フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

2月27日(日) 晴れ

2022-02-28 11:08:02 | Weblog

10時、起床。

郵便受けに朝刊を取りにいくときチャイも連れていく。抱きかかえていなくても、道路に飛び降りたりはしない。

首都キエフが戦場となっているのか。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争のときのサラエボの映像が頭に浮かぶ。

起きるのが遅かったので、朝食はとらずに、昨日のブログも書かずに、池上方面に散歩に出る。春の日差し。マフラーはもちろんいらないし、ダウンコートも日向では暑いくらいだ(日陰に入るとちょうどよい)。

日蓮橋の袂の桜並木が満開になるのは今年はいつ頃かしら。

養源寺の菜の花。

本門寺参道にある中道院の梅は早咲きで、地面に花びらが落ち始めている。

境内にはこれ一本だけだが、よく手入れされた見事な枝ぶりで、寺町池上周辺でもトップクラスの梅の銘木ではなかろうか。

花に密度がある。

メジロが蜜を吸いに来ている。

今週いっぱいが見頃だろうか。

朝食兼昼食は「花くるま」で食べよう。土日だけの営業だが、梅と桜の時期は客も増える。

鮭、昆布(葉唐辛子)、稲荷、すいとんを注文。

おにぎり2個に稲荷を1個を注文するのが私の定番である。すいとんもあるから、この後の散歩を考えたら、これくらいがちょうどよい。

池上梅園に続く道はふだんは人通りは少ないのだが、この時期は別だ。

池上梅園の全景。本門寺の高台の斜面と麓にたくさんの梅の木が植わっている。梅の種類はさまざまで満開の時期に個体差があるから、吉野の桜のような全山満開の景色は観れないが、長い期間に渡って鑑賞できる。

入園料は大人は100円。ただし高齢者は無料。受付で健康保険証を提示する。でも、100円なら払ってもいいですけど。お賽銭と同じ金額だし。ならば高齢者であることを申告せずに黙って100円払えばよかったのかと後から思う。次回はそうしよう。いまならまだ何も言われないであろう(たぶん)。そのうち「高齢者の方は無料ですよ」と言われる日が来るだろうが。

個体差があるが、全体としては5分咲きくらいだろうか。

入口付近を俯瞰する。

見晴台から。

空に突き出した孤高の梅の木。

けっこうな勾配。

この白梅は枝ぶりがいい。何か名前が付いていたと思うが、メモし忘れた。

「鶯貴」と命名されている紅梅。

「黒雲」と命名されている紅梅。

可憐な蠟梅。

園内には日本庭園エリアがある。

もう少ししたらまた観に来よう。

本門寺に寄って行く。

階段脇の早咲きの桜が見頃を迎えようとしている。

まだ散っている花びらはない。八分咲きというところだろうか。

梅と桜を同時に楽しめるのがこの時期の池上散歩の醍醐味である。

お参りをしていく。

境内の桜の見頃は川沿いの桜並木の見頃と同じだろう。東京の開花は3月20日頃と予想されているが、満開はそれから一週間後くらいだろうか。

総門を出る。

「藤乃屋」で葛餅をお土産に買って帰る。

帰宅して、妻に「いますぐ食べる? 夕食のデザートにする?」と尋ねたら、「いますぐ食べる」と答えた。「藤乃屋」流に蜜は上から掛けるのではなくお皿に敷いてその上に葛餅を載せるスタイル。

『山下達郎のサンデー・ソングブック』をタイムフリーで聴く。

夕食は鶏肉とピーマンの丸ごと味噌煮、ローストビーフ、サラダ、ワカメの味噌汁、ごはん。

煮汁が旨い。

ローストビーフだけをつまんでいたら、「レタスと一緒に食べてね」と言われる。子どもか。

食事をしながら『モヤさま(高円寺篇前半)』(録画)と『鎌倉殿の13人』をリアルタイムで観る。鎌倉にはせ参じる義経一行が登場。菅田将暉演じる義経は従来の大河ドラマとはずいぶんとイメージが違う。今回の目玉の一つであることは間違いない。

月に一度の『村上RADIO』。今回のテーマは「今夜はお気軽、バブルガムミュージック」。

二月も後半に入り、寒い日々が続いておりますが、さあ、ここはひとつお気楽にバブルガムミュージックで盛り上がりましょう。陽気に、むずかしいこと抜きに、過去も未来も忘れて、来世も確定申告も忘れて、日曜日の夜を無反省に疾走しようではありませんか。バブルガムミュージックってなんですか?という音楽史にいささかという方も、ぜひためしに聴いてみてください。このイージーさがクセになっちゃっても、責任は持てませんが。(村上春樹)

『村上RADIO』は生放送ではない。今回の収録は2月後半の寒い日が続いていた頃のようだ。ウクライナの危機はまだオリンピックの陰に隠れていた頃だ。生放送であれば、それについて彼は何か言及したかもしれない。しかし、『サンデー・ソングブック』の山下達郎もそうだが、一言言及してもそれ以上は語らないだろう。番組はそういう場でないと心得ているからだ。ただ、お気楽な気分でいるのは難しいだろうけれど。

風呂に入るために私が和室にパジャマと下着をとりにいくと、リビングの椅子の上に寝ていたチャイが思い切り伸びをした。「さて、風呂に入りますか」

風呂から出て、村山由佳の『眠れない貴女へ』をリアルタイムで聴きながら、今日の日記を付ける。

1時過ぎに就寝。


2月26日(土) 晴れ

2022-02-27 17:50:21 | Weblog

9時、起床。

サラダと紅茶の朝食。だけではもちろん足りないので、

仏壇に供えていたお稲荷さんと大福を食べる。

来週の『カムカムエヴリバディ』は「1984-1992」らしい。バブルの時代の始まりから終わりまでか。8年という時間は登場人物それぞれの人生にどういう変化をもたらすのだろう。

今日の朝刊の一面は「露軍、キエフ侵入」。モスクワでは有名無名の人々から反戦の声が上がっていると聞く。

朝食にパンを食べなかったので、昼食はパンを食べたい。「パン日和あをや」へ行こう。今日はマフラー不用の暖かい日差し。マフラーをしないで外出するのはいつぶりかしら。

駅前の八百屋兼果物屋「やおまさ」。最近、シャッターが上がっているところを見なかったので、どうしたのかと思っていたが、たまたま私がそういうタイミングで矢向駅に降りていただけだったようだ。駅前に八百屋や果物屋がある風景は懐かしい。昔は蒲田駅前もそうだった。

線路沿いの道を鹿島田方面に歩くこと10分。

「パン日和あをや」に到着。

食べる気満々だった国産牛100%のハンバーガーは完売だった。奥のテーブルの先客の男性が最後の一個を食べていたので背を向けて座る。

まずはアップルタイザーで喉を潤す。

本日のスープはオニオングラタンスープ。

メインディッシュはベーコン、レタス、トマト(BLT)のサンドウィッチ。

食後のスイーツ代わりのホットショコラ。

ホットショコラのお供はクロワッサンのことが多いのだが(浸して食べるのだ)、今日はクロワッサンが完売だったので、胡桃パンにした。これがホットショコラによく合う、というのが今日の発見。

カウンターに飾られているアニバーサリーカードはカナダ在住のお知り合いから。「カナダからの手紙です」と奥様は言った。私はすぐにわかったが、反応しない方がほとんどだそうである。「あの歌を平尾昌晃とデュエットした女の子は何といいましたっけ?」と私が聞くと、「畑中葉子です」と奥様は即答した。そうそう、そうでした。彼女はその後、日活ロマンポルノに出演して話題になったのだが、そのことには触れずにおいた。

塚越銀座商店街を腹ごなしの散歩。「〇〇銀座」というネーミングはこの商店街が昭和の頃からあったことを物語っている。矢向駅と鹿島田駅の中間にあるこの地域は、駅前の再開発の影響を受けずに残っている一種のガラパゴスのようなものである。

たぶん商店街で一番賑わっているのはこのパチンコ屋であろう

「文具」と「糸」の間がかなり空いているが、「糸」は文具店の名前ではなく、かつてはこの空白部分に「文具」と「糸」を扱う店の名前が掲げられていたのではないかと推測される。

昭和の名前である。

蕎麦屋は商店街には欠かせない。

ここはプリンの専門店。新しお店もあるのだ。

郵便局だってある。

この食堂「キッチンすずや」は魅力的だ。

「おにぎりモーニング」があるのだ。おにぎり(200g)、デカ椀とん汁、だし巻き玉子、プチデザートで700円だ。「デカ椀とん汁」というのがいいじゃないか。魚メインのランチも800円とお手頃価格だ。

カフェもある。私も何度か来た「くもい」だ。母と娘さんでやっているお店である。

いまの時間(午後3時頃)はランチタイムが終ってカフェタイムだ。

「ベーカリーで購入いただいたパンのお持ち込みは、カフェメニューから一品以上のご注文が必要となります」とある。つまり持ち込み可ということである。だから「パン日和あをや」が満席だったら(テーブル席は2つしかないからそういうことはしばしばあるだろう)、パンをテイクアウトして、ここでドリンクを注文して食べることができるというわけである(私ならドリンク+デザートを注文しますけどね)。地域のカフェは共存共栄の関係にあるということの1つの実例といえよう。

さて、矢向駅まで歩こう。

それにしても今日は散歩日和だったな。散歩日和には「パン日和あをや」だ。

蒲田に戻ってくる。日が長くなったな。

時刻は午後5時20分。日の沈む場所がだんだん右側(北寄り)になってきている。

本日発表の東京の新規感染者数は11562名。先週の土曜日よりも減っているが、先々週の土曜日とほぼ同じである(あの日の減少数がとても大きかったのだが)。来週あたり、そろそろ一万人を切ることが常態化してほしい。

内憂外患という言葉があるが、内に新型コロナ、外にウクライナの日々である。

『福山雅治 福のラジオ』をタイムフリーで聴く。

今日妻は以前住んでいた(もう20年くらい前のことだ)市川の美容院に行ったが、最寄り駅(下総中山)から15分ほど歩くので足の方が心配だったが、なんとか行って帰ってこられたようである。

夕食は豚しゃぶ。バラ肉は私用、ロース肉は妻用とのことだが、私は両方食べる(バラ肉はちょと残す)。

食事をしながら『恋せぬふたり』第5話を観る。

続いて『モヤさま2』の亀戸篇も観る。以前の長バージョンの方がまったり感があってあきらかによかった。

風呂から出て、『桑田佳祐のやさしい夜遊び』をリアルタイムで聴きながら、今日の日記を付ける。今日は桑田佳祐の66歳の誕生日。

1時半、就寝。


2月25日(金) 晴れ

2022-02-26 12:25:15 | Weblog

8時半、起床。

郵便受けに新聞を取りにいくとき、チャイも連れていく。「朝の散歩」のようなものだ。郵便受けの上に座って道行く人たちを眺めている。「ポスト・モダン」ならぬ「ポスト・キャット」だ。ベビーカーを押しながら歩いている女性がチャイの前で足を止めた。「まぁ、かわいい猫ちゃん」「かわいい赤ちゃんですね」「お名前は?」「ちゃいです。お名前は?」「ゆいです」都市生活において見知らぬ者同士が言葉を交わす媒介となるのがペットと赤ちゃんである。

トースト(はちみつ&オリーブオイル)、オムレツ、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。今朝は久しぶりにオムレツの気分だった。

昨日の夕刊の一面は「攻撃」だったが、今日の朝刊の一面は「侵攻」に変わっている。「攻撃」は外側からでも可能だが、「侵攻」は内側に入りこむことを指す。たくさんの戦車の映像が頭に浮かぶ。

本日の『カムカムエヴリバディ』。文四郎と虚無蔵がオーディションで剣も交えることになった。今日はそこで終わり。週をまたぐのか! ひなたは文四郎を応援しているが、私は虚無蔵を応援する。というよりも物語としては虚無蔵が桃剣の相手役になることが必然だろう。長年のわだかまりを解くにはそれしかない。先代桃剣が無名の大部屋役者の虚無蔵を抜擢したのは虚無蔵の「時代劇愛」を感じ取ったからで(これは間違いない)、オーデションで二代目桃剣は父親の真意に気づかなくてはならない。当時の自分にはそれが欠けていた、少なくとも虚無蔵には負けていたと。文四郎はオーディションに落ちても何か役をもらえるだろう。いきなりの大抜擢ではなく、一歩一歩階段を上がっていく方がいい。

昨日のブログを書く(途中まで書いて一旦アップする)。

昼食はカップ麺で簡単に済ませる。

1時から教授会(オンライン)。ビデオはオンにしておかなくてはならないので、カップ麺を食べながらというわけにはいかない。

会議を終えて、ブログの続きを書いてから、散歩に出る。

呑川の上を大きな鳥が飛んでいる。

あれは川鵜であろう。

「スリック」に行く。

「昨日はどうも」とマダムにご挨拶。

紅茶は今日はお任せではなくラプサンスーチョンをチョイス。

ダブルチョコレートのシフォンケーキにはこのお茶が合うのだ。

隣のテーブルの先客(年配の女性の二人連れ)はずっと年金の話をしていた。

蒲田駅構内の出店で鯖寿司と大福を買う。鯖鮨というのはたまに食べたくなる。大福はデザートだ。

鯖寿司だけでは夕食には不足なので、「ちよだ鮨」でお稲荷さんと海苔巻きも買った。

帰宅すると郵便受けに夕刊が届いていた。「制圧」か。

今日も日が暮れた。

本日発表の東京都の新規感染者数。昨日よりは千人ほど増えているが、先週よりは五千人ど減っている。

夕食は鯖寿司、かんぴょう巻き、お稲荷さん、千枚漬け、卵と茗荷の吸物。

デザートは大福餅。

食事をしながら『ゴシップ』第8話(録画)を観る。

先の予定がなかなか立てにくい状況ではあるが、それでも、予定を立てることは大切だと思う。予定が中止や延期になる可能性は織り込み済みである。不確かな予定ではあっても、予定を立てることによってのっぺらぼうの未来が立体化してくる。

先日、恵美子さんのブログから「10数年前の出前一丁を食べようとした母親」の話を紹介したが、彼女が最近始めたYouTube「お字書きTALKS」の最新回の紹介もしておきましょう。トークも板に付いてきましたね。

【ひらがな実践編】あ!素人でもFirst Takeで美しく書けた!

風呂から出て、今日の日記を付ける。

1時半、就寝。


2月24日(木) 晴れ

2022-02-25 15:32:58 | Weblog

8時半、起床。

パン、目玉焼き、サラダチキン、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

本日の『カムカムエヴリバディ』。いろいろありました。(1)大部屋でひなたと算太が話すシーン。算太は自分の名前を「サンタ・クロース」(算太・黒須?)であると告げた。私には「算太苦労する」と聞こえた。ひなたの名前をいい名前だと言った。ここで「お母さんの名前は?」と聞けばいっぺんに話が展開するところだが、聞かないか。荒物屋(いまは電器屋か)「赤螺」のお母さん(松原智恵子)は「たちばな」の名前も算太の名前も忘れてしまったようだが、何かの拍子で思い出すのではないだろうか。せっかく彼女を使ったのだから、そういう役回りをしてくれることを期待する。(2)ひなたと文四郎が一緒に映画を観にいくシーン。ひなた自身のモノローグにあったが、何で一緒に映画を観に行くという展開になったのだろう。チケットをあげた=一緒に観に行くというわけではないだろう。文四郎が「一緒に観に行こう」とひなたに言う姿は想像しにくい。るいとジョーがこの映画を一緒に観に行ったのはクリーニング店の奥さんがそれを勧めたからだったと思うが、もしかしてチケットをあげる場面にいた一恵がその役割を果たしたのかもしれない。「二人で一緒に観に行きなさいよ」と。女の子が一人で映画館に入るのは不用心な時代だったのかもしれない。(3)映画を観た帰り文四郎が「大月」の店の前で空腹から倒れるシーン。腹痛ならわかるが、空腹で倒れるか?そして大月家で夕食をごちそうになっている間、文四郎は正座だった。これも芝居の訓練のためだろうか。みんなを前に夢を語る文四郎。しかし、帰りがけ、ひなたと二人になったとき、「怖いんだ」と不安を語る文四郎。出ました、「弱さの自己開示」。おそらくひなたは胸がキュンとしたはずである。「頑張って。私、応援しているから」という言葉がひなたの口から出る。その直後、「なんで応援しているなんていったんだろう」とひなたは自問する。まだ自分の気持ちに気づかないようである。でも、こういう自問自体がそのためのステップなのである。あと数センチですね。(4)算太が桃剣のことを「だんごちゃん」と呼んでいるのは「団子」とは関係なく、桃剣の襲名前の名前が「桃山団五郎」だったからなのね。早とちりでした。

昼過ぎに家を出る。

今日は大学に用事がある。

「たかはし」で昼食を食べよう。

カキフライにも惹かれたが、注文するものは最初から決めてあった。

肉豆腐定食(830円)。ご飯は軽めで。

冬場はこれが一番。甘めの味付けでごはんがすすむ。

壁に掛けられた調理師免許が目に入る。ご主人は昭和47年(1972年)のお生まれでしたか。私が高校3年生のときだ。「若旦那」のイメージが強いけれど今年で50歳になられるのですね。これからも「早稲田で一番美味しい定食屋さん」として頑張って下さい。

研究室に行く前に穴八幡に寄って古いお守り(一陽来復)を納めよう。

隋神門。お寺であれば仁王門に相当する。

内におわすは仁王様ではなく隋神様。邪気が境内に入ってくるのを防ぐのがお役目。

拝殿。冬至の日に新しいお守りを求めに来たときは境内に古いお守りを納める大きな木箱があったが、それが見当たらない。

参拝の後、社務所の方に「古いお札はどこに納めたらよいのですか?」と伺ったら。「ここで預からせていただきます」と言われた。よろしくお願いいたしますとお渡しする。

境内から見る31号館高層棟。

さて、研究室へ行こう。

しばらく雑用。

このティーカップ&ソーサー、そしてティーポットは田中一光という作家さんのもの。松本の「グレインノート」で買い求めた。

雑用は片付いた。4時ごろ大学を出る。

久しぶりに「トンボロ」に顔を出そうと、神楽坂で途中下車。

でも、水・木が定休日だった。

5時前に蒲田駅に着いたので「スリック」に顔を出すことにした。

しかし閉まっていた。

臨時休業ではなく、私がうっかりしていただけで、今日は「振替休業」と前から告知されていた。でも、「振替休業」って何?どこか定休日に営業してましたっけ?

「きりん珈琲」に寄って行くことにしよう。まさか三店続けて振られることはあるまい。

「きりん珈琲」はやっていた。多少混んではいるみたいだが、空席はありそうだ。そのとき背後で「大久保先生!」の声がした。

「スリック」のマダム、有紀子さんだった。

ワンちゃんの散歩中である。いま、「スリック」へ行ってお休みだったので、こちら(きりん珈琲)に入ろうとしていたところですと説明する。なんだか浮気の釈明をしているみたいだが、地域のカフェというのはライバル関係にあるものではなく、共存共栄の関係にあるのである。「スリック」には明日か明後日に伺わせていただきますね。

黒ゴマ黄粉ぜんざいときりんブレンドを注文。ぜんざいは半分ドリンクのようなもので、ケーキを食べるほどではないけれど(夕食の前なので)、甘味が欲しいというときによく注文する。冬の間だけときどきメニューで出るのだが、冷やしぜんざいという形で夏場のメニューにも出してほしいものである。

『人間晩年図巻2008-2011年3月11日』から、2008年に亡くなった「忌野清志郎(58歳)」「藤沢秀行(83歳)」「大原麗子(62歳)」の3人を読む。

1時間ほど滞在して店を出る。

帰るときは駅まで戻らず、呑川を渡って帰宅。

夕刊の一面は「露、ウクライナ攻撃」。すでにネットのニュースで知っていたが、改めて大きな活字で見ると、事態の深刻さを感じる。

本日発表された東京の新規感染者数は10169人。先週の木曜日から(さらには昨日からも)かなり減じているが、これは昨日が祝日だったためだろう。今日は通常の木曜日ではないのである。

夕食はシュウマイ、ソーセージと卵とほうれん草と舞茸の炒め、ワカメの味噌汁、ごはん。

食事をしながら『プレバト』(追っかけ再生)を観る。

ゼミ論集の見積もりで業者とやりとり。折り合いが付いて、来週の火曜日に研究室でデータを渡し表紙の色などを決めることになった。

風呂から出て、今日の日記を付ける。

1時半、就寝。


2月23日(水) 晴れ

2022-02-24 15:28:21 | Weblog

9時、起床。

パン、目玉焼き、ウィンナー、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

オリンピックが終わり、朝刊の一面は「ウクライナ」が占めるようになった。

本日の『カムカムエヴリバディ』。二代目桃剣と虚無蔵の間には何やらわだかまりがあるようである。朝ドラの場合、わだかまりというのは解けることになっているので、関心はどのように解けるのかである。どんな出来事が、そして誰がその媒介になるのかである。それはそれとして、道場での殺陣の練習をする虚無蔵、二刀流はあまり上手くないように見えるのだが・・・。身長が高いせいもあってか、腰が据わっていないように見えてしまう。一方、桃剣は映画村の宣伝シーンからもわかるとおり体幹にぶれがなくしっかり型が決まっている。文四郎はどうだろう。彼を演じる本郷奏多はきっと特訓してこの役に挑んでいるはずである(松重豊は『孤独のグルメ』で忙しかったのだろう)。

昨日のブログを書いてアップする。

2時を回った頃、昼食を食べに出る。「燈日」に行こうと多摩川線に乗る。

1つ目の矢口渡で下車。

「リヨン モアール」で朝食用のパンを買う。私の中では「燈日」と「リヨン モアール」はセットになっている。

「燈日」の前まで行くと満席で入口の外で待っている人がいる。やはり祝日は混むのである。私はカフェは並んでまでして入るところではないと思っているので(外に人が並んでいるのを店内から見るのも気分が落ち着かいものである)、「リヨン モアール」でパンを買えてことをよしとして、別の場所に行くことにした。

蒲田まで戻り、池上線に乗る。久しぶりに荏原中延の「隣町珈琲」に行こうと決めた。

荏原中延の一つ手前の旗の台の駅のホームを見て、「昭和大学前」というプレートが駅名の下に貼られていることに気づいた。東横線には「都立大学」「学芸大学」という名前の駅がある。東急電鉄がそれを求めたのか、大学側が求めたのか、経緯は知らないが、双方にとって利益のあることだったのだろう。すでにどちらの大学も郊外に移転して久しいが、東急が地元住民にアンケートをとって駅名はそのままとなった。旗の台は昭和大学の大きな病院があることで知られている。しかし、いまから旗の台を「昭和大学」と駅名変更することは難しいであろうから、せめて「昭和大学前」というプレートを貼ることで対応しているのだろう。

荏原中延で下車。

改札を出て左側の商店街にはアーケードがある。

「隣町珈琲」に到着。店は地下にある。

タイカレーのランチセットを注文。ドリンクはリンゴジュースをチョイス。

ここのタイカレーは美味しい。今日はいつもより(記憶にあるものより)赤みが強く、味もスパイシーである。だが、これも美味しい。というよりも、さらに美味しい。厨房の人が違うのだろうか。尋ねてみようかと思ったが、店が混んでいるのでやめておく。

デザートに小倉あんトーストを注文。カレーの後のあんこは相性がいいのだ。トーストも美味しい。

それにしても今日は混んでいる。これまで来たうちで一番混んでいるかもしれない。

「隣町珈琲」はブックカフェで壁の書架には古本がたくさん並んでいるが、新刊書のコーナーもある。そこから4冊を購入した。関川夏央『人間晩年図巻』(岩波書店)のこれまで出ている5巻のうちの4巻だ(最初の巻はもっている)。その年に亡くなった有名人の人生のスケッチである。

 人には全盛期と晩年がある。
 全盛期は、老いて回想すれば、あのあたりがそうだったか、と思い当たる。回想には寂寥感がともなうが、それはやむを得ない。
 では、晩年は?
 いつ始まったものかわからない。いつ終わるのかは、もっとわからない。
 確かに加齢した。脚は弱る。居眠りをする。頻尿で、もの忘れがはなはだしい。老人と認めざるを得ない現状であっても、それが晩年だと認識することは別だ。元来そう思いたくない、触れたくもないものが晩年とその周辺の話題で、全盛期は自分事でも、晩年は他人事なのである。
 いつが晩年であったかは、死ねばわかる。
 それまでは他人の晩年を読んで、彼らの「物語」をたのしむのがよい。
 この本の題名は山田風太郎の名著『人間臨終図巻』の変奏である。
 山田氏がその六十代なかばに完成させた『人間臨終図巻』は、古今東西の歴史的有名人九百余名の臨終を、没年齢ごとに書いている。(中略)
 それと違って、これは現代史の本である。
 現代史を、直接にではなく表現する手立てはないかと思案し、時代の刻印を受け、また現代史そのもをつくった有名人・無名人、その全盛期と晩年の記述で実践してみた。(「2008-11年3月11日」の巻の「あとがき」より)

帰宅して、5時から教授会(オンライン)。

本日の東京都の新規感染者数が発表された。昨日よりも増えているが(毎週木曜日あたりがピークになる)、先週の水曜日よりも減っている。

夕食は鮭(甘塩)、サラダ、味噌汁、ご飯、そして

とろろ汁。

食事をしながら『ファイトソング』第7話(録画)を観る。

テレビを観ているとチャイが膝に乗ってくる。「まだお風呂じゃないの?」

『人間晩年図巻 2008-20011年3月11日』に収められた「安田南」を読む。ジャズシンガーだが、私は大学生の頃、彼女の声を深夜のラジオ番組で聞いていただけである。

 一九七四年から彼女は、FM東京のおしゃべりと音楽の深夜番組「気まぐれ飛行船」に作家の片岡義男とともに出演していた。(中略)
 片岡義男の話しぶりは「脱力系」で、全然騒がしくなかった。知識自慢もしなかった。彼の機知ある相手役だった安田南は、午前三時のエンディングには、「眠れ眠れ、悪い子たち」とささやいた。
 七八年のある夜、彼女は番組で泣いた。愛猫が死んだということだった。号泣といってもよいありさまだったが、片岡義男は慰めたりせず、淡々と受けとめた。
 そのあとしばらくして彼女は番組を降りた。というより、連絡がつかなくなったのだという。何があったのかはわからない。片岡義男は、「きっとまた、ぶらっと戻ってきてくれると思います」と番組中でいったが、それは実現しなかった。ジャズ・シーンからも姿を消した彼女は、やがて「伝説のジャズ・シンガー」に分類された。
 しばらく空席のままだった番組の女性パーソンナリティは、「謎の美人」といわれた書き手の温水ゆかりにかわった。八〇年代のある夜のある話題のとき、片岡義男が温水ゆかりに、ぽつりと「南もどこかで聞いていてくれるかなあ」とつぶやいた。
 (中略)
 安田南の晩年はまったく明らかではない。ただ二〇〇八年以前に亡くなったという噂を聞くばかりである。

引用した箇所だけに限らず、関川夏央は文中で人名を常にフルネームで書く。決して「安田」「片岡」と略したりしない。それで決してくどくならないところが、関川夏央の文体の力である。

風呂から出て(チャイも一緒に入った)、今日の日記を付ける。

1時半、就寝。