フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

1月31日(水) 晴れ

2007-01-31 23:59:50 | Weblog
  午前中に近所の床屋に行き、散髪をすませてから、大学へ。明日が学部の卒論口述試験の日なのだが、担当している人数が多いので、9名の学生については、今日、卒論口述試験を実施した。午後1時スタートで、20分間隔で学生を研究室に呼んでいたのだが、だんだん押せ押せになって、最後は4時終了のはずが、4時半終了になった。3番目のI君以外は全員女子学生だったが、普段よりお洒落な格好をしてくる人が多かったのは、もちろん私に見せるためではなく、口述試験の後に銀座や新宿でショッピングやデートの予定を入れているからである。もし私が意地悪な人間であれば、こってりしぼって、ショボボ~ンという気分にさせてやるのだろうが、もちろん私はそんなことはしない。冗談で、冷や汗や涙を拭くためのハンカチを忘れないように事前に言ってあるが、これまで一人として口述試験中に泣いた学生はいない(ただし、普段の指導の最中に泣き出す学生は過去10年間に何人かいた。たぶん人一倍涙腺の弱い学生だったのだろう)。明日は12人の学生の口述試験を行う。冒頭、自分が書いた卒論の要旨を2、3分で話してもらう。自分が書いたものについて話すのだから訳ないだろうと思うなかれ。手短に理路整然と話せる学生とそうでない学生に分かれるのである。製本された論文だけを見ると、どれも一応まとまっているように見えるが、アップアップしながら書き上げた論文というのは、森の中を闇雲に歩いて来た人のように、自分がたどってきた思索の過程をきちんと再現できないのである。

1月30日(火) 晴れ

2007-01-31 01:24:18 | Weblog
  午後から大学へ。地下鉄の駅を上がって、五郎八で昼食をとろうと暖簾をくぐったが、カウンター席は満席だった。「ちょっとお待ちいただければ…」という店員さんに、「今日はちょっと急ぐので」と断って、ごんべえでカレー南蛮うどんを食べる。2時から4時過ぎまで新学部の運営準備委員長会。今日は夜に去年の調査実習ゼミの飲み会があるので、それまで研究室で卒論を読む。7時半から高田馬場の「素材屋」で飲み会。出席者は20名ほど。この時期、4年生はほとんど大学に来ないから、ひさしぶりに見る顔が多い。卒業、就職という人生の大きなライフイベントは、連鎖反応的に、転居やら恋人との別れといった別のライフイベントを誘発する。また、人生の岐路に立って、将来を見渡し、そこに予想される困難な事態に、果敢に立ち向かう決意をしたり、ひるんだりする。今日は向こう三軒両隣の学生としか話をしなかったが、それでも人生いろいろである。先日の二文の基礎演習(全員1年生)の飲み会とはまた違った雰囲気である。希望と不安とセンチメンタル。

1月29日(月) 晴れ

2007-01-30 03:02:51 | Weblog
  修士論文の口述試験(面接)。今年度、社会学専攻で修士論文を提出した院生は3名。例年に比べると少ない。私はその中の1人のT君の副査である。開始前、面接場所の社会学専修室で、もう一人の副査である長田先生を待ちながら、主査の和田先生と雑談していたら、「大久保さんはもう40になったの?」と聞かれた。一瞬、何を聞かれているのかわからなかったが、どうも年齢のことを聞かれているらしい。もし私が女性であれば、これを一種のリップサービスと理解し、「まぁ、和田先生ったら、ご冗談ばっかり…」とでも応じるべきところであるが、それはない。私は和田先生の意図をはかりかねつつ答えた。「先生、私、すでに50を越えておりますが」「えっ、そうなの」「はい、文学部で教えるようになったのが40歳のときで、それから12年が経ってます」「へぇ~、そうだったの」和田先生の表情や口調にはわざとらしいところはまったく感じられない。私が思うに、この錯誤の理由は、第一に、先輩-後輩関係という意識の強い職場において後輩は先輩から「永遠の若手」として認識されやすいこと、第二に、自身の加齢を認めたくないという深層心理が自分の周囲の人間の加齢への無関心を生むこと、第三に、私の言動(身体ではなく)が一般的な50代の男性と比較して若々しい(「青臭い」ともいう)こと、などであろう。そんなやりとりがあってから、長田先生がやってきて、3人が揃ったところでT君の面接が始まった。漫才にボケとツッコミという役割分担があるように、主査+副査2人というトリオにもあうんの呼吸で役割分担のようなものが形成される。今回は3人の中の「若手」である私がビシビシと問題点を指摘する役を演じることになった。でも、なかなかいい論文でした。論旨が明晰だったから、問題点もはっきりと指摘できたわけで、これが何を言っているのかわからない論文だと、何を質問してよいやらわからなくて困るのです。
  生協文学部店で、吉本敏洋『グーグル八分とは何か』(九天社)を購入。先日のNHKスペシャルがグーグルの光と闇を取り上げていたが、本書はその闇の領域にかかわる話だ。「ほづみ」で塩ラーメンと半チャーハンを食べてから帰る。夜、卒論を読む。

1月28日(日) 晴れ

2007-01-29 01:28:56 | Weblog
  子供部屋の前の廊下に娘が出したゴミの山があり、その山の中にふうちゃんがいた。ふうちゃんと名付けられたそのぬいぐるみは、私が結婚前の妻にプレゼントしたもので、妻(当時はまだ妻ではなかったが)はそれを気に入っており、私と電話しているときなど、次の週末は仕事で会えないのだと私が言うと、「ふ~ん、いいもん」とか言いながら、足下のふうちゃんを「エイッ」と蹴っ飛ばしていた。つまりふうちゃんを私に見立てていたわけである。ふうちゃんはやがて妻から娘へと継承された。そのふうちゃんがゴミとして出されようとしているのである。

          
                     ふうちゃん

  私はふうちゃんを持って家族のいる居間に行き、「君はこのふうちゃんの来歴を知っているのか」と娘に尋ねた。娘が「知らない」と答えたので、「このぬいぐるみはお父さんがお母さんと結婚する前に・・・」と縷々説明を始めたところ、傍らでそれを聞いていた妻が「えっ、そうだっけ?」と言った。な、なんですと! 私には娘がふうちゃんをゴミとして出そうとしていることもショックであったが、それ以上に、妻がふうちゃんの来歴を忘れてしまっていることがショックであった。しかし、妻を責めることはできない。授業と研究と学内行政の仕事に追われて、家庭を顧みなかった私がいけないのだ。帰りなんいざ。田園まさに荒れなんとす。私はふうちゃんをそっと抱き上げた。そのとき、ふうちゃんの脇腹に付いているタグに気づいた。タグにはふうちゃんの制作年とおぼしき数字が印刷されていた。1984。あれっ? 私たち夫婦の結婚は1983年である。つまり私が結婚前の妻にふうちゃんをプレゼントすることはありえないのだ。
  しかし、結婚前の妻にこれと似たぬいぐるみをプレゼントしたことは確かだ。それは間違いない。私は記憶の闇の中をしばし探索した。そうだ、サイだ。サイのぬいぐるみだ。大きさはこのふうちゃんと同じくらいで、すっとぼけた表情の、もこもことした、サイのぬいぐるみだ。私は妻に確認した。「そういえば薄いオレンジ色のもこもこしたぬいぐるみがあったような…」と妻は答えたが、その記憶はすこぶる曖昧で、それが私にプレゼントされたものであるということまでは覚えていないという。私はさらに記憶の闇の中を探索した。そういえば、数年前、妻の実家の妻の部屋の箪笥の上でそれを見たような気がする。しかし、妻はそこにそんなものはなかったはずだと言う。あのサイのぬいぐるみはどこへ行ってしまったのか。そして、ふうちゃんの真の来歴は? 謎は深まるばかりだ。

          
                    こんなんです          

1月27日(土) 晴れ

2007-01-28 00:56:19 | Weblog
  義父の三回忌法要で横浜に行く。お寺で経をあげてもらってから、墓参り、そして近くの蕎麦屋で食事。妻の親戚の方が娘が妻に似てきたと盛んに言う。珍しいことである。たんに就活用にショートヘアになったから、そう見えるだけじゃないのか。娘=父親似、というのが我が家における不同の等式であったが、娘に聞いたところでは、友人からも「お母さん似だね」と言われることがあり、比率としては7(父親似):3(母親似)くらいだという。ふ~ん。
  天気に恵まれてよかったが、今日の夕刊(読売)によると、全国的な暖冬で、東京都心ではまだ初雪すら観測されておらず、このままいくとこれまでで一番遅かった初雪の記録(1960年の2月10日)を更新するのではないかとみられている。ちょっと待ってくれ、と私は言いたい。ここで注意しなくてはならないのは、「東京都心」とは千代田区大手町の気象庁の敷地内を意味するということだ。確かにそこではまだ初雪は観察されていないのだろう。しかし、1月20日の朝、わが街蒲田(大田区)では初雪(みぞれ混じりだったが)が降った。渋谷区や世田谷区でもそうであったと聞く。だから大手町の気象庁の敷地には降っていなくても、東京にはすでに初雪が降っているのである。面白いことにというか、不思議なことにというか、自分の体験(初雪が降った)と気象庁の見解(初雪はまだ降っていない)がずれている状況で、自分の体験を否定して(あれは初雪ではなかったんだ)、初雪を待ちこがれているような雰囲気が人々の間に生まれている。実物の世界と情報の世界の倒錯である。

  メルロ=ポンティは『知覚の現象学』の中で「あられ」について書いている。

  「たとえば、〈あられ〉という語は、私がいま紙のうえに記したばかりのこの文字のことでもなければ、私がいつかはじめて書物のなかで読んだあのもうひとつの記号のことでもないし、さらにまた、私がこの語を発したときの空気をよぎって行ったあの音のことでもない。そうしたものは語の再生産形態でしかないので、私はたしかに、それらの再生産形態のすべてに語をみとめはするけれども、語がそれらですべて尽くされてしまうというわけではないのだ。…(中略)…語の意味というものは、対象のもつ若干の物的諸特性によってつくられてはいず、それはなによりも、その対象が或る人間的経験のなかでとる局面、たとえば、〔〈あられ〉という語の意味なら〕、空からすっかりできあがって降ってきたこの固く、もろく、水に溶けやすい粒々のまえでの私のおどろきのことなのだ。」

  1月20日の朝、東京のここかしこで人々が空を見上げながら手のひらで受け止めた「あっ、雪だ」という小さな驚きこそ、「東京の初雪」という語の意味である。実物の世界と情報の世界の倒錯とは、「東京都心(大手町)の初雪」という地政学的概念に屈して、その驚きをなかったことにしようとすることである。それはとんでもないことである。古風な言い方をすれば、「あられもない」ことである。