フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

10月30日(日) 曇り

2016-10-31 09:02:30 | Weblog

10時、起床。

明け方に怖い(というか、嫌な)夢を見て目が覚め、二度寝して寝坊するというパターンが二日続いた。

トースト、サラダ(鶏のササミ)、牛乳、紅茶の朝食。

昨日、妻が衣替えをした。箪笥の引き出しを開けると、セーターがたくさん詰まっている。

私はセーターが好きだ。だからセーターを着られる冬が好きなのかもしれない。10月に風邪を引いたのは気温が下がっていくのにセーターを着られないからからではないかと思う。

午後3時を回った頃、遅い昼食をとりに「phono kafe」へ行く。大原さんがしばらく里帰りしていたので、久しぶりの「phono kafe」である。

森のクーナたち、こんにちは。

大原さんはまだ休暇モードが抜けていないみたいで、動作がゆっくりしている。他の常連客から「大原さん、お疲れみたいです」と言われたそうだが、そうではなくて、一種の時差ボケである。

おにぎりセットに惣菜を一品注文。

ゴボウのフリット。

常連客のMさんが入ってきた。8月の結婚式の前に会って以来である。こちらは本当にちょっとお疲れ気味に見える。実は、ご懐妊で、少し前までつわりがひどかったのだそうだ。いわゆるハネムーンベビーである。おめでとうございます。予定日は来春4月後半とのこと。大原さんによると、最近、お店には妊婦のお客さんが目立つそうで、今日はとくに多かったそうだ。そういえば、私も少しお腹が出てきているかもしれない。

コーヒーを注文しておしゃべりに興じる。

大原さんからお土産ですとメモ帳をいただく。

ハロウィンクッキーを買って帰る。

午後5時だが、もう夜である。

夕食はカレーライス。

野菜たっぷりのカレーライスである。

2時、就寝。


10月29日(土) 曇り

2016-10-30 15:38:59 | Weblog

9時、起床。

一階の雨戸を開けると野良猫のなつが部屋に上がってく来て、座椅子の座布団の上にちょこんと座る。私が仏壇の花の水を替え、焼香をし、続いて神棚の水を替え、柏手を打つという朝の一連の行為を終えて、自分にエサをくれる順番が来るのをそこで待っているのである。ときどき「ミャー」と小さく鳴いて、エサをくれとアピールするが、それは本気のものではなく、一連の行為が終わらないうちわもらえないこと、柏手の音が聞こえるといよいよ自分の番なのだということをなつはちゃんと理解しているのである。

 トースト、サラダ、紅茶の朝食。

昼から大学へ。

12時に卒業生のミサキさん(論系ゼミ6期生、2016年卒)が研究室にやってくる。高田馬場には早めについて大学まで馬場歩き(の逆)をしてきたそうである。

彼女はいわゆる「カメラ女子」である。今日も大きな一眼レフを首から下げてやってきた。

卒業後、彼女と会うのは2回目。前回(7月2日)に同期のアヤナさんと一緒に「パン日和あをや」と「ノチハレ珈琲店」を梯子したときに彼女が撮った写真をプリントアウトしたものをいただいた。「てくてくさんぽフォトブック その1」とタイトルが付いている。ということは今日、これから彼女が撮るであろう写真で「その2」が作られるということだろうか(笑)。

ミサキさんからは写真集のお土産のほかに旅の土産話もいただいた。先日、友人と松本―上高地を旅行してきたそうなのだが、松本では「chiiann」と「栞日」という私の馴染みのカフェに行ったそうである。それはそれは。「フィールドノート」に登場する飲食店に行ってみたという読者は卒業生に限らずいらっしゃるようだが、わざわざ地方都市まで出かけていく人はそうはいないだろう。「お店の人と話はされた?」と聞いたら、支払いのときに「実は大久保先生の教え子の卒業生で・・・」と身元を明かしたそうである。お店の方も驚いて、それでお話ができたそうなので、それはよかった。

「松本版グランドスラムというのはあるのでしょうか?」と言うので、う~ん、私と一緒に行ったわけではないからなあ・・・。しかし、地方都市のカフェの場合はそれは無理であるから、単独であるいはお友だちと行かれても認定しちゃいましょうか。では、「chiiann」「栞日」それから「Gargas」「まるも」で松本版グランドスラムとしましょう。

研究室を出る前に窓辺でポートレートを撮る。

ミサキさんのお顔の特徴はパッチリとした大きな目である。大きな目には力があるので、ただシャッターを押すだけでそれなりのポートレートは撮れてしまう。ただ大きな目には緊張感が伴いやすい。それを緩和する一番安易な方法はチーズ的笑顔を作ることであるが、もちろんその方法はここでは採らない。

脱力という方法がある。具体的には目元と口元の力を少し緩めてもらう。そう、さきほどの写真も素敵ですが、ポートレートとしてはこちらの方がいいですね。どういいのかというと、日常感があるということです。

お昼はどこで食べたいですかという質問に、「たかはし」で、と彼女は即答した。

私は豚肉生姜焼き定食を注文。

この「緑のシャチホコ」のような盛り付けは以前はなかった。若旦那の工夫でしょうか(笑)。

ミサキさんは肉豆腐定食を注文。彼女は「たかはし」は初めてだが、私のブログに最近よく登場する肉豆腐定食を注文することに決めていたようである。二人がそろって料理の写真を撮る様は、雑誌の取材かなにかに周囲には見えたのではなかろうか(笑)。

食事を終えて、支払いのときに「事件」は起こった。鞄の中に財布がないのである。家を出るとき、財布の中身を確認した記憶はあるので、忘れて来たことは思えない。大学に出る途中で財布を出すような機会はなかった。ただ、一度、東京駅構内で鞄からカメラを取り出したときがあり、そのとき財布が鞄から零れ落ちたという可能性はゼロとはいえない(実際、過去に一度そういうことあって、財布は交番に届いていた)。一番可能性がるのは研究室に忘れて来たということ。ミサキさんにそれを言ったら、「はい、先生が戻って来るのを私ここで待っています」とニコニコして答えた。「いや、研究室にあるかどうかは定かではないんだ。だから、ここは一旦、あなたに食事代を立て替えてもらって、研究室に一緒に戻ろう」と言うと、「えっ」という顔になって、おずおずと財布から一万円札を取り出して、私に差し出した。なんだか働かないでパチンコばかりしている男(彼氏)に小遣いをやるときの女性のような顔だった。「立て替えてもらうだけだけだからね」と私はもう一度言った。

支払いを済ませて「たかはし」を出て、研究室へ向かう。もしそこに財布がなければ、銀行のカードも一緒になので、今日これからのカフェめぐりはミサキさんにずっと立て替えてもらわないとならなくなる。それは私と卒業生との社交史上、前代未聞の事態である。「ここは私に払わせてください」と相手が言ってご馳走になったことは何度かあるが、それとは状況が違う。今日はこれから二軒ほどカフェをめぐることだろう。そして駅の改札で彼女と別れるとき、彼女が「ありがとうございました。今日は楽しかったです」と言うだろう。そのときの彼女の笑顔に漂う、どこか腑に落ちない気分が私にはいまから手に取るように分かるのである。

弱ったなと思ったとき、天啓のようにひらめくものがあった。そうだ、研究室でツーショットを撮った時、私は上着の左の内ポケットに入っていた財布を取り出して(そのままでは上着の膨らみが気になったからである)、椅子の上に置いたのだった。財布はそこにそのまま置き忘れたに違いない。

研究室のドアを開ける。ありました。財布は思った通り、椅子の上にありました。

「ほんと、先生は財布を無くしたり、忘れたりし過ぎです!」とミサキさんに注意される。

 「す、すみません。綺麗なポートレートを撮るから許してね」と言って撮ったのが下の写真。

モニター画面で撮った写真を確認しながら、「石原さとみさんに似ているね」と私が言うと、「そ、そうですか!私、彼女のファンなので嬉しいです!」とたちまちミサキさんの機嫌が直った。 単純・・・(笑)。

上機嫌のミサキさんと神楽坂に行く。

「亀井堂」の前を通ったとき、私が「ここのクリームパンは美味しいですよ」と言うと、「買って帰ります」と言って彼女は店に入って行った。そのすぐあとから小さな女の子と母親がやってきて、「クリームパンを買って帰ろうね」と言って店の中に入って行った。ガラス越しに見ると、クリームパンは二個しか残っていなかった。ミサキさんはその一個をトレーに乗せてレジに持って行った。よかった、女の子の分が残った。とそのとき、何を思ったか、ミサキさんが引き返してきて、もう一個のクリームパンもトレーに乗せていってしまった(おそらく家族へのお土産であろう)。私には女の子が泣きそうになるのがわかった。母親が何か女の子に言っている。たぶん人生にはこういう日もあるということを語っているのだろう。しかし、女の子はそういう不条理を理解するにはまだ小さすぎるように思えた。私は店の中に入って行って、レジで支払いをしているミサキさんのところへ行き、「クリームパンは一つにしておきましょう。もう一つはあの女の子のために残してあげましょう」と言った。彼女もレジの方も事情を瞬時に理解して、レシートは打ち直された。お手数をおかけしました。女の子の母親は私たちに「すみません。ありがとうございました」と礼を言った。女の子は、事情は呑み込めなかったかもしれないが、ミサキさんがいいお姉さんであることはわかったようである。

神楽坂の街をカメラ散歩。

彼女はときには撮る側、ときには撮られる側の一人二役である。

ここはデザートのフルコースを食べさせるので有名なお店です(要予約)。

赤城神社の横の坂道の途中に「坂」という名前のギャラリーがある。ここは彼女の好きな場所である。 

今日はひょうたん細工(ランプ)の展示会をやっている。

お店の中に入って作品を観る。とても美しい。ひょうたんの中身を取り出して、水できれいにあらって三日間ほど乾燥させてから、透かし彫りにしていくわけだが、繊細な作業である。

いろいろ説明していただいたのは、最初、お店の方かと思ったら、そうでなはくて、作家さん(半田陽さん)ご自身であった。

小さな作品(あとからご覧に入れます)を購入。展示会は11月1日まで。

半田さんにお見送りいただく。ありがとうございました。

坂道を下まで降りて、ちょと右に入ったところにあるケーキ屋さん「アミティエ」。ミサキさんはご存知なかったが、人気のお店である。テーブル席が空いていたので一服していくことにする。

ここのケーキは小ぶりなので、食事の後でも気軽に食べられる。

私はモンブランを注文。

ミサキさんはフランボワーズ(ラブベリーのケーキ)を注文。

しっかり写真に撮る。

幸せそうである。

テーブルは小さくて幸せが零れ落ちそうである。

これが彼女の立て替え払いでなくて、本当によかった。

坂道を引き返して、赤城神社のそば(一部?)の出世稲荷にお参りする。

稲荷神社の狐は白狐が一般的かと思うが、この新しい狐は黒っぽい。

もう一方の狐は古いもので、 こちらは(色褪せたせいか)白っぽい。

お願いごとをするミサキさん。とても長い時間をかけてお願いごとをしていた。一体、何をお願いしたいたのか尋ねたら、それは教えてくれなかったが、「お願いごとがたくさんあったわけではなく、神様に自己紹介をしていて時間がかかったのです」と言ったから驚いた。自己紹介? 自分の名前や住所や、自分はかくかくしかじかの人間であるということを神様に説明してから、お願いごとをするのだそうだ。「へぇ、それが正式なやり方なの?」「正式かどうかはわかりませんが、いつもそうやってきました」と彼女。

「先生は何をお願いしたのですか?」と聞かれた。実は私は何もお願いごとをしていない。するときもあるし、しないときもあるが、しないときの方が多いかも知れない。黙って手を合わせて、それでお終い。一瞬、静かな、落ち着いた気持ちになれれば、それでいい。

ずいぶんと流儀の違う二人が並んで参拝をしたわけだ。

 さて、「SKIPA」に行きましょう。

宙太さんとのんちゃんに彼女を紹介する。「こちらが宙太(ちゅうた)さん」と言ったとき、「そらたさんかと思ってました」と彼女。そう誤解している人は多いようである。『巨人の星』の「伴宙太」(ばん・ちゅうた)の宙太です。でも、『巨人の星』そのものを知らない世代のために、ときどき宙太(ちゅうた)と読み方を書くようにしないとね。

二人ともここではアイスチャイと注文は決めていた。 

店内の写真を撮る。

私の写真も撮る。私もこのときカメラを彼女に向けて構えているわけで、ガンマンの相撃ちのようなものであるが、むこうはマグナム銃(望遠レンズ装着の一眼レフ)みたいで、私の方(コンパクトデジカメ)が負けそうである。

「SKIPA」のすぐそばの白銀公園に行ってみる。もう夕暮れだの時刻(4時半ごろ)だ。

私のカメラは夜景に強いので、夕暮れの光なら写真は撮れる。

 

果敢に登って行きました。 

砂場で。

 公園での最後の一枚。「もっと光を」

さて、神楽坂を飯田橋まで歩いて、地下鉄の駅を今日の秋散歩の終点にしましょう。

 

ミサキさんは、夏に横浜で占い師さんに恋愛・結婚運を見てもらったところ、来年の5月か10月頃に「3歳ほど年上で、イケメンの高収入の男性」と出会うでしょうと言われたそうだ。つまり、その男性はそのとき27歳で、イケメンで、高収入なわけですね。そういう男性がそのとき彼女がいない状態で存在する確率はかなり小さいだろうと私などは瞬時に思うわけだけれど、ミサキさんは(一般に20代の女性は)素直にそうした占いを信じる傾向にある。まあ、それで日々を明るい気分で生きていけるなら、それでいいんじゃないかな(笑)。

早くても素敵な男性と出会うのが来年の5月ということであれば、それまでの期間は、週休二日の土曜日は友人との社交、日曜日は自分一人ののんびりとした時間と定めて生活していけることになる。これはよいことである。なまじ彼氏ができると、週休二日の一日が彼との時間、もう一日が友人との時間となり、自分一人の時間がなくなってしまう。これは絶対に疲れがたまる。かといって、彼との時間(土)と一人の時間(日)とすると友人関係が貧しくなる。もちろん彼との時間を減らせば(毎週ではなく、隔週にするとか)、彼との仲が冷めてしまうかもしれない。恋愛と友情と孤独の3つを週休二日制の中でバランスをとるのは大変なのだ。彼氏がいないというのもあながち悪いことではない。

次は冬カフェで。

6時、帰宅。

夕食は焼き魚(鯵の開き)、栗ごはん、サラダ、冷奴とオクラ、茄子の味噌汁。 

栗ごはんは一度は食べたい秋の味覚である。来週の信州旅行では松本の「竹風堂」の栗おこわを食べることだろう。

今日、購入した糸瓜ランプ。

センサーで光を感知して、暗くなると明かりが点く。

「はるに見つかったら、そのヘタの部分が、たちまち齧られると思うわ」と妻が言った。う~ん、どことなくネズミみたいに見えるしな。

3時半、就寝。


10月28日(金) 雨

2016-10-29 10:30:34 | Weblog

9時、起床。

昨日とは一転して、朝から冷たい雨が降っている。

トースト、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

昼から大学へ。

昼休みと3限の時間を使ってゼミ選考面接を4名。これで面接はすべて終わった(春学期に私の演習を履修していた学生には面接しないので)。これから改めて全部の資料を検討して受け入れる学生を決めるが、おそらく人数、男女比とも4年生(7期生)、3年生(8期生)と同じようなものになるだろう。いつも、面接前は「今年は人数を絞るぞ」と思うのだが、面接をしてしまうと「少し多めでもいいか」となってしまうのである。

「メルシー」に昼食をとりに行く。 

学生時代からのつきあいの店である。

この店で食べた最多メニューはこれ、チャーシューメンである。

4限はKさんのゼミ論指導。

Kさんは先日、友人と京都旅行をしてきたそうで、お土産の阿闍梨餅をいただく。

5限・6限はゼミ。

5限は3・4年合同で、4年生のライフストーリー・インタビューのケース報告を3件。

休み時間のスイーツは4年生のK君が用意してくれた。

6限は学年で別れてのゼミ。4年生はゼミ論中間報告。3年生は11月に行うライフストーリー・インタビュー調査の打ち合わせ。

ゼミが終わった後、研究室でHさんのゼミ論指導。

研究室を出たのは9時。遅い夕食を「ごんべえ」でとる。

このところカツ丼ばかり注文しているが、昨夜、「五郎八」でカツ煮を食べたばかりだので、今回は久しぶりにそぼろ丼を注文。

そぼろ丼(セット)は550円。カツ丼(セット)より100円安い。私が子どもの頃、家でよく食べたそぼろ丼は炒り卵とのハーフ&ハーフの二色丼で、甘辛のそぼろと甘目の炒り卵の組み合わせは絶妙だと思うのだが(見た目もきれいで)、茶色一食のそぼろ丼は肉をたくさん食べられので、これはこれでよい。蕨の煮物(緑)と紅ショウガ(赤)が視覚的にも味覚的にもいいアクセントになっている。正直に言えば、紅ショウガはもう少し増量してほいい。できれば、吉野家のように卓上に置いて取り放題にしてほしい。

10時半、帰宅。

昼に家を出るとき、ケータイを書斎の机の上に忘れて来てしまった。メールも電話もかかってこない日は珍しくないのだが、こういう日に限ってけっこうなメールが届いていた。返信が必要なメールに急いで(いまさら遅いのだが)返信をする。


10月27日(木) 晴れ

2016-10-28 11:42:22 | Weblog

9時、起床。

ハムトースト、サラダ、紅茶の朝食。

昼から大学へ。今日は今年最後の夏日となるでしょうと天気予報士が言っている。

3限は大学院の演習。

それを終えてからコンビニおにぎりの昼食。

4限はS君のゼミ論個別指導。

手土産の団子を食べながら。

5限は講義「ライフストーリーの社会学」。

7時に卒業生のモエさん(論系ゼミ6期生、2016年卒)が仕事終りに研究室にやってきた。彼女は郊外にある私大で職員として働いている。お土産に大学グッズのおまんじゅうをいただく。 

学生のときと印象が違うのは、髪を後ろに束ねているせいですね。

髪をほどくと・・・そうそう、学生時代はこんな感じでした。

モエさんは身長が高い。たぶん研究室を訪ねてきた卒業生(女性)の中では一番背が高いのではないだろうか。小顔で首も長いからバレリーナのようである。

しばらくおしゃべりをしてから、「五郎八」へ。

田楽。

薩摩揚げ。

出し巻卵。出し巻卵には甘いタイプと甘くないタイプがあるが、「五郎八」の出し巻卵は前者。モエさんの好みと合ったようである。

カツ煮。これは私のリクエスト。

おでん。これはモエさんのリクエスト。

デザートは「カフェゴト―」で。仕事終わりに卒業生が研究室を訪ねてきてくれたときは、たいてい「五郎八」→「カフェゴト―」のコースになる。

私はあんずのフランとセイロン風ミルクティー。彼女はパンプキンパイとシナモンミルクティーを注文。

モエさんの部署はキャリアセンター。就活で苦労した彼女がキャリアセンターというのも皮肉な話だが、就活が思うようにいかない学生はたくさんいるだろうから、そういう学生の身になってアドバイスができるという点ではいいかもしれない。職場の上司や先輩はみないい人ばかりで、働きやすいそうだ。それはなによりである。

今日、彼女とたくさんおしゃべりをして、彼女の意外な一面を知ることができた。卒業からわずか半年であるが、それは彼女自身が卒業して変わったということではなく、卒業の前と後とでは、私と彼女の関係性に変化があったことの反映だろう。おしゃべり(語り)というのは、語り手と聴き手の相互作用の所産であるが、同じ二人でも、ポジションが変化すれば(在学生→卒業生)、語りの内容にも変化が現れるということである。

「カフェゴト―」には閉店の9時50分までいた。また、会いましょう。今日とは違う季節に、違う時間に、違う場所で、またおしゃべをしましょう。

11時、帰宅。


10月26日(水) 晴れ

2016-10-27 10:25:43 | Weblog

10時、起床。とくに就寝が遅かったわけではないが(とはいっても午前1時半は普通の感覚では遅いかも知れない)、疲労感が強く、なかなか起きられなかった。今日も午後に11名のゼミ選考面接があると思うと、予期的に疲労感を覚える。

トースト、目玉焼き、サラダ(鶏のササミ)、紅茶の朝食。

二文の卒業生のY君から年末の「大久保ゼミ」のクラスコンパ(同窓会)へのお誘いのメールが届いていた。「大久保ゼミ」とあるが、2005年度の「社会・人間系基礎演習4」というのが正式の名称で、入学したばかりの1年生のための演習であった。当時の名簿を見ると、33名が登録していた。11年前のことだが、いま名簿にある彼らの名前を見ていると、けっこう顔が浮かんでくる。なかなか個性的というか、クセのある学生が多かったという印象がある。1年生特有の好奇心とやる気に満ちていて、いまと違って、年間を通した演習であったから学生同士も親しくなり、教師と学生のやりとりも踏み込んだものになっていたような気がする。そのことの端的な表れは、彼らが自分たちのクラスのことを「たかじゼミ」と呼んでいるらいしことである。

Y君には出席の返信をしておいた。アラサーになった彼らと会うのがいまから楽しみだ。

昼から大学へ。

研究室に行く前に本部キャンパスの小野記念会堂へ行って、教員組合の総会の受付で署名をする。

ゼミ選考面接を3限に3名、4限に3名、5限に5名行う。

面接の合間を見て昼食用に蒲田駅で買ってきた赤飯弁当(崎陽軒)を食べる。

シューマイ弁当よりシューマイは2個減るが、それ以上に赤飯の魅力は大きい。食べる直前に振りかけるためのごま塩がちゃんと付いている。

7時前に大学を出る。

蒲田に着いて、「有隣堂」で『ジブン手帳公式ガイドブック2017』(実務教育出版)を購入。ついでに隣の文具店に置いてあったジブン手帳のパンフレットをもらってくる。

現在の自分の手帖システムで満足しているので、ジブン手帳そのものを購入するつもりはないが、新興の人気の手帖のようなので(そうでなければガイドブックまで出版されないだろう)、どんなものか見てみたかったのである。ずいぶんとフォーマット(書き方の指示)がかっちりしているなというのが印象である。製作者の自信が感じられる。「とにかくだまされたと思ってやってみてください。そうすれば有効性がわかるはず」ということだろう。「夢」や「計画」を書くページがたくさんある。「人生でやりたい100のリスト」、「人生の夢」、「今年の夢」、「理想の一週間」、「人生設計」、「座右の銘」、「お気に入りの言葉」、「お金の計画」・・・などなど。互いに重複してくる部分がありそうな気がするが、そういうことは気にしないでいいのだろう。「可視化したものは実現率が高まる」という理論が背景にあることは間違いない。

私が制作スタッフなら、ついでに「失敗したことリスト」も加えたらという提案をするだろう。夢を語らせるのは近代社会の圧力だが、将来の「成功」を夢見るだけでなく、過去を振り返って、「失敗」に学ぶことも必要だろう。人間の性格はそうそう変わらないから、われわれは同じような「失敗」を繰り返すものである。そのことに自覚的になることは、反対の側面から「成功」の可能性を高める作用があるだろう。

8時、帰宅。

夕食はピーマンの肉詰め。

 

松本のギャラリーカフェ「ガルガ」から11月の展示会のお知らせが届いていた。

11月4日から3泊4日の信州旅行に出かける(茅野、松本、長野で各1泊)。もちろん「ガルガ」にも顔を出すつもりである。

3時、就寝。