文学部の卒業式。記念会堂での式典の後、382教室で文研の社会学専攻(修士課程)と一文の社会学専修の卒業生に学位記(卒業証書をこう呼ぶ)を手渡すのは、専修主任である私の役目である。最初、みんな授業のときみたいに教室の後ろのほうに座っているので、「今日は当てたりしないから」と言って、前の方に座ってもらう。はなむけの言葉を一言述べてから、学位記授与に入る(順序が逆だろうか?)。なにしろ100人もいるので、一人一人学位記を読み上げていると大変である。かといって最初の一人だけちゃんと読み上げてあとは「以下同文」というのもどうかと思う。というわけで、10人単位で前に出てもらって、それぞれの最初の人については全文を読み上げることにした。学位記の氏名には振り仮名が振られていないので、ときどき名前を読み間違えて、やり直す。こういうことがあるから、難しい名前というのは困りものなのである。いや、漢字自体は難しくなくとも、たとえば、「文」を「ふみ」と読むか、「あや」と読むか、なんていうのがけっこう悩ましい。『クイズ・ミリオネア』の「フィフティ・フィフティ」みたいなものである。しかも、迷っている時間はない。ええい、ファイナルアンサーだ、と覚悟を決めて、「あや」と読み上げ、「ふみ、です」と言われ、「ごめんね」と言って、やり直す。今日、一人一人の顔を間近に見て気づいたのだが、男子はなかなか凛々しい奴が多く、女子はとても美人が多い。社会学専修の学生ってけっこういけているんだ、と感心した。そのことを手伝いで来ている大学院生のAさんに話したら、「衣装と化粧の効果で5割増しくらいにはなっていますね」と冷静に分析していた。5割増しね・・・・。
お役目を終えて、文カフェでやっている二文の懇親会の方に顔を出す。しかし、卒論ゼミの学生や1年生のときの基礎演習のときの学生の顔が見当たらない。研究室に戻って、提出期限の過ぎた原稿を書いていたら、携帯電話に「先生、どこにいるんですか」と呼び出しがかかり、再び文カフェへ。Tさん、Mさん、Aさん、K君らの顔があった。みんな口々に基礎演習は大変だった、卒論は苦しかった、と言う。そうでしょう、そうでしょう。ご愁傷さまでした。Tさんなんか、一度、卒論ゼミで泣き出しちゃったことがありますからね。Mさん曰く、「卒論ゼミのことを思い出すと、これからどんなつらいことにも耐えていけそうな気がします」。こういうことを静かな笑顔で言うから、女性は怖いのである。
夜、南北線山王溜池駅前のキャピトル東急ホテルで一文の社会学専修の謝恩会。9名の教員が出席。一人一人スピーチをさせられたが、これがけっこう時間がかかる。私が最初だったので、専修主任として範を示すべく、簡潔なスピーチをしたのだが、専修主任としての信望が薄いためか、それを見習ってくれる教員が少ない。とくに一番若手の土屋先生の話が長かった。途中で、これは何とかしなくてはと思い、テーブルの上にあったナプキンに、「家にすぐ電話して下さい。大久保」とボールペンで書いて、近くにいた学生に渡し、土屋先生のところにもっていってもらったが、彼、それを一瞥しただけで、何事もなかったように、スピーチを続けていた(おい、おい、無視かよ)。あとで彼に聞いたら、「おかしいな、この場所のことは知らないはずなのに、と思いました」とのことだった(洒落になっていなかったんだ・・・・)。ケーキと珈琲を済ませてから、場内を回って、2年生のときの演習や卒論ゼミの学生に声をかける。一生懸命に働き、かつ自分を見失わないでやっていってほしい。言うは易く行うは難いことだけど。
3.26(金)
午後、453教室で社会学専修の2・3・4年生(以上)合同の科目登録ガイダンス。300名近い学生が一堂に会した情景はなかなか壮観であった。専任教員も、04年度は特別研究期間で授業のない那須先生と3月末に特別研究期間を終えてイギリスから帰国する坂田先生を除く、10名全員が壇上に上がる。教員の自己紹介(担当科目の説明)に約1時間。助手の下村君からの科目登録等のやり方の説明に約30分。ほぼ授業一コマの時間に等しく、これなら途中で学生たちの集中力が途切れることもない。教員の自己紹介は、側で聞いていて、それぞれに「らしさ」が出ていたと思う。これまでは講義要綱と「裏の講義要綱」である『ワセクラ』・『マイルストーン』という活字情報だけを頼りに決めていた科目履修が、専任教員の科目に関しては、より精度の高いものになるだろう。ガイダンス終了後、演習Ⅰ・Ⅱ・Ⅲの履修希望用紙を提出してもらう。
午後6時から高田牧舎で、非常勤の先生方をゲストにお招きしての社会学専修教員懇親会。今回は4月から新たに二文の社会学関連の科目を担当していただく若い先生方の姿が目立つ。自分がすっかり中堅教員になったことを実感する。文研の特論をご担当いただいていた人間科学部の濱口晴彦先生は、この3月末で定年退職される。その方の前に出ると思わず緊張してしまう教員がまた一人いなくなる。
懇親会は午後9時頃に散会となり、私と助手2名は文学部に戻って、演習Ⅰ・Ⅱ・Ⅲのクラス分けの作業。明日の午後には発表しなくてはならないので、できれば今夜中にすませておきたい。1時間半ほどで作業はあらかた終了。自分が担当する演習ⅢDの新しいメンバー25名のリストに目を通す。
3.27(土)
社会学演習室前の掲示板に演習のクラス分けの結果を張り出す。張り出す前から数名の学生が掲示板の前で待機している。聞くと、全員3年生で、そのうち3人が私のクラスを第一希望で出したという。「定員オーバーだったので、何人か別のクラスに移ってもらったんだ・・・・」と告げると、エッーという顔になった。そこにちょうど助手の笹野さんがやってきて、結果を張り出す。緊張した面持ちで自分の学籍番号を探す彼ら。・・・・幸い(かどうかは神のみぞ知るだが)、3人とも希望通りの結果だった。「じゃあ、よろしくね」と言ってその場を離れる。報告書の原稿を印刷所に渡し、やれやれと思う間もなく、新しい調査実習がスタートしようとしている。
高校時代の友人夫婦が大学にやってきた。私も妻同伴で、4人で「五郎八」で食事をしてから、神田川沿いの遊歩道に花見に出かける。実は、この桜の名所をこの季節に歩くのは私も初めてなのである。話には聞いていたが、見事な桜並木である。満開には数日早いようだったが、お天気のことを考えると、今日と明日が花見には最適だろう。都電の早稲田駅付近の豊橋から、下流に向かって、江戸川公園前の休橋まで歩き、そこから反対側の川沿いの道を引き返し、豊橋を越えて中之橋まで行き、中之橋を渡って出発点である豊橋に戻ってきた。最後の中之橋から豊橋の間の柵には近所の小学校の生徒の作った川柳のポスターがたくさん飾ってあって、思わず笑ってしまった。
大学時代の友人でいまは弁護士をしているKからメールが届く。彼とは学部は違ったが、3年生のときに行った船上大学とういツアーで意気投合し、団長に自由行動の許可を願い出て、二人でドイツのチュービンゲンという古い大学街(北杜夫の小説『木霊』の舞台となった場所)を訪ねたことがあった。そのKの長男が今度一文に入学することが決まったという。なんでも社会学の勉強がしたいそうで、将来は研究者志望だという。私が社会学の勉強を始めて、研究者を志望するようになったのは大学3年の頃だから、入学前からそんなことを考えているとは大したものである。彼が研究室に挨拶に来たら、人間としてもっとまともな生き方はいくらでもあるということを懇々と説いてやらねばなるまい。
3.28(日)
蒲田東急プラザ6階の「植むら」で母の誕生日(喜寿)の祝い。川越から妹夫婦も来る。食前酒で出た梅酒を4人分、娘がグイッと飲んだのにはビックリ。大学に入っても一気飲みだけはいけないと言って聞かせる。母は糖尿の持病があるので、量は食べられない。父も歯が悪い上に魚が嫌いときているので、竹の子も鴨肉もお刺身も食べられない。みんな私と息子が代わりに平らげた。来週、妹夫婦が父母を下田の温泉に連れて行ってくれることになっているが、せっかくの旅館の夕食も大して食べられないに違いない。張り合いがないというか、物悲しいというか・・・・。しかし、それが高齢者の現実だ。レストランや旅館には、金にはならないであろうが、高齢者のためのメニューの開発に力を入れてほしいものだ。
食事の後、腹ごなしに本屋の梯子をする。復活書房から自宅に戻る途中にスナック「ゆうこ」がある。今夜で最終回を迎えたTVドラマ『砂の器』のロケで使われた店だ。この店の従業員が和賀と三木の交わした「カメダは相変わらずですか?」「相変わらずだ」という会話を覚えていたのが、当初、事件の唯一の手がかりだったのだ。ところで、「ゆうこ」はドラマに使われたおかげで繁盛しているのだろうか。「繁盛」という言葉とはおよそ縁のなさそうな場末の店なのだが・・・・。
3.29(月)
川崎チネチッタで行定勲監督の『きょうのできごと』を観た。8人の大学生たちの或る平凡な一日を、その同じ日に別の場所で起こった2つの出来事(ビルとビルの間に人が挟まった事件と一頭のクジラが浜辺に打ち上げられた事件)と同時進行で描いた映画。副題の a day on the planet はジム・ジャームッシュ監督の『ナイト・オン・ザ・プラネット』(1991年、ただし原題はNight on Earth)から拝借したものであろう。いまこの瞬間にも自分の知らない場所でいろいろなことが起こっていて、人はそれぞれの思いを胸に生きている。平凡な今日という一日も、後から振り返れば、かけがえのない日々であったと知るだろう。・・・・そういうメッセージが込められた作品だ。しかし、作品の意図が分かることと、その意図が上手に表現されているかどうかは別の問題である。私はこの映画の作品としての出来はいま一つであったと思う。いい映画になった可能性は十分にあるが、その可能性が可能性のままで終わってしまった映画であると思う。柴崎友香の短篇小説集『きょうのできごと』の複数の作品をモンタージュして映画にしたわけだが、個々のエピソードのリンクが不十分ときに強引で、『ナイト・オン・ザ・プラネット』のようなオムニバス形式の映画を複数のスクリーンで同時に見ているような印象を受けた。出演者の中では伊藤歩という女優がとてもよかった。
「紅虎餃子房」という中華レストランで昼食とってから(美味しいレバニラ炒めだった)、「タワーレコード」で尾崎豊のトリビュートアルバム(ブルー)を購入。ミスチルが「僕が僕であるために」を、橘いずみが「路上のルール」を、175Rが「十七歳の地図」を、宇多田ヒカルが「I Love You」を、斉藤和義が「闇の告白」を、槇原敬之が「Forget-me-not」を歌っている。いずれもワクワクする組み合わせだ。
川崎ルフロン9Fの紀伊国屋で、『ナインインタビューズ柴田元幸と9人の作家たち』(アルク)、橋部敦子『僕と彼女と彼女の生きる道』(角川書店)、高橋源一郎『私生活』(集英社)、ビル・ローバック『人生の物語を書きたいあなたへ』(草思社)を購入。いつもそうなのだが、合計金額がいくらになるかを気にしないでレジにもっていったら、7700円で、財布を見たら1万円札が1枚しかなかった。もちろん足りてはいるわけだが、意外に財布の中身が少ないことに驚く。3週間ほど前に銀行で10万円下ろしたはずだが、一体、何に使ったのだろう。なくなるのが予定より1週間早い。
3・30(火)
妻はスポーツクラブに行っている。娘は昨日から中学時代の友人の家に泊りがけで遊びに行っている。息子は近所の友人の家に遊びに行っている。階下の母は町内会のお花見に出かけている。父は便秘がひどいらしくトイレに入ったまま出てこない。天気は下り坂で散歩に出かける気分ではない。飼い猫のハルと戯れる(本人の承諾なく肖像を公開できる唯一のわが家のメンバーである)。
高橋源一郎が『私生活』の中で、「まともな作家なら、みんな、矛盾する二つの思いを持っている」と書いている。その「二つの思い」とは、「その一。ほんとうのことをいいたい。その二。でも、ほんとうのことはいわない。以上。それだけ? そう。それだけである」。さすがに高橋源一郎、的確に言ってくれるものである。彼が言っていることは、プロの「作家」だけでなく、「人の目に触れる文章を書く人間」すべてに当てはまるだろう。もちろんこの「フィールドノート」を書いている私自身も例外ではない。だから、ここに書かれていることが、全部「ほんとうのこと」だなんて思ってはいけない。ほんとうは、昨日観た映画は、『きょうのできごと』ではなくて、『ワンピース・失われた聖剣』だったのかもしれない。いや、そもそも映画なんて観ていなくて、ずっとパソコンの麻雀ゲームをやっていたのかもしれない(実は、先日、初めて「地和」を上がったーこれはほんと)。「フィールドノート」を読んでくれている学生たちは、私のことを家族思いの父親であり夫であるという印象をもっているらしいが、実は、妻とは口論が絶えず、娘とはここ1年ほど口をきいておらず、息子は部屋に引きこもったままなのかもしれない。文学部の教師にとって、幸せな家族の情景をでっちあげることなんか、わけもないのである。いや、大学の教師をしているという話も嘘かもしれない。私がほんとうは誰なのか、誰か教えてくれないか。
3.31(水)
文学部のスロープに恒例の新入生勧誘の各サークルの出店が並んで、キャンパスが急に賑やかになった。キャンパスの桜は明日の入学式までちゃんと持ってくれそうだ。私の研究室のある39号館の裏手の土手一面に、いま、はなだいこん(別名:ショカツサイ)の紫色の花が咲いている。そして土手の上の桜は満開だ。このコントラストは実に素晴らしい。知る人の少ない、文学部のお花見スポットである。
午後3時過ぎ、調査実習の報告書が印刷所から運ばれてきた。午後4時から演習室で対象者への発送作業。午後5時ちょっと前に郵便局に運び、「料金別納」と「冊子小包」のスタンプを押してから、窓口に出す。郵送費は3万5千円ほどだった。これで明後日には大部分の対象者の手元に届くはずだ。午後6時半から高田馬場の「まんぷく亭」で打ち上げ。私の目の前に座ったY君が、「先生は学生の結婚年齢を推測できるそうですが・・・・」と聞いてきたので、近くに座っていた何人かの学生の結婚年齢の予想を述べてさしあげた。この予測は複雑な計算に基づくため、ここでその原理についての説明は省略せざるを得ないが、単純にその学生が異性にモテそうかどうかとは関係がない(・・・・まったく関係がないわけではないが、あまり重要ではない、と言っておく)。ちなみにY君は結婚しない可能性が高い。この私の予測にY君ははなはだ納得がいかないようであったが、彼が私の予測を覆してやろうと努力して、ちゃんと(という言い方は問題があるか・・・・)結婚したならば、マートンが言うところの「自己自殺的予言」となるわけである。一般に、結婚年齢を高く予測した学生は、「どういうこと、先生」と絡んで来る傾向がある。晩婚化の趨勢の中にあっても、自分が晩婚になるのはいやなのであろうか。