フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

2月28日(火) 晴れ

2012-02-29 05:16:16 | Weblog

  7時、起床。ベーコン&エッグ、レタス、トースト、紅茶の朝食。

  午前中はゼミ論集の校正作業。17本のゼミ論の最後の1本の校正が終る。

  昼から大学へ。地下鉄の駅を出て、「五郎八」で昼食。鴨南蛮を注文する。

   午後はずっと教務室で、雑務の合間にゼミ論集の「はじめに」や「編集後記」を書く。これでようやく通しのページが打てる。去年のゼミ論集は348頁だったが、今年は人数が1名少ないのと、一人当たりの割り当て頁数を少し減らしたので、284頁で収まった。去年と同じ製本業者に電話をして見積もりを出してもらう。一冊あたり2500円見当で、60部だと15万円になる。現時点での予算の残額が18万円ほどなので、OKだ。

 
教務の仕事は自分の机で(左)  ゼミ論集の作業は小林先生の机をお借りして(右)

  大学を出たのは6時半。地下鉄の中で妻からのメール。「帰りは何時ごろ?」。「7時半」と返す。東京駅のホームで7時9分の電車を待ちながら「7時40分」と修正のメールを出す。妻は時間に厳しいのだ。

  帰宅して、風呂を浴びてから、夕食。今日の献立は焼肉(ジンギスカン)。「孤独のグルメ」で井之頭が食べていたやつだ。「いいじゃないか」と呟いてみる。

   飯を食べながら、「踊るさんま御殿」を観る。以前はよく観ていた番組だが、火曜日が夜間当番になって、学期中は観ることがなくなった。久しぶりに観て、長寿番組ならではの安定感を感じた。

   食後、眠くなり、ちょっと一眠りのつもりで蒲団に入ったら、3時まで眠ってしまった。起き出して、メールをチェックすると、二文の卒業生のOさんから大阪市立大学の大学院に合格しましたとの知らせが届いていた。弱点だった社会調査の分野の勉強を一日8時間くらいしたそうだ。よく頑張った。

  事務所のYさんから明日付けで退職しますとの挨拶のメールも届いていた。そうなのか、知らなかった・・・。明日も大学へ出るので、直接お別れが言えるのがせめてもである。春は旅立ちと別れの季節だ。


2月27日(月) 晴れ

2012-02-27 22:41:49 | Weblog

  7時、起床。パンとチーズとホットミルクの朝食。

  息子がここ2週間ほど空腹時にお腹が痛くなるそうで、今日、近所の内科医院で胃カメラの検査をした。人生初胃カメラで緊張していたようだが、9時半の予約で出かけていって、2時間しても戻ってこない。大学病院ではあるまいし、いくらなんでも時間がかかりすぎるだろうと、見に行ったら、看護師さんが出てきて、検査はすでに終っているのだが、麻酔が効いていて、まだ寝ているとのこと。えっ、全身麻酔で検査をしたのかとびっくりした。待合室で『週刊文春』のバックナンバーの映画評を読みながら待っていると、30分ほどして息子が検査室から出てきた。まだふわふわした感じ。検査中のことは何も覚えていないという。ほどなくして息子は診察室に呼ばれて検査結果の説明を受けた。十二指腸潰瘍とのことで、飲み薬が処方された。空腹時に腹痛ということでたぶんそうではないかと思っていたが、やはりそうであったか。痔と並んで、大学院生にはよくある病気である。薬もいいが、風呂にゆっくりつかったり、ホットトミルクを飲んだり、運動をするのもいい。

  息子にはコンビニで購入した玉子粥をあてがって、私は散歩に出る。


月曜日は古本屋の店頭に『少年ジャンプ』が山と積まれる。

  「鈴文」に昼食を食べに行く。ランチのとんかつ定食を注文するとき、なじみの女店員が「お久しぶり」と耳元で小声で言った。なんだかバーのホステスが常連客に言うような感じであった。去年の9月3日以来だから、半年近くになる。ごぶさたもいいところだ。目の前でご主人が肉を切り、衣をつけ、油で揚げる一連の所作は、名人の舞台を観ているようである。私も私の流儀に従って、塩とレモン汁で二切れ、醤油で一切れ、残りの半分はとんかつソースと辛子で食べた。飯粒一つ、キャベツ一切れも残さず、きれいに平らげた。ごちそうさまでした。


晴れてはいるが、風は冷たい。


久しぶりで食べる「鈴文」のとんかつはやっぱり旨い。

  食後のコーヒーは、こちらも久しぶりで、「ムッシュ のんのん」で飲む。しばらく来ない間に、ランチに付くコーヒーが、以前は200円だったのが(もちろんサービス価格)、無料になっていた。ご主人に尋ねたら、「そうでもしないとね」との答えが返って来た。食事+コーヒーという感覚は私の世代には普通のものだが、若い世代は節約のためだろう、食事のみでコーヒーを注文してくれないそうだ。スパゲッティ(650円)+コーヒー(200円)=850円では割高感があるのだろう。飲み物込みで650円は薄利だが、客を失うよりはましということだろう。きびしい時代である。ブレンド単品は400円だから、考えようによっては、プラス250円でスパゲッティやピラフが食べられるということだ。これはお得だ。近所のサラリーマンの方々はぜひどうぞ。

  駅前の格安チケットの店で、『ドラゴン・タトゥーの女』と『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』のチケットを購入(各1300円)。どちらも医院の待合室で見た『週刊文春』の映画評で高評価だった作品。後者の原題は「EXTREMELY LOUD AND INCREDIBLY CLOSE』。そのままなんだ。「ものすごく・・・、ありえにほど・・・」といういい回しはなんだか真似したくなる。「ものすごく旨くて、ありえないほど安い」(「鈴文」のとんかつ)とか、「ものすごくイケメンで、ありえないほどやさしい」(結婚詐欺にご用心)とか。映画のタイトルの逆、「ものすごく静かで、ありえないほど遠い」(「静かの海」←月の)というのどうだろう。

  風が冷たいので、散歩は早々に切り上げて、帰宅。春は名のみの風の寒さや。


2月26日(日) 曇り

2012-02-27 07:48:51 | Weblog

  7時、起床。本日は朝食抜き(体重コントロールのため)。

  天気予報では晴れのはずだった。しかし、パッとしない曇天。せっかくの週末なのにと思う。

  だからというわけでもないが、午前中はだらだらと過ごしてしまった。「だらだらと過ごすのだ」という意識的なものではなく、しなくてはならないことを考えながら、それに手をつけずに、無為に過ごすというダメなパターンである。エネルギーが低下しているのだろう。

  こういうときは外出するに限る。午後から散歩に出る。「天味」で昼食をとる。上天丼のかき揚げ付き。タレは色が濃くて甘め。ご飯は少なめでしてもらう。

天ぷらは海老、キス、穴子、茄子、オクラ、南瓜、小海老のかき揚げの7品(これに蜆の味噌汁とお新香が付いて1300円也)

  食後のコーヒーは「テラス・ドルチェ」で。昨日の読書の続き。

   商店街を散歩。「孤独のグルメ」の井之頭五郎の気分。


「昔懐かし」と自己言及していまうところが野暮だが、豚汁定食には惹かれるものがある。


堂々たる路上看板。ジャンボチキンカツライス(650円)ってどのくらいジャンボなんだろう。


バーボン・ストリート(というのです)は昼間はひっそり。


小雪から菅野に替わって久しい(残念だ)。

  テアトル蒲田で『はやぶさ 遥かなる帰還』の3時5分からの回がちょうど始まるところだったので、入ってみる。「はやぶさ」関連の映画が立て続けに3本作られたが、たぶんこれが一番オーソドックスな作りになっているのだろうと思う(他の二本は未見)。はやぶさの打ち上げから帰還までの7年間が、登場人物たちの小さなエピソードを交えながら描かれている。淡々とした印象を受けた。


2月25日(土) 雨のち曇り

2012-02-26 09:10:31 | Weblog

  7時、起床。カレーとパンと牛乳の朝食。

  雨の土曜日。晴耕雨読の原則に従って、昼過ぎまで自宅で読書。昼食はインスタントラーメン。

  3時くらいに雨が上がったので、散歩に出る。自由が丘にある宮本三郎記念美術館に行ってみることにする。ここは改修工事のため休館中の世田谷美術館の分館で、宮本の作品の展示のほかに、世田谷美術館所蔵の作品の企画展も併設でやっている。いまやっているのは「荒木経惟 ―人・街―」で、写真集「東京物語」や「東京日和」などから数十点の作品が展示されている。2階建ての建物の2階のフロアーが展示室で、その4分の3のスペースが荒木の写真の展示に、4分の1のスペースが宮本の絵の展示に充てられている。それほど広くないスペースにたくさんの写真を展示しようとしているため一枚一枚の写真が小さく、かつ壁の上の方まで展示されているので、ちょっと見づらい。宮本のコーナーは大きな絵が数点展示されていて、狭いけれども、作品とゆったりと向き合うことができる。入館料は200円。自由が丘の駅からは10分足らずの距離だから、散歩のついでにちょっと立ち寄る場所としては申し分ない。

  自由が丘は蒲田から近い(東急線で15分)のだが、めったに来ることがない。若者の街、セレブの街というイメージが強く、自分とは接点が少ない街だと感じている。しかし、せっかくだからちょっと歩いてみることにする。南口の改札の向いに確か「スコット」という紅茶専門のカフェがあったはずだが、もうなくなっていた。もっとも「スコット」に妻(そのときはまだ妻になってはいなかったが)と来たのは30年も前のことだから、なくなっていたとしても不思議ではないのだが、ちょっと残念。駅前広場の向いにある「ダロワイヨ」はその頃からあったと思う(あとからネットで調べたら自由が丘店は1982年の開店とあった。日本での店舗1号店で、いま、30周年記念のケーキビュッフェを開催中である。70分で2500円でお土産付きとのこと。要予約だろう)。「ダロワイヨ」の隣の不二家書店、これも昔からある。

  自由が丘の駅には東横線と大井町線が乗り入れていて、東横線は高い場所を走っている。駅構内は二層構造になっていて、乗り換えのときは、馴れないと迷子になる。私は今日も迷子になりそうになった。

  こちらは大井町線の踏み切り。交差点や踏み切りには心惹かれるものがある。待つこと、そして足を踏み出して渡ること、そういう一連の行為(をする人々)に心惹かれるのだと思う。

  やはり人が多く、若者や女性が多い。 けれど意外と庶民的な街だということがわかった。どこかで一服しようと店を探していたら、「亀屋万年堂」の二階が和風喫茶になっていることを発見。ここに決める。小倉しるこを注文。小豆がたっぷりで、甘味も強いしるこである。餅は小さめで、焼餅ではなく、煮てとろりとした餅が入っている。

  蒲田に戻り、「シャノアール」で読書。 昨日購入した佐藤信『鈴木茂三郎』(藤原書店)。統一社会党の初代委員長だった鈴木茂三郎は、私の研究テーマである「清水幾太郎と彼らの時代」の「彼ら」の一人である。清水よりも14年早く生まれ(1893年)、清水よりも18年早く没した(1970年)。貧しい家に生まれ、彼が結婚してもった所帯も貧しかった。貧困はある時代までの日本人が共有していた大きな、実に大きな社会問題であった。貧困からの脱出は、個人の人生の物語の主要テーマであると同時に、国家や社会が取り組むべきテーマでもあった。しかし、貧困問題の解決法はひとつではない。一方に革命を志向する勢力があり、他方に大陸への進出(市場の拡大)を志向する勢力があった。また、革命の実現の仕方においても、暴力革命をめざす勢力と選挙を通しての社会主義の実現をめざす勢力とがあった。さまざまな勢力が対立と融合をくり返しながら、戦争へと続く道を辿っていったのだ。

  7時過ぎに帰宅。今夜はモツ鍋。

  娘の劇団(獣の仕業)の公演のチラシが出来たので、宣伝に一役買わせてもらいます。公演は2週間先の土日(3月10日・11日)。場所は神楽坂。時間は土曜が13:00、16:00、19:00、日曜が13:00、16:00。

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2月24日(金) 晴れのち曇り

2012-02-25 11:01:52 | Weblog

  7時、起床。ベーコン&エッグとライスの朝食。

  教務的メールを一本書いてから、9時半に家を出る。

  今日は会議日。10時半から拡大人事委員会。

  昼食は「ごんべえ」の忍者うどん。

  1時から教授会。

  引き続いて4時から運営主任会。

  夜、教務的会議。妻に「まだ会議が続いている。今日は外食」とメールを送る。「ラジャー」とすぐに返信がある。

  夕食は「maruharu」で。常連客の一人で、80代半ばの老婦人が一人で食事をとっていた。ホットワインを飲みながらカマンベールチーズのフライと春巻をつまみ、焼きうどんを平らげ、デザートにパイナップルのゼリーとコーヒー。これ、私のオーダーではなく、老婦人のオーダーである。健啖家なり。私は豚肉と野菜のデミグラス煮をメインデュッシュに、パイナップルのゼリーを前菜に、食後にショートケーキとコーヒーをオーダーする。
  老婦人とおしゃべりしながらの食事。ときどき陸軍病院の話が出る。戸山キャンパスの近くにある国立国際医療センターの前身である。「あの病院は医者も看護婦もいばっていた」という。さもありなん。昔の話ですから、念のため。

 

  あゆみ書房で、佐藤信『鈴木茂三郎 1893-1970 統一日本社会党初代委員長の生涯』(藤原書店)を購入。電車の中で読む。著者は1988年生まれ。本書が出たときはまだ東大法学部に在学中であった。若者らしいライトな文体。いや、若者だからといって必然的にライトな文体になるわけではない。古市憲寿『絶望の国の幸福な若者たち』もそうだが、堅苦しくなりがちな内容をライトな文体で書くことが現代の若者(若手研究者)の流儀なのであろう。