フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

2005年2月(後半)

2005-02-28 23:59:59 | Weblog

2.16(水)

 「鎌倉を驚かしたる余寒あり」は高浜虚子の句だが、それをもじっていえば、「東京を驚かしたる地震あり」だった。夜明け前、かなりの揺れを感じて目が覚めた。台所の食器棚からガラスのコップが一つ床に落ちて割れる音がした。いよいよ来たか、と思った。子どもの頃から関東大震災の話は折にふれて聞いたり読んだりしてきたので(私の父は大正12年の8月、浅草の生まれで、震災のときは母親の背中でねんねこばんてんにくるまって炎の中を逃げ延びたのである)、自分も人生のどこかで大地震と遭遇するのではないという予感が潜在意識の中にある。だからちょっと大きめの地震があると、ついにそのときが来たかと身構えてしまう。しかも仕事柄、そのとき天井まで届く本棚の側にいることが多いので、本棚の下敷きになるというリアルな危険を感じることになる。本に埋もれて死ぬなら本望だ・・・・なんて全然思えませんからね。二度寝して、8時頃起きると、携帯電話に「着信あり」と表示されている。7時頃、4年生のHさんからかかってきたようだが、気づかなかった。なんだろうこんなに朝早く、と思いつつ電話をしてみると、Hさんが「すみません。実は・・・・」と言って、携帯電話を充電しながら枕元に置いて寝ていたら何かの拍子にボタンを押してしまったようで、数人に電話がかかってしまったのだという。「ふ~ん、それって、無意識のうちに私の声が聞きたくなったっていうことなんじゃないか」とからかうと、「そうかもしれませんね」と苦笑していた。午後、大学で学部再編関連の会議。長い長い会議で、4時間半ほどかかった。昨夜、この会議に出すための提案を時間をかけて練り上げたのだが、採用されるに至らず、余計に疲れた。こんなことならビデオに録ってまだ見ていない「鬼平犯科帳」でも見るんだったな、とつい思ってしまう。

 

2.17(木)

 第一文学部の入試。久しぶりの試験監督だったが、1限目の英語の試験が終わったときに、「これで1時間目の授業を終わります」と言ってしまった以外は、ミスらしいミスはなかった(ちなみに誰も笑ってくれなかった。つ、つらい・・・)。

昼休みに心理学の石井先生と「たかはし」に食事に行って、空いている4人掛けのテーブルに向かい合って座わったら、店のおばさんから「横並びでお願いします」と言われて、しかなたくその通りにする。これ、「たかはし」の七不思議の一つである。4人掛けのテーブルに対面ではなく、横並びに2人が座るのって、不自然この上なくありませんか? おばさんは、おそらく後から別の2人の客が相席になるときのことを考えてそういう指示を出しているのだと思うが、その2人の客の心理を考えるに、テーブルの向かいに2人の先客が横並びに座っているよりも、対面で座っていて、その横に自分たちが対面で座る方が抵抗が少ないはずと私なんかは考えるんですけど、違いますかね? 2人の人間が4人掛けのテーブルに座る場合、その2人が他人同士であれば、対角線上に座るケースが多いと思う(列車の対面式の4人掛けの椅子を考えれば、実際そうであることがわかると思う)。つまり対角線上に座ることで、他者との身体的接触と視線の衝突を同時に回避しているわけである。2人が他人でないときは、その親密性を身体的接触(横並びで座る)によって表現するか、視線の交わり(対面に座る)によって表現するかを選ぶことになるわけだが、身体的接触を優先するのは恋人同士などの場合にときおり見られるが、一般には、視線の交わりを優先するケースが多い。それ故、私と石井先生のように、男同士が横並びで座っている図というのは、周囲からみていささか奇異なものに映ったはずである。事実、そのとき店内の別の場所に座っていた心理学の豊田先生がわれわれを見てニヤニヤしておられ、それに気づいた石井先生は、「いや、いや、勘違いしないで」と豊田先生に必死に訴えていたが、その必死さがかえって火に油を注ぐことのように私には思えたのだった。

 最後の科目が終わって帰るときに、草野先生と一緒になったので、「カフェゴトー」でお茶でも飲んでいきましょうということになったが、甘味同好会の会長と副会長であるわれわれが「お茶」という場合、飲物だけで済むはずはなく、草野先生はベイクド・チーズケーキと珈琲、私はベイクド・チーズケーキと紅茶を注文した。このとき私たちが座ったのは、四辺に椅子が配置されている正方形のテーブルだったが、私たちのとった配置は、対面でもなく、横並びでもなく、隣接する二辺に座るというものだった。これは視線が正面からぶつかる緊張感を緩和すると同時に、身体的距離を対面と横並びの中間のところに設定したもので、節度をわきまえた親密性の演出とでもいうべきものである。このタンジェント的空間の中で、草野先生は『ごんぎつね』について語り、私は『クレヨンしんちゃん嵐を呼ぶモーレツ!大人帝国の逆襲』について語ったのだった。

 

2.18(金)

 午後、ギデンズ『社会学』の読書会。午前中の用件が長引いて、昼食をとる時間がなかったので、「フェニックス」で食事をとりながら始める。1時間半ほど経過したところで、場所を「シャノアール」に移してさらに2時間半ほど続ける。研究室の方がもちろん静かなのだが、読書会といっても本をみんなで黙読するわけではなく、あらかじめ読んできた内容について議論(というよりもおしゃべり)をするわけだから、くつろいだ雰囲気の方が合っているのだ。議論の水準は決して高いものではないが、このところ学部再編をめぐる不純物の多い議論の中に身を浸しているので、余計なことを考えずにひたすら読んだ本についておしゃべりをするという時間は貴重だ。

 

2.19(土)

 雨の降る寒い一日。夕方、注文しておいたクレールフォンテーヌの3ポケット・ノート(黒)7冊が入荷したので、東急の文房具店まで取りに行く。ついでに角煮と浅蜊の佃煮を買う。帰宅すると、広島の神鳥書店から松田道雄『私のアンソロジー』全7冊(筑摩書房、1971年)が宅配便で届いていた。松田は小児科の開業医で、評論家としても著名な人物。1967年に出版した『育児の百科』(岩波書店)で育児書ブームの火付け役となった。日本の家族の寝方で一番多いのは、昔も今も、子どもを真ん中にして両親が両側に寝るタイプ(サザエさん、マスオさん、タラちゃんの一家はこの寝方)なのだが、1970年代前半という一時期だけ、妻=母親が真ん中に寝るタイプが子ども真ん中タイプを抜いてトップになっていた(これはわれわれが2001年に実施した「戦後日本の家族の歩み」調査で明らかになった事実の一つ)。私が見るところ、その原因はサラリーマンの妻(主婦)の増加を背景とした「育児への関心」=「育児書の需要」の増大にあった。『育児の百科』の特徴は戦後支配的だったアメリカ式の育児法に異を唱えて日本式の育児法を再評価した点にある。

 添い寝は、西洋式の育児法からいえば、わるいことに違いない。彼らのかんがえにすれば、三ヶ月すんだら、赤ちゃんは両親とは別の部屋でひとりでねるものである。添い寝しないとねむらないというようなことでは、親の生活がさまたげられる。

 けれどもいまの日本の住宅の状況と、風習とは、まだ赤ちゃんを別の部屋にねかすにいたっていない。両親と赤ちゃんとは、おなじ部屋にねている。おなじ部屋にねていて、赤ちゃんが深夜に泣いたら、ほうっておくわけにいかぬ。やかましいので目が覚めた父親が、早くねかしつけるようにいうだろう。赤ちゃんを早くねかしつけるという点で、添い寝がもっともかんたんな、確実な方法なら、それを採用すべきだ。

・・・(中略)・・・

何としてでも赤ちゃん用ベッドにねかしつけなければならないと、深夜に根気よく、泣くたびに母親がおきていくことに、まず、父親が反対するだろう。そう毎晩、深夜に四度も五度もおこされては、翌日の仕事の能率があがらない。添い寝がいいかわるいかは、めいめいの家庭の事情が平和にいくようにという立場からかんがえられるべきである。そのとき、親のほうの主体性を見失ってはならない。赤ちゃんが、深夜に泣くと父親もいっしょにおきて、赤ちゃんをあやしてやったりすると、赤ちゃんは夜におきてあそぶくせがついてしまう。父親は、これからまだながいあいだ、扶養の重荷をせおっていかねばならぬ。その重荷にたえるためには、夜に十分ねむらねばならぬ。赤ちゃんの笑顔をみるのがうれしいので、深夜サービスをするのは、親の主体性を失ったものといわねばならぬ。(『育児の百科』、pp.334-335)。

60年安保闘争で高揚した反米ナショナリズムはここに至って育児法にまで及んだというべきだろう。同時に、ここで見逃してはならないのは、育児(ここでは、とくに子どもの寝かしつけ)は母親の役目とされていることである。私にも経験があることだが、赤ん坊の夜泣きへの対処の仕方には、夫婦の育児観がよく反映する。赤ん坊を腹の上に乗せて(自分の心臓の音を聞かせながら)背中をトントン叩いたり、粉ミルクを溶いて与えて、赤ん坊を落ち着かせることは父親にもできる。事実、私は神経質でよく夜泣きをした長女をそうやって寝かしつけていた。しかし、そうした「深夜サービス」を父親はすべきではないと松田は言っている。なぜなら、「翌日の仕事の能率があがらない」からである。松田がここで想定している夫婦は、サラリーマンの夫と専業主婦の妻である。「扶養の重荷」は夫一人の双肩にかかっているのだ。このように『育児の百科』はいまから見れば古色蒼然とした性別役割分業の観念の上に立って書かれている。赤ん坊の夜泣きへの対処がもっぱら母親の役目だとする育児思想に影響された家庭で、母親が真ん中に寝る(つまり赤ん坊の夜泣きの防波堤となって妻が夫の安眠を守る)タイプの寝方が急増した・・・・それが私の推測である。しかし、それは一時の現象で、女性の職場進出や育児を夫婦の共同作業と見なす育児観の台頭に伴い、再び子どもが真ん中に寝るタイプの寝方が首位を奪還するのである。ちなみに我が子育てのエピソードは1980年代半ばのもので、当時、私は看護学校の非常勤講師で「翌日の仕事の能率」を考える必要がなく、「扶養の重荷」はもっぱらOLである妻が背負っていたのである。

 

2.20(日)

 学部再編の件で、メールを読んだり、メールを書いたり。多くの教員の意見を取り入れることと、再編案を戦略的にすっきりしたものに仕上げることとは、なかなか両立しがたい。「幅広い連帯」を目指すには、特定のテーマで特化することは困難で、誰もが参加できるテーマ、言っても言わなくても同じような、あたりさわりのない、面白味のないテーマに落ち着きやすい。一方、学生の関心に応じた特定のテーマに特化したカリキュラムを考えると、参加できる教員が限られてしまう。この辺の兼ね合いが難しい。個人商店の店主が、自分の店で出す商品のことだけを考えておればよいものを、なまじ商店街の世話役なんかになろうとするからいけないのかもしれない。

 

2.21(月)

 午前、原稿書き。午後、学部再編関連の会議。今日はこれまでの中で一番各人が率直に意見を述べあえたように思う。カリキュラム案も「たたき台」のレベルから二、三歩踏み出したように思える。夕方からギデンズ『社会学』の読書会。7時過ぎまでやったところで、続きは夕食を食べながらやろうということになり、Oさんの案内で高田馬場の栄屋という比内地鶏の専門店に行く。落ち着いた雰囲気の店で、料理も旨かったが、誤算が二つあった。一つは、店内が静かで読書会の続きがやりにくかったこと。今日のテーマは「ジェンダーとセクシュアリティ」(第5章)だったのだが、通常の社会的場面では口にするのがはばかられるような単語がたくさん出てくるのである。もう一つは、学生が利用するには料金設定がいささか高かったこと。普通に飲み食いをして一人3000円見当というのが学生の相場だと思うが、ここは5000円レベルの店で(0さんも実際に来るのは初めての店だったのだ)、店員さんが持ってきた勘定書には「16000円」とあった。こういう場合の私のセオリーは、私が10000円を出し、残りを学生たちがワリカンで出すというのもので、今日の場合は、学生は2人なので1人3000円ということになる(勘定が10000円以内であれば私の奢りとなる)。この「10000円定額方式」は、完全ワリカン主義にも完全依存主義にも違和感を覚える私が、長年の教師生活から編み出したものである。深夜、帰宅。

 

2.22(火)

 近頃は就寝時刻に関係なく朝は7時から8時の間に目が覚める。だから少し夜更かしをすると翌日は寝不足気味で一日を送ることになってしまう。昼過ぎ、郵便局に行って古本の代金を振り込んでから、「やぶ久」で天ぷらうどんを食べる。「やぶ久」には何種類かの雑誌が置いてあるのだが、私はたいてい『週刊文春』を読む。連載物が充実しているからだ。今日は林真理子「夜ふけのなわとび」、義家弘介「ヤンキー母校で吠える」、そして書評欄(文春図書館)を読んだ。「ヤンキー母校で吠える」の今回のタイトルは「北星余市を去る決意」。義家がこの3月末で教壇を去ることになったという話は新聞で知っていたが、その事情については知らなかった。どうも「夜回り先生」こと水谷修が勤務先の高校を辞める決意をしたのと同様の理由のようだ。出る杭は打たれるということか。TSUTAYAで会員証の更新をして、井筒和幸監督の『ゲロッパ!』を借りる(無料)。有隣堂でアンドレイ・クルコフというロシアの作家の『ペンギンの憂鬱』(新潮クレストブックス)を購入。なんだか村上春樹風のタイトルだなと思ったら、文章の雰囲気も似ている。「訳者あとがき」を読んだら、村上の作品はロシア語に翻訳されて大変人気があるとのことで、クルコフも『羊をめぐる冒険』のファンだと書いてあった。

夜、ネットのニュースで韓国の人気女優イ・ウンジュの自殺を知る。少し前に飯田橋ギンレイホールで彼女の出演していた『永遠の片思い』を観たばかりだったので、とても驚いた。朝鮮日報に遺書の一部が公表されていたが、スクリーンの中の彼女の笑顔の記憶と交錯して、ただひたすら痛ましかった。

 

2.23(水)

 今日から週2回、父親が区立の高齢者在宅介護センターに通うことになった。午前10時頃、マイクロバスで迎えに来てもらい、40人程度の同年配の方々とレクリエーションなどをしながら過ごし(昼食が出る)、午後4時頃、マイクロバスで送って来てもらう。有り体に言えば、保育園の高齢者版のようなものであるが、一日中炬燵に入ってぼんやり過ごしているのは本人も退屈であろうし、そういう父親の世話を一日中焼いている母親もしんどいであろうから、私がケアプランナーと相談して試しに通ってみたらどうかと父親に勧めたのである。見も知らない人たちの中に入っていくことには若干の抵抗と不安もあったようだが、帰宅した父親に「どうでした?」と尋ねたところ、けっこう気に入ったようで、「週3回でもいいかな」と言ってくれたので、まずは一安心。

 

2.24(木)

 第二文学部の入試。今回は主任監督の予備要員だった。各教室を担当する主任監督はあらかじめ決まっているのだが、主任監督が当日何かの理由で休んだり、試験中に体調が悪くなったりした場合に、ピンチヒッターで主任監督を務めるのが予備要員の役目である。しかし、結局、お声がかかることはなく、午前9時から午後5時まで、ずっと控え室(小野講堂)で本を読んでいた。おかげで専門書を一冊読み終えることができたが、座席が場末の映画館みたいに窮屈で、まじめにエコノミークラス症候群の心配をしてしまった。

 

2.25(金)

 午後、教授会。新学部の名称がようやく決まった。正式決定ではないので、ここに書くわけにはいかないが、ちょっと変わった名前である。面白そうともいえるし、なんのこっちゃともいえる。どう感じるかは人それぞれであろうが、当事者である教員としては、面白そうと思いつつ、実際に面白い学部にしていきたい。

 

2.26(土)

 午後、社会学専修関連の会合。昼食をとっている時間がなかったので、地下鉄の駅から大学に向かう途中のコンビニで買ったおにぎり3つ(たらこ、昆布、梅干し)とお茶を会議室に持ち込み、会合が始まる直前にあわただしく食す。以前は、コンビニで売っているおにぎりというのはご飯が冷たくて硬いのが普通であったが、最近のものは冷えてはいえてもそれほど硬くはない。包装の仕方が進歩したせいなのか、それとも時間が経ってもご飯が硬くならない何かが混ぜてあるのだろうか。不思議である。しかし、だんだん、こういうことを不思議だと感じなくなっていくに違いない。ふっくらしているだけでなく、握りたてのようにほんのり温かいおにぎりが登場するのも時間の問題であろう。すでにどこかのコンビニの本社の会議室で「温にぎり」というネーミングまで決まっているのかもしれない。

 

2.27(日)

 入試関係の業務で午前中から大学へ。いつもより電車が空いているなと思ったら、それもそのはず、今日は日曜日だった。曜日の感覚がすっかり希薄になっている。昼休みに東洋哲学の岩田孝先生と弁当を食べながらおしゃべりをした。先生のご専門のチベット仏教学のお話を興味深く拝聴。ヨーロッパ(とくにお若い頃に留学されていたドイツ)の学者の優秀なことに何度も言及され、日本の学者も彼らと肩を並べられるようになりたいものですと語られた。業務の方は午後4時ごろ終了したが、それから夕方まで、研究室で明日の研究会用の資料作り。ところで、明日は調査実習の報告書の原稿の締切でもあるのだが、現時点で原稿をメールで送ってきた学生は5名だけ。残りの20名は明日の最終日にバタバタと駆け込み的に送ってくるのだろうか。やれやれ、最後の最後まで同じパターンだな。

 

2.28(月)

 午後、研究会。もうかれこれ10年以上続けているパネル調査の結果を今年こそ単行本として出版しようということになり、ゴールデンウィーク明けに中間報告会、9月初旬に合宿をして原稿の読み合わせ、というスケジュールを決める。夜、帰宅してメールをチェックすると、予想通り学生たちから本日深夜0時締切の調査実習報告書の原稿がたくさん届いている。一風呂浴びてから、一つ一つ目を通していく。結局、0時の時点までに届いた原稿は16本。その後に届いた原稿が、29日午前2時50分現在で、5本(ただし1本は内容に不備があり差し戻し)。未着の学生は4人。そのうちの2名からは0時になる前にメールで連絡があり、朝までになんとか書き上げますとのことだったが、残りの2名は何も言ってこない。いま必死に書いているのだろうか、それとも原稿の提出を断念したのだろうか。明日は午後から研究室で有志の学生数名と編集作業だ。もう眠るとしよう。どうか明日の朝、メールのチェックをするときに、差し戻しを含めた5人の学生の原稿が届いていますように。


2005年2月(前半)

2005-02-15 13:59:59 | Weblog

2.1(火)

 晴天だがこの冬一番の寒い朝。午前10時から、昨日と同じ長徳寺で、義父の葬儀。告別式、火葬、初七日法要と一通り終わって自宅に戻ってきたのが午後5時。それから深夜まで、明日の卒論口述試験の準備(全部の卒論の読み直し)と、実習の学生からメールで送られてくる原稿のチェック。肩が凝る。

 

2.2(水)

 今朝も寒かった。雨戸を開けると、飼い猫のはるがベランダに飛び出すのだが、今日のように寒い日はすぐに室内に戻ってくる。午前10時から一文の卒業論文口述試験。論文で使われているキーワードの意味や、読んでいて疑問を感じた箇所などについて質問してから評価を述べる。1人15分ペースで午後1時ごろ終了。暖房の効きの悪い教室で、体が冷え切ってしまった。「たかはし」に昼飯を食べに行く。肉豆腐定食。昔は卒論口述試験のときは大学から食券が出たものだが、経費削減で数年前からそれはなくなった。どんなにささやかなものであれ、それまであったものがなくなるというのは、侘びしいものである。悲哀を感じてしまう。午後、会議が2つ。夕方から二文の卒論口述試験。今回は担当学生が一人だけだったので、30分ほどで終了。「天や」で夕食(冬天丼)を食べてから帰宅。実習の学生の原稿の添削と明後日の読書会の下調べ。

 

2.3(木)

 義父の葬儀等があってしばらく脇に措かれていた諸々の雑用を片付けにかかる(雑用といえども締切というものが存在するのだ)。しかし簡単には片付かない。週末までかかりそうである。夜、実習の学生から次々にメールで原稿が送られてくる。今夜の12時が締切なのである。数日前の時点では、大半の学生はとても間に合いそうにない感じで、私としては期限の延長も考えていたのだが、みんななんとか辻褄を合わせてくるから大したものである。しかし、そう感心する一方で、だったらみんなもっと早く動けよとも思う。原稿に目を通すこっちの身にもなってくれと言いたい。どんなに守備に自信のある外野手だって、同時にたくさんの打球が飛んできたらお手上げである。もっともそういう私自身も締切間際にならないと(いや、締切を過ぎないとというべきか)、力が出ないタイプの人間なので、学生のことをとやかく言えた義理ではないのであるが。とにかく、世の中を動かしているものは締切(納期)なのだと実感した。

 

2.4(金)

 午前、今日の調査実習の集まりで配布する資料(対象者50人のインタビュー記録やライフストーリーを収録したCD-R、レポートの執筆要領など)の作成。

午後1時から、研究室でギデンズ『社会学』(第4版)をテキストにした読書会。メンバーは二文の3年生2人で、2人とも1年生のときに私の基礎演習のメンバーだった。毎回一章(30頁ほど)を読んできて、面白かったところ、難しかったところ、疑問に思ったところなどについておしゃべりをする。授業ではないので、学生が質問をして私がそれに答えるというスタイルに終始しないように気をつけている。学生に言っているのは、「おしゃべりのネタをもってきなさい」ということ。「おしゃべり」とはある程度まとまった話ということである。それができるためには、考えたり、調べたりしなくてはならない。ただ本の字面をサラッと読んできただけではおしゃべりはできない。読みながら、ときどき立ち止まっては、考えたことをメモしたり、気になることをインターネットなどで調べたりしなくてはならない。そのためには読書会の前日にテキストを読んでいるようでは駄目なのである。次の読書会の一週間前(つまり前回の読書会の終わった翌日)に指定された章に目を通し、読み込んだ内容が頭の中で発酵するのを待たなくてはならない。その上で、読書会の一日二日前にもう一度テキストを読むのである。同じ文章も一度目と二度目では理解の度合いが格段に違う。読んで「わかる」ことと、読んだ内容について人に「話せる」こととは理解の水準が違う。或る漢字が読めることと、その漢字が書けることは漢字の習得の水準が違うのと同じことだ。読書会で「おしゃべり」をすることの効用はそうした能動的な水準で本が読めるようになることにある。

 午後3時から、調査実習の集まり。実習の報告書に各自が書くレポートのテーマと使用するケースについて申告してもらった。レポートの締切は2月末日。報告書の完成は3月22日(社会学の科目履修ガイダンスで全員が大学に来る日)の予定である。

 夜、高田馬場の居酒屋「だるま」で、二文の基礎演習の打ち上げコンパ。

 

2.5(土)

 ときどき賃貸マンションを購入しないかという電話がかかってくる。こちらに引っ越して来た当初は、自宅の電話番号が彼らに知られていなかったから(大学の教職員名簿には電話番号を載せていない)、そうした電話がかかってくることはなかったのだが、4年目ともなると、そうもいなかくなる。今日もそうした電話があって、一体なぜ私の自宅の電話番号を知っているのかと問い質したところ、日本社会学会の名簿が手元にあるとのことだった。では、その名簿はどうやって入手したのかと重ねて問い質すと、自分は営業担当なのでわからないが名簿図書館のようなところから入手したのでしょうと言う。じゃあ、そのデータの担当の人に詳しい入手経路を聞きたいので代わってくれないかといったら、開き直って、もしかしたらあなたの友人が名簿を売ったのかもしれませんねなどというので、会社名とあなたの名前をもう一度名乗りなさいとこちらも語気を強めて迫ったら、最初に言いましたからと、名乗ろうとしない。客が怒ったら会社名や氏名をくり返し言ってはいけないとマニュアルに書いてあるのかと皮肉を言ったら、いや自分で考えたシステムで、そうしないと会社に苦情の電話を掛けてくる人がいるからとのことだった。どこの誰とも分からない人間とこれ以上電話で話をするのはごめんだからと言って電話を切ったら、すぐにまたかかってきて、話の途中で電話を切らないでほしいと言う。どうも向こうも意地になっているようだ。詳しい説明を書いたパンフレットがあるのでそれをお渡ししたいというから、大学の方へ郵送するように言うと、どうしても直接会って渡したいと言う。会っても時間の無駄だから郵送してくれ、送られてきた資料を見て、話を聞く気になったらこちらから連絡するからと言っても、引き下がらない。きっとあなたは資料を郵送しても見てくれないでしょうと言う。図星なのだが、どこの誰とも分からない人間とは会うつもりはないと言って、再び電話を切り、電話線を引き抜いた。しばらくそのままにしておいて、再び電話線を繋いだところ、もうかかってこなかった。しかし、もしまたかかってきたら、今度は相手の声を録音しておこうと、ICレコーダーを手元に置いていつでも対応できるようにしておいたのだが、結局、かかってこなかった。彼の話の内容(投資)にはまったく関心がないが、彼のようなやり口には社会学者として関心がある。彼とのやりとりを録音しておけば、彼らに対する牽制材料となるばかりでなく、授業の教材としても使えるかも知れないと考えたのである。どういう不快な出来事も社会学のネタできるのが社会学者というものである。それから、教育者としては、ぜひ彼に一言、「自分の名前や会社名を堂々と名乗れないような仕事からは足を洗って、もっとまっとうな仕事に就きなさい」と言ってやりたかった。

 

2.6(日)

 午後、試験の採点を終わらせて、散歩に出る。このところ読書の時間を思うようにとれずにいた。卒論12本、修論3本、実習の学生の原稿(インタビュー対象者のライフストーリー)50本、そして答案180枚を読んでいたからである。もちろん面白いものもあるのだが、それらは基本的には「読まなくてはならないもの」である。しかし、読書の楽しみは「読みたいもの」を読むところにある。それに関しては禁欲をしてきたのである。「読まなくてはならないもの」から取り敢えず解放されたので、散歩の足は自然と書店に向かう。栄松堂、有隣堂、熊沢書店を回って以下の本を購入。

(1)       谷川俊太郎・吉村和敏『あさ/朝』、『ゆう/夕』(アリス館)

 詩人と写真家の共著。まず詩があってそれに写真が添えられた場合と、まず写真があってそれに文章が添えられた場合がある。ところで『あさ/朝』の方には朝焼けの写真が、『ゆう/夕』の方には夕焼けの写真が、それぞれ数点載っている。朝焼けと夕焼けは写真で見る限り区別がつかない。もちろん実際の朝焼けと夕焼けは簡単に区別がつく。なにしろ朝焼けを見ているときは刻々と空が明るくなってゆき、夕焼けを見ているときは刻々と空が暗くなっていくからである。しかし、一連の過程の切断面である写真からはそれはわからない。結局のところ、その写真が朝焼けを撮ったものなのか夕焼けを撮ったものなのかは、その写真に添えられた言葉(「夜明け」とか「夕暮れ」とか)によって知るしかない。われわれは言葉というフィルターを通して世界を見ているのである。はじめに言葉ありき。

(2)       佐藤正午『豚を盗む』(岩波書店)

 小説『ジャンプ』の作家が書いた『象を洗う』に続くエッセイ集。

(3)       鮎川信夫『近代詩から現代詩へ』(思想社)

(4)       辻征夫『私の現代詩入門』(思想社)

(5)       野村喜和夫『現代詩作マニュアル』(思想社)

(6)       天沢退二郎他『名詩渉猟』(思想社)

 1月に創刊された「詩の森文庫」10冊の中から4冊を買い求めた。本の形状は新書だが、書き下ろしではなく、評判の高い本の復刊ということで「文庫」としたのだろう。たまに詩が読みたくなるときがある。ふだんは散文ばかり読んでいるので、知らず知らずのうちに濁った言葉や無神経な言葉が皮膚に付着して、気分が悪くなるのだ。そんなときに研ぎ澄まされた言葉で書かれた詩を読むと、生き返る。

(7)       上田紀行『生きる意味』(岩波新書)

 「私たちがいま直面しているのは『生きる意味の不況』である。」という冒頭の一節に惹かれて購入。

(8)       本橋哲也『ポストコロニアリズム』(岩波新書)

 「もし植民地主義がもたらした人間と人間との出会いの失敗が、いまだに自己と他者とのあいだの壁となっているようなら、まずその歴史を知ることで、壁のありかを確かめよう。」という帯の一節に惹かれて購入。

(9)       赤川学『子どもが減って何が悪い!』(ちくま新書)

 「『男女共同参画社会』は、少子化対策にはならない!」という帯の一節に惹かれて購入。

(10)  鹿野政直『兵士であること 動員と従軍の精神史』(朝日選書)

 来年度の大学院の演習のテーマは今年度と同じ「近・現代日本における人生の物語」なのだが、「兵士」という生き方についてまだちゃんと考えたことがなかったので、ひとつ考えてみようと購入。

(11)  門脇厚司『親と子の社会力 非社会化の時代の子育てと教育』(朝日選書)

 「非社会化の時代」という言葉に惹かれて購入。言葉の力はやはり大きい。

 無印良品で付箋紙、ACTでクレーヌフォンテーヌのノートを2冊、佃煮屋で角煮と浅蜊の浅煮とあみを買って帰る。夜、読書会の下調べ。

 

2.7(月)

 午前、文学部事務所に行って社会学研究10の成績を提出。文学部前の穴八幡神社に去年の一陽来復のお札を納めてから、「たかはし」で昼食。兼築先生や高橋世織先生と一緒になり、文学学術院の行く末について雑談。研究室には戻らず、丸善丸の内本店に行く。阿部和重『グランド・フィナーレ』(講談社)と角田光代『対岸の彼女』(文藝春秋)ほか本を数冊と、羊革を使った小型のショルダーバッグを購入。蒲田に帰って、しかしすぐに自宅には戻らず、地元の「シャノアール」でギデンズ『暴走する社会』(ダイアモンド社、2001年)を読む。グローバリゼーションについて論じた本だが、元々は講義録なのだろうか、勢いのある一筆書きのような文章で、途中で本を閉じることが難しく、結局、2時間半かけて最後まで読む。途中で珈琲のお代わりをした。喫茶店にもいろいろあるが、「シャノアール」は読書に最適である。静かでもないし、椅子も硬いのだが、私は静かで洒落た喫茶店よりもここの方が読書に集中できるのである。きっと店員や他の客の視線が弱いからであろう。その意味では、「シャノアール」での読書は電車のシートでの読書と似ている。夜、草彅剛主演の映画『黄泉がえり』(2003年)をレンタルビデオで観る。

 

2.8(火)

 午前、病院に父の薬をもらいに行き、主治医と話をする。待ち時間に鹿野政直『兵士であること 動員と従軍の精神史』(朝日選書)を読む。午後、父のケアプランを立ててもらうため、いくつかの在宅介護支援センターに電話を入れ、結局、広域社会福祉会というところに依頼する。電話をしてから数時間後に担当者が家に来て、父母同席でケアプランを話し合う。とりあえず週2回のデイケアサービスを利用することにした。それにしても申込件数の多さにケアプランナーの人数が追いついていないようである。深夜、NHKスペシャル「巨大マネーが東京をねらう ~オフィスビル投資の舞台裏~」(再放送)を見た。外国の不動産ファンドが東京の不良債権ビルを買収し高利益を上げている現象を取材したもの。グローバリゼーションの一側面を理解するための生きた教材だ。

 

2.9(水)

 午前、来年度の大学院の演習で読もうかと考えている文献の一つ、Gary Kenyonたちが書いたNarrative Gerontology(2001)を読む。「物語論的老年学」・・・・。gerontologyは「老年学」とか「老人学」とか訳されることが多いが、老年期や老人のことだけを問題にしているわけではないから、「加齢研究」の方がいいんじゃなかろうか。家を出るとき、Amazonに注文しておいた野口裕二『ナラティヴの臨床社会学』(勁草書房、2005)が届いたので、電車の中で読む。「社会構成主義に基づくナラティヴ・アプローチを理論的基礎にして臨床社会学をする」というのが野口の目指すところだ。こちらは来年度の調査実習の授業で読むのにいいかもしれない。

 ナラティヴが噴出する現代には、三つの異なるナラティヴの形式があることがわかる。第一は、プラマーが論じた「モダニストの物語」で、「苦難を受け、切り抜け、克服した」というプロットによって特徴づけられるものである。第二は、フランクが論じナラティブ・セラピストが論じた「ポストモダニストの物語」で「克服」という結末を欠いた物語である。そして、第三に、島薗が論じた「スピリチュアリティの物語」で、「自己を越えた何か」との出会いによって困難を克服していく物語である。この第三の形式は、「克服」という結末だけを見ると第一の形式と同じだが、自分の意志や努力による克服ではないという点で「モダニストの物語」とは異なる特徴をもっている。見方を変えれば、それは、「モダニストの物語」が隆盛を誇るようになる以前、ひとびとのなかに埋め込まれて、スピリチュアリティを日々身近に感じながら暮らしていたと想像できる。その意味でこの形式は「プレモダニストの物語」と呼ぶことができる。それがいま形を変えて、同じ問題に苦しむひとびとの間で自発的に模索されるようなものになっている。・・・(中略)・・・いずれのナラティヴも社会全体を覆いうるような全体性や包括性をもっていない。あくまでも同じ問題を共有するひとびとにのみ妥当するものにすぎない。われわれはいまこのような物語的環境を生きている。(pp.230-231)

午後1時から、社会人間系専修の会議があって、2006年度に立ち上げる総合講座の内容について話し合う。ちょっと意見を述べたら、同意を得てしまい、提案書を書く役目を仰せつかる。とにかく会議で何か発言すると、新しい仕事が増える仕掛けになっている。だから要領のいい人は会議で新しい提案などしないのである。午後3時から、本日行われた文学研究科の博士課程の入試(一次)の採点作業。

帰宅の途中、本屋で『新潮』3月号を購入。巻頭に村上春樹の連作小説『東京奇譚集』の第一回「偶然の旅人」が載っていたからで、電車の中で読む。タイトルはウィリアム・ハート主演の映画『偶然の旅行者』(原題:アクシデンタル・ツーリスト)に似ているが、内容は実際にあったちょっと不思議な話で、ポール・オースターの『トゥルー・ストーリー』に似ている。

 「きっかけが何より大事だったんです。僕はそのときふとこう考えました。偶然の一致というのは、ひょっとして実はとてもありふれた現象なんじゃないだろうかって。つまりそういう類のものごとは僕らのまわりでしょっちゅう日常的に起こっているんです。でもその大半は僕らの目にとまることなく、そのまま見過ごされてしまいます。まるで真っ昼間に打ち上げられた花火のように、かすかに音はするんだけど、そらを見上げても何も見えません。しかしもし僕らの方に強く求める気持があれば、それはたぶん僕らの視界の中に、ひとつのメッセージとして浮かび上がってくるんです。その図形や意味合いが鮮やかに読み取れるようになる。そして僕らはそういうものを目にして、「ああ、こんなことも起こるんだ。不思議だなあ」と驚いたりします。本当はぜんぜん不思議なことでもないにもかかわらず。そういう気がしてらならないんです。どうでしょう。僕の考えは強引すぎるでしょうか?」

 これはあるゲイの男性が長らく仲違いの状態にあった姉と和解をしたときの話を村上にした、その後の語りだ。野口の分類を使うと、これは「プレモダニストの物語」のモダニスト的解釈だ。私が人生の転機という現象を分析した論文でも、これと同じよう論理を展開したことがある。これに対して村上はこう答えている。

 彼の行ったことについて考えてみた。そうだね、そうかもしれない、と返事をすることはできた。どもそんなに簡単に結論を出してしまえることなのことなのかどうか、もうひとつ自信がなかった。

 「僕としてはどちらかといえば、もう少しシンプルに、ジャズの神様説を信奉し続けたいけどね」と僕は行った。

 彼は笑った。「それもなかなか悪くはありませんね。ゲイの神様、なんてのもいるといいんだけど」

 村上の言う「ジャズの神様説」というのは、村上自身が経験したちょっと不思議な話に由来するもので、その話というのは、彼がある日の午後、バークレー音楽院の近くにある中古レコード屋でペパー・アダムスの『10 to 4 at 5 Spot』(ニューヨークのジャズクラブ「ファイブ・フポット」で明け方の4時10分前まで演奏したときのライブ版)というLPを見つけて購入し、店を出ようとしたとき、すれ違いに入ってきた若い男性から、「Hey, you have the time?(今何時?)」と聞かれて、腕時計に目をやり、「Yeah, it’s 10 to 4」と答えたというもの。

 そう答えた後で、そこにある偶然の一致に気づいて息を呑んだ。やれやれ、いったいこの世界で何が持ち上がっているのだろう? ジャズの神様―なんてものがボストンの上空にいればの話だがーが僕に向かって、片目をつぶって微笑みかけているのだろうか? よう、楽しんでいるかい(Yo, you dig it?)と。

 そういえば、村上春樹の小説というのは、全体として(あくまで「全体として」だが)、モダニスト的主人公が「プレモダニストの物語」の中に紛れ込んで悪戦苦闘するという話が多いのではなかろうか。

 『偶然の旅人』は巻頭小説で、その後には伊井直行の『青猫家族輾展録』という今号一番の長編(370枚!)が置かれているのだが、その冒頭の一節を見て、私は思わず笑ってしまった。

 初めに断っておいたほうがいいと思うのだけれど、僕は十七歳でも二十歳でも、また世の中ではまだ成人前だという説もある三十歳ですらなくて、だれも美しいとは言わないし、なりたくてなった人間は滅多にいないという五十歳の男なのである。

 五十歳の男が、自分のことを僕などと称し、一昔前の若者小説みたいな文体で小説を書くのは気持が悪いと苦言を呈する人がいるとしたら、そりゃもっともだと賛成する。賛成はするけれど、ここはどうしてもこのスタイルにしておきたい。

 この配列は偶然だろうか。それとも雑誌編集者のユーモア(少々棘のある)だろうか。私には、薄曇りの東京の上空で、小説の神様(志賀直哉のことじゃないからね)が片目をつぶっているような気がした。

 

2.10(木)

 午後、研究室でギデンズ『社会学』の読書会。1時から始めて終わったのが5時。本来は2時間の予定が4時間に及んだ。議論が白熱したというよりも、雑談が盛り上がったというべきだろう。読書会に雑談は必要なもので、決して夾雑物ではないが、今日はいささか雑談的部分が多過ぎたように思う。お隣の研究室で仕事をされていた先生にはご迷惑ではなかったか。迷惑といえば、研究室の天井に設置されているスピーカーから、「本日は晴天なり。ただいまマイクのテスト中」という声が頻繁に聞こえてきて、読書会には迷惑だった。もっとも、これ、入学試験用の事前点検で、それがうるさいならほかの場所で読書会をやれよって話なんですけどね。

ところで、この「本日は晴天なり」、無線の点検をやる場合には、それが点検放送であることを明らかにするために、「本日は晴天なり」という決まり文句を言うことが法令で定められている(無線局運用規則第十四条関連の別表4号、同規則第十八条および第三十九条)。なぜそれが「本日は晴天なり」なのかといえば、アメリカでそういう場合に使われていた決まり文句が「イツ・ファイン・トゥデイ」で、無線システムを輸入する際にそれが直訳されたからだ。では、なぜアメリカでは「イツ・ファイン・トゥデイ」なのか。これについては二説あって、第一は、そこには英語の発音のすべてが含まれているから(あるいは破裂音が多く含まれているから)無線の点検にもってこいだったとうい説、第二は、とくに意味なんかないという説(というほどのものじゃないけど)。第一の説は説明として出来すぎていて、いかにも後付の解釈という感じがしますね。かといって第二の説は「存在するものには何らかの意味がある」という社会学的(デュルケイム的)発想に慣れ親しんでいる人間には容認しがたいものがある。というか、それでは話として面白くない。で、ここでは第一の説に肩入れをする。すると、「本日は晴天なり」というのは誤訳ではないが誤用だということになる。「ホンジツワセイテンナリ」という発音はメリハリに欠けますから。しかも今日の点検は無線放送ではなくて、有線放送で行われていたわけだから、二重の誤用ということになる。結局、読書会の邪魔をされたことに文句を言っているわけです。やれやれ、学者ともなると文句一つ言うのも回りくどいよな。

 

2.11(金)

WOWWOWでやっていたのを録画しておいた廣木隆一監督作品『ヴァイブレータ』を観た。2003年度の数々の映画賞を受賞し、女優寺島しのぶがブレイクした映画だ。アルコール依存で頭の中の「声」に苦しむ31歳のフリーライター(寺島)が、雪の夜、コンビニで出会った長距離トラックの運転手(大森南朋)と行きずりの恋に落ちるロードサイド・ムービー。一般に、平穏な日常に綻びが生じたり、鬱屈した日常から脱出を図ったりするとき、そこにドラマが生まれる。われわれはそれを恐れ、同時に、それを欲している。その契機はさまざまであるが、代表的なものは病気と恋愛であろう(広い意味では恋愛を病気の一種の考えることもできる)。この映画では、恋愛に加えて旅が鬱屈した日常からの脱出を促している。男にとっては長距離トラックでの移動は仕事であって旅ではないが、助手席に女が乗っている状況は十分に非日常的である。鬱屈した日常からの脱出を図る女との道行きは男にとっても退屈な日常からの脱出なのである。旅の終わりは旅の始まりと同じコンビニであった。互いに相手への未練を残しながらも、男と女はそれぞれの日常に戻って行く。しかしそれは脱出を図る前の日常よりはいくらかましな日常である。A→B→Aではなく、A→B→A´である。A≠A´であるところに観客は「回復の物語」を見る。もちろんしばらくすればA´→Aになってしまう可能性はあるわけだが、そうなったらそうなったでまた新たな脱出を図ればいいだろう。人生は長いのだ、と観客は思う。夜、次回の読書会の下調べ。

 

2.12(土)

 大学に出る途中、大手町から東西線に乗ったら、座席に座って、前屈みになって、熱心に本を読んでいる男性がいた。どこかで見たことがあるなと思ったら、同僚の長谷先生だった。隣が空いていたので、黙って腰掛ける。彼、私に気づかずに本を読み耽っている。チラリとのぞくと社会学の本のようである。で、私、彼の耳元で、こうささやきました。「社会学者みたいですね」。いや~、そのときの彼の狼狽ぶりはすごかった。座席から30センチくらい飛びあがったんじゃないかな。ギョッとした表情で私の方に顔を向け、私が誰であるかがわかるまで0.1秒ほどを要し、わかった途端に、「あ~、びっくりした~」と言った。その声はかなり大きく、周りの乗客たちは一体何事かとわれわれに視線を向けてきた。地下鉄で隣の席の他人(と思っていた人)から突然話しかけられるというのは、練達の社会学者をもってしても、予想だにしなかった事態なのであろう。「地下鉄の車内で他人に話しかけない」というのは、われわれの社会における暗黙の規範であり、私のしたことはエスノメソドロジーにおける違背実験(暗黙の規範を意図的に破ってみせる)のようなものだった。下手をすると洒落にならない。テレビならば、画面の下に、「よい子はマネしないでください」というテロップが出るところだ。

 

2.13(日)

 ここしばらくの疲れが溜まっていたのだろう、昼食の後、ひどく眠くなり、そのまま夕方まで眠ってしまった。おかげで頭はすっきりし、夕食後は集中して本も読めたし原稿も書けた。ただし、こういう場合の問題は、就寝時刻が遅くなることだ。いま、午前3時。明日、いつもの時間(午前8時前後)に起きるとすると、寝不足気味で一日を送ることになるだろう。いや、今日と同じように再び長い昼寝をすることになるかもしれない。生活のリズムは一旦乱れると回復するのが一苦労なのだ。

 

2.14(月)

 終日、原稿書き。夕方、定期券を買いにちょっとだけ外出。ここ1ヵ月は、入試関連の業務や会議、学部再編関連の会議、読書会、調査実習の報告書の編集作業などで週に4日ペースで大学に出ることになりそうなので、定期券を継続購入することにしたのである。授業が終わっても大学に出る日数は変わらない。おかしいな・・・。本屋に立ち寄って、加藤周一『テロリズムと日常性』(青木書店)、ブルーノ・S・フライ、アイロス・スタッツァー『幸福の政治経済学』(ダイヤモンド社)、北山修・黒木秀俊編『語り・物語・精神療法』(日本評論社)、森岡正博『感じない男』(ちくま新書)、斎藤孝『コミュニケーション力』(岩波新書)を購入。街はバレンタインデー一色である。ちなみにバレンタインデーの日に女性が男性にチョコレートを贈る習慣は、私の家の近所に本社があるメリーチョコレート・カンパニーが1958年に新宿伊勢丹の売り場で呼びかけたのが始まりであるとされているが、そのときは板チョコ5枚しか売れなかったらしい。いまでは年間のチョコレート消費量の25%がこの日に消費されるまでになった。娘は昨日手作りチョコの製作に励んでいた。息子は今日同級生の女の子からチョコをもらったらしい(義理チョコのようだが)。私は妻から頂戴した。平和な情景というべきだろう。

 

2.15(火)

 午前、大学院博士課程入試の二次試験(面接)と、お弁当(「たかはし」の二重弁当)を食べながらの社会学専修の会議。午後、シャノアールで読書。注文を取りに来たウェイトレスさんが私と同じ苗字だった(名札を付けている)。「同じ苗字ですね」と言おうかどうしようか迷ったが言わずにおいた。社交的会話というのはそれに乗ってくれる人とそうでない人がいて、初対面の人の場合、その見定めはなかなか難しいのだ。

夕方から大学院の会議。1時間ほどで終わり、さて帰るとしようと、研究室から自宅に「いまから帰ります」コールをかけようとして思いとどまった。研究室から自宅の玄関まではほぼ1時間なのだが、妻はそれを見越して夕食を作る。ステーキとかでも、私が玄関のチャイムを鳴らす前に焼き始めたりしますからね。ちょっと寄り道などしようものなら、帰宅したらステーキが冷めていたなんてことになる。文句を言うと、寄り道したのが悪いと反論される。小学生じゃないんだから、学校の帰りに寄り道くらいしますよね。何も愛人宅に立ち寄るとかじゃあないんです。本屋とかレンタルビデオ屋とか、健全かつかわいいもんです。それなのに叱られる。それでもみんなが食事を始めずに私の帰宅を待っているなら悪かったかなと思うが、そうじゃない。さっさと先に食べ始めてる。それでこっちも考えた。研究室を出るときに「いまから帰ります」コールをしないようにしよう。地下鉄の駅からしよう。そうすれば地下鉄の駅までの間の本屋でゆっくり立ち読みができる。あるいは途中の東京駅からしよう(「いま東京駅」ではなく、「いまから大学を出ます」と)。そうすれば蒲田に着いてからの寄り道の時間を確保することができる。今日は東京駅からかけた。そして蒲田に着いてから、有隣堂で20分ほど立ち読みをしてから帰宅。作戦成功である。「ただいま」と玄関を入って、しかし、すぐには二階には上がらず、一階の両親と話をしていたら、息子が下りてきて、「いつまでたっても上がってこないからお母さんが見て来なさいって」と言った。う~ん、家の中での寄り道も許されないのか。次は玄関を入るとき、「ただいま」と言わないようにしなければなるまい。