フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

2004年3月(後半)

2004-03-31 23:59:59 | Weblog

3.15(月)

 午前中、大学に行く前に近所の耳鼻科医院で耳の具合を診てもらう。大分、耳垢が溜まっていて、ビックリ。それを除去してもらっただけで、いくらか耳鳴りが小さくなったように感じた。ここの女医さんは近所の産婦人科医院の娘さんで(といっても私とそれほど歳は変わらないのだが)、彼女の兄さんはやはり近所で歯科医院をやっており、私はそちらでもお世話になっている(そろそろ定期検診に行かなくちゃ)。耳鼻科で出た処方箋を持参した近所の薬局の主人は私の中学時代の1年先輩である。ついでに言うと、先日、私に中近両用眼鏡を作ることを勧めた近所の眼科医は小学校時代の校医さんで、同級生の母親でもある。生まれ育った街で暮らすということはこういうことである。みんな一緒に歳を取っていく。

 文学部生協店の書棚にはこんな「お願い」を書いた紙が貼ってある。呆れたことに、立ち読みのとき、平積みの本の上に飲み物の入った缶を置く学生がいるらしい。大学生が、である。それも文学部の学生が、である。私の感覚ではそういう学生は、即刻、店内立ち入り禁止処分にすべきである。そもそも書店に飲み物を持って入ることがおかしいし、それを許す店側もどうかしている。私は、何かを飲みながら立ち読みをしている学生を見かけたときは、いつも「外に出て飲みなさい」と注意する。生協も、このような「お願い」の貼り紙を店内に貼るのはやめて、「店内での飲食禁止」の貼り紙を入口のところに貼ればよいのである。ちなみに、現在、入口のところには「万引き禁止」の貼り紙がある。先日の教授会で報告されたことだが、生協文学部店での万引き被害が増加しており、生協は対策として警備員を配置することにしたそうだ。そして万引き犯を捕まえたときは、学外者であれば警察に通報、学生であれば大学事務所に連絡という方針で対処するとのこと。やれやれ、学生担当教務主任の仕事がまた一つ増えるわけだ。初犯は停学、再犯は退学が妥当であろう。

 夜、4月開校の専門大学院ファイナンス研究科に推薦合格した卒業生(ドイツ証券勤務)のHさんが合格の報告にやってきた。「十万石」というお饅頭をお土産にいただく。さっそく一個賞味したが、とても上品な甘さで、すこぶる美味である。一週間は日持ちするとのことなので、今週、報告書の最終原稿の提出に来る調査実習の学生たちに振る舞ってあげようと思う(ただし早い者勝ち)。

 

3.16(火)

 朝起きたら喉の腫れが昨日よりひどくなっていて、肩も張っている。耳鳴りもするし、寒気もする。ソファーに横になって読書。こういう状態でも本だけは読める。特技といっていいかもしれない。

 夕方、体調がいくらか回復したので(薬が効いているだけかもしれない)、東急プラザの「植むら」に行って、父の傘寿と母の喜寿の祝いの会席を予約。栄松堂書店で山村修『気晴らしの発見』(新潮文庫)を購入。山村修の本は初めて買うのだが、解説を中野翠が書いており、彼女が解説の執筆を引き受けた本ならば信用できる。ちょうど戸田奈津子が字幕を担当している映画なら信用できるように。

 夜、『僕と彼女と彼女の生きる道』を観る。今期一番のTVドラマもいよいよ来週で最終回だ。初回を観たとき、「彼女と彼女」とは妻(りょう)と娘の家庭教師(小雪)のことかと思い、ところが、その後妻の影は薄くなり、「彼女と彼女」とは娘と家庭教師のことだったのかと思ったが、ここに来て、いや、「彼女と彼女」とは妻と娘のことなんだと確信した。間違いない(長井秀和の口調で)。ところで娘の父親に対するあの丁寧な言葉遣いは最後まで変わらないのだろうか。私はてっきりあれは親子の心理的距離の表現なのだとばかり思っていた。あの『北の国から』で、当初、父親が息子のことを「純君」と呼んでいて、それがある回の事件をきっかけとして二人の間の心理的距離が一挙に縮まり、「純」と呼ぶようになったように、どこかで娘の言葉遣いも打ち解けたものになるのだとばかり思っていた。でも、来週で、終わりですからね。あの口調はあのままなのだろうか。健気さの演出なのであろうが、やっぱり、他人行儀な感じは否めないと思うのだが・・・・。娘の親権の行方よりも私はその方が気になります(ドラマの流れからして凛が父親と再び一緒に暮らすようになるのは、間違いない)。

 

3.17(水)

 丸の内ピカデリー2で『ホテルビーナス』を観た。レディースデイのためだろう(あるいは草彅剛の人気のためか)、女性客が圧倒的に多い。劇場はスクリーンの大きさの割に奥行きがなく、私は一番後ろの中央の席に座ったのだが、それでスクリーンとの距離はちょうどよい感じだった。国籍不明の北の最果ての街(ロケ地はウラジオストク)の薄汚れたホテルに長期滞在するそれぞれ人に言えない(言いなくない)過去をもつ6人の客、そして1人の従業員とオーナーの群像劇。物語の進行につれて一人一人の過去が明らかになっていく。ふと、高倉健主演の映画『居酒屋兆治』を思い出した。時代遅れの居酒屋を営む夫婦(高倉健と加藤登紀子)と常連客たちの物語で、それぞれの人物の哀しみをしみじみと描こうとして、しかし、描ききれていなかったという印象がある。たぶん高倉健の存在感が突出していたためだろうと思う。それに対して、この『ホテルビーナス』は、一人一人の抱える辛い過去と、そこから脱出しようともがき、苦しみ、そして再起していく姿をバランスよく丹念に描いて成功していると思う。草彅剛も独特の存在感のある役者だが、その存在感は決して周囲の人物を威圧するものではない。

監督のタカハタ秀太は、ウラジオストクという雰囲気のある街をロケ地に選んだセンスがまず素晴らしい。映像の切れもいい。同じ音楽をやや多用しすぎの感はあるが、効いていることは間違いない。脚本の麻生哲朗は、これが脚本家としてのデビュー作とは信じがたい。私が知っている中では岡田恵和のタッチに似ている。観客が求めているセリフを探し出すのが上手なのだ。

日本人の役者が韓国語のセリフをしゃべり日本語の字幕が出るというのは、日本人と韓国人の外見が似ているためだろうか、意外なことに違和感がなかった(英語をしゃべったら果たしてどうだったろう)。改めて考えてみると、外国語の(韓国語と限らず)セリフを耳で聴きながら、日本語の字幕を目で読むという行為は、面白い行為だ(諸外国では自国語での吹き替えが一般的で、アメリカ映画の場合は、どの国のどの時代に物語の舞台が設定されようとも俳優は英語を喋っている)。字幕を読みながら映画を観るというのは例外的なケースだ。われわれが日本語吹き替え版に物足りなさを感じるのは、俳優の口の動きと声の不一致、俳優の容姿と声の不一致、この二重の不一致のためである。身体性を剥奪された声を聞くよりも、俳優本人の生の声を聞きながら、それに意味を刻み付ける方が官能的なのであろう。

 映画が終わったのが午後1時。それから大学に行き、「五郎八」で昼食(揚げ茄子のみぞれおろし蕎麦)をとり、研究室で学校班の最終原稿を受取り、生殖家族班の相談を受ける(どちらのチームにも十万石饅頭とお茶を振る舞う)。夕食も「五郎八」(鴨南蛮うどん)。これから4月中旬の授業開始に向けて3キロの減量をしなくてはならない。授業もボクシングの試合のように体の切れが大切なのだ。教員も映画俳優のようにクランクインに合わせて身体を絞り込んでいくのである。そのため食事はご飯が減ってパンと麺類が増えることになる。甘いものも、遠ざけねば・・・・。

 

3.18(木)

『白い巨塔』の最終回を観ながら、いま、調査実習クラスのIさんの一家もこのドラマを観ているのだなと思った。Iさんのお父様はつい最近肺癌(ステージ1)と診断され、来週手術と決まった。いまは一旦退院されて、手術の日を待っているところだ。昨日、「五郎八」で食事をしているときに、Iさんに「明日の最終回は観るの?」と尋ねたら、「やっぱり、観ちゃうでしょうね」と言っていた。自分の父親がドラマの主人公と同じ病気になるなんて嘘のような話だが、家族みんながこのドラマのファンで、これまでも一緒に観てきたそうだから、最終回だけ観るのを避けるのはかえって不自然ということだろう。お父様は一貫して元気に振舞っておられ、最初は取り乱されていたお母様も、手術で癌を取り除くという単純明快な治療方針が決まって、いまは落ち着きを取り戻され、あれこれ入院の準備に余念がないそうだ。Iさんも混乱する日々の中で調査実習の報告書の原稿を書き上げたのである。

 夜、病院を抜け出した財前が里見の診断を受け、二人が診断結果についてやりとりする場面は、ドラマ全体を通じての白眉といえるものだったが、私にはそれとは別に、財前が死んだ日の朝、病院の屋上で里見が佐枝子に言った「久しぶりに空を見ました」という言葉が印象的だった。

この「フィールドノート」をときどきお読みいただいている方は気づかれていたと思うが、昨年の12月24日から28日の5日間、「フィールドノート」は更新されなかった。実は、この期間、私は入院していたのである。昨年の夏以来、ときどき血尿が出て、いろいろ検査を受けていたのだが、いまひとつ原因がはっきりせず(当然、尿路系の癌の疑いがあった)、入院して、疑わしい箇所の細胞を採取して検査しましょうということになったのである。手術室に入るのも、脊椎麻酔というものをされるのも初めての経験であった。クリスマスイブに入院し、クリスマスに検査(手術)を受け、28日に退院した。入院していた5日間、麻酔が効いていて動けなかった検査当日を除いて、病室のあった9階のディールーム(見舞い客と談話したり、食事を他の患者と一緒に取ったりするための部屋)からよく空を眺めた。風の強い日が多かったせいもあって、青空が高く澄んでいた。とりわけ早朝が素晴らしかった。東の空が白み始め、最初に朝日を浴びるのは西の彼方の真っ白な富士山で、続いて東に広がる京浜工業地帯の町工場の煙突がキラキラと輝いて、一日が始動する。普段は夜型の生活をしていて、沈む太陽は見ていても、昇る太陽を見ることのない私は、こうした夜明けの風景をとても新鮮で崇高なものに感じた。年が明けて、ほどなくして検査の結果が出た。「ほぼ白」(まず癌ではないだろう)というものだった。ただし血尿の原因は特定化されず、「突発性腎出血」(要するに原因不明)ということになったが、ここ数ヶ月、血尿は出ていないので、自然に修復されたのかもしれない。

 人間、こういうことがあると、「生きる」ことに自覚的になるものだ。癌という病気は、そう診断が下りるにしろ下りないにしろ、それを意識する人間に「死」を予感させる。今回、その予感は当らなかったが、遅かれ早かれ誰にも死はやってくるものであるし、私の場合、家系的に考えて癌になる確率は高いだろう。癌を意識しすぎて、癌ノイローゼのようになっては困りものだが、「死」の予感を多忙さの中で紛らわすことなく、「生きる」ことに自覚的であること、空の美しさに自覚的であることは、大切なことだと思う。

 

3.19(金)

 昼、家を出るとき、息子と妻が中学の卒業式から戻ってきたので、玄関先で記念写真を撮る(肖像権の問題がクリアーできずアップロードはいたしません)。息子は私と同じ大田区立御園中学を卒業し、私と妻の母校である都立小山台高校に入学することになった。うまくいけば(?)、将来妻となる女の子とそこで出会うかもしれない。

 午後、研究室で調査実習の報告書の最終原稿の提出を待つ。午後3時、職業班のM君到着。さっそく原稿のチェック。とはいっても、内容に関してはさんざん言ってきたので、書式のチェックのみ。しかし、書式の約束事項がきちんと班内で共有されておらず、赤がたくさん入る。不受理。納期は守っても欠陥品ではだめである。編集作業初日の来週月曜日に再提出となる。午後5時、生殖家族班のIさん到着。一部の原稿に図表が貼られていない。未完成品である。Hさんが図表をもっていま駆けつけるところだという。それまでの間、研究室のパソコンで原稿の校正をしてもらう。午後6時を過ぎて、ようやく定位家族班の面々が到着。本来は午後4時の約束である。しかし、納期は遅れたものの、ほぼ完成品といえるものであった。受理。生殖家族班の図表貼り作業が終了し、原稿を受理したのは午後7時半。今夜は息子の卒業を家族で祝う予定であったが、「先に始めていれくれ」と電話を入れる。誰かが時間を守らないと、そのツケは別の誰かに回るのである。世の中はそのような仕組みになっている。

 深夜、『爆笑!オンエア・バトル』のチャンピオン大会を観る。1位アンタッチャブル、2位スピードワゴン、3位ペナルティという結果であった(前年度チャンピオンのアンジャッシュは4位であった)。上位3組は僅差で、いずれも面白かったが、私はペナルティが一番笑えた。今回の出場者の中で、唯一、「昭和的な笑い」(もっと言えば全盛期の「コント55号的な笑い」)をしっかりと継承しているのが、このペナルティであると思う。ちなみに準決勝で最高点を得た長井秀和は、それがプレッシャーになってしまったのであろう、ガチガチの滑りまくりで、惨憺たる結果に終わった。滑舌の悪い毒舌では饒舌な笑いに対抗できないのだ。忘れるな(長井秀和の口調で)。

 

3.20(土)

 終日、調査実習の報告書の原稿(400字詰め原稿用紙換算で1200枚ほど)を読む。

 

3.21(日)

 今日も終日、調査実習の報告書の原稿を読む。散歩好きの私が、昨日と今日、一歩も外へ出ていない。寒いからちょうどいいや、と痩せ我慢をしている。ときどき不明の箇所について、原稿を書いた学生にメールや電話で問い合せる。学生が自宅にいるときは心が穏やかでいられるが、外出中で、なかなかメールの返信がなかったり、携帯電話の向こうから繁華街の喧騒が聞こえてきたりすると、コノヤローと思ってしまう。ちゃんとした原稿も書けねえくせにどこをほっつき歩いていやがるんだ、と思ってしまう。ヤクザの親分のようになってしまう。「ねぇ、誰から電話?」なんて側で女の子の声がしようものなら、モー大変である。思わず買ったばかりの携帯電話を床に叩きつけてしまいそうになる。桑原、桑原。

 

3.22(月)

 午後1時から研究室で、Kさん、I君、Hさん、Y君に来てもらって、報告書の原稿の最終チェックの作業(途中、Iさんが人形焼の差仕入れをもって応援に来てくれた)。みんなで夕食に「ごんべえ」のカツ丼を食べ(ただしI君だけは山菜うどん)、地下鉄の終電の間際まで頑張って、どうにか終わらせる。午前1時、帰宅。一風呂浴びて、あらためて全体に目を通してから(2、3箇所のチェック漏れを発見)、「目次」を作成し、「はじめに」を書き上げ、最後に、報告書のタイトルを決める(実はこの瞬間まで決まっていなかったのだ)。すでに朝の7時半である。2時間ほど仮眠したら大学へ行く。たぶん途中の薬局で200円の(もっと奮発しちゃうかもしれない)リポビタンDを立ち飲みすることだろう。

 

3.23(火)

 午後、印刷所の人に報告書の原稿を渡す。ようやく私の手を離れた。後は印刷・製本されて、31日に搬入されるのを待つだけといいたいところだが、当初の予定だった300頁を50頁もオーバーしているため、これから印刷所と費用の交渉をしなくてはならない。なにしろこっちが考えていたよりも見積額が10万円くらい高いのである。正月料金というのはあるが、年度末料金というのもあるのだろうか。

 夜、『僕と彼女と彼女の生きる道』の最終回を観た。あれま、彼(草彅)は娘と一緒には暮らせないんだ・・・・。おまけにそれから半年経ってもまだ彼女(小雪)の気持ちがわからないんだとか言っている・・・・。「いい人」キャラもたいがいにしなさい、と言いたい。凛の健気さの象徴である「はい!」のお返事も、結局、変わらない。このままいくとどんな娘になるのだろう。思春期に急にぐれて、「うっせーんだよ!」とかなっちゃうんじゃいかと心配だ。なにしろ『北の国から』の蛍の例がありますからね。

 

3.24(水)

 東劇で『大脱走』を観た。1963年の映画で、公開40周年を記念してのニュープリントでの上映である。子どもの頃からTVでは何度も観て、好きな洋画マイ・ベストテンの第9位にランクされる作品だ(ちなみに第1位は『ウェストサイド物語』)。2時間54分の上映時間中、中だるみのような箇所がまったくないのが凄い。もちろん大河ドラマの総集編みたいに筋だけを追っているような代物でもない。トンネルを掘って収容所から脱走するまでの一糸乱れぬ協同作業は忠臣蔵の赤穂浪士のようであり、いったん脱走してからの単独あるいは二人一組での逃避行は群像劇のようである。今回、ひさしぶりに観て思ったのは、主演のスティーブ・マックィーンの颯爽たるライダーぶりや、勇壮快活なテーマ曲とは裏腹に、かなり切ない映画であるということ。当初の計画では250名が脱走するはずであったが、途中で歩哨に気づかれたため、脱走したのは76名。そのうち首尾よくドイツ国外に脱出できたのは10数名(映画の中で確認できたのはジェームズ・コバーン、チャールズ・ブロンソン、ジョン・レイトンの3名だけ)で、残りは途中で捕まってしまい、そのうちゲシュタポに捕まった50名は収容所に送り返されることなく銃殺されてしまうのだ(静かな丘陵地帯に響く機関銃の音が実に印象的)。捕まって収容所に戻ってきたジェームズ・ガーナーが仲間たちの死を知らされて上官に言った、「(脱走に)それだけの価値があったのかな」という一言に心底同意してしまう。もう一つ、マックィーン、コバーン、ブロンソン、この3人の男たちがすでにこの世にいないということも、切なさに拍車をかける。

 午後、研究室の片づけ。使わなくなったパソコン、不要になった印刷物、みんな捨てる。別れた恋人が部屋に残していったあれこれの物を捨てるように(そういう経験はないけど)、思い切りよく捨てる。いまは、そういう季節である。

 

3.25(木)

 文学部の卒業式。記念会堂での式典の後、382教室で文研の社会学専攻(修士課程)と一文の社会学専修の卒業生に学位記(卒業証書をこう呼ぶ)を手渡すのは、専修主任である私の役目である。最初、みんな授業のときみたいに教室の後ろのほうに座っているので、「今日は当てたりしないから」と言って、前の方に座ってもらう。はなむけの言葉を一言述べてから、学位記授与に入る(順序が逆だろうか?)。なにしろ100人もいるので、一人一人学位記を読み上げていると大変である。かといって最初の一人だけちゃんと読み上げてあとは「以下同文」というのもどうかと思う。というわけで、10人単位で前に出てもらって、それぞれの最初の人については全文を読み上げることにした。学位記の氏名には振り仮名が振られていないので、ときどき名前を読み間違えて、やり直す。こういうことがあるから、難しい名前というのは困りものなのである。いや、漢字自体は難しくなくとも、たとえば、「文」を「ふみ」と読むか、「あや」と読むか、なんていうのがけっこう悩ましい。『クイズ・ミリオネア』の「フィフティ・フィフティ」みたいなものである。しかも、迷っている時間はない。ええい、ファイナルアンサーだ、と覚悟を決めて、「あや」と読み上げ、「ふみ、です」と言われ、「ごめんね」と言って、やり直す。今日、一人一人の顔を間近に見て気づいたのだが、男子はなかなか凛々しい奴が多く、女子はとても美人が多い。社会学専修の学生ってけっこういけているんだ、と感心した。そのことを手伝いで来ている大学院生のAさんに話したら、「衣装と化粧の効果で5割増しくらいにはなっていますね」と冷静に分析していた。5割増しね・・・・。

 お役目を終えて、文カフェでやっている二文の懇親会の方に顔を出す。しかし、卒論ゼミの学生や1年生のときの基礎演習のときの学生の顔が見当たらない。研究室に戻って、提出期限の過ぎた原稿を書いていたら、携帯電話に「先生、どこにいるんですか」と呼び出しがかかり、再び文カフェへ。Tさん、Mさん、Aさん、K君らの顔があった。みんな口々に基礎演習は大変だった、卒論は苦しかった、と言う。そうでしょう、そうでしょう。ご愁傷さまでした。Tさんなんか、一度、卒論ゼミで泣き出しちゃったことがありますからね。Mさん曰く、「卒論ゼミのことを思い出すと、これからどんなつらいことにも耐えていけそうな気がします」。こういうことを静かな笑顔で言うから、女性は怖いのである。

 夜、南北線山王溜池駅前のキャピトル東急ホテルで一文の社会学専修の謝恩会。9名の教員が出席。一人一人スピーチをさせられたが、これがけっこう時間がかかる。私が最初だったので、専修主任として範を示すべく、簡潔なスピーチをしたのだが、専修主任としての信望が薄いためか、それを見習ってくれる教員が少ない。とくに一番若手の土屋先生の話が長かった。途中で、これは何とかしなくてはと思い、テーブルの上にあったナプキンに、「家にすぐ電話して下さい。大久保」とボールペンで書いて、近くにいた学生に渡し、土屋先生のところにもっていってもらったが、彼、それを一瞥しただけで、何事もなかったように、スピーチを続けていた(おい、おい、無視かよ)。あとで彼に聞いたら、「おかしいな、この場所のことは知らないはずなのに、と思いました」とのことだった(洒落になっていなかったんだ・・・・)。ケーキと珈琲を済ませてから、場内を回って、2年生のときの演習や卒論ゼミの学生に声をかける。一生懸命に働き、かつ自分を見失わないでやっていってほしい。言うは易く行うは難いことだけど。

 

3.26(金)

 午後、453教室で社会学専修の2・3・4年生(以上)合同の科目登録ガイダンス。300名近い学生が一堂に会した情景はなかなか壮観であった。専任教員も、04年度は特別研究期間で授業のない那須先生と3月末に特別研究期間を終えてイギリスから帰国する坂田先生を除く、10名全員が壇上に上がる。教員の自己紹介(担当科目の説明)に約1時間。助手の下村君からの科目登録等のやり方の説明に約30分。ほぼ授業一コマの時間に等しく、これなら途中で学生たちの集中力が途切れることもない。教員の自己紹介は、側で聞いていて、それぞれに「らしさ」が出ていたと思う。これまでは講義要綱と「裏の講義要綱」である『ワセクラ』・『マイルストーン』という活字情報だけを頼りに決めていた科目履修が、専任教員の科目に関しては、より精度の高いものになるだろう。ガイダンス終了後、演習Ⅰ・Ⅱ・Ⅲの履修希望用紙を提出してもらう。

 午後6時から高田牧舎で、非常勤の先生方をゲストにお招きしての社会学専修教員懇親会。今回は4月から新たに二文の社会学関連の科目を担当していただく若い先生方の姿が目立つ。自分がすっかり中堅教員になったことを実感する。文研の特論をご担当いただいていた人間科学部の濱口晴彦先生は、この3月末で定年退職される。その方の前に出ると思わず緊張してしまう教員がまた一人いなくなる。

 懇親会は午後9時頃に散会となり、私と助手2名は文学部に戻って、演習Ⅰ・Ⅱ・Ⅲのクラス分けの作業。明日の午後には発表しなくてはならないので、できれば今夜中にすませておきたい。1時間半ほどで作業はあらかた終了。自分が担当する演習ⅢDの新しいメンバー25名のリストに目を通す。

 

3.27(土)

社会学演習室前の掲示板に演習のクラス分けの結果を張り出す。張り出す前から数名の学生が掲示板の前で待機している。聞くと、全員3年生で、そのうち3人が私のクラスを第一希望で出したという。「定員オーバーだったので、何人か別のクラスに移ってもらったんだ・・・・」と告げると、エッーという顔になった。そこにちょうど助手の笹野さんがやってきて、結果を張り出す。緊張した面持ちで自分の学籍番号を探す彼ら。・・・・幸い(かどうかは神のみぞ知るだが)、3人とも希望通りの結果だった。「じゃあ、よろしくね」と言ってその場を離れる。報告書の原稿を印刷所に渡し、やれやれと思う間もなく、新しい調査実習がスタートしようとしている。

高校時代の友人夫婦が大学にやってきた。私も妻同伴で、4人で「五郎八」で食事をしてから、神田川沿いの遊歩道に花見に出かける。実は、この桜の名所をこの季節に歩くのは私も初めてなのである。話には聞いていたが、見事な桜並木である。満開には数日早いようだったが、お天気のことを考えると、今日と明日が花見には最適だろう。都電の早稲田駅付近の豊橋から、下流に向かって、江戸川公園前の休橋まで歩き、そこから反対側の川沿いの道を引き返し、豊橋を越えて中之橋まで行き、中之橋を渡って出発点である豊橋に戻ってきた。最後の中之橋から豊橋の間の柵には近所の小学校の生徒の作った川柳のポスターがたくさん飾ってあって、思わず笑ってしまった。

 大学時代の友人でいまは弁護士をしているKからメールが届く。彼とは学部は違ったが、3年生のときに行った船上大学とういツアーで意気投合し、団長に自由行動の許可を願い出て、二人でドイツのチュービンゲンという古い大学街(北杜夫の小説『木霊』の舞台となった場所)を訪ねたことがあった。そのKの長男が今度一文に入学することが決まったという。なんでも社会学の勉強がしたいそうで、将来は研究者志望だという。私が社会学の勉強を始めて、研究者を志望するようになったのは大学3年の頃だから、入学前からそんなことを考えているとは大したものである。彼が研究室に挨拶に来たら、人間としてもっとまともな生き方はいくらでもあるということを懇々と説いてやらねばなるまい。

 

3.28(日)

 蒲田東急プラザ6階の「植むら」で母の誕生日(喜寿)の祝い。川越から妹夫婦も来る。食前酒で出た梅酒を4人分、娘がグイッと飲んだのにはビックリ。大学に入っても一気飲みだけはいけないと言って聞かせる。母は糖尿の持病があるので、量は食べられない。父も歯が悪い上に魚が嫌いときているので、竹の子も鴨肉もお刺身も食べられない。みんな私と息子が代わりに平らげた。来週、妹夫婦が父母を下田の温泉に連れて行ってくれることになっているが、せっかくの旅館の夕食も大して食べられないに違いない。張り合いがないというか、物悲しいというか・・・・。しかし、それが高齢者の現実だ。レストランや旅館には、金にはならないであろうが、高齢者のためのメニューの開発に力を入れてほしいものだ。

 食事の後、腹ごなしに本屋の梯子をする。復活書房から自宅に戻る途中にスナック「ゆうこ」がある。今夜で最終回を迎えたTVドラマ『砂の器』のロケで使われた店だ。この店の従業員が和賀と三木の交わした「カメダは相変わらずですか?」「相変わらずだ」という会話を覚えていたのが、当初、事件の唯一の手がかりだったのだ。ところで、「ゆうこ」はドラマに使われたおかげで繁盛しているのだろうか。「繁盛」という言葉とはおよそ縁のなさそうな場末の店なのだが・・・・。

 

3.29(月)

 川崎チネチッタで行定勲監督の『きょうのできごと』を観た。8人の大学生たちの或る平凡な一日を、その同じ日に別の場所で起こった2つの出来事(ビルとビルの間に人が挟まった事件と一頭のクジラが浜辺に打ち上げられた事件)と同時進行で描いた映画。副題の a day on the planet はジム・ジャームッシュ監督の『ナイト・オン・ザ・プラネット』(1991年、ただし原題はNight on Earth)から拝借したものであろう。いまこの瞬間にも自分の知らない場所でいろいろなことが起こっていて、人はそれぞれの思いを胸に生きている。平凡な今日という一日も、後から振り返れば、かけがえのない日々であったと知るだろう。・・・・そういうメッセージが込められた作品だ。しかし、作品の意図が分かることと、その意図が上手に表現されているかどうかは別の問題である。私はこの映画の作品としての出来はいま一つであったと思う。いい映画になった可能性は十分にあるが、その可能性が可能性のままで終わってしまった映画であると思う。柴崎友香の短篇小説集『きょうのできごと』の複数の作品をモンタージュして映画にしたわけだが、個々のエピソードのリンクが不十分ときに強引で、『ナイト・オン・ザ・プラネット』のようなオムニバス形式の映画を複数のスクリーンで同時に見ているような印象を受けた。出演者の中では伊藤歩という女優がとてもよかった。

 「紅虎餃子房」という中華レストランで昼食とってから(美味しいレバニラ炒めだった)、「タワーレコード」で尾崎豊のトリビュートアルバム(ブルー)を購入。ミスチルが「僕が僕であるために」を、橘いずみが「路上のルール」を、175Rが「十七歳の地図」を、宇多田ヒカルが「I Love You」を、斉藤和義が「闇の告白」を、槇原敬之が「Forget-me-not」を歌っている。いずれもワクワクする組み合わせだ。

川崎ルフロン9Fの紀伊国屋で、『ナインインタビューズ柴田元幸と9人の作家たち』(アルク)、橋部敦子『僕と彼女と彼女の生きる道』(角川書店)、高橋源一郎『私生活』(集英社)、ビル・ローバック『人生の物語を書きたいあなたへ』(草思社)を購入。いつもそうなのだが、合計金額がいくらになるかを気にしないでレジにもっていったら、7700円で、財布を見たら1万円札が1枚しかなかった。もちろん足りてはいるわけだが、意外に財布の中身が少ないことに驚く。3週間ほど前に銀行で10万円下ろしたはずだが、一体、何に使ったのだろう。なくなるのが予定より1週間早い。

 

3・30(火)

 妻はスポーツクラブに行っている。娘は昨日から中学時代の友人の家に泊りがけで遊びに行っている。息子は近所の友人の家に遊びに行っている。階下の母は町内会のお花見に出かけている。父は便秘がひどいらしくトイレに入ったまま出てこない。天気は下り坂で散歩に出かける気分ではない。飼い猫のハルと戯れる(本人の承諾なく肖像を公開できる唯一のわが家のメンバーである)。

 高橋源一郎が『私生活』の中で、「まともな作家なら、みんな、矛盾する二つの思いを持っている」と書いている。その「二つの思い」とは、「その一。ほんとうのことをいいたい。その二。でも、ほんとうのことはいわない。以上。それだけ? そう。それだけである」。さすがに高橋源一郎、的確に言ってくれるものである。彼が言っていることは、プロの「作家」だけでなく、「人の目に触れる文章を書く人間」すべてに当てはまるだろう。もちろんこの「フィールドノート」を書いている私自身も例外ではない。だから、ここに書かれていることが、全部「ほんとうのこと」だなんて思ってはいけない。ほんとうは、昨日観た映画は、『きょうのできごと』ではなくて、『ワンピース・失われた聖剣』だったのかもしれない。いや、そもそも映画なんて観ていなくて、ずっとパソコンの麻雀ゲームをやっていたのかもしれない(実は、先日、初めて「地和」を上がったーこれはほんと)。「フィールドノート」を読んでくれている学生たちは、私のことを家族思いの父親であり夫であるという印象をもっているらしいが、実は、妻とは口論が絶えず、娘とはここ1年ほど口をきいておらず、息子は部屋に引きこもったままなのかもしれない。文学部の教師にとって、幸せな家族の情景をでっちあげることなんか、わけもないのである。いや、大学の教師をしているという話も嘘かもしれない。私がほんとうは誰なのか、誰か教えてくれないか。

 

3.31(水)

 文学部のスロープに恒例の新入生勧誘の各サークルの出店が並んで、キャンパスが急に賑やかになった。キャンパスの桜は明日の入学式までちゃんと持ってくれそうだ。私の研究室のある39号館の裏手の土手一面に、いま、はなだいこん(別名:ショカツサイ)の紫色の花が咲いている。そして土手の上の桜は満開だ。このコントラストは実に素晴らしい。知る人の少ない、文学部のお花見スポットである。

午後3時過ぎ、調査実習の報告書が印刷所から運ばれてきた。午後4時から演習室で対象者への発送作業。午後5時ちょっと前に郵便局に運び、「料金別納」と「冊子小包」のスタンプを押してから、窓口に出す。郵送費は3万5千円ほどだった。これで明後日には大部分の対象者の手元に届くはずだ。午後6時半から高田馬場の「まんぷく亭」で打ち上げ。私の目の前に座ったY君が、「先生は学生の結婚年齢を推測できるそうですが・・・・」と聞いてきたので、近くに座っていた何人かの学生の結婚年齢の予想を述べてさしあげた。この予測は複雑な計算に基づくため、ここでその原理についての説明は省略せざるを得ないが、単純にその学生が異性にモテそうかどうかとは関係がない(・・・・まったく関係がないわけではないが、あまり重要ではない、と言っておく)。ちなみにY君は結婚しない可能性が高い。この私の予測にY君ははなはだ納得がいかないようであったが、彼が私の予測を覆してやろうと努力して、ちゃんと(という言い方は問題があるか・・・・)結婚したならば、マートンが言うところの「自己自殺的予言」となるわけである。一般に、結婚年齢を高く予測した学生は、「どういうこと、先生」と絡んで来る傾向がある。晩婚化の趨勢の中にあっても、自分が晩婚になるのはいやなのであろうか。


2004年3月(前半)

2004-03-14 23:59:59 | Weblog

3.1(月)

 調査実習の報告書原稿の最終ラウンドが今日から始まる(1日、3日、4日、5日)。初日は定位家族班の報告。各自が書き上げてきた原稿(平均A4判15枚程度)を出席者にコピーして配った上で、声に出して読む。内容の吟味と共に、書式、誤字・脱字、インタビューのトランスクリプトからの引用にあたってのプライバシーへの配慮などについてチェックし、報告書に掲載できる水準のものであるかを判定する。午後1時開始の予定が、準備がもたもたして、1時間近く遅れた。途中に夕食休憩(みんなで「ごんべえ」に押しかけて、売り上げに貢献した)を挟んで、終了は午後9時半を回っていた。それにしても3月に入った途端のこの寒さは何だろう。

 

3.2(火)

 午前、大学院の科目履修生の面接の予定が入っていたのだが、今回は申し込みがなく、思わぬ空き時間ができたので、日比谷スカラ座で『シービスケット』を観ることにした。すでに封切りからだいぶ経った平日の初回とあって、650席の広々としたスタジアム型の館内には数十人の観客しかいなかった(もしかしたら十数人だったかもしれない)。映画の冒頭、草原を疾走する野生の馬の群れの映像に魅了された。この映像を観られただけでも、ここに来た甲斐があったと思った。モータリゼーションの並に乗って成功を収めたが、愛する息子を事故で失った実業家(ジェフ・ブリッジス)。その同じ波に追われて社会の片隅で生きるカーボーイ(クリス・クーパー)。大恐慌で一家離散の憂き目にあった青年(トビー・マクガイア)。映画は、小柄で気性の荒い落ちこぼれの競走馬シービスケットの馬主、調教師、騎手として結ばれたこの3人の男たちの成功と挫折と再起の物語だ。まさにアメリカ映画の王道を行くストーリーで、今年度のアカデミー作品賞の候補になったのも頷ける。映画館を出たのは12時40分。13時からの教授会にちょっと遅刻したが、ノープロブレムだ(今日も長かったしね・・・・)。

 

3.3(水)

 午後、調査実習の最終報告会の2日目。学校班の報告。一人一人の原稿時間は家族班より短めだったが(平均A4判12枚程度)、報告者が一人多かったため、結局、終了は午後9時を回っていた。夕方の最後の休憩のとき、馬場下の交差点のところにある「築地銀だこ」でたこ焼きを調達。この店は一度売れ行き不振で閉店し、同じ系列の「お米さん」という握り飯屋に替わったのだが、こちらはさらに売れ行き不振で、あっという間に店仕舞いし(この見切りの早さには驚いた)、最近再び以前のたこ焼き屋に戻ったのである。しかし、学生が大学に来ない時期だけに、最初の開店当時のような客の列はなく、7パック注文したがすぐに買えた。われわれがたこ焼きを食べ終わり、報告会を再開した頃に横浜での就職セミナーを終えて駆けつけた最後の報告者のAさんの、深夜、今日の報告原稿を添付してきたメールには、「たこ焼きを食べ損ねました・・・・」と添書きがしてあった。さぞかし、ひもじかったに違いない。

 

3.4(木)

 三寒四温という言葉を信じるならば、寒い日が三日続いた後の今日は暖かな一日になるはずだったが、今日も寒い一日だった。午後、調査実習の最終報告会の3日目。3日目にして異変が起こる。ここまでの報告に対してはすべて「OK」(報告書に掲載可)を出してきたのだが、今日は7本の報告のうち「OK」は3本で、他の4本は「NG」だった。想定している水準に達しない原稿を受理すれば、水準をクリアーする原稿を提出した学生たちの努力は何だったのかということになる。授業の底が抜けてしまう。授業が授業として成立するためには、一定の水準を下回る発表、レポート、答案等を黙認しないという態度ないし決意が教員の側に存在し、そのことを学生たちが認知していなくてはならない。そして、「NG」を出す場合は、それがなぜ「NG」なのか、どこにどのような問題や欠陥があるのかを説明し、「NG」が教員のたんなる気まぐれによるものでないことを示す必要がある。さて、「NG」の出た原稿をどうするか。どうするもこうするもない、それで終了、はいお疲れ様でした、というのも一つのやり方であるが、そうはしなかった。最終締め切りまではあと2週間あるので、再チャレンジの意志があるかどうかを確認し、そのチャンス(延長の第4ラウンド)を与えることにした。企業と学校の違いがここにある。

 

3.5(金)

 連日、学生の原稿に長時間目を通しているせいか、目の調子が悪い。左目の方だけ、カサカサ、ショボショボする。大学に行く前に近所の眼科で診てもらう。目の使い過ぎで軽い炎症を起こしているとのことで、目薬が出る。ついでだから視力の検査もしておきましょうというのでしてもらったところ、近視の方は眼鏡を必要とするほどではないが、乱視と老眼が入っているから、仕事上、中距離(パソコンの画面)と近距離(本)兼用の眼鏡は必要ですと言われる。乱視は昔からだが、そうか、老眼も入っていましたか・・・・。そうじゃないかなぁと薄々は感じていたのだが、49年と11ヶ月、眼鏡なしの人生を送ってきたので、もしかしたら最後までこのままいけるんじゃないかという希望的観測をもっていた。しかし、やっぱり、そういうわけにはいかないか。眼鏡屋へ持っていく処方箋を書いてもらう。

 午後、調査実習の最終報告会の最終日。「OK」が3本、「NG」が2本、事情があって報告できなかったもの(「NG」扱い)が1本。昨日のものも含めて、「NG」となる典型的なパターンは、参考文献の生半可な利用である。参考文献をまったく用いず、自分の考えだけで書いた論文は、内容が独断的で、多くの場合、底が浅いが、少なくとも自分の言葉で書かれている。参考文献をきちんと読み込み、十分に消化した上で書いた論文は、他者の思考を養分として自分の思考を育てているからから、内容は説得的であると同時に個性的である。ところが、参考文献を生半可に利用した(よく内容を理解しないままにダラダラと引用した)論文は、底が浅く、かつ非個性的である。つまり読んでいて一番面白くない論文である。いや、本人は何も論じていないのだから、そもそも「論文」と呼ぶべき代物ではない。・・・・というわけで、最終報告会(第3ラウンド)は27本の報告中、「OK」が20本、「NG」が7本という結果に終わった。

ほっとする学生あり、落ち込む学生あり、いまひとつ釈然としない学生あり、そんな彼等を引き連れて「ごんべえ」にうどんを食べに行ったが、まだ午後8時だというのに、お客が少ないためだろう、「ごんべえ」は早々と閉店の札を出して、おばさんが一日の売り上げを計算していた。それではということで、「五郎八」へ行く。二階席に11人まとまって座ることが出来た。一人一人が注文を考えているとき、財布の中身が乏しいことに気づいた。確認したら1万3千数百円しかない。隣にいたY君がのぞきこんで、けっこうギリギリですねなんて言う。失礼な奴だ。「ごんべえ」なら何の問題もないのであるが、「五郎八」は「ごんべい」よりも格が高い。しかし一人平均1000円のものを注文してくれればセーフである。まあ、大丈夫であろうと思っていると、N君が鴨せいろ(1100円)を注文した。ウッ・・・・。続いてS君がそれに同調した。ウ、ウッ・・・・。君たち、「NG」を出されたからと言って、やけ食いはよくないぞ、と心の中で呟く。誰か女の子が梅干うどんを注文した。え、えらい。(将来の)主婦の鑑だ。すると、別の誰かが、こういうときに遠慮するのはかえって失礼だよとかなんとか言っている。正論だが、いまはそういう発言は控えなさい。鴨南蛮ってカレーうどんに鴨肉が入っているんですかと聞いてきた者がいたので、そうではない、カレーうどんのことをカレー南蛮というが、正しくはカレー南蛮うどんで、南蛮にカレーという意味は含まれていない、南蛮とは西洋ネギ(Welsh onion)のことだ、と説明してやる(75へぇ)。どうも学生相手だといろいろと薀蓄を垂れてしまう。一人悦に言っていると、「うなとろ」ってな~にと言っている声がする。とろろそばに鰻の蒲焼が載っているもので、私もまだ試したことがない。まさか注文するんじゃないだろうなと思っていると、何人かの女の子が注文した。誰の言葉だったろうか、「女子学生亡国論」という昔々の言葉が脳裏に甦った。しかし、おそるおそる価格を確認すると、980円とあったのでホッとする(出てきたものを見たら、蒲焼をカットしたものが5、6片載っているものだった)。・・・・結局、合計金額は予算の範囲内で納まった。やれやれ。女将さんにその話をすると、先生だったらツケで大丈夫ですから、と言われた。ああ、そういう手があったのか。一瞬、なんだか池波正太郎か山口瞳にでもなった気がしたが、いやいや、人間というもの、やはり自分の器をわきまえないといけないと自戒した。

 

3.6(土)

 メガネドラッグで中近両用の眼鏡を新調。昨日の眼科の先生は、「本を読んだりパソコンに向かうときだけ使うものだから、あまり高いものを買う必要はありませんからね」と言っていたが、フレームが2万円、レンズが2万円、合計4万円は高いのか安いのか、眼鏡の相場を知らないので、よくわからない。

携帯電話を2台目に買い換える。本日発売のauの新機種(A1402S)で、アンテナ内蔵型のスッキリしたデザインが気に入ったのと、携帯のカメラの性能もずいぶんと上がったので、そろそろカメラ付き携帯にしてもよいかなと(試しに目の前の情景を撮影)。

その新しい携帯に最初に電話を掛けてきたのは調査実習のS君だった。用件は報告書の原稿の執筆を断念しますというもの。S君の原稿は昨日の報告会で「NG」と判定され、再チャレンジをするか少し考えさせて下さいということになっていた。来週が彼の就職活動のピークに当たるため、それとの兼ね合いで悩んだ末の結論であった。私は就職活動を学業より優先することをよしとするものではないが、S君の態度には一種の誠実さと潔さを感じた。最低限の努力で合格ラインギリギリの原稿を再提出することは、彼の能力からすれば、可能である。しかし、それは彼の気持ちが許さないのであろう。報告書に載せる(=調査に協力していただいた対象者に読んでもらう)原稿を書くからには、きちんとしたもの、自分自身が納得できるものを書きたい。しかし、就職活動の忙しさを理由にーそれが弁解になると考えてしまった点が彼の甘さであり弱さなのだがーS君は原稿執筆に十分な時間をかけずに昨日まで来てしまった。そして、昨日、私から「NG」を出されて、自分の原稿の至らなさを自覚したわけだが、データ(インタビュー記録)ときちんと向き合って、納得のいく原稿を書き上げるのは時間的に無理だと彼は判断したわけである。私は了解した。再考を促すつもりはない。全員の原稿が出揃うことに越したことはないが、彼にとって悔いの残る原稿、彼の中にある誠実さから彼が目をそらして書き上げた原稿が報告書に載って、それが多くの人の目に触れることは彼のためにならない。

S君の原稿は報告書に載らないことになったが、S君の名前は調査実習のメンバーの一員として報告書に載る。もちろん授業としての調査実習の単位も出す。彼は誤解あるいは心配していたようだが、報告書に原稿が載らないからといって単位を落とすわけではない。原稿は講義科目における試験やレポートとは違う。講義科目で試験を受けなかったり、レポートを出さなかったりしたら、単位は出ない。しかし、調査実習は(多くの演習科目がそうであるように)平常点で評価する。一年間の授業での活動状況を見て総合的に評価するのである。われわれの場合、一年間の活動とは、前期のグループ研究、合宿での個人発表、夏休みを利用してのインタビュー調査、トランスクリプト(テープ起こし原稿)の作成、ケース報告、トランスクリプトの利用の許可を得るための対象者とのやりとり、すべてのトランスクリプト(98人分)に目を通しての分析とその中間報告(3ラウンド)、そして最終原稿の提出、報告書の編集・・・である。S君は最終原稿の提出こそできなかったが、他の作業は十分にやり遂げた。実際、彼の収集・整理したデータは他の学生たちの原稿の中に反映しており、その意味で、報告書の作成に貢献しているのである。

 必修科目の単位を落とすかもしれないという不安、担当教員(私)から何を言われるかというという恐れ、他の学生たちへの負目、おそらくS君はそうしたものに押しつぶされそうになりながら、私に電話してきたに違いない。最初に「降りる」のは大変な勇気がいる(最初の人間が無事に「降りる」のを見届けてから、二番目、三番目に「降りる」人間はどこにでもいるただの日和見主義者である)。私がS君の態度に誠実さと潔さを感じたのは、そのためもある。

 

3.7(日)

 朝、と言っても10時ごろだが、昨日注文した眼鏡の件で、メガネドラッグの店長から電話がかかってきた。昨日は店員が眼科医の処方箋に従って中近両用ということで承りましたが、パソコンの画面を見るのと読書が主たる用途であれば、中近両用ではなく、近近(近くと手元)両用のタイプをお勧めしたいので、もしお時間があればもう一度ご来店願えないかとのこと。話を聞いていると確かにそちらの方が私のニーズに合っていると思えたので、午後、散歩がてら店に立ち寄る。改めて検眼を行い、レンズの下方(老眼用)の視野を広くするとともに、レンズの中央(近眼用)でデスクトップ・パソコンの画面が鮮明に見えるように設計し直してもらった。価格は昨日よりも度の弱いレンズになったせいか3000円ほど安くなった。店内の壁には「売り上げを競うよりサービスを競え」という社訓の書かれた額がかかっていたが、店長の対応は社訓どおりのもので、大変気持ちがよかった。

 「書林大黒」がいよいよ明日で閉店になる。ここで古本を買うのも今日で最後だ。

(1)『現代日本文学大系54 井上伸 平林初之輔 青野季吉 宮本顕治 蔵原惟人集』 *300円→150円

(2)藤竹暁『シラケ時代の文化論』(学芸書林、1972年) *500円→250円

(3)大石初五朗『敬語』(筑摩書房、1975年) *500円→250円

 さっそく「シャノアール」で『シラケの時代』の中の一篇、「人間の生き方教えます:ベストセラーの意識」(1971)を読む。当時のミリオンセラー、曽野綾子『誰のために愛するか』を主として取り上げて、戦後の人生論ブームの背景にある「欠乏」の論理から「豊かさ」の論理への転換を指摘した論考で、「モノの豊かさから心の豊かさへ」という命題自体はすでに手垢にまみれたものであるものの、随所にハッとする考察が見られ、とても面白かった。藤竹暁は学習院時代の清水幾太郎の教え子で、NHK総合文化研究所の研究員を長らく勤め、『図説 日本のマス・コミュニケーション』(NHKブックス)などの著作で知られる。藤竹の「擬似環境の環境化」というアイデアは清水譲りのものであるが、そのアイデアを大衆文化研究に適用して展開しているところが藤竹の独自性である。帰宅してから、「日本の古本屋」で藤竹の文献を調べて、代表作『現代マス・コミュニケーションの理論』(1968)など、4月からの大学院の演習と学部の調査実習で使えそうなものを7冊購入する。『誰のために愛するか』の方は探したら書庫にあった。20数年前、妹が嫁ぐときに置いて行った本だ。ところどころページの端が折ってあるのは、印象的な一節がその頁にあったということだろう。

 ところで、「シャノアール」で本を読んでいるとき、隣席の60代くらいの男性客が店員に珈琲カップが大きすぎると文句をいっていた。「こんなにいっぱい飲めないよ」という文句で、へぇ、そういうことで文句をいう人がいるのだと驚いたが、出されたものを残すのはもったいない(バチがあたる)という感覚は理解できないことはない。文句を言われて「スミマセン」と頭を下げていた若い男の店員は、心の中で、だったら残せばいいじゃないですか、と呟いていたに違いない。

その男性客に刺激されたわけではないのだが、私も、今日、吉野家で店員に文句を言った。新メニューの豚丼を試しに食べてみたのだが、いかにも牛丼の代用品という感じで、にもかかわらず値段は牛丼よりも高く(牛丼並は280円だったが、豚丼並は320円)、食べながら釈然としなかった。しかし私が店員に文句を言ったのはこの点ではない(こんなことで文句を言われては店員が気の毒である)。私が文句を言ったのは、豚丼を載せてきたトレーが汚れていたからだ。前の客の、あるいは前の前の客の、もしかしたら前の前の前の客の、つまりは過去の客たちの食べこぼしの汁の跡が残る、実に薄汚いトレーに載って豚丼が運ばれてきたのである。それは食欲を半減させるのに十分な効果をもっていた。それは吉野家のいま置かれている厳しい状況がアルバイトの店員の気持ちにまで及んでいることを示すもののように思えた。支払いのとき、私は若い男の店員に小声で、「こういうところをきちんとやらないと駄目だよ」と注意した。その店員は、客からそういう注意をされたときのマニュアルを知らないのか、何やら口ごもって、頭をちょこんと下げた。

 

3.8(月)

 銀座シネパトスで『ミスティック・リバー』を観た。今週でロードショー上映の終了する映画だが、ショーン・ペンがアカデミー主演男優賞、ティム・ロビンスが同助演男優賞を獲得したことで、急にお客の入りがよくなったと思われる。映画ファンのサイトでは「暗い」とか「救いがない」とか書かれることの多い作品だが、元気をもらったり、癒されたり、涙を流したり、笑い転げたりするだけが映画ではないだろう。人生はよいことばかりではないのだから、人生を描いた作品が後味のよいものばかりではないのは当然だ。もちろん観客はお金を払って観るのだから、後味のよい作品を観たいという観客が多いのも当然で、そうした需要に応える作品、つまりは娯楽作品が量産されるのは市場の論理的必然である。しかし、われわれには、たとえ口当たりや後味がよくなくとも、人生の真実を描いた作品と向き合いたいという欲求がある。そうした作品に触れて、打ちのめされたり、深い溜息をついたり、やりきれない気分なってみたいのだ。なぜなら、それもまた感動というものの一つの形態であるからだ。われわれの人生には、映画のように素晴らしいこともめったにないかわりに、映画のように悲惨なこともめったにない。われわれの人生の振幅は小さい。しかし映画を観ることで人生の振幅を大きくすることができる。ただし、その場合、一方の側に振れる作品ばかり観ていたのでは、増幅された人生は嘘っぽいものになるだろう。人生の素敵な部分は映画に委ね、人生の惨めな部分は現実が引き受けるという構図はいただけない。『ミスティック・リバー』は肥大して空洞化してしまった妙に明るい人生にシリアスな感動を注入してくれる映画だ。

 映画館を出たのが午後4時ごろ。日が暮れるにはまだ時間がある。銀座4丁目の交差点を有楽町駅へ向かって直進しないで、左に折れて、新橋駅を目指して歩く。銀座4丁目、3丁目、2丁目、1丁目・・・・こっちへ歩くのは久しぶりだ。小腹が空いてきたので、何か食べようかと思いつつ、1丁目の「天国」の前に来たとき、名物のかき揚げ丼(2700円)に激しく惹かれる。しかし、この時間にかき揚げ丼を食べてしまったら、夕食が入らなくなるのは必定だ。妻の呆れ顔が目に浮かび、「天国」はまた今度にしようと新橋駅に向かった。と、そのとき、「岡山ラーメン」の看板が目に入り、まぁ、ラーメンならいいかと店に入る。岡山ラーメンというものは初めてだったが、醤油系の濁ったスープで、味付けはかなり濃い目である。昼飯に半ライスと一緒に注文するとちょうどよいかもしれない。口直しに甘いものが欲しくなり、蒲田に着いてから家族へのお土産に今川焼きを4個買い、自分の分を帰宅する前に食べてしまった。「縁日の屋台じゃないんだから・・・・」と妻が呆れ顔で言った。結局、こういうことになる。

 

3.9(火)

 優先席というものがある(昔はシルバーシートと言った)。各車両の両端に設けられていることが多く、高齢者、妊婦、足が不自由な人、乳児を抱えている人などが優先されるべき人間であることが図示されている。「優先」であって「指定」ではないから、それ以外の人間が座ってはいけないわけではない。ただし、優先されるべき人間が現れたら、そうでない人間は席を立たたなければならないというのが、優先席というものの一般的理解であろう。

私は、一般席と優先席が空いていたら、もちろん一般席に座る。一般席が埋まっていて優先席が空いている場合は、二通りあって、疲れていなければ座らず、疲れていれば座る。ただし、疲れているので座った場合でも、眠ったりしては駄目で、ドアが開くたびに優先されるべき人間が入ってこないかどうかに気を配っていなければならない。たまに優先席に座って本を読んでいて、目の前に優先されるべき人間がいることに気づかず、途中で気づいて、びっくりして立ち上がることがある。もちろん一般席に座っているときも、そういう人間が近くにいれば席を譲るのが子どもの頃からの習い性になっているのだが、優先席の場合は義務感が強くなるのである。

視点を変えて、自分が優先されるべき人間であったとしよう。電車に乗る。どこにも空席はない。そして優先席には自分に対して席を譲るべき人間が座っている。さあ、どうするか。優先席の前に立って、座っている人間が自分に気づき、席を譲ってくれることを期待するか。たぶん私はそうしないだろう。第一に、それは物乞いのような気分がするし、第二に、期待したとおり席を譲ってもらえなければ、腹が立つからである。そこでどうするかというと、ドア付近の場所に留まって、車窓の風景か車内の広告に目を向けつつ、優先席あるいは一般席に座っている善意の人間が、自分に声をかけてくれるのを密かに期待するであろう。実際、優先席に座るべき人間の多くがそのような所作をとっていることを、私は日々の車内観察から知っている。

ところが、今日、大学へ向かう電車の中で、私はとても新鮮な光景に出会った。一人の高齢女性が、優先席の前に立って、そこに座っている若いサラリーマンに対して、「すみませんが、座らせていただけせんか」と穏やかな口調で(決して相手を非難するような口調ではなく)言ったのである。言われた若いサラリーマンは、反射的に席を立って、車内の別の場所に黙って移動した。彼女は優先席に静かに腰を下ろした。私は彼女の一連の行動を見て、新しいタイプの高齢者の出現を見た思いがした。卑屈になるのでもなく、かといって図々しくなるのでもなく、きわめて自然に、自分が優先席に座るべき人間であることを提示することのできる高齢者である。社会の高齢化と公共マナーの低下が同時進行する現代にあって、そうした厳しい環境に適応すべく、高齢者も進化しているのであろうか。

 

3.10(水)

 新聞やテレビでは、連日、鳥インフルエンザのニュースが報じられているが、ネットの世界でも「Netsky」という新種のウィルスが猛威を振るっている。感染したPCに登録されているメールアドレスを使って発信者を偽装し、自分自身を添付してメールを発信するタイプのウィルスである。メールの件名は「Re: Hello」とか「Re: Details」といったウェイルスメール独特のものなのだが、実在のメールアドレスが使われているため、知り合いからのメールだと誤認して添付ファイルを開いてしまって感染というケースが多いらしい。

私はプロバイダー(BIGLOBE)が提供しているウィルスメールチェックというセキュリティーシステムに入っているのだが、一時にたくさんのウィルスメールが届いた場合はガードが甘くなるようで(あくまでも私の推測)、ガードをかいくぐってやってくるウェイルスメールがけっこうある。削除する前に、その偽装された発信者のメールアドレスを注意深く見ていると、真の発信者(感染源のPCの所有者)のだいたいの目星をつけることができる。つまり、感染源のPCには私のメールアドレスと偽装に使われた誰かのメールアドレスの両方が存在するわけだから、そこから社会関係の網の目を絞り込むことができるわけだ。

たとえば、同僚の土屋先生の卒論ゼミのメーリングリストのアドレスが偽装に使われていたことがあって、そうすると、感染源のPCの持主は私の調査実習と土屋先生の卒論ゼミの両方にかかわっている学生ではなかろうかという推測が成り立ち、事実、該当するKさんとI君に問い合せたところ、I君のPCがウィルスに感染していることが判明し、ウィルスを駆除することができた。今日も、私の知らないカナダの大学関係者からウィルスメールが届いたので、年末にカナダの大学へ留学したAさんにメールで問い合せたところ、案の定ウィルスに感染していることが判明したので、ウィルスの駆除方法についてアドバイスをした。I君とAさんに共通しているのは、自分のPCが何かしらのウィイルスに感染していることはわかっていたが、駆除方法を知らず、そのまま放置していたことだ。今後、大学が学生(とくに新入生)に対して行うパソコン講習会では、ウィルス対策(予防と駆除)は最重点課題にしてほしい。

 

3.11(木)

 午前、来年度の学部の科目履修生の面接。科目履修生の学費は一単位につき3万円である。一科目でなくて、一単位について3万円である。したがって通年科目(4単位)1つにつき12万円かかる。それを5つも6つも申請している人がいる。大丈夫なのかと心配になってしまう。たとえばSPSSの使い方を学びたくて社会統計学を履修しようとしている人には、たんにそれだけならSPSSの会社がやっている講習会の方が安いと思いますが、なんてアドバイスをしたりした。

 昼飯は「フェニックス」でタコのペペロンチーノ(700円)。プラス100円で珈琲が付く。合計800円(+消費税)は最近の昼飯代の相場より高めだが、窓際のカウンター席からは馬場下の交差点を行きかう人々を眺めることができ、明るい室内は読書に適し、流している音楽のセンスも悪くない。これでもう少しお客がいれば、店員さんの視線が分散されて、もっと落ち着けるのだが・・・・。

 午後、調査実習の報告書の原稿の件で、H君、M君と面談。最終原稿の〆切まであと8日。そろそろ私も序論を書き始めるとしよう。それにしても今日は風の強い、暖かな一日だった。夜には風向きが変わって冷え込むそうよと妻が言ったので、暖かな格好をして家を出たのだが、全然そのようなことにはならず、蒸し暑くて弱った。

 

3.12(金)

 寒い一日。朝起きたときから軽い咳が出る。今日は学生の面談は入っていないので、大学へは行かず、家でじっとしていることにした。妻は娘の卒業式に出かけている。「咳をしてもひとり」である。

 

3.13(土)

 近所の内科医院で診てもらう。喉が痛くて、咳が出て、ちょっと痰もからんで・・・・と話したら、なんと飲薬が6種類も出た。抗生物質、消炎剤、鎮痛剤、咳止め、去痰剤、そして鼻炎の薬である。それも5日分。いくらなんでもと思う。経過をみながら、自分で適当に調整するしかなさそうだ。

 眼鏡が出来上がったとの連絡が入る。店に受取りに行って、その足で本屋へ行き、あれこれ立ち読みをする。なるほど文字がはっきり見える。ただし、近距離用なので、掛けたまま店内を歩くのには適さない。外したり、掛けたりしなくてはならず、それがけっこう煩わしい。この種の眼鏡は持ち歩くものではなく、机上に置いておくものなのだろうか。だとすると、書斎用と研究室用に同じものが2つあった方が便利のように思える。しかし、通勤電車の中で本を読むときのことを考えると、やはり携帯すべきもののようにも思える。みんな、どうしているのだろう。山口瞳『人生論手帖』(河出書房新社)と団鬼六『生きかた下手』(文藝春秋)を購入。

 

3.14(日)

 昨日からちょっと耳鳴りがする。軽い耳鳴りは子どもの頃からあって、ふだんは気にならないのだが、たぶん喉の腫れ(頸も凝っている)と関係があるのだろう。

 調査実習の報告書の「はじめに」の部分を書き始める。実習に参加した学生全員の名前を載せる。前期だけ参加し、後期からシラキュース大学に留学したAさんの名前も忘れずに載せる。彼女は今年の10月から調査実習(新しいクラスになっている)に復帰するが、そちらの報告書にも名前が載ることになるから、「一粒で二度美味しい」というわけだ。途中からの参加は転校生のようにいろいろと気を遣うと思うが、彼女なら大丈夫だろう。

 夕方、駅の方に散歩に出る。駅前の果物屋の店先が色とりどりの果物で明るい。TSUTAYAが旧作1週間100円のサービスをやっているのでのぞいたら、レジ前に長蛇の列ができていたので、入るのはやめて、熊沢書店に行き、鶴見俊輔に小熊英二と上野千鶴子がインタビューした『戦争が遺したもの』(新曜社)を購入。先日、新聞で知った新刊、『ますだおかだのお笑い大阪案内』(角川書店)を探したが、見つからなかった。東京の書店には並ばないのだろうか。

 夜、〆切が迫っている学会の機関紙の投稿論文の査読。深夜、ポストに投函。