フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

2月25日(月) 曇り

2019-02-28 18:04:25 | Weblog

7時半、起床。

トースト、サラダ、牛乳、紅茶、林檎のコンフィチュールの朝食。コンフィチュール(ジャムよりもトロリとしている)はトーストに塗るのでなく、紅茶のお供にスプーンですくって口に運ぶ。

お昼に家を出て、大学へ。 

 戸山の丘は登山解禁になったが、春休みで大学に来る学生が少ないため、学生の姿をあまり見かけない。

 

今日の教授会は通常よりも1時間早く、午後1時から。昼食を食べている時間がなかったため、馬場下町の交差点の鯛焼き屋で買った鯛焼き一匹を急いで頬ばって会議室へ直行する。終わってからゆっくり食事はしよう。

ところが今日の教授会は議題がたくさんあって、3時間もかかった。終わったのは午後4時、腹ペコである。とにかく何かを口に入れようと外出。

39号館(第二研究棟)の入口前に白梅が咲いている。

39号館の横を通って36号館前の広場に出る辺りで八重椿の開花も始まっている。

腹ペコでも花の下で足を止める(それを写真に撮る)ことができるくらいの気持ちの余裕はまだあることを自覚する。

「タビビトの木」でバインミー(ベトナムサンド)とカフェラテを注文。私が注文をした後に、支払いをした客がすぐに店を出ないでマスターと旅の話を始めた。東南アジアをバックパッカーしたときの話だ。この店に相応しい会話ではあるが、マスターのほかには店員はいないので、その会話が終わってくれないことには私の注文したバインミーは作ってもらえない。「あの~、私の注文、通ってますよね」とでもいうべきだろうか。しかしせっかくの楽しげな会話をそういうクレームまがいの言い方で遮断するのは無粋である。「こう見えて、飲まず食わずの旅が続いていてね、腹ペコなんだ。何か食わせてもらえるかな」とでも言ってみようかしら。他にも、「日が暮れる前に戻らないと私を信じてくれた友人が殺されてしまうんだ。悪いが、急いでくれないか」(「走れメロス」バージョン)などいくつかのパターンを考えたが、それを実行に移す前に客は出て行った。やれやれ。  

う、うまい。

 店内の壁にたくさん写真パネルが展示されている。写真展のようである。

そういえば、私は今日で3日連続この店に来ているが、いつも奥の壁際のテーブルに(実はそこは私のお気に入りの席なのだが)同じ女性が座っているな。テーブルの上にはクラシックなカメラが置かれているし、あの方が作家さんなのかもしれない。 

やはりそうだった。私が写真パネルを見ていると、挨拶に来て下さった。花澄(かずみ)さんとおっしゃる。写真家としてはまだキャリアは浅く、今回が2回目の写真展だが、これまでTV・ラジオ・舞台などで活動してこられたそうである。

今回の写真展は台湾を旅行中に取った写真で構成されている。市場の人々を撮った写真が多かったが、どの写真もカメラに向かってフレンドリーな表情をしている。街で人にカメラを向けるというのはなかなか勇気のいる時代になってきているが、「写真撮らせてもらっていいですか」と声をかけてOKをもらえるというのは、彼女が醸し出すフレンドリーなオーラによるものだろう。バービー山口の写真が好きだそうで、なるほどと思った。今回の写真展の初日に彼は来てくれたそうである。

写真展は3月3日(日)までやっている。おそらく彼女は期間中は毎日いらしているのだろう。

バインミーとカフェラテと花澄さんとのおしゃべりで空腹は満たされ。

7時ごろ、卒業生のレイナさん(論系ゼミ6期生)が仕事終わりにやってきた。ずいぶんと久しぶりである。確認したらちょうど2年ぶりだった。 

でも、その2年の空白をを感じさせないところが彼女の持ち味である。いや、彼女だけでなく、それは私の持ち味でもあるのかもしれない(笑)。 

この2年間の出来事をあれこれ聞いていて、一番びっくりしたのは(ブログに書ける範囲内で)、伊豆大島の「椿の女王コンテスト」に出場して決勝まで残ったという話だった。これがそのときの写真。おお、似合うね。

私がびっくりしたのは決勝に残ったことではなく、そういうイベントに応募したということにである。そういうのを目指す人だとは知らなかった。彼女曰く、20代も半ばとなって、いまのうちにいろいろなことにトライしてみたいという気持ちがとても強くなったそうである。

一般に人生の半ば(中年期)にそうした気持ちは強くなるものだが(人生の残り時間の感覚が強まるため)、折々の時期の中間地点(10代半ば、20代半ば、30代半ば・・・)でも似たようなことは起こるのである。

さらに、彼女はエキストラというものも経験したそうで、具体的には、昨年の夏ドラマ『dele(デリー)』のある回に出たそうである。これはそのときの写真(あとからテレビの画面を撮ったもの)。主演の菅田将暉の向こう側、赤い線で囲んだのがレイナさんである。このシーンの撮影終了後、彼女が菅田に「お疲れ様でした」と挨拶したら、彼もちゃんと彼女の目を見て「お疲れ様でした!」と言ってくれたそうである。彼女が彼の大ファンになったことはいうまでもない。

いろいろ頑張っているんだね。「はいっ!頑張ります!」

奥田民生の『イージュー★ライダー』をふと思い出した。

 幅広い心を くだらないアイデアを

 軽く笑えるユーモアを うまくやり抜く賢さを

 眠らない体を すべてほしがる欲望を

 大げさに言うのならば きっとそういう事なんだろう

 誇らしげに言うのならば きっとそういう感じだろう

「すぎうら」に食事に行く。 

海鮮サラダ。 スタートはこれと決めている。

 春野菜の天ぷら。蕗の薹、ウド、筍、アスパラなどを塩でいただく。 

 いつもは天ぷらでいただく穴子を今日は白焼きで。これがとっても美味でびっくりした。ほどよい歯ごたえと香ばしさ。塩で食べたり、ワサ醤油で食べたり。次回は照焼き(蒲焼)でいただいてみようかしら。

豚の角煮。菜の花や小芋と一緒に。 

煮汁はもちろんご飯をもらってかけて食べました。汁ダクでね。 

彼女はそういう品のないことはしないで、〆は茶そば。 

彼女はこの店の料理が気に入ったようで、今度は家族を連れて来たいそうだ。ぜひご両親と妹さんにご馳走してあげるといいですよ(次回のボーナスが出た頃かな)。 

研究室でいっぱいおしゃべりをしたせいで、「カフェゴト―」でお茶をする時間がなくなった。「カフェゴト―」のケーキは次回のお楽しみにしましょう。今度は2年なんて時間を空けずに会いましょう。そのときまた新しい話題で私を驚かせてください。

11時、帰宅。

彼女にいただいたおみやげの羊羹でお茶をする。 

2時、就寝。


2月24日(日) 晴れ

2019-02-27 18:18:02 | Weblog

8時、起床。

「蒲田屋」に行ってお稲荷さんとおはぎ(つぶあん)を購入。「あとひと月ほどになってしまいましたね」と奥さんに話しかけると、「そうなんですよ。あと2年くらいやりたかったですけど、ビルを立ち退かないとならなくなったので、しょうがないです」と残念そうに言われた。今年で開店して48年。切よく50年までやりたかったということだ。「でも、元気なうちにやめて、好きなことでもした方がいいと今は気持ちを切り替えているんです」。そうですね、ぜひそうなさってください。

家から蒲田屋への行き返りに野良猫のナツとすれ違う。他人のふりをするなよな(笑)。

その様子を2階のベランダからハルが見ている。家猫は見ていた(笑)。

サラダとお稲荷さんとおはぎの朝食。(おはぎも二個買ったが、一個は妻へ)

11時に家を出て、早稲田へ。今日はふた月に一度の句会の日。場所は「カフェゴトー」。

本日の出席は7名。紀本さん、恵美子さん、あゆみさん、渺(びょう)さん、月白さん、まゆこさん(理衣さん改め)、私(たかじ)の7名。これに投句のみ参加の天豆さんとこかよさんの2名を加えて、本日の作品は9名×3句の27句。作品がいつもより多めということで、選句は一人5作品(天=5限が1句、地=3点が2句、人=1点が2句)としますと紀本さん提案があった。

各自、自分の好きなケーキと飲み物を注文。私はタルトタタンとアイスアップルティー

紀本さんが全部の作品を読み上げてから、選句開始。

まゆこさん、紀本さん。

恵美子さん、あゆみさん。

渺(びょう)さん、月白さん。

 私は以下の5句を選んだ。

天 春風が乗っては降りる西武線

 早春らしい気持ちのよい句である。「西武線」という固有名詞も効いている。たぶん「東武線」ではダメだ(東武線沿線の方には申し訳ないが)。逆に「外房線」ではピッタリすぎて鉄道のポスターみたいになってしまう。

地 ふるさとを知らぬ四月のスニーカー

 新しい土地に引っ越して、その街で買ったスニーカー。この場所でこれから生きていくのだという気持が感じれられる句である。「スニーカー」という軽快な言葉が効いている。これが「炊飯器」や「洗濯機」では生活感が前面に出すぎる。

地 三分の電車の遅れ春みぞれ

 これも「春風が・・・」と同じく電車をモチーフにしているが、作者は電車の中にではなく、ホームにいて、電車は三分遅れるというアナウンスを聞いている。その三分が長く感じられるのは、みぞれの降る寒い日だからである。三寒四温。春を感じる日もあれば、冬を感じる日もある。それがいまの時期だ。

人 過ぎし日の悲憤のようなゴム風船

 「風船」は春の季語。私の好きな句に「風船が乗って電車のドア閉まる」(今井千鶴子)というのがある。しかしこの句は春の季語としての風船のイメージを裏切っている。そこに惹かれた。「過ぎし日の悲憤」という言葉から、パンパンに膨れている風船ではなく、空気が抜けて、萎れて、地面に落ちている風船をイメージした。

人 幼子が前に踏み出す多喜二の忌

 『蟹工船』や『党生活者』で知られる小林多喜二が、特高警察の拷問的な取り調べ中に獄死したのは、1933年の2月20日だった。そういう多喜二の命日と幼子が歩みを始めることの取り合わせの妙に惹かれた。「風船」と「悲憤」の取り合わせもそうだが、似たものを組み合わせるよりも、違うものを組み合わせた方が面白いというのは、シュールレアリズムの感覚である。それは日常の否定ではなく、日常を見つめるありきたりのまなざしの否定である。

さて、みんなの選考も終わり、各自が自分の選んだ句を披露し、集計の結果は以下のようになった。

11点 過ぎし日の悲憤のようなゴム風船 恵美子

 今回の特選句。渺さんとまゆこさんが天、私が人を付けた。恵美子さんはいま妊娠6か月。見た目にはそれとまだわからないが、本人は身重感で疲弊している。そうブログに書いている→こちら。いまからそうだと、これからゴム風船のようにお腹が膨れていくとどうなっていまうのだろうか。

10点 ふるさとを知らぬ二月のスニーカー あゆみ

 渺さんとまゆこさんと私が地、恵美子さんが人を付けた。あゆみさんは来月の中旬、所沢から浜松に引っ越しをする。所沢は彼女が大学進学で上京して以来15年間を過ごした土地で、第二の「ふるさと」と呼んでもよい場所である。もしそういう情報を知らずに鑑賞すれば、むしろ大学進学で上京した若者が新しいスニーカーを履いて東京での新生活をスタートするという句に読めるのではないだろうか。

8点 クレーン車は大空を架け春動く 恵美子

 月白さんが天、紀本さんが地を付けた。大きなクレーン車が何かを吊り上げていく情景というのはしばしば目にするが、ここでは背景としての空そのものを吊り上げているのである。まるで空を描いた大きな大きな看板を吊り上げていうみたいに。その看板が風にゆらゆらと揺れている。それが春の胎動を感じさせるのである。個人的には「クレーン車は」の「は」の使い方にひっかるものがあり(なぜわざわざ「は」と付けたのか)選ばなかった。

8点 春炬燵ややこしい家族関係 紀本

 月白さんとあゆみさんが地、渺さんとまゆこさんが人を付けた。「春炬燵」と「家族」の組み合わせは「一家団欒」を連想させるが、実際の家族はそう単純ではなく、ややこしいものであるという、「そうですよね」という共感を得る句である。個人的には、「春炬燵」という季語と「ややこしい家族関係」というモチーフが、句作ノートのメモ書きの段階に留まっている感じがして選ばなかった。

6点 雪像解体夢の跡にも遊べる子 蚕豆

 恵美子さんとあゆみさんが地を付けた。雪まつりを夢の国だとすれば、雪像が解体された後は夢の跡である。大人にとっては「まつりの後」であるが、子どもにとっては遊び場所としてまだ生きているのである。「一粒で二度美味しい」グリコのようなものである。子ども視点であるが、同時に理知的な句である。

6点 ホワイトアウト友とはぐれてまた明日 蚕豆

 あゆみさんが天、恵美子さんが地を付けた。ホワイトアウトとは猛烈な雪吹で視界がゼロの状態である。「ホワイトアウト友とはぐれて」とくれば相当危険な状態であるが(すわ遭難か!)、「また明日」で肩透かしを食う。危機的な状況に遭遇してもユーモア(気持の余裕)を喪わないハリウッド映画の主人公みたいじゃないか。私はニヤリをして、それだけでいいかな(選ばなくても)と思った。

6点 ときめきは補色弾ける実千両 渺

「実千両」の画像検索結果

 恵美子さんが天、月白さんが人を付けた。「実千両」(みせんりょう)とは上の写真のような植物。冬、人家の庭先によく目にする。「補色」にはいろいろな組み合わせがるが、ここでは赤と緑である。その鮮やかな対比に「ときめき」を覚えるという句である。普通、「ときめきは」とくれば「恋」を予感するが、それを人ではなく植物にもっていくところ、渺さんは草食系男子である。

5点 春風が乗っては降りる西武線 あゆみ

 私ひとりが天を付けた。みんな「西武線」を軽んじているのだろうか(笑)。

5点 凍蝶を蘇らせたる彼の指 こかよ

 紀本さんが天を付けた。「凍蝶」(いてちょう)とは冬まで生きながらえた(しかし死んだように動かない)蝶のことである。官能的な句であり、この分野に関しては、こかよさんの独壇場である(笑)。みんなうっかり選べずにいるが、主宰の紀本さんはたじろぐことなく選ぶのである。

4点 春暁やファラオのかたちで夫眠る まゆこ

「ファラオ」の画像検索結果

 恵美子さんが地、あゆみさんが人を付けた。「夫」は「つま」と読ませる。「ファラオのかたち」が分かりにくいが、エジプトのファラオ(王)の棺に描かれているような真っ直ぐに寝て腕を胸の前で交差させて寝ているということのようである。寝相がいいというべきなのだろうか。

4点 春悲し精一杯の笑顔かな たかじ

 あゆみさんから地、渺さんから人をいただいた。作者が明らかになる前に、恵美子さんが「これはたかじさんからあゆみさんへの送別の句ですよね」と言った。はい、その通りです。この場合、笑顔は誰の笑顔かというと、私、あゆみさん、両者の3通りが考えられるが、作者としてはあゆみさんの笑顔(泣きそうなのを堪えて)のつもりである。

3点 個性的な桃ぞろぞろと雑魚寝する 紀本

 まゆこさんが地を付けた。「桃の花」は春の季語だが、「桃の実」は秋の季語である。もしこれが8月の句会に出ていれば、「キング・オブ・ピーチメルバ」の私としては選ばないわけにはいかなったであろう。

3点 突然の雪不意打ちの恋に似て たかじ

 月白さんから地をいただいた。彼女曰く「恋ってするものではなく、落ちるものですよね」。先日の東京の雪は予告されたものではなく、不意打ちのものだったので、一種のときめきがあった(東京人の感覚であろう)。月白さんの旦那さん(渺さん)ならそのときめきをたぶん何か植物に喩えただろう(笑)。

3点 春暁やカンダタは糸を待っている 月白

 渺さんだけが地を付けた。「カンダタ」は芥川龍之介の小説『蜘蛛の糸』の主人公である。それを理解している人が少ないことに月白さんはため息をついていた。私は早稲田大学の教員として責任を感じ、地団駄を踏んだ。

 1点 幼子が前に踏み出す多喜二の忌 蚕豆

 私だけが人を付けた。多喜二とたかじが音が居ているからではない。他に誰も選ばなかったのは、幼子と多喜二の組み合わせが唐突すぎたからだろうか。

1点 東風吹くや家族ぼっちの新天地 あゆみ

 まゆこさんが人を付けた。「東風」(こち)という古語を使ったのはどうかという意見に対して、あゆみさんは「東風」「家族ぼっち」「新天地」で韻を踏みたかった」と言った。それはまた無理矢理ですね(笑)。昔、守屋浩という歌手が歌ってヒットした『僕は泣いちっち』という歌があったことを思い出した。

1点 梅が香に嗅ぐということ思い出す 渺

 月白さんが人を付けた。「カンダタ」の句を渺さんだけが選び、「梅が香」の句を月白さんだけが選ぶ。いつものインサイダー取引疑惑が浮上する(笑)。渺さんは自作を「素直な句」と言ったが、いやいや、「梅の香りを思い出す」ならそうだが、「嗅ぐということ思い出す」は自分の行為を対象化しているわけで、高度に知的な句である。 

1点 嘘一つトッピングして春の月 月白

 あゆみさんが人を付けた。兼題の「数字」を意識して「一つ」としたのだろうが、私の見るところ、月白さんはたくさん嘘をトッピングしていそうである(笑)。「嘘に嘘を重ねて今日の春の月」(たかじ)。

1点 春一番子らはペダルを強く踏む たかじ

 紀本さんから人をいただいた。向かい風に抗して自転車のペダルを強く踏む子らの、その足首の部分にフォーカスを当てて詠んだ。

次回の句会は4月21日(日)。時間は通常より1時間遅く13時始まり。兼題は「む」(恵美子さん出題)。

 時間のある人で「タビビトの木」で食事。

全員が「本日のランチ」のハノイ風フォーのセットを注文。

あゆみさんは次回は浜松からやってこれるだろうか(やってきてほしい)。

それと、これは今日明らかになったことだが、単身赴任で東京で生活していた渺さんが5月(6月?)から大阪に戻られるそうだ。そうするとご夫婦そろっての句会出席は次回が最後になる可能性がある。月白さんは渺さんに会い上京するついでに句会に出ておられたのだ。これからは遠隔参加(投句と選句)ということになるだろうが、関西には明子さんや花さんもいらっしゃるので、年に一度くらいは、親睦を兼ねて、関西で句会を開いたらどうだろうという案が出た。実現できたら楽しいと思うし、楽しいことは実現させたいものである。人生を楽しむためには努力が必要なのだ。

5時ごろ、蒲田に戻ってくる。 

 

夕食は青椒肉絲、

サラダ、団子汁、ご飯。

 

ジャガイモで作った団子で、中にエビと鶏に挽肉が入っている。

 

2時、就寝。


2月23日(土) 晴れ

2019-02-25 11:52:40 | Weblog

8時、起床。

サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

9時半に家を出て、大学へ。今日は午前中に大学院の科目等履修生の入試(面接)がある。 

試験は12時過ぎには終了。

12時半に卒業生のアズサさん(論系ゼミ1期生)が研究室にやってくる。彼女と会うのは去年の10月以来だが、大学で会うのは相当に久しぶりで、前回がいつだったかすぐには思い出せない。彼女も同じくだった。 

研究室で少しおしゃべりをしてから食事に出る。スロープを降りるとき、新記念会堂の屋上庭園(戸山の丘)を人が歩いているのが見えた。工事関係者ではなく、学生のようである。今日からキャンパスのロックアウトが解けたが、同時に屋上庭園の立ち入りも解禁になったようである。あとで行ってみましょう。 

「モンテ」(1時に予約しておいた)に行く。 

窓際のテーブルに案内される。前菜は違う物を注文してシェアする。 

 キッシュ。

鶏レバーのペースト。 

パンはペロリと食べてしまい、お替りをした。 

 メイン料理は私は鶏もも肉のオレンジ煮。

彼女は牛バラ肉の煮込み。

食後のお茶は場所を替えて、「タビビトの木」で。 

土曜日だが(だからか)けっこうお客さんが入っている。 

私はカフェラテ、アズサさんはチャイを注文。彼女はチャイを飲むのは初めてとのこと。そう?「SKIPA」でチャイを飲んだことはありませんでしたっけ? 「SKIPA」はチャイが定番だった。

 彼女は物流の会社に勤めているが、仕事は相変わらず忙しいようである。帰宅は毎日10時、11時になるそうだ。夕食と入浴をしてすぐ寝てしまうと、すぐに翌朝になったまた仕事の一日になってしまうのがいやで、1時頃まで起きているそうだ。「スリック」のマダムも似たようなことを言っていたな。遅寝の人というのは深夜が希少な自由時間なのである。

今日は少し風が強いが、いい天気ではある。戸山公園で腹ごなしの散歩。 

少年野球のネット裏で。

戸山公園には一人用(だよね?)のベンチが多い。

 

知らないうちにダイヤルがピクチャーモード(絵画調の写真が撮れる)になっていた。しかし、ファインダーの調子がよくなくて、気づくのに少し時間がかかった。 その間に撮った一連の写真。

坂道を登る。『旅芸人の記録』という昔見た映画のワンシーンを思い出す。

 

木洩れ日の下で。

 

いい感じで撮れているなと思っていたが・・・  

ここでようやくピクチャーモードになっていることに気づく。

ここから通常モードに戻る。 

教会の裏手で。

 

 

 箱根山の頂上で、さきほどの教会を見下ろしながら。

高校生らしき男子の3人組がいた。 

彼らには借景になっていただく。「ねぇ、坊やたち」と呼びかけているような(笑)。

 頂上を下って、セルフタイマーで。

さて、箱根山の次は戸山の丘へ登りましょう。 

戸山の丘の遊歩道に立って。このアングルからの写真は初めて撮る。 

 上まで登ってみる。 

芝生の庭になっている。  

これまで戸山キャンパスには芝生がなかった。「芝生の上に腰を下ろして語らう学生たち」というキャンパスライフの定番的風景がついに実現することになる、

 

芝生の上以外にも腰を下ろせる場所はたくさんありそうだ。

 

戸山の丘初登頂記念の一枚。

 本日のカフェ巡りの終点は「カフェゴト―」。風で「open」の札が下に落ちていたので、戻しておく。

 

店内はほぼ満席で、奇跡的にワンテーブルだけ空いていた。きっと普段の行いがいいのだろう。

2人ともベイクドチーズケーキとシナモンミルクティーを注文。 

 春は名のみの風の寒さや(「早春賦」の歌詞)の一日でしたが、戸山の丘初登頂は記念になりましたね。

寒がりとのことですが、これから少しずつ暖かくなって行きますから、外で(あるいは室内でも)体を動かくようにするとよいですよ。私もしばらく休んでいる夜のウォーキング&ジョギングを再開しようと思います。

「カフェゴト―」を出たのは5時半ごろ。 一緒の地下鉄に乗り、日本橋で乗り換える彼女より一駅先に、私は大手町で降りた。次は初夏カフェでしょうか。また逢いましょう。

 夕食はポークソテー、玉子焼き、明太子、。味噌汁、ご飯。 

付け合せはアスパラのソテー。昼食は洋食だったが、ポークは食べていない。被らなくてよかった。 

 デザートは林檎。今日はタルトタタンは食べていない。

ウォーキング&ジョギングをそろそろ再開しよう。でも、それは今夜ではない。

2時、就寝。


2月22日(金) 晴れ

2019-02-24 10:50:14 | Weblog

8時半、起床。

トースト、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

トーストには昨日あゆみさんからいただいた紅玉のコンフィチュール(いちあん製)を塗って。やさしい味わい。

午後、妻と食事に出る。

家を出る前に予約の電話を入れてから「HITONAMI」へ行く。

さて、今日は何をメインにしよう。 

私はメインに青森産たらのオイルソース。これが実に美味しかった。塩コショウの加減がよく、バジルも効いていた。

くるまふ(車麩)の角煮風煮物

じゃがいもコロッケ

これ、何だったな、メモするの忘れました。

妻はこの後に行く「カフェ・スリック」のケーキに備えてメインなしの惣菜4品( ご飯と味噌汁はなし)。 

食後のドリンクは妻は梅ソーダ。

私はほうじ茶とチリコンカンをお茶うけに。

4月5・6・7日にここで(畳席を舞台にして)演劇が行われるらしい。岸田國士の戯曲『紙風船』を原作とした一幕の二人芝居だ。 

時間の都合がついたら観に来ようかしら。

妻は庭木の剪定のワークショップに申し込んでいた。

デザートを食べに「カフェ・スリック」を目指して歩く。「HITONMI」からだと30分ほどかかるが、食後の散歩にはちょうどいい。

呑川の左岸(下流に向かって)を歩いてJRのガード下をくぐって東口へ(いつもは右岸を歩いている)。 

 

タイムトンネルをくぐるような気分。 

ガードをくぐったところにある「鈴木旗染店」。私が子供の頃からある。河岸工事が行われる前は呑川の河川敷で作業をしていた記憶がある。 

「カフェ・スリック」に到着(「HITUNAMI」を出るときに「いまからうかがいます」と電話を入れておいた)。 

 2人ともアールグレーを注文したが、私はアーマッド、妻はラッフルズホテルのアールグレーをチョイス。同じアールグレーでもずんぶん違うものである。

予約しておいた2月のプチホールのシホンケーキ(チョコレート)。 

生地にチョコレートが入っているだけでなく、表面をチョコレートクリームでコーティングしている。 

いただきます。通常にシフォンケーキの1.5倍ほどのボリューム。 

ごちそうさまでした。

3月のプチホールケーキは桜風味(写真は見本)。さっそく予約した。

 夕食はオムレツ、豆腐の野菜あんかけ、サラダ、味噌汁、ご飯。

「挽肉じゃないのわかった?」と妻が言った。えっ、ベジミートだったのか。さっぱりしているなと思ったが、そうだったのか。 

 2時、就寝。


2月21日(木) 晴れ

2019-02-23 08:46:57 | Weblog

8時、起床。

サラダ、牛乳、紅茶の朝食。今朝も体重コントロールの必要からトーストは抜く。

10時に家を出て、大学へ。

最近は、電車の中ではいつも清水幾太郎の3冊目の自伝『わが人生の断片』(1975年)を読んでいる。単行本(文藝春秋)、文庫版(文春文庫)、そして全集版(講談社)で所有しているが、持ち運びに便利なので文庫版で読んでいる。すでに何度も読んでいる本であるが、何度読んでも面白く、その都度思考を刺激される。時間は有限であり貴重であるから、同じ本を繰り返し読むというのは限られた本についてしかできないが、この本はその限られた本の一冊である。これを通読・精読することがこの春休みの課題の一つである。

本は消耗品と心得ているから(もちろん自分で所有する本の場合)、気になった箇所に線を引き、気になった単語を〇で囲み、思いついたことを余白にメモする。

「所詮、歴史というものは、それが既に過去となった現在の地点から観察し評価するほかはない。それだけに、観察や評価に当たっては、その歴史のうちに生きた当時の人間の身になって考えねばならない。現在の立場から見れば、もう古い過去になっているような期間でも、当時の彼らにとっては、未来は闇だったのである。未来の闇に面していた人間のことは、その同じ時期を判り切った過去のように見下ろす人間には理解できないであろう。これは過去に生きた人間に対する同情というような問題ではない。この注意を怠ると、どんな沢山の資料を揃えても、過去を知ることが出来ず、歴史に学ぶことが出来ず、そもそも、現在の自分の位置を悟ることができないという戒めである。昔も今も、未来は闇である。」(文庫版上巻、38頁)。 

ここに繰り返し出てくる「未来は(の)闇」は後期の清水が好んで使った言葉である。

11時に句会仲間のあゆみさんと早稲田駅で待ち合わせ(ロックアウト期間は学外者はキャンパスに入れない)、「カフェゴト―」へ行く。彼女は教え子ではないが、教え子の恵美子さんとは高校以来の親友で、彼女の紹介で句会に参加するようになったのであるが、研究者であるご主人が地方の大学に職を得て、来月中旬に引っ越すことになった。先のことはわからないが(未来は闇であるから)、今度の日曜日の句会が彼女がリアルに参加できる最後の句会になるかもしれない。その前に、今日は個人的に送別カフェをすることにしたのである。 

ランチの前であるから、飲み物(アイスアップルティー)だけのつもりであったが・・・ 

並んでいるケーキを見ていたら、タルトタタンがあったので、注文しないわけにはいかなくなった。一日に2回焼くのだが、夜まで残っていることはまずない。 

タルトタタンはいまや雑誌でも紹介される「カフェゴト―」の看板商品の1つである。マスター曰く「今日はこれからタルトタタンの協会の集まりがここであるのです」。「タルトタタンの協会? ほんとですか?」半信半疑でスマホで調べたら、確かに本家フランスにはそのようなものがあるらしい。フランスにあるのであれば、その支部のようなものが日本にあっても不思議ではないだろう。 

食事のことを考えて、1つをハーフにしてもらってあゆみさんと分けようとも考えたが、ブログにその写真を載せて、この店のタルトタタンは小さいなと誤解されると申し訳ない(というのを口実に)一人一個注文した。

日曜日の句会の投句の締切は昨日であったが、彼女は勘違いをしていて、今日だと思っていた。すぐに紀本さんにメールをした方がいいですよとアドバイスする。彼女がメールを送ったところ、すぐに紀本さんから返事が来て、「恵美子さんが明日まで待ってほしいと言っているので、あゆみさんも明日まででいいですよ」 とのことだった。みんな、ちゃんと締め切りは守りましょうね(ちなみに私は昨日のうちに送っている)。

 カフェゴト―りんごの国に来たみたい あゆみ

これは彼女が即興で作った句。子どもか。 

「大久保先生でいらっしゃいますか?」と誰かが私の名前を呼んだ。見ると、学生のようである。「はい、そうですが、あなたは?」と尋ねると、「卒業生で先生の講義を受けていたものです」とのこと。お名前は〇〇エリナさん。文化構想学部を2014年に卒業された方で(論系は社会構築で浦野先生のゼミ生だった)で、私の大教室での講義(「日常生活の社会学」と「 ライフストーリーの社会学」)を受講していたそうである。一緒にいる男性はご主人で(一昨年の5月に結婚)、ヨシヒコさんとおっしゃる。彼も早稲田の卒業生(学部は教育)で、弦楽器のサークルで一緒だったそうである。楽器は彼女がチェロ、彼がヴァイオリ。いいですね、大学時代に知り合って、そのまま結婚するというのは、一つの理想的なコースではなかろうか。

今日は久しぶりに母校を2人で訪れ(キャンパスに入れないのは残念だが)、 カフェめぐりをするつもりで、この後は「D-Style Tokyo」に行くそうだ。あゆみさんにわれわれの写真を撮ってもらう。「私がブログをやっているのは知っている?」「はい、実はさっきも見ていました」「あっ、そうなの。じゃあ、この写真をブログに載せてもいいかしら」「はい、喜んで」。

笑顔の素敵な2人だった。どうぞこれからも2人で仲良く人生の日々を奏でていってくださいね(結婚披露宴の祝辞みたいだな)。

 さて、われわれはランチを食べにいきましょう。予約はしていないが、ダメもとで「モンテ」をのぞいてみる。 

運よくカウンター席が空いていた。カウンターといっても席は2つしかないので、独立のテーブル席のようなものである。 

カウンターで横並びというのは、テーブルで対面よりも、距離が近い感じで悪くない。

前菜はラタトゥーユと鶏のレバーペーストを注文して、シャアして食べる。 

 レバーペーストはパンにつけて食べる。パンはお替りした。

主菜は私は真鯛のポワレ ホワイトソース掛け。 

彼女は鶏モモ肉のオレンジ煮。

シェアまではいかないが、お互いの料理をお裾分けした。 

食後のお茶は、店を変えて「フロハン」で。 

 

 私はホットジンジャー、彼女はゆず茶。 

あゆみさんから今日のお礼ということで彼女の家の近所、所沢の「いちあん」というパンカフェのパンと林檎のコンフィチュールをいただく。 ありがとうございます。

私はあゆみさんの句が好きで、彼女のロックな(嘘のない)人柄も好きである。 彼女が地方に行ってしまうのはとても淋しい。先日、沖縄に移住することになった宙太さん(元「SKIPA」店主)とも個人的な送別会をしたばかりだが、同じようなことは続くものである。

 また一人別れを惜しむ二月かな たかじ

でも、きっとまた会えますよね。とりあえず日曜日の句会でね(笑)。

 この街を離れんとして春の風 たかじ

あゆみさんを地下鉄の駅まで送ってから、大学へ。 

ちょっと幻想的な雲が出ている。 

泡立つような雲である。

 

 研究室であゆみさんからいただいたパン(ウィンタークーヘン)をお八つに食べる。

こげ茶色の軽石のようである。

 割るとチョコとナッツの香りが広がった。

雑用を片付けて、6時半頃、大学を出る。 

エリナさんとヨシヒコさんにライトアップしたこの眺めを見せてあげたかったな。 

戸山キャンパスのロックアウト期間は明日(22日)まで。

夕食は豚シャブ。 

簡単で、美味しくて、安い。三拍子そろった鍋である。 

 2時、就寝。