フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

2005年5月(後半)

2005-05-31 23:59:59 | Weblog

5.16(月)

 久しぶりのいい天気だったので、ベランダにリクライニングチェアーを持ち出して猫と一緒に日光浴をしたが、思いのほか陽射しが強く、早々に室内に退却。私は陽焼けをしやすい体質で、おまけに散歩好きときているので、夏はもちろんのこと、秋や冬も浅黒い顔をしている。妻曰く、「どうみてもインテリにはみえないわ」。確かに。そのせいだろうか、私は店で物を買ったり、食堂で注文したりするときの口調は、自分で言うのもなんだが、たいへん紳士的である。オール丁寧語である。意識してそうしているのではなく、自然とそうなるのである。たぶんそうやって見かけの印象を緩和しているのだ。ゴフマン言うところの印象管理(impression management)である。昔、街の将棋クラブで本物のヤクザと将棋を指したことがある。チンピラと違って、本物のヤクザというのは礼儀正しい。眼光は鋭いが、駒を投じるとき、きちんと「負けました」と言って頭を下げる。勝負が着いて、感想戦をしているとき、彼が私にこう尋ねた、「おたくはどちらの組の方ですか」。私の印象管理のテーマの少なくとも一つは、「私はその筋の者ではありません」ということをアピールすることにある。

 

5.17(火)

 今日は会議が2つ。社会学専修の教室会議と教授会。午前中から始まって、終わったのは午後6時半頃。一部の方々は、その後さらに別の会議があった。会議が1つ終わるたびにいろいろなことが少しずつ決まっていくが、同時に、新しい案件も増えていく。深夜、近所の自動販売機に飲物を買いに出る。フルーツカルピスの苺とマスカットを買って、夜道を帰る。見上げると、牛飼い座の一等星アークトゥルスが瞬いている。悠久の時間の中の星々を眺めていると、何学部で何の科目を担当するかなんてことは些末な問題に思えてくる。目の前にいる学生たちを相手に精一杯の授業をすること。教員の仕事はただそれだけである。

 

5.18(水)

 「社会学研究9」の講義記録を仕上げてから昼飯を食べに外に出る。「やぶ久」で天ぷらうどん。濃い目の汁で煮込んだうどんが美味しい。この味は駅の立ち食い蕎麦屋では無理である。会計のときいつものように「サービス券」をもらうが、30枚で600円相当の品を食べられるという気の遠くなるようなシステムで、いつも後で捨ててしまう。30枚ですよ、30枚! 毎日通ったとしても1ヵ月かかる。まして私は1週間に1回程度だから、半年以上かかる計算になる。それで600円相当の品ですからね。時代錯誤的なシステムだと思うけどなぁ。実際にこれで支払いをしている客をいままで一度も見たことありませんしね。腹ごなしに熊沢書店と栄松堂を回って、東海林さだお『ホットドックの丸かじり』(朝日新聞社)、鈴木謙介『カーニヴァル化する社会』(講談社現代新書)、大庭みな子『津田梅子』(朝日文庫)、河原和枝『日常からの文化社会学』(世界思想社)、樫村愛子『「心理学化する社会」の臨床心理学』(世織書房)、近藤裕己『演じられた近代』(岩波書店)を購入。「追分団子」で柏餅とみたらし団子を買って帰り、妻と食べる。啄木ならば花を買って帰るところだが、我が家の場合は花より団子である。夜、『カーニヴァル化する社会』を読む。面白い。

 

5.19(木)

 大学へ向かう電車の中で携帯電話にメールが届いた。卒論指導をしているF君からである。体調不良のため卒論ゼミを欠席しますとの内容だった。卒論ゼミは明日なのだから、欠席するかどうかは一晩様子をみてから判断すればよいのにと思ったが、よく考えてみると、卒論ゼミは今日なのであった。危うく忘れるところだった。よかった、F君から欠席のメールが来て。ところが、さらによく考えてみると、F君は本日の報告者のうちの一人である。今日の報告はAさん一人だけかと思いつつ、待っていると、他の学生たちはみんな揃っているのにAさんだけやってこない。おかしいなと思いつつ、念のためPCのメールを開いてみると、なんと体調不良のため欠席しますとのメールが届いているではないか。報告者二人とも欠席である。こういう事態は初めてである。しかし、いたしかたない。私の高校2年生の息子も今日は発熱で学校を早引けしてきた。風邪が流行っているようだ。しばしの雑談の後、本日の演習の中止を告げる。

 夕方、卒業生のI君が研究室に顔を出す。長らく高田記念図書館に派遣社員として勤めていたが、今度、早稲田総研に就職が決まって、その報告に来てくれたのだ。あれこれ話をしたが、今年で102歳になられる彼のお祖父さんの話が興味深かった。なにしろ明治36年、日露開戦直前のお生まれである。日露戦後100年の日本人の「人生の物語」という私の大学院の演習テーマの生き証人ではないか。

 7限の基礎演習は、8つの班が10分ずつ報告をした。課題は先週の授業の終わりに出した「電車空間での暗黙の規範について」。車内の人々を観察して、できたら何かの実験をして、その結果を報告しなさいというもので、本格的なグループ研究のための練習問題といったところである。それぞれに見所のある報告だった。もちろん反省すべき点の方が多いのだが、それはこれからぼちぼち反省、修正、向上すればよいわけで、ついこの間まで他人同士であった4人ないし5人のメンバーが協力しあって一つのプロジェクトをやり遂げたということが重要なのである。

 授業が終わって研究室に戻ると、二文4年生のEさんとMさんがドアの前で私を待っていた。二人とは春休みの間、ギデンズ『社会学』をテキストにした読書会をやっていたが、学期中は読書会はお休みである。二人とも大学院へ進学希望で、今日は研究テーマの相談だった。大学を出たのは11時。帰宅すると、この春大学を卒業したKさんから謝恩会のときの写真が届いていた。室内撮影のせいだろうか、早くもセピア色をしている。Kさんは金融関連の事業本部に配属がきまったそうだが、それは思ってもみなかった部署だったようで、「金融って何ですか?」という感じらしい。大変かも知れないが、知らないことを一から勉強するというのは楽しいことでもあるだろう。少なくとも、そう思って頑張ってもらいたい。若者たちが将来へ向かって手探りで歩み始める季節である。

 

5.20(金)

 5限の調査実習の授業の後、研究室でブログ班(ウェッブ日記にみる「人生の物語」を分析する班)の面々と相談。途中から場所を文学部前の「レトロ」に移して相談(雑談?)続行。男子学生2名、女子学生3名から成る班であるが、SさんとMさん(こう並べるとなにやら怪しげだが)は自身もブログをやっていて毎日更新している。他のメンバーもブログというものを体験的に理解するために期間限定でやってみたらと勧める。一種の参与観察である。ところで、女子学生3名は「レトロ」でオムライスを注文したのだが、そのうち2名は大盛を注文した。私はこれに新鮮な感動を覚えた。以前、文学部側のうどん屋「ごんべえ」でカツ丼を注文する女性たちの集団をみたときも新鮮な感動を覚えたが、その集団は弓道部か何かだったので、「スポーツ選手=大食い」という図式で理解することが可能だった。しかし、今日の2名は普通の女子学生なので、彼女たちの口から「大盛」という言葉が出たときには、あぁ、時代は変わったのだと思った。そういう瞬間というのがたまにある。

 

5.21(土)

 地下鉄早稲田駅を出て文学部に行く途中のコンビニで昼食用のおにぎり3個とお茶を買う。土曜日の昼食はこのパターンが多い。本当は昼食は外に出てとりたいのだが、2限の授業が終わって研究室に戻ってくるのが12時20分頃で(授業の最後に出席カードを配り、裏面に質問や感想などを書いてもらっているので、どうしてもそのくらいになる)、それから外出して食事となると、3限の授業が控えているので気忙しいのである。昼食時間というのは、食事をする時間だけあればいいというものではなく、胃に入ったものが胃の中で落ち着く時間も必要である。食休みもなく教壇に立つなんて真っ平ご免である。昔、昼休みはきっちり1時間であったと記憶している。それがいつからか50分になった。いつなんどきさらなる短縮が行われないとも限らない。時代の趨勢はスローフード、スローライフにあるとはいえ、時間という資源を節約したがる風潮はいまだ組織の中に根強く残っているからである。ちなみに本日のおにぎりは、鮭と昆布と梅干であった。コンビニには変わり種のおにぎりがいろいろと並んでいるが、結局、これがマイ・ベスト3である。

 

5.22(日)

 昼、「やぶ久」で今年初めての冷やし中華を食べる。とくに冷やし中華が好物というわけではないが、「冷やし中華の季節になったな」という気分の下に食べるのが肝心なのである。5月は柏餅と初鰹、そして冷やし中華なのである。冷やし中華を食べるとき、いつも迷うことがある。それは麺の上に載っている各種の具をかき混ぜて食べた方がいいのか、そのままにして食べるのがいいのかということである。今日は見かけの美しさを重視して、かき混ぜずに食べることにした。「やぶ久」の冷やし中華はハムではなくチャーシューの細切りが載っている。その一画は豪華である。錦糸玉子の一画も魅力的だ。しかし、ここを先に食べてしまうと、後にはキュウリの千切りと蒲鉾の細切りとワカメの区画が残ってしまい、侘びしい気分になることは必定である。かき混ぜずに食べるときはこのバランスに細心の注意を払わなくてはならない。依怙贔屓は禁物である。冷やし中華の作法は教師の心得に通じる。

 娘が来年の成人式用の着物姿で近所の写真館で記念写真を撮った。成人式当日は美容院も写真館も大変な混雑であるから、こういうふうに適当な時期に記念写真を撮るものらしい。写真館から帰ってきた娘が着ている着物には見覚えがあった。結婚前の妻が着ていたものだ。白を基調にした上品な柄の着物である。地味といえなくもないが、幸いにしてというべきか、娘は私に似て目鼻立ちがはっきりしているので地味な印象はない。ふだんは垂らしている前髪をアップにして広めのおでこを出している娘は、メイクのせいもあって、ハセキョー(長谷川京子)に似ている。居間でにわか写真撮影会。K君も来ていて、妻がK君に娘と一緒に並んで写真に収まるように勧めると、K君がそうしようとしたので、「私は許可していないが・・・・」とカメラマンである私が呟くと、K君、「ワオッ!」という感じで娘の側から跳び退いたので、一同爆笑。

 

5.23(月)

 ブログをやっている人は多い。書斎のPCのインターネット・エクスプローラの「お気に入り」には有名人(鶴田真由さんとか)のブログや個人的な知り合いのブログがいつくか登録されている。気楽に読める内容のものがほとんどだが、自我の中核に向けて垂直に井戸を掘り進むようにして書かれているブログもいくつかある。相当のエネルギーを要する作業であることは容易に想像がつく。投下されたエネルギーはときにカタルシスを生む。しかし、ときに強烈な自己嫌悪も生む。自己の探求においてカタルシスと自己嫌悪は紙一重である。そのため、自我の中核に向けて垂直に井戸を掘り進むタイプのブログは、ある日突然、跡形もなく消えてしまうことがある。学生や卒業生のブログでそういうことがたまにある。夜空から馴染みの星が消えてしまったような気分になるが、いたしかたあるまいという気持ちの方が強い。今日、たまたまインターネットを検索していて、一昨年の秋頃にそうやって消えてしまったブログの書き手が、別のタイトル、別のハンドルネームでブログを再開していることがわかった。ブログなので、コメントを送ることは可能だが、見知らぬ土地で新しい名前で生きることを決意した人間に声をかけるのはやめておこう。声なき読者の一人でいよう。

 

5.24(火)

 午後、会議が二つ。心はずまない。気分はすでに梅雨である。帰りがけに生協文学部店をのぞいて、井山弘幸『お笑い進化論』(青弓社)を購入。1999年に始まった『爆笑オンエアバトル』以降の漫才やコントを分析対象とした「お笑い」論である。卒論で東西のお笑いの比較論をやとうろしている学生がいることが購入の直接の動機だが、私自身、『爆笑オンエアバトル』のファンだったので(最近はほとんど見ていないので過去形で書くが)、その笑いの仕組みについて考えてみたいと思っていたということもある。泣ける映画の仕掛けは単純であるが、お笑いの仕掛けは一筋縄ではいかない。そこが面白いのだ。

 

5.25(水)

 終日、授業の準備。石川啄木の歌集を読む。啄木にとって家庭は必ずしもあたたかく、やすらぎのある場所ではなかった、ということがヒシヒシと伝わってくる。

 

 雨降れば

 わが家の人誰も沈める顔す

 雨はれよかし

 

 親と子の

 はなればなれの心もて静かにむかふ

 気まづきや何ぞ

 

 とかくして家を出づれば

 日光のあたたかさあり

 息ふかく吸う

 

 夜明けまであそびくらす場所が欲し

 家をおもへば

 こころ冷たし

 

 人がみな家を持つてふかなしみよ

 墓に入るごとく

 かえりて眠る

 

 旅を思う夫の心!

 叱り、泣く、妻子の心!

 朝の食卓!

 

 明治40年代は現代の地平にある。

 

5.26(木)

 木曜日は5限(卒論演習)と7限(基礎演習)の2コマなので、家を出るのはギリギリ午後3時半で間に合う。一週間で一番遅い出勤である。電車の中で明日の演習(調査実習)の課題文献である山田昌弘『希望格差社会』に目を通す。論旨が明快なのでスラスラ読める。こんなにスラスラ読めてしまっていいのかと思うくらいスラスラ読めてしまう。立ち止まるべきなのだ。疑ってかかるべきなのだ。この明快さには何処かに落とし穴がある。そういう警戒心をもって読むべき本であるように思う。

 

5.27(金)

 3限の大学院の演習は隔週で私が報告をするのだが、今週は私の番で、明治40年代から大正中頃へかけて起こった人生の物語の新たな「場所」(故郷や場末や郊外や田園や家庭など)の形成について述べた。その中で石川啄木『一握の砂』や広津和郎『神経病時代』や佐藤春夫『田園の憂鬱』や田山花袋『田舎教師』といった文学作品に言及したのだが、院生諸君は啄木以外の作家や作品についてはほとんど知らないようであった。確かに啄木は日本文学史上に輝く星々の中でも一等星クラスで、それに比べると他の3人は二等星クラスかもしれない。しかし、漱石、鴎外、龍之介・・・・といった一等星クラスしか知らないというのでは夜空の眺めは都会並に淋しいのではないだろうか。満天の星(六等星クラスまで見える場合の形容であろう)とまではいなかくても、二等星、三等星クラスまでは知っていてほしいし、見えていてほしいと思うのである。そうでないと、近代日本の「人生の物語」を論じるときに文学作品という格好のリソースを使いづらい。5限の調査実習の後の時間に研究室で小説班と相談をしたときも、学生文化の中での小説の地位の低下ということを実感した。おそらく一番高い地位を占めているのは音楽で、二番目が映画ではなかろうか。TVドラマはもう少し下で、小説はそれよりもさらに下だろう。伝統ある早稲田大学文学部のキャンパスにおいてそうなのであるから、一般の青年文化の中での小説の地位の低下は推して知るべしである。そういえば通勤電車のシートで背筋を伸ばして文庫本を読んでいる若い女性の姿を見かけなくなって久しい。思い出すと、彼女たちの横顔はみな美しかった気がする。

 

5.28(土)

本日は野球の早慶戦の日。昔は早慶戦の日は休講というのが暗黙の了解であったが、そうした牧歌的な時代は終わったのである。補講を伴わない休講はダメというのが本部からのお達しである。しかし、私は授業の最終回に教場試験をするので(そうしないと7月中に採点作業が終わらない)、その後の補講期間に授業をしても仕方がない。よって本日は授業を行う。学生はいつもより少なめだが、激減ということはない。巨人戦の視聴率が低下しているように、早慶戦の観戦率も低下しているのかもしれない。ちなみに私自身は早慶戦には一度も行ったことがない。

 2限と3限の講義を終えて、4限の時間に研究室で二文のアドバイザー面談。今年度、私が担当するのは5名(全員3年生)だが、今日はそのうちの3名(T君、Sさん、Tさん)とグループ面談。関心のあるテーマについて話をしてもらい、今後、月に一度のペースで勉強会をしましょうということなった。引き続いて5限の時間に二文のYさんとK君の卒論指導(初回)。一文と違って、二文は卒論が選択科目なのだが、3年生の10月に卒論計画書を提出して12月の仮指導からスタートするコースと、4年生の科目登録のときに卒論計画書を提出するコースの二通りがある。YさんとK君は後者。4月早々に卒論計画書を提出しても、あれこれの段階を経由して指導教員が決まり、その通知が学生に届くのは5月半ばなので、実質的な指導期間は半年である。半年で卒論が書けるのかとお思いの方もいると思うが、逆に言えば、半年で書ける程度のものでかまわないということである。卒論という言葉は同じでも、昔の卒論とは重みが違うのである。そういう軽量化した卒論であっても、卒論に取り組むことには大いに意味があると私は考える。知識というのはインプットするだけでは本当には身に付かない。アウトプットの作業で使用できて初めて身に付いた知識といえるのである。また、アウトプットの作業を自分に課すことで、インプットの作業も活発になる。書くためには読まなくてはならない。論文の原料は論文(本)なのである。

 夜、木曜日に録画しておいた『恋におちたら』を見る。主人公鈴木島男の人格に変化が表れ始めた。来週はすごいことになりそうである。就寝前に、来週一週間の仕事のリストを作成し、曜日の割り振りを行う。しばらく映画館で映画を観ていないなと思う。

 

5.29(日)

 娘が私の書斎にやってきて私が読みかけの井山弘幸『お笑い進化論』(青弓社)をもっていった。半分くらい読んで居間のテーブルの上に置いてあったのを、今度は息子が読み始め、とうとう最後まで(飛ばし読みであろうが)読んでしまった。二人とも本書が扱っている「お笑い」のファンで、ラーメンズの公演のチケットを苦労して取っては観に行っているだけのことはある。

 小林 高橋! あいつ来てくれるんだ、うれしいなあ。

 片桐 さっき電話したら高橋も誘ってみるって。

 小林 えー、高橋はいいよ。

 片桐 そんなこと言うなよ。ああ見えて高橋はけっこういいやつだぜ。

 小林 お前って優しいんだな。高橋みたいだ。

 片桐 あ、そうそう、高橋いるじゃん。

 小林 高橋ってどっちの高橋?

 片桐 高橋のほう。

 小林 ああ、高橋じゃないほうのな。

 注:このコントでは小林も片桐も「高橋」という人物なのである。

 井山はこのラーメンズのコントを別役実の不条理喜劇との関連で論じているが、私なら童謡「南の国のハメハメハ大王」(♪南の島に住む人はみんな名前がハメハメハ 覚えやすいがややこしい 会う人会う人ハメハメハ・・・・)を引き合いに出して論じるだろう。青弓社ライブラリーには先に出版された大田省一『社会は笑う ボケとツッコミの人間関係』がある。今後、「お笑い」を題材にしたカルチュラルスタディーズをやろうとする者にとって、この二冊は必読文献となるだろう。卒論指導を担当しているM君にも先日メールで本書を薦めておいたから、次回の報告ではレビューが聞けるだろう。

 

5.30(月)

 終日、雨。「走り梅雨」という言葉があったことを思い出す。昼、オレンジマーマレードとハムのサンドイッチを作って食べる。食後、録画してあった先週の『夢で逢えたら』を観る。長塚京三と矢田亜希子(父と娘)が浅草の「駒形どぜう」で泥鰌鍋をつつくけっこう長いシーンがあって、「産卵前のいまの時期の泥鰌は脂がのっていて一番旨いんだ」と長塚が言っているのを聞いていたら、泥鰌鍋が食べたくなった。甘辛い汁で煮込んだ泥鰌に薬味のネギをたっぷりとかけてふうふう言いながら食べるのだ。泥鰌鍋は数年前に当時の教務のメンバーと深川の「伊せ喜」で食べたのが最後だ。誰か泥鰌鍋に付き合ってくれる人はいないかな。泥鰌鍋を前にして酒も飲まずに一人で黙々と飯を食べるというのはいかにも無粋である。「泥鰌鍋のれんも白に替わりけり」(大野林火)。

 

5.31(火)

 朝方は昨日からの雨がまだ残っていたが、午後から晴れ上がる。会議が2つ。戸山図書館運営委員会と文化構想学部の運営準備委員会。それぞれ2時間ほど。だいぶ風通しのいい会議になってきた。

夜、文学部の事務所のNさん、Mさん、もう一人のMさんから相次いでメールが届く。明日、6月1日付で他の部署に異動になりますという挨拶のメールだった。私が二文の学生担当教務主任をしているとき、その後の一文の社会学専修主任をしているとき、いろいろとお世話になった方々だ。みなさん有能な上に、快活な人柄で、本当に仕事がやりやすかった(というか、仕事が頼みやすかった)。あれこれの案件に必要以上にエネルギーを奪われることなく、授業に集中できたのはみなさんのお陰です。ありがとうございました。いつかまたご一緒に仕事をさせていただく日が来ると思いますが、そのときはよろしくお願いします。


2005年5月(前半)

2005-05-15 23:59:59 | Weblog

5.1(日)

 J.M.クッツェー『恥辱』を読んだ。これほどの余韻を残すラストシーンにはそう出会えるものではない。文学の力というものを再確認する力作である。

 

5.2(月)

 連休の中日である。終日、書斎で仕事。特に仕事のペースが上がるわけではない。早くも遅くもないペースだが、中断されることがないのがありがたい。毎月、第一週がGWであったらなと思う。夕食の食卓でひさしぶりに娘の顔を見た。大学の演劇研究部の春期公演が先日まであって、連日帰宅が遅かったのだ。今回、彼女は女優ではなく、作・演出を手がけた。「マシマロ」というタイトルの劇で、何か原作があるのかと尋ねたら、オリジナルとのこと。1時間半の芝居の脚本を書くというのはけっこう大変であったろうと想像する。卒論一本分くらいのエネルギーが必要だろう。私は観に行けなかったが、妻の話によると、なかなかのものであったそうだ(K君はオカマの役だったという。いいキャスティングかもしれない)。ビデオがあるそうなので、いずれじっくり観せてもらおう。娘が女優として出ている芝居より、作・演出の芝居の方が冷静に観ることができるだろう。

 

5.3(火)

 今年のGWは天候に恵まれている。初夏の陽射しとさわやかな風。避暑地にいるようである。今日も終日、書斎で仕事。いまのペースならGW中に予定している仕事の9割は終えることができそうだ。快調、快調。しかし、その一方で、気になるのが運動不足である。衣替えをして夏のズボンに履き替えたのだが、どれもウエストが窮屈である。気がついてみると、この3日間、一歩も外に出ていない(ベランダ以外は)。出たいとも思わない。あれやこれやの会議で無理矢理引っ張り出されることが多いので、その反動かもしれない。中年の引きこもりである。しかし、電話という文明の利器のおかげで、自宅に引きこもっていても学内政治の三文オペラからお声がかかる。長い電話であった。映画を一本観られるくらいの時間だった。フレンチのフルコースを食べ終えることのできるくらいの時間だった。メロスにあげたら友との約束を楽々果たせる時間だった。結婚詐欺師なら初対面の女性から預金通帳と判子をまきあげることができたかもしれない。15分で自動的に回線が切れて、24時間経過しないと同じ番号にかけることができない電話というものを誰か発明してくれないか。

 

5.4(水)

 今日は2回外出をした。昼食にテイクアウトの寿司を買いに出たときと、夕食を家族と食べに出たときである。薫風というやつが気持ちよかった。夕食の帰り、近所の花屋「サッチモ」で花束を買い、私の両親に孫二人から手渡す。今日は両親の54回目の結婚記念日である。二人が結婚していなければ、私も子どもたちもこの世に存在しない。妻は他の誰かと結婚し、違う人生を歩んでいたであろう。そう考えると、なんだか不思議である。花束を贈ろうと言い出したのは妻である。私と出会えたことを感謝しているのだ。きっとそうに違いない。たぶんそうだと思う。そういうことにしておこう。

 

5.5(木)

 GWも今日で終わり。明日印刷所に渡す報告書の原稿の最終チェック、明日の大学院の演習と学部の調査実習の授業の下調べ、それで一日が終わった。途中、近所のコンビニにコピーを取りに行ったのが唯一の外出。端午の節句ということで、菖蒲湯に入ったが、夕食のデザートはフルーツタルトだった。やはり柏餅にすべきだったのではないか。年中行事というものは型通りに行うことが肝要なのである。明日、一日遅れの柏餅を食べよう。たたみたる葉の起き上がる柏餅(三河まさる)。

 

5.6(金)

 油断をして風邪を引いてしまった。喉が痛くて声がかすれる。熱はないがちょっとばかり寒気がする。大学に出かける前に近所の内科医院へ行って、抗生物質と鎮痛剤を処方してもらう。今日の授業は2つとも演習(大学院と調査実習)で、私一人がしゃべり続けるものではないのがせめてもの救いである。夜、高田馬場の「&Tokyo」で調査実習のクラスコンパ(先週、卒論演習のコンパをしたのと同じ場所である)。幹事をやってくれたのはS君である。なぜわざわざイニシャルを載せたかというと、このフィールドノートに自分を登場させてくれとS君に直談判されたからである。フィールドノートに載せないで下さいと言われたことは何度かあるが、載せてくださいと言われたのは初めてである。S君は1年生のときに私の社会学基礎講義を履修し、2年生のときに私の社会学研究9・10を履修し、そして3年生の今年、私の調査実習を履修したのだが、いつかこのフィールドノートに登場することが夢であったという。へぇ、そういう夢というものもあるのかと私はびっくりしたが、そんなのお安いご用だよと答え、いまこうしてS君のことを書いているしだいである。S君(5回目だ)、これでいいかな?

 

5.7(土)

 明け方、ちょっとした地震があって、目が覚めた。ちゃんと声が出ず、あいかわらず寒気もする。今日は大きな教室での講義が2つある。ちょっと無理なのではないかと思ったが、朝食をとったらいくらか喉が楽になったので、大学に出る。2限の授業はお茶を飲み飲みなんとかこなしたが、3限の授業は途中で何度か吐き気がしてかなりきつかった。でも、たぶん学生の目には、思索に耽っては語り、語っては思索に耽っているように見えたであろう。ゲオルグ・ジンメルの講義がそんなふうであったと本で読んだことがある。

 

5.8(日)

 鶯谷の菩提寺でおせがき(施餓鬼)法要があり、妻と出かける。法要の前座として演芸(落語とパフォーマンス)が本堂であったが、母の話では昔は写経などをしていたのだが、先代の住職からそういう堅苦しい行事をなくしたのだとのこと。落語は「垂乳根」(大工が大家の勧めで妻をとることになったのだが、その妻がやたらに言葉遣いが丁寧で・・・という話)。落語家は違ったが前回の法要とのときと同じ演目だったので驚いた。法事のときの演目として「縁」にまつわる話を選択するのは自然なことだから、こうした偶然の一致が生じやすいのだろうが、やはり出演依頼のときに前回の演目は情報として伝えておくべきだったろう。妻は今回の方が上手だったと言っていた。パフォーマンスは「あいあいず」というサルの着ぐるみを着た男女二人組で、最初、どうみても幼稚園向けの出張演芸で法要の前座としては不向きなもののように思えたが、実はそれがさにあらずで、観客を巻き込んでの進行は洗練されており、笑いと拍手が途中で何度も起こった。夜、母の日ということで、私の両親も一緒に家族で外食。体調の方はあいかわらずで、帰宅して、風呂を浴び、瀬尾まいこの新刊(短編集)『優しい音楽』の表題作を読んでから、早々に就寝。

 

5.9(月)

 睡眠時間をたっぷり取ったせいだろう、昨日に比べるとだいぶ楽になった。これで今日一日、自宅で静養できれば体調もすっかり回復するはずなのだが、あいにくと会合の予定が一つ入っていて大学へ出なければならない。会合が早めに終わってくれることを念じつつ家を出た。・・・・会合は1時間半ほどで終了。首と肩の筋肉がひどく凝ったが、懸案が一つ片付いたのでやれやれである。ミルクホールで餡ドーナツを一つ購入し、食する。疲れたときはやはり甘いものである。

 

5.10(火)

 今日は午後から大学で会議が2つある。家を出る前にメールをチェックしていたら、M先生からメールが届いた。「ご報告」という件名だったので、学部再編がらみの用件かなと思って開いたら、今度結婚することになりましたという内容だったのでびっくりした。M先生は私より4つ年下だから今年で47歳。初婚である。3、4年前になるだろうか、M先生を結婚させようと仲間内であれこれ画策したことがあったが、結局、徒労に終わった。人柄は申し分ないのだが、結婚に必要な積極性というか、イニシアチブというか、要するに踏み込みが不十分で、「これでは実るものも実らないよな」と、われわれも最後は匙を投げたかっこうだった。そのM先生からの突然の結婚宣言メールだったから、思わず妻を呼んで、「あのね、M先生という人がいてね、私より4つ年下なんだけどね・・・・」と勢い込んで話してしまった。お相手の方は学部(一文)時代の同級生。当時から憎からず思っていた女性だったらしいが、卒業後数年で音信は途絶え、22年の歳月が流れた。ところが、昨年の9月にインターネットでM先生のホームページを見つけた彼女からM先生にメールが届き、何回かのメールのやりとりの後、12月に小林道夫のゴルトベルク変奏曲のコンサートで二人は再会を果たし、交際が始まったのだという。「正直、中年の恋愛がこれほど良いものだとは想像もしていませんでした」とM先生は書いている。コノヤロー、こんなことよくヌケヌケと書けるよな。いま、何時だと思ってるんだ。まだ午前11時58分だぞ。『笑っていいとも!』がこれから始まる時間だぞ(関係ないけど)。のろけるのもたいがいにしておきなさい。でも、いい話だ。やはり人生は生きるに値する。心からそう思える。M先生、おめでとう。それにしても、それにしてもだ・・・・、私だってホームページは開設しているが、学生時代に好きだった女性からメールが届いた経験なんて一度もないぞ。私の方がM先生より4年も長く生きているのに、おかしいな・・・・。しかし、理由はすぐにわかった。私は初恋の女性と結婚してしまっていたのだった。こんなことなら、一度や二度、失恋を経験しておくのだった。

 

5.11(水)

 今日はひさしぶりに自宅で仕事の日。午後、遅い昼飯をとりに外出。昨日の我が家の夕食はクリームシチューだった。どこの家庭もそうだろうが、こういう場合、翌日の朝食もシチュー、昼食もシチュー、・・・・ということになりがちである。私にはこれが苦痛である。一種の拷問と言ってよい。シチュー(市中)引き回しの刑である。妻に言ったら、「おやじギャク」と馬鹿にされたが、これはいわゆる「おやじギャク」とは一線を画する水準のものであることは、わかる人にはわかるはずだ。

「やぶ久」ですき焼きうどんを食べ、腹ごなしに有隣堂をのぞく。今朝の新聞記事で見たなんとかいう作家のなんとかいう本を探したのだが、作家名も書名も忘れてしまったので、これでは捜しようがない(でも、見れば「これだ!」と思い出すんですけどね)。結局、『加山雄三全仕事』(ぴあ)、東海林さだお自選『ショージ君の旅行鞄』(文春文庫)、中村うさぎ『愛か、美貌か』(文春文庫)、太宰治『斜陽、人間失格、桜桃、走れメロス 外七篇』(文春文庫)を購入。『加山雄三全仕事』は「若大将」のファンとして個人的にも、また戦後日本のポピュラーカルチャー研究の資料としても手元においておきたい本であることは明らかなのだが、価格が5000円とやや張ることと、男性タレントの本を男性客が買うことのセクシャリティ的意味に関して何らかの誤解をされる可能性が一瞬頭をかすめ、手にした本をレジに持っていくことにためらいを覚えた。しかし、これまでにも、鶴田真由のフォト&エッセー『晴れのち晴れ』(角川書店)を筆頭に好きな女性タレントの本はちゃんと買ってきた私である。男性タレントの本だからといって何をいまさら躊躇することがあろう。進め、社会学者。私は自分をそう鼓舞して、レジの列に並んだ。レジは複数あって、男性の店員が担当するレジと女性の店員が担当するレジがある。私はできれば女性の店員のところに行きたかった。つまり、「この人は加山雄三のファンなのだ」と男性に思われるよりも、女性にそう思われる方を望んだということなのだが、これはおそらくセクシャリティに関して何らかの誤解をされるのであれば、異性である女性からそう誤解されるより、同性である男性からそう誤解されるほうがキツイという判断が働いたためと思われる。これはなぜだろう。後日の課題としておこう。しかし、実際は、私の希望とは違って、目の前の若い男性の店員のレジが空き、「どうぞ」と声をかけられたため、いたしかたなくそこで支払いをすることになったのである。当然のことであるが、本屋の店員は客がどういう本を購入しようがそれに対して「オッ」とか「ワッ」とか「やれやれ」といった反応はしない。・・・・しないのであるが、そういった反応を必死に堪えているのではないか、無理に何でもないかのように振る舞っているのではないか、そう勘ぐってしまうのである。この辺の攻防、あるいは独り相撲の心理の分析は、アーウィン・ゴフマンのもっとも得意とするところであるが、日本では東海林さだおの右に出るものはいない。

 

5.12(木)

 先週末から風邪気味だったり、法事やら会議やらで外出することも多かったりで、授業の準備が押している。おまけに今度の土曜日は研究会があるので、その準備もある。普通に回転しているときはよいが、ちょっと予定が狂うと、週6コマはきつい。5限の卒論演習は欠席者が目立った(4名)。1名は地元に帰って就活だが、3名は体調不良である。GW明けに体調を崩したのは私だけではないようだ。7限の二文の基礎演習は今日からギデンズ『社会学』をテキストに使った授業が本格的に始まった。事前に今日取り上げる章に目を通して感想をBBSに書き込んでおくことを課題として出しておいたがのだが、33名中8名が課題をすっぽかして授業に出たので、注意する。教室に来て、私の話を聴いているだけで『社会学』の内容が身に付くと安易に考えてもらっては困る。各自がテキストと格闘した上で私の話を聞けば、ただ私の話を聴くよりも理解の度合いが何倍も違うはずだ。出席率は100%。和気あいあい、楽しく勉強してほしいが、楽をしようとはしないでほしい。

 

5.13(金)

 3限の大学院の演習は、前半が日露戦争の終わりから現在までのほぼ百年の時間の中での日本人の「人生の物語」の変容についての研究(私と受講生が交互に報告)、後半が「人生の物語」に関する理論的文献の講読(受講生が順番で報告)。今日の前半の担当は私で、群衆の「怒り」(日比谷焼き討ち事件)、志賀直哉の「不機嫌」(「大津順吉」)、田山花袋の「中年の危機」(『蒲団』)、石川啄木の「閉塞感」(「時代閉塞の現状」)などに言及しながら、明治40年代という時代の気分について論じた。後半は、これは先週から読み始めているのだが、ホルスタインとグブリアム『アクティブ・インタビュー』(せりか書房)の3章と4章の報告。前半、後半といっても、私の報告だけで1時間以上かかっているので、当然、授業時間は延長で、あらかじめ4限の時間も教室をとってある。時間の延長は大学院の演習では普通のことである。5限の調査実習(一文)も6限まで延長することがしばしばで、今日もそうなったが、途中で帰る学生はいない。時間の延長については講義要項に書いておいたので、みんなそれを承知で履修しているのである。金曜日は延長授業の日だ。6限まで延長しても空は暗くならない。ずいぶん日が長くなった。

 

5.14(土)

 講義を2つと研究会。全部が終わったのが午後5時頃。スロープ上の中庭に立って空を見上げる。一週間が終わったなと思う。一番ほっとするひとときかもしれない。帰宅の前に、研究室のテーブルの上を片付ける。次に来るのは来週の火曜日だ。そのときテーブルの上が片付いていることは、精神衛生上大切なことである。

夕食にそらまめが出た。私が皮を剥かずに食べていると、妻が呆れた顔で私を見た。「そらまめの皮は剥いて食べるものでしょ」と言う。「えっ、そうなの? 柔らかいじゃないか」と私。「皮と一緒に食べたら美味しくないでしょ」と妻。「好みの問題だろ」と私。「違う。そらまめの皮は剥いて食べるものなのよ」と妻。全然妥協の姿勢がない。息子は、二人のやりとりを横目に、黙って皮を剥いて食べている(最初に妻がそう仕込んでしまったのだ)。気になったので、インターネットで調べたら、「そらまめの皮調査委員会」というサイトがあって(何でもあるものなだぁ)、600名のアンケート調査の結果、皮を剥いて食べる者が45.7%、皮と一緒に食べる者が49.2%、その他が5.2%だったそうである。半々と考えてよいだろう。ほら、やっぱり好みの問題なんじゃないか。しかし、年齢別の集計結果をみると、40代以上は皮と一緒に食べる者が多く、10代と20代は皮を剥いて食べる者が多かったので、時代の趨勢は皮を剥いて食べる派にあるようだ。

 

5.15(日)

 GWが終わってからずっと気温の低い日々が続いている。本来の5月の気候ではない。まさかこのまま梅雨入りなんてことにはならないだろうが、なんだか損をしている感じがする。

南博編『大正文化』(勁草書房、1965)を読み始める。1960年代前半、それまで明治と昭和の間にあって一種の過渡期として考えられていた大正期を再評価しようという動きが盛り上がったのだが、本書はその成果の1つとして有名である。古本屋で見つけていつか読もうと購入しておいたのだが、再来週から大学院の演習で大正時代の「人生の物語」を扱うので、その下準備として読むことにしたのだ。いつか読もうと購入し、しかし、長らく本棚で眠っていた本を、本棚から引き抜いて読み始めるときの気分はよいものだ。その本との約束をようやく果たしたという感じがする。私には経験はないが、日陰の女に「待たせてごめんね。迎えに来たよ」と言うときの男の気持ちに似ているかもしれない。