フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

12月30日(木) 晴れ

2021-12-31 11:30:53 | Weblog

8時半、起床。

トースト(はちみつ&オリーブオイル)、オムレツ、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

食後に生八つ橋。

そのまま食卓で昨日のブログを書こうとしたが、参照すべき本が何冊かあり、結局、書斎に移動して書くことになる。

昼食はチャーハン。

背筋と腹筋がしくしく痛む。筋肉を使った結果の筋肉痛ではなく、風邪の兆候としての筋肉痛(神経痛?)のように思える。風邪薬を飲んでしばらく横になる(昼寝ともいう)。

洗面所の換気扇の掃除。けっこうほこりがたまっているので、キャップを被り、眼鏡をかけ、マスクをして、ウィンドブレイカーをして作業に臨む。あたかもアスベストの除去作業のようだ。

名古屋で働いている息子が帰省。チャイとは初対面。最初、チャイは「?」という顔で息子を見たが、とくに警戒することもなく、遊んでもらっている。

そろそろ夕食かという時間に、息子が私の書斎にやってきて、「相談があるんだけど」という。相談? もしかして「会ってもらいたい人がいるんだ」とかいうやつか。そうか、こういう話は何の前触れもなく降ってくるんだよなと思いつつ、パソコンに向かっていた姿勢を息子の方に正対させて、聞かせてもらいましょうという姿勢になる。「母が炊飯器のスイッチを入れるのは忘れて、これからご飯を炊き始めると時間がかかるんだけれど」と息子は言った。なんだ、そんなことか。私は待てるけれど、君が腹ペコならコンビニでごはんだけ買って来るといいだろうとアドバイスする。息子はごはんを買いに行った。

夕食はすき焼き。我が家では12月30日の夜はすき焼きと決まっている。いつからの習慣だろう。

肉は、私と妻と息子と3人で700グラム。息子300、私250、妻150くらいの検討か。すき焼きはステーキとは違って、肉だけ食べるわけではないから、これくらいでいい。

最後は贅沢玉子かけご飯で〆る。

お腹いっぱいになって布団で横になったら2時間くらい寝てしまった。

風呂から出て、今日の日記を付ける。

2時半、就寝。


12月29日(水) 晴れ

2021-12-30 13:44:09 | Weblog

8時半、起床。

トースト(はちみつ&オリーブオイル)、スクランブルエッグ、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

ごく自然な感じでチャイがテーブルに上がってくる。おいおい。

猫を招く猫の箸置き。でも、チャイは必ずこれをテーブルの下に落とすのである。私が拾い上げてテーブルの上に置くと、再び落とす。ただし、私が見ている前ではしない。私がいない隙に落とすのである。まるで「私は何もしていません。こいつが勝手に落ちたのですよ」といわんばかりに。

私が椅子から腰を上げると、代わってチャイが座る。おっかっけか。

昨日のブログを書いていると、チャイが書斎にやってくる。誰もいない部屋(居間)に置いておかれることがイヤなのだろう。

8月3日以来、すっかり「チャイのいる生活」になった。

一階の和室と掘炬燵の掃除。

一階と二階のトイレの掃除。

2時を回った頃、昼食を食べに出る。

「プリミエールカフェ」に行く。ここは年末は大晦日まで営業している。

海老ドリアのセットを注文。ドリアは焼き強めでお願いする。

二杯目のコーヒーを飲んでから、ご主人と奥様に「よいお年を」のご挨拶をして店を出る。新年の営業は5日(水)から。

近所の酒屋でお神酒を買って帰る。

本を書庫に運んでいると、ついつい目についた本を手に取って読んでしまう。「あるある」である。

手に取ったのは佐伯彰一『伝記のなかのエロスー奇人・変人・性的人間』(筑摩書房、1990)。「800円」の値札がついているから、どこかの古本屋で購入したものである。冒頭の一篇、「ジェイムズ・ボズエル-伝記作家のエロス」を読む。ボズエルは伝記文学の白眉『ジョンソン伝』の著者として知られるが、同時に、彼の死後に発見され、長い年月の後に出版された赤裸々な日記の著者としても知られている。佐伯の評論は、伝記という他人の人生について書く文章と日記(その長期にわたる集積としての自伝)という自分の人生について書く文章との違いと共通点について論じたもので、一種の「ライフストーリー論」として興味深く読んだが、その内容とは別に、私は佐伯の饒舌な文体に目がいった。

「とにかくケタ外れに面白い人物だったと、最初に申し上げておきたい。好き嫌いはあっても、無関心でやりすごすことは、まず不可能だろう。この人物の姿を現すところ、何らかのドラマが起こらずにはすまなかった。いや、中にはずい分下らないファルスやメロドラマも多かったのではないかと、半畳入れる向きもあるに違いないけれど、この人物の周囲には自ずからドラマがひしめき合っていた気配を、ぼくなどは感じとらずにいられない。天性のドラマ人間、いやいま風にいわせて頂くなら根っからのパフォーマンス人間という所だろうか。」(7頁)

このとき思い出したが、佐伯は庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』(1969)の文庫版(1973)の「解説」を書いていた。

「庄司氏の小説の口語体は(中略)あまりに都会的で、いわば甘えっ児の饒舌体には違いないけれど、それが全体としていかにも軽やかに使いこなされている。甘ったれたおしゃべりにも、自己満足の押しつけがましさとならずに、機智とユーモアの余裕があり、遊びとなっている」(187頁)。

引用した部分にはないけれど、佐伯は「解説」の中で自分のことを「ぼく」と書いている。最初、佐伯は庄司の饒舌な文体に影響されているのかと思ったが、佐伯は1922年生まれ、1937年生まれの庄司よりも15歳年長であることを考えると、それは考えにくい。このことを確認するためには、『赤頭巾ちゃん気をつけて』と出会う前の佐伯の文章を読んでみることだろう。

書庫を探すと、講談社版『日本現代文学全集』に『現代文藝評論集』という巻があって、その中に、佐伯の「伝記と分析の間」(1967)という文章が収められていた。ラッキー。

「あるいは、確たる主張や、批評家の立場という問題ではなかったのかも知れない。たんなる個人的な好み、さらには体質的な傾向のせいにすぎなかったかも知れない。ぼくはかねがね伝記的な批評というものが大きらいであった。伝記的な批評というのは、作家の伝記を基軸にして作品を解釈し、位置づけようというやり方であり、しばしば作品の中にまた裏側に伝記的な事実を探し出すことに熱中し、作品は、つまりは作家の個性に至りつくための媒材と見なされがちになる。」(379頁)

引用したのは冒頭の部分である。冒頭で「あるいは」という語を使うのは奇をてらった書き方で、一種の倒置法なのだが、何に対して「あるいは」なのか読者をして面食らわせる。「ぼく」の使用といい、佐伯はすでに饒舌体の文章を書いていた。むしろ庄司薫の方が佐伯の文体の影響を受けていたのかもしれない。『赤頭巾ちゃん気をつけて』がサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』の影響を受けていることは周知のことだが、アメリカ文学研究の専門家である佐伯がサリンジャーと庄司薫を媒介する役割(アメリカの作家の文体を日本語に変換するための)を果たしていたと考えることは検証してみるに足る仮説ではなかろうか。

だいぶ道草をしてしまった。

今夜収録する予定の放送原稿に手を入れる。

夕食は麻婆茄子、小松菜と玉子の炒め、春雨サラダ、味噌汁、ごはん。

食事をしながら『岸辺露伴は動かない』第4話(録画)を観る。去年の年末からの続編である。

オンデマンド授業「ライフストーリーの社会学」の年明けの講義の収録。パソコンを2台使って、少し凝った収録になる。テイク1はミスをして、テイク2でOK。収録時間は33分48秒。

風呂から出て、今日の日記を付ける。

2時過ぎに就寝。


12月28日(火) 晴れ

2021-12-29 11:19:21 | Weblog

10時、起床。二度寝して寝坊した。このところ遅寝ふつう起きが続いて、寝不足気味だった反動だろう。

トースト(はちみつ&オリーブオイル)、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

門松を飾る。

玄関ドアに正月用リース。

玄関のニッチも正月バージョンに。

寅の出番です。

チャイに気づかれないようにカーテンを下ろしておく。

昨日のブログを書いてアップする。

年賀状(返信用)の印刷をする。先日、いっぺんに印刷するつもりだったのだが、途中で黄色のインクが切れてしまい、アマゾンで注文したのである。

昼食はラーメン。

いただきものの八ツ橋を食べる。

あん入りの生八ツ橋は子供のころから好きである。形状は餃子に似ている。

ソファーで昼寝。横になるわけではなく、座ったまま眠る。ちゃんと夢まで見た。

仏壇の掃除と一階の流しの掃除。

あっという間に日が暮れる。

夕食は「マーボ屋」でテイクアウトしようと思ったが、客で混んでいて(本日が年内最終営業日ということもあるのだろう)無理だったので、駅ビルの地下の「銀座アスター」の惣菜店で、油淋鶏、酢豚、八宝菜を買って来る。2割引きの時間帯だったので、全部で2500円。

食事をしながら『サラメシ』の年末スペシャル(コロナ禍の新入社員特集)をリアルタイムで観る。

オンデマンド授業のコンテンツの収録準備。年明けの授業は6日からなので(二日前にはコンテンツをアップしたい)、正月三が日をのんびり過ごすには年内に収録をすませておかなくてはならない。

風呂から出て、今日の日記を付ける。日記の内容が「一日を振り返る」ではなく「一年を振り返る」的なものになるのはこの時期ならではである。

2時過ぎに就寝。


12月27日(月) 晴れ

2021-12-28 13:53:18 | Weblog

8時半、起床。

本年も残り5日となりにけり。

トースト(はちみつ&オリーブオイル)、たらこクリームパスタ、サラダ、牛乳の朝食。

本日の『カムカムエブリバディ』。主人公が安子からるいに替わり、舞台も岡山から大阪に移り、まったく別の朝ドラが始まったようであるが、るいの額の傷が連続性を担保している。

今日も寒いが、昨日よりは心持ち温かい。

11時半に蒲田駅でAさんと待ち合わせる。写真NGで、匿名希望である。そういう方はたまにいる。もちろんご希望どおりにいたします。

蓮沼駅の近くの蕎麦屋「上むら」へ行く。

鍋焼きうどんを注文する。Aさんも同じだが、私は「上」で、彼女は「並」。「上」には餅と鶏肉が入っている。鶏肉はなくてもかまわないが、餅は必須。海老天、玉子(生)、餅は「完璧な鍋焼きうどん」のための必須アイテムだ。

びっくりしたのはAさんは鍋焼きうどんを初めて食べるということ。ホントですか?!「鍋焼きうどんというものがあることは存じていましたが、実際に口にするのは初めてです」。で、いかがですか?。「とても美味しいです!」。それはよかった。『ローマの休日』のグレゴリー・ペックのような気分になる。

ちなみに村上春樹が「最後の晩餐」に食べたいものは鍋焼きうどんだそうである。『村上RADIO』の中で何度か聴いた。

「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」

いうまでもなく彼のデビュー作『風の歌を聴け』の冒頭である。しかし、草稿段階では、「絶望」ではなく「鍋焼きうどん」となっていたというのは、研究者の間ではよく知られた事実である(というのはもちろん嘘です)。

腹ごなしの散歩を兼ねて池上まで一駅歩く。

食後のスイーツは「池田屋」で。

葛餅を注文。私は黄粉に黒ゴマが混じったもの、Aさんは黄粉だけのもの。葛餅は初めてではないようで、「黒蜜は好きなので多めにかけます」と言ってかけていたが、私から見るとそれほど多めとは見えなかった。たまにトンカツソースのようにドバドバかける人がいるのである。

 

 葛餅や蜜かけすぎし老紳士 たかじ

昨日のブログにも引いた句。ちなみにこの「老紳士」は「おっ、かけすぎてしもうた」と呟く笠智衆のイメージ。あるいは「あっ、かけすぎちゃったな」と呟く中村伸郎のイメージ。どちらも小津安二郎の映画に登場する俳優である。小津の映画がお好きなAさんは私の雑談に「なるほど!」と相槌を打った。

本門寺にお参りに行く。

静かな境内だが、大晦日と三が日は参拝客であふれることだろう。

もう一軒のカフェでコーヒーを飲みましょうと「ハナコーヒー」に行ったら閉まっていた。昨日が年内最終営業日だったのだ。

蒲田に戻って「テラスドルチェ」へ行く。

サイホンで淹れたコーヒーを飲みながら(彼女はブラックで、私は砂糖とミルクを入れて)、身の回りの話や、来し方行く末の話をする。

蒲田駅の改札でAさんを見送る。どうぞよいお年を。

帰宅して、書斎の窓ガラスと網戸の掃除。

日没までもう少し時間があるので、続いて、一階の和室(2つ)とダイニングの窓ガラスと網戸も掃除もする。

掃除が済んで日が暮れる。

「まやんち」に大晦日のテイクアウトのお菓子(木の実とドライフルーツの生キャラメルタルト)の取り置きの電話をする。

寿司屋に正月三日の出前の注文をする。

夕食は餃子、サラダ、ワカメと玉子のスース、ごはん。

食後に林檎。いただきものの林檎だが、年内に食べ終わりそうである。

食事をしながら『スーパー・リッチ』最終回(録画)を観る。

『村上RADIO』をタイムフリーで繰り返し聴きながら、机の中の片付け。

風呂から出て、今日の日記を付ける。

2時、就寝。


12月26日(日) 晴れ

2021-12-27 11:12:28 | Weblog

8時半、起床。

トースト(はちみつ&オリーブオイル)と紅茶の簡単な朝食をとりながら昨日のブログを書く。

背後の窓のところで(積んであった本をどけたので)、チャイが外を見ている。凝視している感じだったので、何だろうと目線を追ってみると、玄関脇のハナミズキにメジロが来ていた。

よく晴れているが寒い。風はないのだが、空気が冷え切っている。

11時半に蒲田駅で卒業生のキョウコさん(論系ゼミ1期生)と待ち合わせて、下丸子の「喜楽亭」へ行く。

私は月イチペースで来ているが、ここに卒業生を連れて行くのは彼女で二人目(一人目は彼女とゼミ同期のアズサさんだった)。

彼女も私と同じチキンカツ定食を注文(ごはんは少な目で)。学生時代に住んでいた街の定食屋さんを思い出してようである。「チキンカツ、同じ味です!」

完食した。しかも食べるペースがはやい。

実は彼女、6月に長年務めた国会議員の秘書を辞め、来年の参議院議員選挙にみずから出馬しようと準備中で、全国の支援団体を回っているのである。彼女のツイッターをフォローしてそのようすを見ているのだが、かなりタイトなスケジュールで、たぶん食事もそそくさと食べる習慣が身に着いたのだろう。

私はいつものように「喜楽亭」のご主人と雑談を交わすのだが、彼女もそれに加わって、長居をした。まだ1時前だが、ごはんがなくなってしまったとかで、雑談の最中に三組ほどの客が入って来たのだが、「すみません、ごはんがなくなっちゃって」と謝っていた。なくなるの早すぎませんか?(笑)

「よいお年を」の挨拶をして店を出る。

食後のコーヒーは蒲田に戻って。寒いので駅の近くのカフェにしましょう。

サンロード商店街の中の「テラスドルチェ」。

サイフォンで淹れるコーヒー。

彼女と会うのは去年の12月以来。ただし、去年の4月に大学からの帰り、大手町の駅で乗り換えるときにホームでばったり彼女と遭ったときのことをカウントすると、8カ月ぶりということになる。「アフタヌーン・キョウコ」と学生時代は呼ばれ(私が名付けたのである)、のんびり、ほんわかしたムードを漂わせていたが、でも、議員という仕事の重要な一面は、人の話に耳を傾けるということだと思うので、彼女には向いていると思う。

彼女はまだ池上本門寺に行ったことがないというので、お参りに行く。参道商店街の風船のお店の前で。彼女、本物の犬だと最初思ったのである。

さあ、上りましょう。

身辺警護の方ではありません(笑)。

階段下と山門(仁王門)前には露店の準備がされている。

「大きなお寺なんですね」と驚いていた。はい、日蓮宗の総本山ですから。

大堂に参拝した後、線香を大香炉に立てる。

池上会館の屋上庭園の展望台に上る。

時刻は3時半。あと1時間ほどで日没である。

五重塔をバックに記念撮影。

さて、下りて、最後のカフェに行きましょう。

寺町らしく和の甘味処「池田屋」へ。

葛餅を注文(「久寿餅」は当て字)。

ここでは黒蜜は自分でかける。たいていの場合、初めての人はかけすぎる傾向にあるが、彼女もそうだった。でも、好き好きですから。

 葛餅や蜜かけすぎし老紳士 たかじ

「今日は久しぶりに休日らしい休日を過ごせました」と彼女。それはよかった。

彼女を蒲田駅の改札に見送る。頑張って。そして健康第一でね。

帰宅して、「山下達郎のサンデーソングブック」をタイムフリーで聴く、先週に続いて竹内まりやとの「年忘れ夫婦放談」。

夕食はもつ煮込み、薩摩揚げ、サラダ、味噌汁、ごはん。

『村上RADIO』をタイムフリーで聴く。冒頭、「こんばんは」と「村上春樹です」の間が2秒ほど空くのが独特である。

部屋の片づけをしながら、『サンソン』と『村上RADIO』をもう一度聴く。

風呂から出て、今日の日記を付ける。

2時半、就寝。