フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

1月31日(木) 晴れのち曇り

2008-01-31 23:08:36 | Weblog
  めったにないことだが、フィールドノートの見知らぬ読者の方からメールが届くことがある。昨日、今日とそれが二日続いた。一人は弁護士(男性)、もう一人はバイオリニスト(女性)である。最初、何かいけないこと、間違ったことを書いて、専門家からそのご指摘のメールをいただいたのかと思ったら、そうではなかった。ここ数日ちょっとバテ気味だが、こういうときにいただく見知らぬ読者からのメールは「ドラゴンボール」の中に出て来る「仙豆」(せんず)のように疲労回復の効能がある。もうひと頑張りしてから、寝るとしよう。

1月30日(水) 晴れのち曇り

2008-01-31 03:08:16 | Weblog
  自宅で丸一日かけて初校のゲラの校正をほぼ終わらせる。「ほぼ」というのは、研究室においてある文献を参照しないとならない箇所が二、三あるからである。それにしても赤を入れるべき箇所がたくさんあって驚いた。誤字(変換ミス)や脱字がけっこうあるのだ。内校のなされたゲラなのだが、編集の方は二人いるのだろうか、章によってミスの発見率にかなりの差がある。また、この二人のうちの一人はかなりのベテランの方なのであろう、たんに誤字や脱字のチェックだけでなく、もう一歩踏み込んで、文章の表現にもけっこう注文をつけてくる。そしてその多くは「なるほど」と納得する内容なのである。もしかして田中社長自ら校正をされていたりして・・・。
  一日、ゲラの校正をやっていたため、答案の採点と卒論の審査は完全にストップした。丸一日の遅れである。この遅れを取り戻すのは大変だ。はたして2月5日までに成績簿を付けられるだろうか。少々怪しくなってきた。背水の陣で臨まねばならない。スーパーサイヤ人にならねばならない。私は空想する。たとえば「妻子はあずかっている。家族の命を助けたければ、5日までに成績簿を提出しろ」と犯人から言われたら、絶対に間に合わすであろう。たとえば伊藤友季子に「先生のために白鳥の湖を踊ります。だから採点がんばってください」と言われたら、モーレツにがんばって間に合わすだろう。たとえば村上春樹が「『風の歌を聴け』の自筆原稿があるんですけど、よかったら、さしあげますよ」と言ってくれたら、明日が世界の終わりでもネジを巻いて仕事を終わらせるだろう。たとえば・・・もういい。こんなことを考えている時間に一枚でも多く答案を読まなくては。でも、今夜はもう寝よう。

1月29日(火) 曇り時々小雨

2008-01-30 01:29:00 | Weblog
  8時、起床。朝食は昨夜の残りのおでん。カレーと同様、一晩おいたおでんはおいしい。院生のI君に頼まれていた奨学金関係の書類を書いてから大学へ。約束の時間に研究室にやってきたI君に書類を渡す。業績欄に書く論文がもう一本ほしいねと発破をかける。
  草野先生の研究室にお邪魔して基礎講義の件を相談。基礎講義はネットで受講するシステムで、現代人間論系は来年度も今年度と基本的には同じコンテンツを使用するのだが、社会福祉の岡部先生の講義を新たに製作した。草野先生については単独の講義を製作する余裕がないので、初回の論系紹介のコンテンツに5分ほど草野先生の紹介コーナーを追加して、そこで学生へ向けてお話をしていただくことにした。打ち合わせの後、千疋屋で昼食(マンゴーカレー)。「あいかわらず怖い夢を見るのですか?」と尋ねたら、「いえ、ここ2週間ほど怖い夢は見ていません」とのこと。草野先生の怖い夢というのは有名な話で、誰でもたまに怖い夢を見ることはあると思うが、先生の場合はほぼ毎日で、それもちっとやそっとの怖い夢ではなく、猛獣に噛み殺される夢、赤土の断崖絶壁を必死でよじ登る夢、腐乱死体を運び出す人殺したちの夢といった正真正銘、折り紙付きの怖い夢なのである。しかも夜だけでなく、つかの間の昼寝のときにまで怖い夢を見るという。私だったら眠ることが自体が恐怖だが、ここが常人の理解の及ばぬところで、草野先生は眠ることが何よりもお好きなのである。その先生が、ここしばらく怖い夢を見ていないという。普通に考えればよいことなのであろうが、学問や芸術にはデモーニッシュな何かが必要とされることを考えれば、ときどきは怖い夢を見るくらいがちょうどよいのかもしれない。ちなみに私が子供の頃からたまに見る怖い夢は、ゴジラに追われる夢である。最初、逃げ惑う群集の一人に過ぎないのだが、だんだん周囲の人の数が減っていって、最後には私一人だけが追われているのである。自意識過剰に由来する悪夢に違いない。
  帰路、大森で途中下車して、ブックファーストと新星堂で以下の本とCDを購入。

  吉田篤弘『フィンガーボウルの話のつづき』(新潮社)
  吉田篤弘『それからはスープのことばかり考えて暮らした』(暮らしの手帖社)
  トゥルゲーネフ『初恋』(沼野恭子訳、光文社古典新訳文庫)
  ビゼー:交響曲ハ長調ほか(ミッシェル・ブラッソン指揮、トゥーツーズ・カピトール国立管弦楽団)EMI

  ビゼーの交響曲のCDは、蒲田の新星堂にも大井町の新星堂にもなかったが、三軒目、蒲田と大井町の間の大森の新星堂で見つけることができた。ビゼーといえば「カルメン」であり、「アルルの女」であるが、私はなんとしても交響曲ハ長調が聴きたかった。それは長田弘の「交響曲第一番」というエッセーを読んだからだった。

  「ビゼーは交響曲をたった一つしか書かなかった。
  交響曲第一番。ふつうはそうよばれるのだが、ビゼーには第三番も第七番もない。交響曲は第一番しかない。
  交響曲を書いたとき、ビゼーは十七歳のパリ音楽院生だ。すでに天才の名をほしいままにしていた少年だった。少年は何もかも忘れて、はじめての交響曲に熱中する。しかしそれは、書きあげられはするものの、そのまま少年の机の奥深く蔵いこまれてしまうのだ。そしてそれっきり、二度とビゼーは、交響曲というものを書かなかった。
    (中略)
  それは、不思議な曲だ。曲は、いきなり、全オーケストラによるすばらしい和音の一撃にはじまる。そしてすぐに流れるようにうつくしい第一楽章第一主題へとうつってゆくのだが、なんといってもみごとなのは、冒頭の、ただ一度だけの、短くするどい全オーケストラによる一撃だ。それだけがこの交響曲のすべてだ。そういっていいぐらい、はげしくこころにひびく一撃だ。
  あたかもはじまったそのときにほんとうは終わっている交響曲。それがビゼーの交響曲第一番だ。
  おそらく、冒頭の、ただ一度の、全オーケストラによる一撃に、十七歳のパリ音楽院生は、交響曲への野心のすべてを叩きこんだのであろう。だが、その音を最初に書いてしまったあと、少年にはもう交響曲という形式で書くべきことが、きっと何もなかったのだ。聴いていると、そのことが胸に痛いように伝わってくる。
  完璧な敗北というものをはじめて知った少年の、悲しみの一撃。交響曲第一番はそこにはじまり、そこで終わっている。
  じぶんの完璧な敗北をしるした楽譜を棟の奥深く蔵いこんで、あざやかな悲しみをかかえて、明るい風景を横切っていったビゼー。そのたった一つきりの交響曲第一番がとても好きだ。
  雨の日と月曜日には、もしどうしようもないような気もちに襲われたら、わたしは、ビゼーのその一つしかない交響曲を聴く。」(『私の好きな孤独』所収、35-37頁)

  この文章を読んでビゼーの交響曲を聴いてみたいと思わない人間がいるだろうか。音楽が人を動かすように、文章もまた人を動かすのである。
  帰宅すると、学文社から初校のゲラが届いていた。もうゲラが出たのかとビックリする。一週間以内に戻してくれと書かれている。この一週間は卒論の審査と答案の採点で手一杯なのである。ゲラが出てくるのはもう少し先だと思っていた。しかし、入稿が遅れて迷惑をかけた上に、ここでもたもたしてさらに迷惑をかけるわけにはいかない。私はどうしようもない気持ちに襲われて、ビゼーの交響曲を聴いた。

1月28日(月) 晴れのち曇り

2008-01-29 01:22:48 | Weblog
  今日の夜、娘は大学のゼミの先生を囲んでの食事会があるのだが、それに和服を着ていきたいと私の母に相談したのが昨夜のことで、母は朝から張り切っている。なにしろ55年前、群馬から大久保の家に嫁いで来たときに持参した着物が再び日の目を見る日が来たのである。母の感慨はいかばかりか。着付けを終えて、玄関先で写真撮影。時代も体型も違うのにそれなりに様になっている。これが和服のいいところで、洋服ではとてもこうはいかない。歩き方に気をつけるように言って送り出す。
  答案の採点。昼食(好物の秋刀魚の蒲焼の缶詰を開ける)。昼寝。答案の採点。入浴。夕食(おでん)。答案の採点。シンプルな生活に一輪の花を添えるように『薔薇のない花屋』の第三話を観る。香取真吾のいつかどこかで破綻してしまいそうな予感を漂わせた抑えた演技がいい。視聴を終えて、答案の採点。採点済みの答案を足元の床の上に重ねておいたら、いつの間にか飼い猫のはるがやってきてその上で寝ている。

        
                 厚い答案用紙の上の猫

1月27日(日) 晴れ

2008-01-28 02:45:23 | Weblog
  8時半、起床。フィールドノートの更新をすませてから、自家製コロッケパンと紅茶の朝食。Mさんからメール便で小学校のクラス会関連の資料が届く。一緒に犬と猫の写真で構成されたカレンダー(壁掛け用2部、卓上用2部)が入っていた。Mさんはご夫婦で写真の仕事をされているので、売り物(売れ残り?)をくださったわけだ。魚眼レンズでペットの写真を撮るというのがコンセプトらしい(「はなデカ倶楽部」のサイトはこちら)。息子に見せたら壁掛け用の猫のカレンダーを自室に持っていった。私は猫の卓上用のカレンダーを使うことしよう。
  昼食はテイクアウトの握り寿司。昼寝をして、頭がスッキリしたところで、春休みの計画をマインドマップを使って作成。計画を立てるのは楽しい(それを実行することはもっと楽しい。ただし計画が着々と実行されている場合の話)。いまやっている答案の採点と卒論の審査が終わらないと、春休みの計画には移れないのだが、人は楽しことを考えながら目の前に積まれた仕事を黙々とこなすのである。
  気がつくと部屋が暗くなっていた。もう夕方だ。今日は一歩も外に出なかった。今日が日曜日であることも忘れていた。三階のベランダに出て西方の空をながめる。相変わらず寒い毎日だが、日は少しずつ確実に長くなっている。2月になったら(もうすぐだ)、早春という言葉を使おう。2月の後半に内灘(金沢の近くの海辺の町)に行く。「早春の旅」だ。

        

  夜、『のだめカンタービレ in ヨーロッパ』の後編を観る。のだめのコンクール挑戦ではなくて、コンサートデビューの話だった。彼女がこれまでの自己流の勉強法が壁にぶつかって悩む姿は身につまされるところがあった。日本に凱旋帰国した千秋と大学時代の仲間が交流する場面は、前編の携帯電話だけのやりとりにものたりないものを感じていただけに、「やっぱり、こうじゃないといけない」と思った。最後は千秋がヨーロッパ・デビューの演奏会でブラームスの交響曲第1番を振るところで終わったが、たまたま今日の「N響アワー」でその交響曲第1番(第1楽章)がヘルベルト・ブロムシュテットの指揮で放送された。千秋の指揮もよかったが、ブロムシュテットの指揮も悪くなかった(笑)。