フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

2003年10月(後半)

2003-10-30 23:59:59 | Weblog

10.15(水)

 帰りがけに英文専修の宮城先生と一緒になる。「夕飯でも食べて行きましょう」ということで「五郎八」に行く。宮城先生は二文教務時代の「戦友」である。ご専門は西洋古典学で、その博識には私も一目、いや、五目くらい置いている。教授会のときは、いつも私の隣で『キケロ選集』の原稿の校正をやっているか、居眠りをしているかのどちらかだったが、憎めない人であった。お住まいは埼玉県の北本というところで、大学には毎日始発に乗って(そうすると座れるから)来られるそうで、途中、池袋駅の構内の立ち食い蕎麦屋で朝食をすませ、大学に到着するのは7時頃で、午前中にその日の授業の準備をされるのだそうだ。ちなみに夜は11時頃には休まれるとのこと。ふ~む、私にはとてもマネできない。

 

10.16(木)

「社会・人間系基礎演習4」の後期のグループ研究の課題は「秩序はいかに維持されるのか」。今日は、30分間という時間を決めて、個々人に教室の外に出てもらって、文カフェ、図書館、スロープ、生協文学部店、トイレ、・・・・任意の場面を選んで、(1)そこで展開されている人々の相互作用をじっくり観察する。(2)そこに違和感を覚える人物(行為)はいなかったか。その人物(行為)に対して周囲の人々はどのように反応していたかを観察する。(3)自分自身でちょっとした逸脱行為を演じてみて、それに周囲の人々がどう反応するかを観察する。以上の3つの課題に取り組んでもらい、教室に戻ってから、それを簡単なレポートにまとめて提出してもらった。このレポートは次回の授業の教材になるのだが、(3)の実験的逸脱行為は各自苦心、苦労したろうと思う。いかにささやかなものであれ、意識的に逸脱行為を行うとき、人は周囲のまなざし(それは必ずしも直視という形をとるとは限らない)を痛烈に感じる。われわれは真空の中に生きているのではなくて、一定の気圧をもった空気の中で生きている。じっとしていれば感じない空気の存在も、歩き、そして走れば、その速度に応じた空気の壁にわれわれはぶつかるのだ。実際、たとえばTK君は生協文学部店の中でランニングをした。最初、店員の方は「無視」を決め込んでいたが、しだいにTK君に遠慮のない視線を向けるようになり、10周目あたりで何ごとか相談を始めた。ここに至ってついにTK君はいたたまれなくなり退散したのであった。こうして文学部生協店内に生じた「秩序のほころび」はその当事者の主体的な選択によって修復されたのである。「秩序はいかに維持されるのか」・・・・これ、社会学の核心的テーマである。

 

10.17(金)

(財)生命保険文化センター主催の「第41回中学生作文コンクール」の最終審査会に出席。1万4千を超える応募作品の中から残った35編を対象に文部科学大臣奨励賞他の8編を6人の審査員の合議で決める。最高賞である文部科学大臣奨励賞は満場一致ですんなり決まる。それほど見事な作品であった(プレス発表前にここに書くわけにはいかないのが残念)。一方、8篇にどれを残すかでは少々議論があった。当然のことながら、各委員とも自分が高く評価した作品には残ってもらいたい。結局、最後は多数決で決めることになった。幸い私の推した作品は残ったので、11月14日の授賞式(如水会館)では気持ちよく講評を述べることができそうだ。

 

10.18(土)

 一昨日、母が持病の糖尿病の悪化で入院した。今日、息子を連れて見舞いに行く。新しい病棟で、部屋は4人部屋。部屋の入口の付近に専用のトイレと洗面所があって、室内もきれいだ。しかし、いくらきれいといっても、病室は病室であり、病室特有の沈んだ空気は拭いようがない。入口の名札を見ると、心療内科の患者さんもいるようだったので、病室には立ち入らず、ディールームで面会した。母の入院は今回が5回目か6回目で、われわれも母自身もなれっこになっている。今回はインシュリン注射による治療が中心で、順調に行けば一月ほどで退院できる見込みだ。

 

10.19(日)

 散歩日和。呑川に沿って歩き、JRの線路の下をくぐって蒲田駅の東口方面に出る。この辺りは映画『砂の器』で刑事役の丹波哲郎と森田健作が汗を拭き拭き歩いた場所だ。居酒屋とラブホテルが多い。まだ陽は高く、おまけに日曜日ということもあって、どの居酒屋も閉まっているが、ラブホテルの方は年中無休の24時間営業のようで、私の横をカップルがホテルの中に足早に消えていく。私の通っていた中学校は蒲田駅の近くにあり、道路の向かいが和風の連れ込み旅館であった(いまではありえないロケーション)。もっとも当時はそのような認識はなく、校舎の窓から旅館を見下ろしながら、どうして風光明媚でもないこんな場所に旅館があるのか不思議でならなかった。・・・・なんてことを思い出していたら、「復活書房」に到着。石田衣良『4TEEN』(新潮社)、義家弘介『ヤンキー母校に生きる』(文藝春秋)、ケニー・ケンプ『父の道具箱』(角川書店)の3冊を購入。夜、「講義記録」の最新版をアップロードしてから、「清水幾太郎の『内灘』」を少し書く。あいかわらず遅筆である。

 

10.20(月)

 母から電話で何か本をもってきてほしいとリクエストがあって、「たとえば小林旭が書いた本とか・・・・」と言うので(私の書斎で見かけたらしい)、小林旭、乙羽信子、杉村春子、沢村貞子のそれぞれ自伝を紙袋に入れてもっていく。もっていく前に乙羽信子『どろんこ半生記』の最初のところを読んだら、これが実に面白い。もっていかずに自分で読もうかと思ってしまったほどだ(しかし、それでは原稿の執筆が滞ってしまうので、もっていきましたけどね)。病院から帰って、あらためて散歩に出る。「書林大黒」と「南天堂書店」で以下の本と雑誌を購入。

 (1)北川悦吏子『ロングバケーション』(角川書店、1996年)*100円

 ご存知(ですよね?)TVドラマ「ロンバケ」のノベライズ本。そういえば、山口智子が久々にドラマ復帰するんだってね。

 (2)義家弘介『不良少年の夢』(光文社、2003年)*500円

 先日、TVドラマ『ヤンキー母校へ帰る』を見て、なかなかいいじゃないかと思ったので。本書は原作者の自伝。竹野内豊は「ロンバケ」でドラマデビューして、『ビーチボーイズ』や映画『冷静と情熱の間』などで理性的な青年を演じてきたが、今回の『ヤンキー母校へ帰る』で新境地を開拓した。元ヤンキーの熱血先生役が見事に板に付いている。【後記:卒業生のI君から竹野内豊のTVドラマデビュー作は「ロンバケ」より2年前の1994年の東芝日曜劇場『ボクの就職』であるとのメールを頂戴した。ちなみにI君は、現在、高田記念図書館で働いている。】

 (3)高島敏男『本が好き、悪口言うのはもっと好き』(大和書房、1995年)*1000円

 中国文学者、高島俊男の文壇デビュー作。その後、『週刊文春』での彼の活躍は周知の通り。私は週刊誌を買って読むということはしないが、どこかの待合室に『週刊文春』が置いてあると、真っ先に彼の連載コラム「お言葉ですが・・・・」を読む。

 (4)石川達三『人物点描』(新潮社、1972年)*500円

 国木田独歩に「忘れえぬ人々」という名作があるが、これは石川達三の「忘れえぬ人々」だ。

 (5)岡田斗司夫『恋愛自由市場主義宣言!』(ぶんか社、2003年)

 「一番好きな人と結婚して、いつまでも幸せに暮らしました。」というかつての「当たり前」(と岡田は考える)、「オンリーユー・フォーエバー幻想」からの決別を宣言する本。副題に「確実に『ラブ』と『セックス』を手に入れる鉄則」とある。対談が中心なのだが、経済学者の森永卓郎との対談「モテない男の確率型恋愛手段とは何か」が一番参考に(?)なった。

 (6)別冊・本とコンピューター4『人はなぜ本を読まなくなったのか?』(トランスアート、2000年)*500円

 嘘かと思うかもしれないけれど、文学部の学生の中にも本を読まない人がいる。「最近、何か面白い本、読みました?」なんてうっかり尋ねると、気まずい沈黙がその場を支配することになりかねない。桑原、桑原。

 (7)『東京カレンダー』2002年7月号*200円

 特集「洋食ノスタルジー」に惹かれて。街の洋食屋さんていいよね。

 

10.21(火)

 終日、原稿書き。いくつかいいアイデアが浮かび、先の見通しはよくなったが、年表の作成に時間がかかり、分量的にははかどらなかった。全体で400字詰め原稿用紙に換算して60枚の原稿の予定だが、まだ4分の1ないし5分の1程度のところにいる。〆切まであと10日なり。

 

10.22(水)

 「社会学研究10」は今日で4回目だが、エンディングのとき(出席カードを配るとき)、あらかじめ自宅でMDに落としてきて歌を流すことが多い。初回はしなかったが、2回目は梓みちよの「こんにちは赤ちゃん」、3回目はブルーハーツの「TOO MUCH PAIN」、4回目(今回)は平井堅の「LIFE is …~another story~」である。36号館382教室は大教室なので、出席カードが行き渡るのに時間がかかる。また、出席カードの裏に質問や感想を書いてくれる学生が多いので、出席カードの回収にも時間がかかる。この出席カードの配布と回収の時間(10分はかかる)を漠然と過ごす手はないだろうと。BGMを流したらどうか、それもその日の講義内容とリンクした曲であれば相乗効果が生まれるだろうと考えたのである。今日の出席カードの裏に「先生は本当に歌がお好きなんですね。今度みんなと一緒にカラオケに行きましょう」というコメントを書いた人がいた。確かに歌は好きだ。歌のない人生など考えられない。しかし、私は歌を聴くのが好きなのであって、歌を歌うのが好きなわけではない。自転車を漕ぎながら歌を口ずさむことはあるが、カラオケで歌ったことは一度もない。せっかくのお誘いですが、辞退させていただきます。

 

10.23(木)

 今日は大学は体育祭で授業は休みなのだが、社会人対象の公開講座は通常どおりあるので大学に出る。公開講座をすませ、いつものように早稲田軒で遅い昼食(五目炒飯)をとり、3時に研究室で卒業生のT君と会う。T君は私が卒論指導をした学生だが、卒業後、2年間オックスフォードの大学院で人類学の勉強をして修士号を取得し、先月、帰国したばかりだ。現在は、NPOの活動(ならびに参与観察研究)をしながら、収入を得るためのパートタイムの仕事を探しているところだという。彼がまだイギリスにいる頃、メールでやとりとをしていて、彼が帰国しても博士課程を受験するつもりはなく、一度、働いてみたいという考えをもっていることを知って、意外な思いがしたものだが、今日、NPOの活動に参加しながらその活動を内部から研究したいという考えを聞いて、ずっと方法論の勉強をしてきた彼にはフィールドワークへの渇望があるのだとわかった。お土産に紅茶とクッキーをもってきてくれた。学部時代からのクールさとクレバーさはあいかわらずだが、2年間のイギリス生活で、社交術も身につけたようである。

それから、今日はもう一人、卒業生が研究室を訪ねてきた。5年前に文芸専修を卒業して、いまは日本テレビの記者をしているSさんだ。お昼ごろ、今日伺ってもいいですかというメールが届いた。とにかく忙しい職場のようで、前々から約束していてもドタキャンになることが多いので、思い立ったが吉日ということで連絡をしてきたようだ。8時半には社を出られます、と書いてあった。木曜日は私が7限の授業をあることを覚えていて、授業が終わるころに顔を出しますということだ。今日は体育祭で授業はないことを彼女は知らないのである。しかし、せっかくなので、清水幾太郎『女性のための人生論』(河出新書、1956年)を読みながら待つことにした。予告どおり9時過ぎにSさんはやってきた。それから早稲田駅側の焼肉屋「紅閣」で、東西線の大手町方面行きの終電の時刻(0:10)まであれこれおしゃべりをした。実は、時計を見ていなかったので、彼女に言われるまで終電の時刻が迫っていることに気づかなかったのである。ふぅ、危なかった。二文の学生担当教務主任をしていた頃は、しばしば終電で帰ったものだが、それ以来である。よくそんなに話すことがあったものだと思うが、一種の人生相談のようなものであった。食事代は、先日、報奨金が出たからとのことで、彼女が支払ってくれた。卒業生におごってもらうのは初めての経験で、感慨深いものがあった。ご馳走さまでした。

 

10.24(金)

 昼休みの時間から始まる卒論ゼミの前に昼食をとることができず、そのまま3限、4限と授業が続き、ようやく4限終了後、ミルクホールで買った焼きそばパンとアンパンを研究室で食べる(ただし、卒論の個別指導をしながら)。正岡先生が訳されたグレン・H・エルダーとジャネット・Z・ジールの『ライフコース研究の方法』(明石書店、2003年)を先生から頂戴する。500頁を越す大部の本。正岡先生は研究室にいらっしゃるときはドアを半開きにしていることが多い。廊下から、チラリと見える先生は、いつもパソコンの前に座って文献の翻訳をされている。

 

10.25(土)

 午前、博士論文研究会。午後、全国調査「戦後日本の家族の歩み」(NFRJ-S01)研究会。夕方、「あゆみBOOKS」で、『向田邦子 暮らしの楽しみ』(新潮社、2003年)と渡辺満里奈『甘露なごほうび』(マガジンハウス、2003年)を買って帰る。電車の中で後者を読む。向田邦子がただものではなかったことは(ある年齢以上の方は)誰でも知っているが、渡辺満里奈もただものではないことに気づいている人はそれほど多くないであろう。元おニャン子クラブの一員(No.36)であるからといって、あなどってはいけない。

 

10.26(日)

 昼食(中村屋の肉まん、あんまん)の後、母親の見舞いに出かけた以外は、終日、自宅で原稿書き。

 

10.27(月)

 今日も終日、自宅で原稿書き。机上や椅子の周りの床上に資料の山が石柱のように何本も出来ている。ああ、図書館の閲覧室にあるような広い机が欲しい。書斎には2つの机があるが(仕事の種類によって使い分けている)、両方とも幅120センチ、奥行き70センチで、おまけに机上にはパソコン、プリンター、書類立て、レターケース、照明器具などが置かれているため、資料を広げるスペースが限られている。勢い、原稿を書くために必要な資料は縦に積まれていくことになり、下の方の資料が必要になる度に、ダルマ崩しのように横から引っ張り出すという作業を頻繁に繰返すことになる。非能率的であること甚だしい。しかし、この雑然とした環境の中で、秩序ある言葉を紡ぎ出すという作業に没頭していると、なんだか坂口安吾(ほら、安吾というと、紙くずに埋もれて原稿を書いている、例の有名な写真があるじゃないですか)にでもなったような気分がして、それはそれで悪くはないのである。

 

10.28(火)

 書斎の窓から雨をながめながら、今日も終日原稿書き。原稿を書くことを生活の中心に据えて一日を送っていると、身の回りで起こる小さなあれこれが原稿を書くことの妨げとして感じられるようになる。これはよくないことである。原稿を書くなんてホントはそれほど大したことではないのだ。ところが、それを大したことであるかのように勘違いして、執筆を中断させるあれこれのことに「チッ」と舌打ちをしたりしている。芸術家のように振る舞ってはならない、と自分に言い聞かせる。

 

10.29(水)

 社会学専修を卒業して4年目、いまは本部キャンパスにある高田記念図書館でアルバイトをしているI君と、高田牧舎で昼飯を食べる(私はロースカツサンドに珈琲、I君はオムレツに珈琲)。彼が高田記念図書館で働いていることは彼からのメールで知っていたが、私は高田記念図書館へはめったに行かず、彼も午後1時から10時までの勤務なので文学部キャンパスに顔を出すチャンスがなく、こうして会うのは彼の卒業以来である。I君曰く、「何か特別の理由がないと研究室へは顔を出しずらくて・・・・今日に至りました」。まぁ、その気持ちはわからなくはないが、でも、研究室にやってくる卒業生がみんな「特別の理由」を抱えてやってくるのだとしたら、それは私にとってはちょっとしんどいでしょうね。イニシャルを出すのは控えますが、以前、ある卒業生(女性)がやってきて、結婚を前提につきあってもいい男性が2人いて、どちらにすべきか迷っているので、先生(私)にその2人の男性と会ってもらって、先生が選んでくれた方の男性と付き合うことにします、と言われたことがある。す、すごいでしょ。たとえ自分の娘からそんな依頼を受けても、「よし、まかせとけ」とはなかなか言えませんよね。で、そのときは、会ってもいいけど、君がトイレに行って席を外している間に、あの子とはやめといた方がいいと彼らにアドバイスをするかもしれないけど、それでもいいか、と答えておきましたけどね。・・・・というわけだから、今日のように、とくに相談ごともなく、あれこれ同期の卒業生たちのことを話題にしながら、昼飯を食べるというのも悪くないのである。

 

10.30(木)

 今日の昼食も卒業生と一緒だった。今春、社会学専修を卒業し、横浜国立大学の大学院(国際社会科学研究科)に進学した0さんだ。単位互換制度を利用して、早稲田大学の法学研究科の授業もとっていて、週に一度、母校に顔を出しているのである。「五郎八」で蕎麦を食べながら話を聞いたので、記憶違いがあるかもしれないが、専攻は国際経済法で、EUとくにオランダに関心があり、前期課程を終えたらオランダ留学を考えているとのこと。学部のときにやっていた勉強とはとくにつながりはないようだ。一念発起したに違いない。将来は外資系の企業でバリバリ働くつもりなのだろう。元気な卒業生は女性に多い気がする。Oさんも、持病の肩凝りに負けずに頑張ってほしい。3時から研究会があるので大学に戻ると、研究会は来週であることがわかる。昨日の夜と今日の午前中、書きかけの原稿を脇に押しやって研究会で読む予定の英語の文献を読んでいたのに、とんだ勘違いだった。夕方から、研究室で二文の基礎演習のグループ研究の相談を2件こなし、文カフェで北海カレーをかっこんでから、7限の授業に臨む。先週の授業中にやったフィールドワークのレポートを教材にして逸脱行動について講義する。途中で一度も時計を見なかったが、話に一応の結末がついて、腕時計を見ると、終了時刻の7分前。うん、90分という時間が体に染み込んでいる。

帰宅の途中、「あゆみブックス」でウィットゲンシュタイン『論理哲学論考』(岩波文庫)を購入し、電車の中で読む。ずっと前から岩波文庫に入っているものと思っていたが、実はこの8月の新刊である。「訳注」がとても親切。たとえば「1.1.3 論理空間の中にある諸事実、それが世界である。」という命題には次のような訳注がついている。「一般に、ウィットゲンシュタインは可能性の総体を『空間』と呼ぶ。物体がとりうる可能な位置の総体が三次元のいわゆる『空間』であうように、あることがらが現実に起こりうるかどうか、その論理的な可能性の総体が『論理空間』である。(後略)」。また、「2 成立していることがら、すなわち事実とは、諸事態の成立である。」という命題には次のような訳注がついている。「『事実』と『事態』を区別するポイントは二つある。ひとつは、事実が現実に起こっていることがらであるのに対して、事態は起こりうることがらであり、必ずしも現実に起こっているものに限らない、という点である。大づかみには、この点(事態―可能性、事実―現実性)を押さえておけば『論理哲学論考』を読むに支障はない。しかしウィットゲンシュタインが考慮していると思われる区別のポイントがもうひとつある。事態は(中略)諸対象の結合であるが、事実は成立している事態を複数集めたものでもよいという点である(事態―要素性、事実―複合性)。この二つのポイントを厳密にあてはめると、たとえば『樋口一葉と石川啄木はつれだって世界一周をした』などは現実のことではなく、論理的可能性にとどまるため、事実ではないが、二人の世界一周というのはさまざまな事態からなるだろうという意味では、事態でもないことになる。(後略)」。このわかりやすさは感動的である。ウィットゲンシュタインは本書の「序」でこう述べている。「本書が全体としてもつ意義は、おおむね次のように要約されよう。おそよ語られうることは明晰に語られうる。そして、論じえないことについては、ひとは沈黙せねばない。かくして、本書は思考に対して限界を引く。いや、むしろ、思考に対してではなく、思考されたことの表現に対してと言うべきだろう。というのも、思考に限界を引くにはわれわれはその限界の両側を思考できねばならない(それゆえ思考不可能なことを思考できるのでなければならないからである)。したがって限界は言語においてのみ引かれうる。そして限界の向こう側は、ただナンセンスなのである。」野矢茂樹の手になる「訳注」と「訳注補遺」と「訳者解説」(合計で60頁ある)のおかげで、『論理哲学論考』の明晰さは、可能性としての明晰さから現実性を帯びた明晰さになったというべきだろう。野矢という名ガイドに案内されて、われわれはウィットゲンシュタインが引いた思考の表現の限界ラインを散策するのである。

 

10.31(金)

 昼休みと3限の時間を使っての卒論ゼミ(1回に3人報告)。今日の3人は音楽関係のテーマ。Sさんは戦中から現在までの「励まし歌」の変遷を、R君は階級社会と音楽(とくにロックミュージック)の関係を、K君はモーニング娘。という現象を、テーマにしている。若者の読書離れが言われて久しいが、音楽を聴くことは、ジャンルやメディアの変遷はあっても、若者的ライフスタイルを特徴付ける一要素として戦後一貫している。かつて読書が担っていた機能の一部を音楽が肩代わりしているという見方もできるだろう(たとえば、電車の中で、文庫本を読むことと、ウォークマンで音楽を聴くことは、多数の見知らぬ他者の間に身を置きながら自己の周囲に「結界」を張るという点では機能的に等価な行為である)。音楽社会学(マックス・ウェーバーの用語とは意味が違うが)は、現代社会論のためのアプローチとして有力であると思う。4限の大学院のゼミは夏休み明けに提出してもらったレポートを順次報告してもらっている。今回の報告者はYさんとAさんの2人。Yさんの報告は、関東大震災後に突如出現したモダン・ガール(モガ)をめぐる当時の雑誌の言説分析。Aさんの報告は、中絶をテーマにしたインターネットサイト「悲しいこと」のBBSの書き込みの分析。両方とも興味深い報告で、1時間近く授業を延長して行った(もっとも時間にルーズな人が多くていつも20分ほど遅れて始まるのだけれど・・・・)。5時から二文の基礎演習のグループ発表の相談を一件。大戸屋という定食チェーン店である奇抜な振る舞い(発表前なので書くことができません)をした実験についての結果を聞く。その振る舞いをした学生のそのときの緊張は相当のものだったようで、にもかかわらず、周囲の反応は大したことはなく、逸脱行動というものがいかに主体の自己抑制によって抑圧されているかがよくわかる。

 


2003年10月(前半)

2003-10-14 23:59:59 | Weblog

10.1(水)

 私にとっての後期の初日。昨日、朝が早かったせいで、今日も7時に目が覚める。どうせ長くは続かないと思うが、午前中に一仕事終えてから、大学に出かけるのは気持ちがいい。今日の授業は、3限の「社会学研究10」と5限の「社会学演習ⅢD」(ただし午後8時まで延長)。2つの授業の間の時間に「シャノアール」で、ハヤカワ文庫の新刊、テッド・チャン『あなたの人生の物語』を読む。チャンはネビュラー賞、ヒューゴー賞、ローカス賞などを受賞している30代のSF作家である。今日から穴八幡の境内で開催されている早稲田青空古本市ものぞいてみたかったが、裸の文庫本を手にもっているので、行くのをためらった。5限の授業の学生が通りかかったら、文庫本を預かってもらおうと馬場下の交差点のところでしばし佇んでいたのだが、そううまい具合に学生は現れず、古本市は明日ということにした。

 

10.2(木)

 本部1号館310教室でオープンカレッジの初回の授業。履修者は14名(本日は1名欠席)。出生年を尋ねたら、1930年代生まれが2名、1940年代生まれが7名、1950年代生まれが2名、1960年代生まれが1名だった。要するに、ほとんどが私より年上である。そしてほとんどが女性である(男性は2名)。でも、こういう状況は、放送大学の卒論ゼミでは普通のことだったから、とまどいは全然ない。自分でいうのは何だが、私は年上の女性からの受けはいいのである。初回のテーマは「ライフコースとは何か」。対話を多用しながら、概念的な説明をひとわたりした後で、自分の人生年表を作成してもらう。思いのほか時間がかかり(生きてこられた時間が長いということもあり)、次回までの宿題とする。授業の後、エクステンションセンター本部(昔の早稲田ゼミナールの建物)側の「早稲田軒」で、遅い昼食(天津丼)をとる。それから「カフェ・ゴトー」に行き、珈琲とベイクド・チーズケーキを注文して、テッド・チャン『あなたの人生の物語』の続きを読む。その後、昨日行けなかった穴八幡境内で開催中の早稲田青空古本市をのぞく。安くて面白そうな本・雑誌を21冊購入。全部で9100円。

片岡義男『本を読む人』(太田出版、1995年)*1000円

間庭充幸『日本的集団の社会学』(河出書房新社、1990年)*300円

中村新太郎『日本学生運動の歴史』(白石書店、1976年)*300円

戸板康二『久保田万太郎』(文藝春秋社、1967年)*1200円

城戸浩太郎『社会意識の構造』(新曜社、1970年)*500円

江藤淳『小林秀雄』(講談社、1965年)*300円

五百旗頭真編『戦後日本外交史』(有斐閣、1999年)*700円

『ユリイカ』1972年3月号(特集:第一行をどう書くか)*150円

『伝統と現代』1978年5月号(総特集:現代大衆論)*150円

『思想』1973年5月号(特集:現代社会学の展開)*150円

高見順『インテリゲンチア』(池田書店、1951年)*350円

現代の眼編集『戦後思想家論』(現代評論社、1971年)*350円

鈴木正『思想家の横顔』(勁草書房、1987年)*450円*350円

山口啓二・松尾章一編『戦後史と反動イデオロギー』(新日本出版社、1981年)

林健太郎『個性の尊重』(新潮社、1958年)*250円

竹内好『日本と中国のあいだ』(文藝春秋、1972年)*400円

美作太郎『戦前戦中を歩む』(日本評論社、1985年)*800円

『理想』(特集:構造主義とは何か)1968年11月号*150円

『理想』1974年6月号(特集:マックス・シェーラー)*150円

『理想』1982年9月号(特集:構造主義再考)*150円

『経営人類学ことはじめ』(東邦書店、1997年)*1000円

 露店の間を歩いているうちに、だんだん両手に抱えた本の山が高くなっていったが、途中、私と同じくらい両手にいっぱい本を抱えた人がいて、見たら道場親信さんだった。彼は昨日も来たそうで、「清水幾太郎著作集の端本が4冊ほど出てますよ」と教えてくれたが、私が探しているのは全19巻揃い(で10万円を切るもの)なのである。

 二文の「社会・人間系基礎演習4」の初回。夏休みの課題であったレポート「東京」の提出。37名中、本日提出できたのは29名。人数分コピーして提出してもらい、全員が全員の分を受け取る。これを来週までに読んできて、次回の授業は合評会となる。前期は、社会学の入門書をグループで分担して読んで、それを報告してもらったが、後期はグループでフィールドワークを行って、それを報告してもらう。テーマは「秩序はいかに維持されるか」。具体的には、「キャンパス」「車内」「食堂」「路上」という4つのフィールドを設定し、そこで展開されている人々の相互作用を観察し、相互作用の背後にどのような規範が存在するかを考察する。ただ観察するだけではなく、実験的に秩序が破られる状況を作り出して(ただし犯罪的なものはNG)、そうした状況に人々がどう対応し、どのように秩序のほころびが修復されるかを観察したり、人々にインタビューやアンケートを行ったりもする。個々のフィールドに2つのグループがアプローチし(4×2=8グループ)、発表は2つのグループのコンペとなる。同じフィールドにどちらのグループがより鋭く、またより面白くアプローチしたかを競ってもらう。

 古本市で購入した本(片手で持てるように包装してもらってある)を下げて大学を出る。帰路、「風屋」で遅い夕食(塩ラーメンと半ライス)をとる。帰宅したら肩がコチコチになっていた。風呂上がりにバンテリンを塗って、就寝。

 

10.3(金)

 卒論ゼミ再開。後期は、毎週、金曜日の昼休みと3限を使って行う。今日はMさんとWさんが報告(もう一人Kさんも報告のはずだったのだが、なぜか欠席)。Mさんのテーマは女子の摂食障害と男子のひきこもり。おそらくこの2つの現象は機能的に等価である。Wさんのテーマは自分史を書く(出版する)人々。筆者へのインタビューを行っている。今日の報告を聴いた限りでは、2人とも卒論の構成(展開)が整ってきたから、後は「道なり」に進んでいけばゴールにたどり着けるだろう。まずは一安心。大学院のゼミも今日が後期の初日。夏休みのレポートを受け取る。10月は毎回2人ずつこのレポートの内容を報告してもらう。後期のテーマは「戦後日本における人生の物語の変容」である。初回の今日は、私が戦後日本の家族変動についてNFRJ-S01の報告書を材料にして話をした。いつもは時間を延長することの多い授業だが、今日は早めに終わる。後期最初の1週間はこうして終わった。前期だと、まだ土曜1限の社会学基礎講義が控えているのだが、後期はそれがない。普通のサラリーマンのように金曜日で仕事は終わりである。帰路、気分が軽い。蒲田駅を降りて、「TSUTAYA」で『レッド・ドラゴン』のDVDを借りて、夕食後、『あなたの人生の物語』を読み終えてから、観る。鶴田真由さんがホームページの日記の中で「いやぁ~、面白かった!」と書いていたが、同感である。でも、このシリーズは、やはり『羊たちの沈黙』が一番面白く、次がこれで、『ハンニバル』は駄作だった。この手の映画は犯人がクレバーでないと、いくら謎を解く側がクレバーでも、面白さが半減する。その意味では、クリント・イーストウッド主演の『ザ・シークレット・サーヴィス』や、ブラッド・ピット主演の『セブン』なんかは、面白かった。

 

10.4(土)

 上野の森美術館で開催中の「ピカソ・クラシック1914-1925」を観る。ピカソの生涯において「静謐の時代」と呼ばれるキュビズムから古典主義への回帰が見られた時期の作品群を集めた珍しい展示会。「肘掛け椅子に座るオルガの肖像」(1917年)や「ピエロ姿のパウロ」(1925年)といった画集でおなじみの作品に混じって、鉛筆で描かれた人物画の小品がたくさん展示されていて、最初は、「箸休め」みたいな感じで気軽にながめていたのだが、途中で、影やグラデーションをほとんど用いない簡潔な輪郭線だけで描かれたこれらの絵には、一度描いた線を消したような跡がまったくないことに気づいて、ハッとした。ピカソの並外れたデッサン力を再認識した。お隣の日本芸術院で「江戸の息吹」と題された展示会(無料)をやっていたので、ついでにのぞく。ピカソに限らず西洋の近代絵画が画家の内面(あるいは対象への画家のまなざし)の表現であるのに対して、日本画は様式美の探求である。それ故、若い頃は、日本画は装飾的で退屈なものと思っていたが、いまは日本画もいいなと思う。今回、展示されている作品の中では、松林桂月「香橙」(1952年)、上村松篁「樹下幽禽」(1966年)、那波多目功一「富貴譜」(1999年)の前でしばらく足が止まった。「精養軒」で昼食(ビーフシチュー)をとってから、上野駅前の老朽化した松竹デパートの地下にある上野古書センターをのぞく。一昨日、早稲田青空古本市で350円で購入した『戦後思想家論』(現代評論社、1971年)が、ここでは2000円で売られていた。これは極端な例かもしれないが、全般的に早稲田の古本屋よりも高めの価格設定である。パメラ・ポール『「短命結婚」の時代』(原書房、2002年)、松浦総三『ジャーナリストの仕事』(大月書店、1985年)、青木正美『東京下町古本屋三十年』(青木書店、1982年)の3冊を購入。その後、アメヤ横丁を御徒町まで歩く。突然、記憶の底に沈殿していた1950年代の東京の面影が眼前に姿を現した。大きなビニール袋にこれでもかというくらいチョコレート製品を詰め込み、「これで1000円!」と売り子が言った瞬間に、思わずポケットから1000円札を出してしまった。これではまるでサクラだ。築地直送の鮪を使った鉄火丼が500円で食べられる露店があり、ビーフシチューを食べてから2時間ほどしか経っていないにもかかわらず、引き寄せられるように、食券を買ってしまった。おまけにその30分後には、御徒町の甘味処「福助」でお汁粉とお雑煮を食べていた。明らかにノスタルジック性の過食症である(そんな過食症があるかどうかは別として)。帰りの電車の中、満足と満腹で、居眠りをした。

 

10.5(日)

夏に観たTVドラマ『Dr.コトー診療所』の原作(コミック)を読む。現在、11巻まで出ていて、家の者は私以外全員すでに読破している。仲間外れにならないために、というのはもちろん口実で、コミックはけっこう好きなのである(家にあるコミックの大部分は妻が購入したものだが、「ドラゴンボール」と「北斗の拳」と「沈黙の艦隊」は私が購入したものである)。大塚寧寧が演じていたスナックのママ、小林薫が演じていた役場の課長(看護婦の父親)、筧利夫が演じていた診療所の職員、石田ゆり子が演じていたコトー先生の昔の彼女、これらはみんな原作にはないキャラクターであることを知った。それから時任三郎が演じていた漁師は、TVではなかなかコトー先生に心を開かなかったが、原作ではかなり早い段階でそうなる。逆に、原作に登場する江葉都という凄腕の医師はTVの方には出てこなかったが、きっといずれ作られるであろう続編(スペシャル)に出てくる気がする。

覚悟を決めて、『社会学年誌』の原稿「清水幾太郎の内灘」(仮題)を書き始める。最初の一行は、「清水幾太郎(1907-1988年)はその81年の生涯において94冊の著作を出版した。」書き出しが決まると後はスラスラと・・・・というわけにはもちろんいかない。最初の一行から最後の一行まで、細かい設計図が頭の中ですでに完成していて、後はそれを実線でなぞるだけという人もいるのだろうが、私はまったくそういうタイプではない。一応のラフなスケッチは頭の中にあるが、考えながら書き、書きながら考えるタイプなので、一度通過したはずの道を、ああでもない、こうでもないと、何度か行きつ戻りつする。これから月末の〆切まで長い苦吟の道のりが続く。電車の座席に座って、あるいは文学部のスロープを上り下りしながら、独り言をいっている私を目撃しても、どうか気味悪がらないで下さい。

 

10.6(月)

 昼休みの時間、453教室で1年生を対象にした社会学専修のオリエンテーション。「立錐の余地もない」というのはこういうときに使う言葉であろう。もっともこれは毎度のことで、実際に社会学専修への進級を希望するのは120~140人というあたりに落ち着くはずである。社会学専修の定員は75人であるが、25%ほど多めに受け入れるのが慣例なので(97、8名)、それほどの狭き門ではない。普通の成績をとっていれば、すんなり入れるはずである。ただし、希望専修の申請は成績が出る前に行うので、自分の成績がどの程度のものであるのかがわからないことが彼らを不安にさせる。第一文学部は入学してからもう一度受験があると言われる所以である。

 オリエンテーションを済ませて、第2会議室に直行する。調査実習のケース報告会。授業中に少しずつケースの報告をやっていたのでは11月いっぱいかかってしまうので、別途そのための時間を設定したわけである。しかし、他の授業やアルバイト等と重なって来られない学生も多く、それはしかたがないとして、まったく何の連絡もないままに欠席の学生が何人かいて、その結果、ケースの報告ができる学生は2人しかいなかった。やれやれ。これではわざわざケース報告会を開いた意味がない。7時までの予定であったが、3時半くらいに終了。

 

10.7(火)

 午後1時からの専修・専攻主任会を午後2時半からだと勘違いしていたことに気づいて、あわてて家を出る。5分前に大学に着き、ミルクホールでキャベツメンチカツとレモンパイを買って口に押し込み、会議室に入る。今日は大した議題もなく、1時間足らずで終了。「五郎八」にちゃんとした昼飯を食べに行く。揚げ茄子のみぞれおろしうどん。とうとう温かいうどんとおそばの季節になった。午後6時から高田牧舎ビルの2階で人間総合研究センターの管理運営委員会。いつものように「たかはし」のお弁当を食べながらの会議。報告事項ばかりの退屈な会議だが、唯一、この会議のよいところは2時間を越えないことである。司会を務める所長は「会議は2時間を越えてはいけない」という信念をお持ちの方のようにお見受けする。8時ちょうどに終了。研究室に戻り、明日の授業の下調べをしてから帰宅。往き帰りの電車の中で清水幾太郎の3冊目の自伝『わが人生の断片』を精読している時間が一番充実しているように思える。昨日からちょっと風邪気味なり。

 

10.8(水)

 3限の「社会学研究10」を終え、学生の留学の相談を2件済ませてから、遅い昼飯を食べに出る。いつもなら「メーヤウ」でカリーというパターンが多いのだが、今日は体が疲れ気味なので、刺激の強いものは避け、「高田牧舎」のハヤシライスにする。ここのハヤシライスはルーとライスが別々に出てくる。こういう場合、最初に全部のルーをライスに掛けてから食べるか、ルーをライスに少しずつ掛けて食べるか、2つのやり方がある。私はときと場合に応じて2つのやり方を使い分けている。ライスが固めのときは、最初に全部のルーをライスにかけて、ルーをライスに染み込ませておいて(ルーでライスをふやかしておいて)食べる。反対にライスが柔らかめのときは、それをやってしまってはライスがベチャベチャになるので、ルーを少しずつ掛けて食べる。今日のライスは少し柔らかめだったので、後者を採用。食後、珈琲とスポーツ新聞。女優のHさんが早稲田大学を自主退学して仕事に専念することになったとの記事が載っていた。心機一転で頑張ってほしい。「早美舎」で新しい名刺を注文してから研究室に戻る。今度の名刺には携帯の電話番号とメールアドレスも記載することにした。

5限の調査実習は、いつものケース報告のほかに、分析班の班分けを行う。ライフコースとは相互依存する複数の経歴の束である。よって班分けは経歴別に行う。すなわち「定位家族経歴」「学校経歴」「職業経歴」「生殖家族経歴」の4班である。男女各12名合計24名のクラスなので、各班、男女3名ずつの合計6名になるように調整する。別に合コンをやろうというわけではない。対象者が男女半々であるので、分析の視点にジェンダー的偏りが生じないように意図してのことである。スラスラと決まるかと思いきや、最後の最後で、女性が4名の班ができ、誰か1名他班に移ってもらいましょうというところで、少々難航する。私「ええと、どなたか移っていただける方は?」。4名、無言。他の学生たち、ニヤニヤして高見の見物。私「う~ん、どなたか、移っていただけるとありがたいのですが・・・・」。4名、無言。他の学生たち、固唾を飲んで見守る。しかたがないので、ジャンケンで決めることに。私「最初に言っておくけど、移る一人になっても泣かないって約束だよ。では、最初はグー、ジャンケンポン!」。激戦の末、Hさんが移ることになった。Hさん、ヘラヘラと笑っている。みんな、やれやれと安堵する。こうして大久保ゼミの夜は更けてゆく。

 

10.9(木)

 3限の公開講座を終えて、「早稲田軒」で遅めの昼食(ワンタンメン)をとってから、本日開店した「ブックオフ早稲田駅前店」をのぞいてみる。狭い。店舗自体も小さいが、本棚と本棚の間があまりにも狭い。しかし、店員の数は多く、彼らは客の顔を見ずに「いらっしゃいませ、こんにちは」と機械的に連呼している。一種の景気づけなのだろうか。レンタルビデオの「TSUTAYA」などもこの方式を採用しているが、私にはとても気持ち悪いものに感じられる。100円本の棚にグレイス・ペイリー『最後の瞬間のとても大きな変化』(村上春樹訳、文藝春秋)を見つけて購入。これは儲けもの。「ブックオフ」は100円本のコーナーを利用するに限る。今日は夕方から大隈小講堂でボードリヤール氏の講演会があり、聴きに行く予定でいたのだが、何だか寒気がするので、研究室で7限の授業が始まるまで電気ストーブにあたってじっとしていた。私は真夏も真冬も好きなのだが、秋が深まっていくときの冷え込みが苦手で、この時期はよく体調を崩す。首の周囲の筋肉が痛くなって、寒気がするというのがいつもの私の風邪の初期症状である。7限の「社会・人間系基礎演習4」は先週みんなが提出したレポートの合評会。多くの感想が寄せられるレポートがある一方で、誰からも言及されないレポートもある。こうした嬉しい、あるいは辛い経験を重ねながら、読ませる文章を書く力はついていくのである。夕食は蒲田に着いてから、駅と自宅の中間にある「つけ麺大王」で食べる(レバニラ炒め定食)。帰宅して、風呂に入り、風呂から出たときに、「つけ麺大王」のテーブルの下の物置棚に清水幾太郎『わが人生の断片』を置き忘れてきたことに気づき、あわてて取りに行く。幸いなくなってはいなかったが、風邪気味だというのに、すっかり湯冷めをしてしまった。熱い珈琲を飲みながら、ビデオに録っておいた「白い巨塔」の初回を観る。昔、田宮次郎が主演したものに比べると、教授陣に貫禄がない(あのときは東教授役は中村伸郎、鵜飼教授役は小沢栄太郎だった)。しかし、女優陣はまずまずである(財前助教授の妻役は若村麻由美、愛人役は黒木瞳、東教授の娘役は矢田亜希子。あのときは、それぞれ、生田悦子、太地喜和子、島田陽子だった)。それにしても、国立大学の医学部の教授になるのって、ホント、大変なんだな。

 

10.10(金)

 12:15~14:30、一文の卒論ゼミ。14:40~17:00、大学院ゼミ。17:00~19:30、二文の卒論ゼミ。さすがに疲れた。夕食は二文の卒論ゼミのメンバー4人と「五郎八」で食べる。4人とも1年生のときの私の基礎演習のメンバーで、なんとなく同窓会のような雰囲気が漂っている(私は二文では基礎演習と卒論指導しか担当していないので、2・3年生と教室で顔を会わせることがないのである)。MMさんは結婚し、MJさんは看護師の仕事を辞め、KMさんとOKさんは就職が内定した。みんな変化する人生の只中にいる。とりわけ新婚6ヶ月のMMさんは幸せモード全開である。はいはい、人生、幸せなときに思う存分幸せを噛み締めておくことです。閉店時間を過ぎて、女将さんに追い出されるまで歓談は続いた。帰宅して、昨日ビデオに録っておいたTVドラマ「エアロール」の初回を観る。高級老人ホームを舞台にした老若男女の恋の物語。死や介護だけが高齢者の人生の物語のテーマではないということなのだろう。緒方拳がいい。豊川悦司の身のこなしはあいかわらず優雅だ。いま、男優でこれだけの身のこなしができるのは、他には陰陽師の野村萬斎くらいだ。それにしても木村佳乃ってこんなに色っぽい女優だったっけ。

 

10.11(土)

 ずいぶん前から本屋の店頭には来年の手帳が並んでいる。それを手にとってパラパラやるのは楽しいが、私は大学から支給される能率手帳(オーソドックスな片面一週間タイプ)をずっと使っていて、他の手帳に替えるつもりはない。ただし能率手帳はスケジュール帳としての完成度は高いが、ノート部分が30頁ほどしかないのが玉に瑕である。これでは何でもかんでもメモしておくには不足である。これはメモしておくべき事項かどうかなんてことを一々考えずにメモができるためには最低でも100頁は必要だ。手帳の内バンドに差し挟んで使う別冊の能率手帳補充ノートという商品があるにはあるのだが、薄手のもので、私が望むような増頁は期待できない。また、能率手帳メモリーというメモ重視の商品もあるのだが、残念ながらこちらはスケジュール管理の頁が簡略で(カレンダータイプや日誌タイプ)、使用に耐えない。メモ専用の手帳(たとえばモールスキンの方眼紙や白紙のやつ)を別に持てば量の問題は解決するが、2冊の手帳を常時携帯するのは面倒である。手帳は鞄にではなく、上着の内ポケットに入れておかねば手帳としての機能が低下する。しかし、2つある上着の内ポケットの1つは札入れ用である。残りの1つの内ポケットに2冊の手帳は入らない(無理をすれば入らないことはないが、片方の胸が膨らんで格好がよろしくない)。シャツの胸ポケットに入れるという手もあるが、シャツの胸ポケットは実用には不向きな作りのものが多いし、晩秋から早春にかけて私はセーターを着用するので、シャツの胸ポケットはセーターの下に隠れてしまう。上着の2つの外ポケットには、ハンカチ、ティッシュ、キーホルダー、携帯電話、定期入れなどの先住民がおり、新参者が入り込む余地はない。日本能率協会殿、厚味が増し、価格が高くなってもかまいませんから、一冊でスケジュール帳としてもメモ帳としても存分に使える新商品を売り出してはいただけないでしょうか。

 

10.12(日)

 たいていの仕事には〆切というものがあり、〆切の多くは月末か15日に設定されている。この3連休は15日が〆切の大小の仕事にかかりきりである(もっとも私は土曜と月曜は授業がないので、原則として毎週3連休なのだが)。それに加えて、14日の社会学専修の教室会議までに、来年度の時間割の原案と、同じく来年度の卒論指導の割り振りの原案を作らなければならない。今日は一日、散歩好きの私が、一歩も外に出なかった。たぶん明日もそうなるだろう。無精髭が伸びている。

 

10.13(月)

 あれこれの作業に終日追われる。息抜きを兼ねて昼食を外に食べに出たら、突然の大雨と強風に見舞われて、帰るに帰れず、駅ビルの本屋で貴重な時間をずいぶんと潰してしまった。髭も剃らずに外出した罰かもしれない。

 

10.14(火)

 火曜日は会議漬けの日。例によって、教授会の途中でちょっと抜け出して、文カフェでチョコレートケーキと紅茶で一服(冷し白玉汁粉は夏季限定メニューだったのか、いつの間にかサラダ・デザートバーから消えていた)。教授会が終わって、本日貸与されたIBMの新品のノートパソコンを早速研究室の情報コンセントに接続してメールを開いたら、差出人「長谷川平蔵」、件名「クッキー」という怪しげなメールが届いていた(「長谷川平蔵」は池波正太郎の『鬼平犯科帳』の主人公の名前である)。一瞬、新手のコンピューターウィルスかと思い、いきなり感染は御免だと、開かずに削除しようとして、「待てよ・・・」と思い直して開いてみると、去年、二文の基礎演習の学生だったOEさんからのメールだった。手作りのクッキーのおすそ分けをしようと思って研究室を訪ねたが、会議中のようだったので、5限と6限の間の休み時間にまた伺いますという内容だった。そうそう、彼女、若いに似合わず、長谷川平蔵=中村吉右衛門の大ファンなのであった。「どうぞお待ちしています」というメールを返そうと思って時計を見るとすでに5時50分。廊下に人の気配を感じて、研究室のドアを開けるとOEさんが立っていた。それからクッキーを食べながらあれこれおしゃべりをし、「授業、始まってるよ」という私の言葉に促されて、彼女がバタバタと研究室を出て行ったのは2時間ほど後のことだった。