フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

2003年4月(後半)

2003-04-30 23:59:59 | Weblog

4.15(火)

 もう桜は散ってしまったから「花冷え」という言葉は使えないのだが、使いたくなるような冷たい雨の降る一日。火曜日は会議が目白押しで、今日は午前11時から午後9時まで会議が途切れることなく4つも続いた。したがって食事も会議中にとる。最初の会議のときに出た昼のお弁当と最後の会議のときに出た夜のお弁当はどちらも「たかはし」の二重弁当だった。「たかはし」のお弁当は美味しいのだが、しかし、1日に2回となるとね・・・・。前者は800円、後者は1000円のお弁当で、中身が多少違っていたのがせめてもの救いだった。

 

4.16(水)

 いま、東京から京都まで、新幹線でわずか2時間17分なんですね。どうも私の頭の中には「東京~新大阪=3時間10分」という東海道新幹線開業当時の公式が残存していて、今日、蒲田駅のみどりの窓口で、5月4日に京都である教え子の結婚式に行くための新幹線の切符を購入したとき、「のぞみ」のあまりの速さに驚いた。8時20分に東京駅を出て、10時37分にはもう京都に着いちゃうんですから。式場である同志社新島会館には11時半までに着けばいいので、楽勝である。帰りは17時43分京都発の同じく「のぞみ」で、20時ちょうどに東京に着く。夕食は駅弁を車内で食べようか、それとも東京に着いてから食べようか、なんてことをいまから考えている(乾杯のときの挨拶はまだ考えていないのに)。

 切符を買ってから、東口の商店街を散歩した。自宅が西口なので、あまり東口には来ないのだが、西口の商店街とはまた違った雰囲気で面白い。西口の商店街は先に進んでいくとだんだんと商店の数が減っていくのだが(ふつうの商店街はそういうものだろう)、東口の商店街の場合は、そのまま京浜急行の蒲田駅(京急蒲田駅)に続いているので、商店が絶えることがない。ラーメン屋が非常に多く、ラーメン屋の隣がラーメン屋で、1つ空けて、そのまた隣がラーメン屋というところがあったりする。「ペンギン堂」という初めて入る古本屋で、青山南『翻訳家という楽天家』と『新潮臨時増刊号 この一冊でわかる昭和の文学』を購入。前者は今年から文学部の教員になられた青山さんのエッセー集。冒頭の一篇「ダーウィンの好きな本屋」は「荻窪に洋書の古本屋がある。」という書き出し。もうそれだけでわくわくしてしまう。後者は横光利一から村上春樹までの短編小説40篇からなるアンソロジー。新幹線の中で読もうと思う。蒲田八幡の脇の名前の出ていない古本屋の100円コーナーで臼井吉見『肖像八つ』を購入。「掃き溜めに鶴」という言葉がふさわしい。「復活書房」というこれも初めて入る古本屋(というよりも文芸書・コミック・CDのリサイクル店。広くてきれいな店内。)で東海林さだお『とんかつ奇々怪々』を購入。「復活書房」の隣はいまどき珍しい中古パソコンの店で(パソコンの価格破壊で中古品の魅力がなくなったからであろう)、オリジナルの安価なパソコンも売っている。そのパソコンの名前はなんと「呑川」。すぐ近くを流れる川の名前である。なんだか夏場には冷却ファンから悪臭が漂ってきそうだ

 

4.17(木)

 本日の7限の「社会・人間系基礎演習4」が私にとっての今年度最初の授業だった。履修学生37名、全員出席。さすが1年生。まだすれていません。この授業は演習だが、学生の発表はゴールデンウィーク明けからで、最初の数回は私の講義。ひさしぶり(3ヶ月ぶり)の講義だったが、話しているうちにだんだん調子が出てきて、終わって気づいてみると喉がカラカラになっていた。先日の火曜日、会議を終えて帰るとき、ちょうど7限の授業を終えたばかりの同僚の長谷先生と一緒になったのだが、そのきの彼はかなりのハイテンションで、ひさしぶりにいっぱい喋って今夜は興奮気味ですぐには眠れそうもないというようなことを言っていた。私は笑って聞いていたが、今夜の私はそのときの長谷先生の状態に似ている。「ランナーズハイ」という現象があると聞くが、「ティーチャーズハイ」というのもあるのかもしれない。

 

4.18(金)

 初夏の陽射しの中を夏物の新しいジャケットを着て家を出る。今日は大学院の演習の初回である。履修生は8名。研究室でやるつもりだったが、研究室のテーブルには椅子が8つしかない(私も座る)。来週からは大学院の演習室を手配してもらうとして、今日のところは社会学専修室に場所を移してやる。8名の内訳は、社会学専攻のマスター1年が4名、マスター2年が1名。日本語・日本文化専攻のマスター1年が1名。慶応大学の大学院のマスター2年が1名。関心のあるテーマを尋ねたら、なかなか多彩で、各人が自分の関心領域からこの演習のテーマである「近・現代日本における人生の物語の生成と変容」に意欲的にアプローチしてくれたら、きっと面白い演習になるだろうと思う。

 夜、先週から始まったTVドラマ『ブラックジャックによろしく』をみる。今期のドラマではこれが一番面白そうだ。この4月から放送が金曜日に変更になったNHKの『爆笑オンエアバトル』では、ひさしぶりに田上よしえの一人コントを楽しんだ(彼女、最近連敗中だったのだ)。

 

4.19(土)

 明治大正の辻演歌師、添田唖蝉坊(本名・添田平吉)の自伝『唖蝉坊流生記』(1941年)を読む。日露戦争後の恐慌の時代、彼の作った「ああ金の世や」、「ああわからない」、「あきらめ節」といった演歌がヒットした。ヒットしたといっても、レコードなどない時代の話で、街角で演歌師が歌い、人の輪ができたところで、歌詞本を売っていたのである。次回の大学院の演習では日露戦争後の「人生の物語」について話をする予定で、そのとき上にあげた唖蝉坊の歌を素材の1つに使おうと考えている。これは私の癖というか、好みというか、気取って言えば方法論なのだが、ある作品(小説、評論、映画、絵画、流行歌・・・・)を研究の素材に使う場合、その作者の人生について知っておきたいのである。自伝があれば自伝を読み、自伝がなければ評伝を読む。評伝もなければ人物辞典に載っている年譜だけでも目を通す。そうすることで、対象となる作品を、近代日本の歴史と作者自身の人生の歴史という二重の時間軸の中に位置づけて把握したいのである。

 

4.20(日)

 小雨の降る肌寒の一日だったが、散歩を妨げるほどではない(散歩に適さないのは雨よりも風の強い日である)。今日はふと思い立って池上線に乗って蒲田から6つめの雪谷大塚まで足をのばす。雪谷大塚の駅に降りたのは30年ぶりくらいだろうか。すっかり駅舎が立派になってしまっていたのに驚いたが、考えてみれば、30年も経ったのだ、同じ池上線沿線の多くの駅がちっとも変わっていないことの方が驚くべきことかもしれない。雪谷大塚に来たのは、インターネットのタウンページで、ここに2軒の古本屋(「ブックオフ雪谷大塚店」と「ブックマート雪谷大塚店」)があることを知ったからだ。タウンページに登録されている大田区の古本屋は43件ある。自宅から歩いて、あるいはちょっと自転車に乗って行ける範囲の古本屋は全部行ってみたので、これからは、「ぶらり途中下車の旅」の阿藤海(改め阿藤快)みたいに、池上線、多摩川線、京浜東北線、京浜急行線沿線の古本屋を探訪することが増えるだろう。「ブックオフ雪谷大塚店」はチェーン店の中では小型店舗に分類されているが(ブックオフのホームページ参照)、普通の町の古本屋に比べたらスーパーマーケットにみたいに大きい。もっともコミックやCDなども扱っているので、単行本と文庫本の占める面積は棚全体の半分くらいだろうか。その単行本や文庫本にしても、比較的最近のものが多く、あまり食指が動かない。パチンコ屋みたいに若い女の店員がマイクで「いらっしゃいませ」と喋っている。ポイントカードの説明のところで、「50ポイントまいに・・・・」と言ったので、ハッとした。その「毎」は「ごと」と読まなくちゃ。きっと何度も誤読しているのだろうが、先輩や店長は注意しないのだろうか。なんだかいたたまれない気持ちになって、次の4冊をそそくさと選んでレジにもっていく。

(1)橋部敦子『僕の生きる道』(角川書店、2003年)1400円→550円

好きなドラマだったので。本当はノベライズ版ではなくシナリオ版があるといいのだが。

(2)立花隆『東大生はバカになったか 知的亡国論+現代教養論』(文藝春秋、2001年)1714円→650円

立花隆の本はたいてい新刊書で買っているのだが、こういう週刊誌的なタイトルだと買う気がなくなる。650円なら、ままいいかと。しかし、編集者のいいなりになって、こういうたがの外れたようなタイトルを採用していると駄目になりますよ、立花さん。

 (3)大岡昇平『小説家夏目漱石』(筑摩書房、1988年)2200円→750円

  本日一番の収穫。棚の張り紙の説明によると、単行本の価格の上限を「750円」と設定しているとのこと。

 (4)江藤淳『妻と私』(文藝春秋、1999年)1000円→100円

  江藤淳には「○○と私」というタイトルの文章が多い。「アメリカと私」、「犬と私」、「文学と私」、「批評と私」、「戦後と私」、「日本と私」・・・・。彼はいつも「私」と対座する対象を、いや、「私」と対象との関係を、いやいや、対象との関係における「私」を語った。

 「ブックマート雪谷大塚店」は、CDやビデオやコミックやアダルト雑誌が中心の店で、普通の本は店舗の一角に置かれているだけだった。私は古本屋、とくに初めての古本屋に入ったときは、挨拶代わりに1冊は本を買うのだが、ここでは買いたい本が全然ないのに弱った。かろうじて、次の本を見つけて購入。

(5)高橋哲雄『ミステリーの社会学 近代的「気晴らし」の条件』(中公新書、1989年)720円→100円

   大学院の演習に出ている学生の一人が「江戸川乱歩」を修士論文のテーマに考えていることが頭をかすめて。

 雪谷大塚の駅に戻る途中、「雪谷自慢ラーメン 醍醐」という店があった。時間が時間なので(午後5時)、どうしようか迷ったが、「ぶらり途中下車の旅」の阿藤快なら絶対入るに違いないと思い、入ることにする。カウンターに座ると、店員がすまなそうに「券売機でチケットをお願いします」と言った。えっ、ここは立ち食い蕎麦屋みたいにチープの店なのかと、一瞬、後悔の念が頭をかすめたが、券売機のボタンの「醍醐1000円」という表示を見てびっくり。全然チープじゃない。店の名前を冠したラーメンなのだから、きっと自信作に違いないが、しかし、初めて入る店でいきなり注文すべきものではないと自分に言い聞かせ、「ラーメン600円」のボタンを押す。店員にチケットを渡して席に座ると、店員が水差しとコップをもってきてコップに水をうやうやしく(本当にうやうやしく)注いだ。さらに雑誌とスポーツ新聞をもってきて、「お読みになりますか」と私に聞く。なんだかホストクラブみたいだ。私が入ったとき、先客は2人しかいなかったが、私がラーメンを待っている間に5人ほど客が増えた。けっこう人気のある店みたいだ。これは期待できるかもしれないと、週刊誌を読みながら、いまかいまかと待っていると、ようやくラーメンが運ばれてきた。スープは赤味噌系で背油が浮いている。美味い! 麺は太めで腰がある。最初は少し硬めかと思ったが、食べているうちにちょうどよくなる。チャーシューは一枚。柔らかで口に中で溶ける感じ。美味い! 鮮度のいいもやしが濃厚なスープとよく合っている。海苔とメンマもしっかりしている。いや~、ひさしぶりに美味いラーメンと出会いました。スープを最後の一滴まで飲み干して、幸せな気持ちで駅までの道を歩いた(今度来たときは「醍醐」を注文しよう)。雪谷大塚駅前の「亀屋万年堂」で家族への土産に柏餅を6個買う(こし餡とつぶ餡を3個ずつ)。自分が外で楽しい時間を過ごしたときは家族にお土産を買って帰るというのが私の習慣であり、戦略である。帰宅して、美味しいラーメン屋を見つけた話をすると、妻は「夕飯前にラーメンを食べたの!」と案の定呆れ顔だったが、柏餅を差し出すと(妻はつぶ餡が好きで子どもたちはこし餡が好き)、「まあ、今回は柏餅に免じて許そう」という雰囲気になった。夕飯はマーボウ豆腐であった

 

4.21(月)

 次回の大学院の演習で話すことがらについての調べもの。1907年(明治40年)とはどのような年であったか。一口で言えば、(日露戦争の終結から2年目の)「戦後」であるが、山川出版社の『日本史小年表』には21の出来事が、小学館の『決定版 20世紀年表』には91の出来事が、そして岩波書店の『近代日本総合年表』には219の出来事が、それぞれ掲載されている。年表とは抽象の産物である。無数に存在する「事実」の中から、歴史家がその関心に照らして「重要」と考える出来事を拾い出し、年表に配置した出来事だけが「歴史的事実」(より正確には「歴史年表的事実」)として定着する。しかし、その年表も、上記のように年表全体のボリューム(したがって価格)という制約の下で、「事実」の取捨選択に用いられる網の目の大きさには粗密がある。では、つねに大きな年表を用いればいいのかというと、そういうわけでもない。第一に、たくさんの出来事が同じ平面上に並べられた年表からは、何がより重要な出来事で、何がより重要な出来事でないか、という遠近法が消滅してしまうからである(『決定版 20世紀年表』や『近代日本総合年表』ではとくに重要な出来事をゴチック体や赤字で表記することで、遠近法を保持している)。第二に、小さな年表に載っている出来事は大きな年表にも載っているとは限らない。たとえば、『決定版 20世紀年表』の1907年の頁には、「新宿にパン屋の中村屋開店」や「東京・早稲田のそば屋三朝庵、カレー南蛮を考案」といった記述があるが、『近代日本総合年表』にはそうした記述はない。第三に、大きな年表とはいっても所詮は程度の問題であって、「特定の関心」に基づいて眺めると、やはり不十分なものである。たとえば、「遠藤隆吉が日本社会学研究所を設立した」ことや「高田保馬が京都大学に入学して米田庄太郎に師事した」ことはともに1907年の出来事だが、上記の3つの年表のどれにも載っていない。この2つの出来事は秋元律郎の『日本社会学史』の巻末の「日本社会学史年表」という「特定の関心」に基づいて作成された年表には載っている。というわけでは、「特定の関心」-私の場合で言えば、「近代日本における人生の物語の生成と変容」とか「清水幾太郎と彼らの時代」とかーに基づいて歴史的研究を行なおうとするのであれば、どうしても「自前の年表」を作成する必要がある。そして、「特定の関心」に基づかない歴史的研究というものは存在しないのである。

 

4.22(火)

 先週末、授業を終えて研究室に戻ると、留守電が入っていた。ある新聞社の何某(面識のない人物)からで、伺いたいことがあるので次の番号に電話がほしいとのこと。普通、面識のない人間のところへ電話をして相手が不在の場合、またかけますと伝言するのがマナーで、戻ったら電話をくれはないであろう。慇懃無礼な印象を受けたので、指定の電話番号をメモすることもなくメッセージを消去した。大切な用件であれば、また電話をかけてくるであろうと。今日、研究室に出てみると、その何某からまた留守電が入っていて、今度は携帯電話の方に電話がほしいとのこと。やれやれと思ったが、もしかしたら大切な用件なのかもしれないと電話を入れてみた。で、用件は何であったかというと、「団塊の世代の行動パターンについて教えて欲しい」という取材の申し込みであった。私は特にそういうテーマで研究などしていないが、何で私のところに電話をかけてきたのか尋ねたら、「大学の広報課に紹介してもらった」とのこと。あっ、そう。大学の広報課ね。おそらく早稲田大学の全教員のデータベースがあって、それを担当者が検索して、ライフコース研究が専門ならきっと世代論と関係あるだろうと考えたのだろう。しかし、ずいぶんとお手軽な取材である。世代論についての本はインターネットで検索すればたくさん見つかるだろうから、その何冊かにさっと目を通して、これはと思う著者に取材を申し込むというのがなぜできないのだろう。世代論のことで取材をするなら、世代論について少しは勉強して下さい。インタビューというのはする側とされる側の相互作用的行為であって、する側にもそれなりの基礎知識がないと、ろくなインタビューにはならないのである。取材はお断りしたが、ただ断るのも気の毒に思い、一昨年、『団塊世代・新論』(有信堂)を出版されたお茶ノ水女子大学の天野正子教授が適任だろうとアドバイスしたが、案の定、彼はその本のことも天野さんのことも全然知らなかった。

 

4.23(水)

 開始が遅れていた一文の授業も今週から始まり、今日は「社会学研究9」と「社会学演習ⅢD」の2つの授業があった。3限と5限の授業なので、間に1コマ空き時間があるものの、一日2つはけっこう疲れます(とくに「社会学研究9」はずっと立ち通し、喋り通しなので)。しかし、こんなことを書いていると二文教務のときの同僚である宮城徳也先生(西洋古典学)に叱られそうだ。彼は今年度10コマ以上担当しているのである(私は6コマ)。ぜひ一度、彼のホームページに載っている時間割をご覧あれ(http://www.littera.waseda.ac.jp/faculty/tokuyam/)。授業のないのは火曜だけで、1日に3コマの日が週に3日もある。私より4つ若いとはいえ、すでに大厄も過ぎ、40代の半ばですよ。ご苦労なことです。ついでに言うと、私の週6コマだって決して少ないわけではありません(だって時間外勤務手当というのを頂いているんですから)。

 夜、NHK・FMをかけていたら、「ライブビート」という番組であの伝説のフォークシンガー高田渡の最近のライブの模様を流していた。「生活の柄」や「夕暮れ」といった名曲、そして彼の語りを聞くことができた。感動した。そして、昔からそうなのだが、彼の歌を聴くと旅に出たくなる。5月4日に卒業生の結婚式で京都に日帰りで行く予定になっているが、せっかく京都まで出かけて行って日帰りはないだろうという思いがふつふつとわいてきた。6日には大学で会合があるので、一泊しかできないが、新緑の京都の散歩を楽しんでこようという気持ちになった。さっそくインターネットの「旅の窓口」で手頃な宿を予約する。明日、新幹線の帰りの切符の変更を忘れずにしなくては。

 

4.24(木)

大学に行く途中、「みどりの窓口」で新幹線の切符の変更手続きをする。驚いたことに、5月5日(月)の夕方の「京都→東京」の新幹線の指定席は18:43分発ののぞみ88号に1つしか残っていなかった。さすがに連休最終日。禁煙席ではなかったが、1つしかないのだから、選択の余地はない。隣の席の人がヘビースモーカーでないことを祈るだけだ。東京着は21:00ちょうどなので、夕食は京都で何かお弁当を買って新幹線の中で食べることにしよう。いま、インターネットで駅弁を検索したら「新幹線グルメ」というのがあることがわかった。新幹線の停車駅だけで販売している1000円の駅弁である。京都駅のそれは「精進弁当」というもので、画像も紹介されていた。煮物各種、豆ご飯、ごま豆腐、生麩、湯葉、がんもどき、昆布巻き奈良漬、煮こごり、蒟蒻、蕪の赤酢漬けという内容で、見た目も上品である。製造販売は「荻の屋」とあるが、これってあの「峠の釜飯」の「荻の屋」だろうか。とすれば、味の方は保証されてはいるものの、地元の業者が作っているわけではないので有り難味にはやや欠ける。また、その日の昼食は京都に行ったときは必ず立ち寄る四条南座の「松葉」の鰊そばの予定なので、夕食はボリュームのあるものが食べたい。5月6日の夕食問題は今後の課題である。

今日は二文の卒論指導と基礎演習。卒論指導は4名で(さらに1名増えるかもしれない)、全員、1年生のときに私の基礎演習を履修していた学生。基礎演習は前回に続いて37名全員が出席。まじめというよりも、まだ高校や予備校の授業の延長という感じなのかもしれない。グループ発表の班分け(8班)を行い、班ごとに集まって今後のグループワークの進め方を話し合ってもらう。見た感じ、どの班の話し合いも熱心だ。二文は語学クラスのような週に何度も顔を合わせる授業がないので、みんなこの基礎演習を「クラス」と心得て、積極的にコミットしようとしているようだ。さっそく来週、授業を早めに切り上げて、コンパをやることに決定。

 

4.25(金)

明日は「社会学基礎講義A」の初回である。土曜の1限の授業。1限の授業は本当に久しぶりだ。いま、0時をちょっと回ったところ。7時には起きないとならないので、もう寝ます。でも、寝られるだろうか。私は夜型の人間で、いつも就寝は午前3時頃なのだ。・・・・駄目だ、眠れない。間もなく2時。明日の授業は赤い目をしてやることになるだろう。1限の授業の後は、11:00から13:00まで一文の卒論ゼミ。14:00から16:00まで早稲田社会学会の研究例会。きつそうだ・・・・。

 

4.26(土)

 今日が初回の「社会学基礎講義A」の教室は、すでに初回を終えた木曜日の「社会学研究9」と同じ36号館381教室。受講生は両方とも180人前後でほぼ同じ。違いは、履修者が前者は全員1年生であり、後者は2年生以上であること。この違いは教室における学生の座る場所にはっきりと表れる。すなわち前者では最前列の席にも学生座っているのに対して、後者では教壇の前の半径5メートル以内に座る学生がいない(いても例外的存在)ということである。教師として授業がしやすいのはもちろん前者である。1年生というのは出席率がよいだけでなく、前方着席率(私の造語)もよいのである。

 卒論ゼミが予定より1時間延びてしまい、昼飯を食べに出るか、昼飯抜きで研究会に出るかの二者択一に迫られ、寝不足の上に空腹は辛いので前者を選択(報告者の方々、ごめんなさい)。ひさしぶりに「スパイシー」でポークカツ・カレーを食べる。カレーライスと福神漬という組み合わせは誰が考案したのか知らないが、素晴らしいと思う。私は卓上の福神漬の容器から「こんなにとっては恥ずかしい」と思われる限界近くまで福神漬をとってカレーライスの皿に移す(ちなみに「高田牧舎」では福神漬ではなく甘口のラッキョウの容器が出されるが、これもまた素晴らしい組み合わせである。やはり「こんなにとっては恥ずかしい」ほどラッキョウをとるのだが、そこでは私が大学の教員であることが知られているので、その限界ラインは「スパイシー」のときよりは低めに設定される)。

 食事を終えて、「あゆみ書房」に立ち寄る。1週間の授業が終わったというささやかな解放感から2冊の新刊書を購入。大崎善生の中篇小説集『九月の四分の一』(新潮社)と矢崎泰久の評伝『口きかん わが心の菊池寛』(飛鳥新社)。さっそく書店の2階の喫茶店「シャノアール」で『九月の四分の一』の最初の一篇「報われざるエルシオのために」を読む。大崎は長年、雑誌『将棋世界』の編集長をしていたが、若くして亡くなった棋士、村山聖の一生を書いた『聖の青春』で新潮学芸賞を受賞し(2000年)、作家としてデビューした人。翌年、プロ棋士の養成機関である奨励会を志を果たすことなく去っていった人たちのその後の人生を追跡した『将棋の子』で講談社ノンフィクション賞を受賞している(私は彼の作品の中ではこれが一番好き)。それから彼はノンフィクションではなく一転して小説を目指すようになり、『パイロットフィッシュ』と『アジアンタムブルー』という2冊の長編小説を刊行し、前者は吉川英治文学新人賞を受賞している。しかし、私は彼の小説はまだちゃんと読んだことがない。2冊とも購入し、最初のあたりは読んでみたのだが、いまひとつ吸引力が弱い感じで、読み続けることができないのである。しかし、今回の『九月の四分の一』は中篇小説集なのでハードルが低いだろうと思った。実際、「報われざるエルシオのために」は40頁の作品で、喫茶店の中で読み終わった。率直な感想を言うと、村上春樹の亜流という感じがした。私は村上春樹のファンで、であるからこそ、村上春樹的タッチの文体に対しては評価が厳しくなるのかもしれない。私はこの小説を読みながら、村上春樹の短編小説「今はなき王女のための」(『回転木馬のデッドヒート』所収)のことが思い出されてならなかった。

 研究室に戻り、時計を見ると3時半である。さて、どうしよう。そうだ、竹橋の国立近代美術館でやっている「青木繁展」を見に行こうと思い立つ。美術館に着いてみると、閉館の5時まであと1時間ちょっと。少し気ぜわしい気分で観て回る(金曜だけ夜8時までやってくれているのだが、土曜もせめて6時までやっていただけないでしょうか)。今回の展覧会は、正確に言うと「青木繁展」ではなくて、「青木繁と近代日本のロマンティズム」といって、青木繁(1982-1911)を中心として同時代の画家たちに共通する題材(神話・海・自画像・子ども・女・故郷)を取り上げて、そこに見られる意識や感情を探ろうとする試みである。

青木繁といえば「海の幸」だが、これまで画集で何度も見ていたはずのこの作品を、今回、初めて直に見て、気づいたことがあった(画集の解説の部分を読まずに絵だけを眺めていたせいだ)。この絵には浜辺を大きな魚(サメのように見える)を背負って帰る10人の褐色の裸の漁師が描かれているが、私はいままで彼らは全員男だと決めつけていたのだが、1人、女が混じっているのである(後尾から4人目)。身体的特徴からはそれはわからないのだが、顔が明らかに女の顔(色白で赤い唇)なのだ。しかも、その女だけが、「カメラ目線」でこちらを見ている(他の男たちは全員顔を前方に向けている)。これに気づいた途端、妙にこの女がこの絵の中で浮いている、それも不気味に浮いている感じがしはじめた。名作「海の幸」の実物を前にして、意識がキャンバスの全体ではなく、その女の顔に向いてしまうのである。壁に掲示された解説によると、この女にはモデルがいて、それは青木の恋人で二人の間に出来た子どもまでいる福田たねという女性であるという。そして彼女は「海の幸」だけでなく、「大穴牟知命(オオアナムチノミコト)」や「わだつみのいろこの宮」という神話的世界を描いた絵にも登場しているというのだ。あわてて(閉館時間が迫っている)、すでに通り過ぎたその絵の場所に戻って見直すと、確かに「海の幸」の女と同じ顔の女がそこにいた。さらに解説を読んで驚いたことは、「海の幸」の女の顔は後から加筆されたもの(もちろん本人の手で)とのことだった。どういうつもりで青木はそんこと(一種の「ウォーリーを捜せ」だ)をしたのだろうか。恋人への愛情表現だったのだろうか。ただの気まぐれや遊び心からだろうか。青木のいささかエキセントリックな「自画像」を眺めていたら、後者ではないかと思えてきた。

 

4.27(日)

 「社会学研究9」の初回の講義記録を作成し、ホームページにアップロードする。前期は「社会学基礎講義A」の講義記録も公開することになっており、忙しいことになりそうだ。

 

4.28(月)

 「社会学基礎講義A」の初回の講義記録を作成し、ホームページにアップロードする。連休明けの作業の予定であったが、いろいろとやらなくてはならないことが立て込んでいるので、できるものからどんどんやってしまおうと。

 昼食は家の近所に最近開店したラーメン店に行ってみる。仕事で家に篭っているときは、気分転換を兼ねて昼食は外で食べることにしているのだ。この店はご主人と奥さん(フィリピンの人らしい)とご主人のお母さんの三人でやっている。商店街からどんどん個人商店が消えていって、チェーン店ばかりが増えていっているときに、こういう家族で頑張っている店は応援したくなるのが人情である。しかし、蒲田はラーメン専門店が多いことで知られている。駅から私の自宅までは工学院通り商店街という通りを7、8分歩くのだが、その間に、ラーメン専門店がすでに4軒もある。その他に中華料理店も1軒あるのだから大変だ(中華料理店はもう1軒あったのだが、最近、店仕舞いした)。いつだったか、読売テレビの夕方のニュース番組「ニュースプラス1」の「蒲田ラーメン戦争」という特集でこの商店街のことが取り上げられたくらいだ。4軒の中では「ラーメン次郎」と「青葉」の人気が高く(ともにチェーン店)、店の外に人の列ができていることが多い。この激戦区の中で新規にラーメン専門店を出すのはかなりの覚悟を必要としたであろう。すでにこの店のラーメン(塩ラーメン)を食べている娘によれば、「美味しかった。スープにこくがあって、チャーシューも柔らか」とのことなので、私も期待をもって出かけた。

時間は午後2時ごろであったが、カウンター席だけの店内に客はいなかった。席についてチャーシューメン(850円)を注文し、煮卵(100円)も付けてもらうことにした。やがてカウンター越しに渡されたチャーシューメンを見て驚いた。チャーシューの大きいこと、そして枚数の多いこと。直系10センチくらいの、しかも厚みのあるチャーシューが4枚も入っていて、そのため下の麺が見えないのである。しかし、私の感動はこの瞬間がピークであった。以下、実際にチャーシューメンを食べながら、興奮は徐々に衰えていった。第一に、やはりチャーシューの量が多すぎる。これでは麺を食べているのか、チャーシューを食べているのかわからない。そのチャーシューにしても、確かに柔らかくはあるが、ただ柔らかいだけで肉自体のうまみに乏しい。肉が食えればそれだけでいいという育ち盛りの青少年ならこれでよいかもしれないが、人生の幾山河を越えて来た中年男子を納得させることはできない。しかもチャーシューがやや冷たい。調理の過程を見ていたら、冷蔵庫から取り出したチャーシューを奥さんが電子レンジで暖めていた。暖める時間が短かったのであろうが、そもそもチャーシューはあらかじめ冷蔵庫から出して、常温の状態にしておくべきである。第二に、スープが熱々でなく、最初から蓮華でスイスイ飲めてしまう。麺を覆うチャーシューの冷たさのせいもあるかもしれない。伊丹十三の映画『タンポポ』の冒頭、長距離トラックの運転手の山崎努と渡辺謙の二人がラーメン屋「タンポポ」に入るなり、グツグツと煮えていないスープ鍋を目にして、「俺、嫌な予感がする」と山崎努が渡辺謙に言う場面を思い出した。第三に、細かいことだが、煮卵は丸ごとではなく二つに切って入れてくれた方が彩りの点でも食べやすさの点でもよいだろう。

で、この店の今後のために4つの提案。(1)チャーシューの量を減らしてその分値段を下げる(1枚100円計算のようなので3枚にして750円でどうだろう)。(2)チャーシューはあらかじめ冷蔵庫から出しておく。(3)スープはもっと熱く。ただし、あまり煮立たせては灰汁が出たりするだろうから、スープの保温とコクのために背油を入れたらよいのでは。炒めたモヤシもいいかもしれない。(4)煮卵は糸で二つに切って入れる。・・・・次回は娘が美味しいと言った塩ラーメンを注文してみよう。夜遅くまでやっている店なので、二文の授業の帰りにでも寄ってみます。上の提案はもう少し通って、ご主人と話ができるようになったら、言ってみようと思う。余計なお世話かもしれないが、応援したくなる店なのだ。

 

4.29(火)

 放送大学時代の同僚であった坂井素思さんから彼が書いた放送大学のテキスト(印刷教材と放送大学では呼ぶ)が送られてきた。『産業社会と消費社会の現代―貨幣経済と不確実な社会変動』。まず驚いたのはそのボリューム。436頁もある。私も放送大のテキストは3冊書いたが、どれも180頁前後である。それは編集者から「1章あたり400字詰原稿用紙20枚くらいでお願いします」と依頼されたのでそうなったのである(放送授業は1科目15回と決められている)。編集方針が変わったのだろうかと一瞬思ったが、琉球大学の安藤由美さんから送られてきた『現代社会におけるライフコース』(同じく放送大学のテキスト)は207頁なので、そういうことではなさそうだ。想像するに、坂井さんは執筆要領など無視して書きたいだけのことを書いたのであろう(1章あたり原稿用紙50枚見当か)。たんなる放送授業のテキストではなく、独立で存在しえる書物として。いかにも坂井さんらしい。

もう一つ驚いたのは、その内容が多岐にわたることである。15の章のタイトルは次の通り。

1 産業社会と消費社会の起源

2 貨幣―貨幣はいかに社会を結ぶか

3 労働―労働はどのような人間関係を生産するか

4 市場と組織―市場経済のなかになぜ企業が形成されるのか

5 生産と規模―なぜ企業は規模拡大を行うのか

6 管理と経営―なぜマネジメントは必要か

7 ビジネスと産業―なぜビジネスは生まれるのか

8 所有―なぜ財産の意味は変化するか

9 消費と所得―消費社会はいかに成立してきたか

10 サーヴィスーなぜサーヴィス消費は増大するか

11 広告―ブランド広告はなぜ必要か

12       流行―消費社会はなぜ生じるのか

13       余暇―産業社会と消費社会の間の矛盾はなぜ生じるのか

14 環境―経済社会の公共問題はいかに解決されるか

15 産業社会と消費社会のゆくえ

 現代は専門分化の時代で、こういうテーマの多岐にわたる本は複数の専門家が分担執筆するのがふつうだ。『経済文明論』(同じく坂井さんが書いた放送大学テキスト)のときもそうだったけれど、スケールの大きな本を一人で書き上げてしまう熱意と力量は本当に凄いと思う。巻末に載っている参考文献も半端な数ではなく(22頁分もある)、もちろん坂井さんは読んでもいない文献を載せる人ではないから、その読書量にも舌を巻く。坂井さんは私が放送大学で一番インテリジェンスを感じた人である。坂井さんの放送授業(TV)は毎週木曜日の午後5時30分から見ることができる。

 

4.30(水)

 世間ではゴールデンウィークの最中ということになっているようだが、大学は今日も明日も明後日も平常どおり授業がある。去年は確か30日、1日、2日は一斉休講期間だったと記憶しているが、今年はweb登録のトラブルで授業開始が1週間遅れたせいなのか、そういうことにはなっていない。なんとなく損したような気分ではあるが、授業が始まった途端にお休みというのも流れが悪いから、これはこれでよしとしましょう。今日は「社会学研究9」と「社会学演習ⅢD」のそれぞれ2回目の授業があった。「社会学研究9」は、初回はなんだか疲れたが、2回目にして早くも大教室での講義の感覚が戻った感じで、それほど疲れは感じなかった。ただ、同じ授業をやっていて時間が長く感じるのは、去年は2限で今年は3限のせいだろうか。2限は10:40から12:10までなのだが、最後の10分が盲腸のように余計なものに感じられ、切りのよい12:00を終了の目安にしていたので、実質は80分授業であった。しかし、3限は13:00から14:30までなので、14:20を終了の目安にすることがなんとなくためらわれるのである。

3限の授業を終えてから、昼食。「メーヤウ」でタイ風レッドカリーを食べる。5種類ある定番メニューの3番目の辛さのカリー。私にはこのくらいの辛さで十分だ(一度、もののはずみで、一番辛いインド風チキンカリーを注文して、途中でギブアップしたことがある)。「メーヤウ」はランチタイムはいつも混んでいて、ドアの外の階段に人の列ができているが、この時間となるとさすがに空いている。

 5限の「社会学演習ⅢD」はまだ教室の空気が硬い。ほぐれていない。みんななんとなく緊張した面持ちで座っている(どうも私の演習は大変だと思われているふしがある)。それも男女が完全に分離して座っている情景は、私には不自然なものに見える。来週はコンパがあり、グループ研究の班分けも行うから、徐々にほぐれてはいくだろうけれど。


2003年4月(前半)

2003-04-14 23:59:59 | Weblog

4.1(火)

 夜、スキーから帰宅して間もなく、一文の岡崎教務主任から電話が入る。「先行開始科目」の件である。話し合った結果、社会学演習Ⅰ・Ⅱ・Ⅲは当初、全体の授業開始の遅れと関係なく、14日(月)の週から開始する予定であったが、科目登録のために授業に出て来られない学生がいることが予想されるため、方針変更で、他の授業と足並みをそろえて21日(月)の週からの開始とすることに決める。こういう混乱した事態の中では、単純明快な対応の方が賢明であろう。さっそく専修の先生方にメールでこの件を連絡する。

 

4.2(水)

 小学校時代のクラスメートであったMさんから「孝治くん、お元気ですか」で始まるメールが届き、びっくりする(私のことを「孝治くん」と呼ぶのは、私を小さい頃から知っている親戚のおばさんや近所のおばさんだけだ)。先週の土曜日から数日間、Mさんは東京に来る用事があって(Mさんはいま大阪の高校で英語の先生をしている)、小学校時代の友達と蒲田で会ったのだが、その際、私が早稲田大学で教師をしていることを知り、インターネットで検索して、私のホームページを見つけてくれたのだ。「4年間同じクラスだった色黒の女の子のことを覚えていますか?」とあったが、もちろん覚えている。色黒で、頭がよくて、美人の女の子だった。私の社交性の乏しさ故、あまり親しく話したことはなかったが、ひとつよく覚えているのは、林間学校へ向かうバスの中であったか、Mさんと私はバスに酔う体質ということで、揺れの少ない前の方の席に一緒に座らせられたのだが、私は途中でウトウトと居眠りをしてしまい、ずっとMさんの肩に頭をもたれていたことである(目覚めてからそのことを級友から教えられた)。これがもし、「やめてよ、重いわね」と邪険に言われたのなら、Mさんに対する印象もかなり違うものになっていたはずだが、幸いMさんは私を起こさずにおいてくれた。おそらくMさんはこんなことは忘れてしまっているだろうが、人に対する印象というのはちょっとしたことで決まるのである。それ故、私も、電車の中で隣の席の見知らぬ美しい女性がウトウトして私の肩にもたれてきたときは、そのままにしておいてあげることにしている。

 

4.3(木)

 この4月から大学院の私のゼミのメンバーになるI君とAさんが研究室に履修科目の相談にやってくる。I君は人間科学部の出身で、私の大学院時代の先輩である池岡先生の教え子。ずいぶん陽に焼けた顔をしているので、私同様スキーから帰ったばかりなのかと思ったら、なんと南米から帰ったばかりとのこと。若いっていいです。一方、Aさんは文学部の社会学専修を5、6年前に卒業し、実社会でのさまざまな経験を経ての今回の入学。年齢規範の強いわれわれの社会にあって、勉強したくなったら、いつでも入学できる(もちろん試験に受からないと駄目だけど)大学院という場所はとても貴重だ。私は指導教員ということになっていますが、身元引受人みたいなもので、「ああしろ、こうしろ」の指導は行いません。2人とも、自分のやりたい勉強を好きなだけやって下さい。

 

4.9(水)

 松井の満塁ホームランの映像で始まり、フセイン大統領の銅像が引き倒される映像で終わった一日。きわめてテレビ的な一日だった。

 

4.10(木)

 夜、bk1から「発送完了」のメールが届く。予約しておいて村上春樹訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ』が明後日には我が家に届く。楽しみだ。それで思い出した、『村上春樹全作品 1979-1989』全8巻を古本屋で買おうと思っていたことを。これが刊行され始めたのは1990年5月なのだが、当時、私は失業中で、とてもではないがすでに単行本で全部もっている本をあらためて全集版で揃える経済的余裕はなかった。他にもそうやって購入を断念した本がたくさんある。1990年という年は私の読書遍歴(正確には図書購入遍歴)の中での「失われた1年」なのである。光陰矢のごとし。あれから13年が経ち、いま『村上春樹全作品 1990-2000』全7巻が刊行中で、私はそれを購入している。こうなると第一期の作品集も揃えたくなるものである。「日本の古本屋」で検索すると、龍生書林(池上)と西秋書店(神田)の2軒から出品されている。前者は38,000円で後者は24,000円である。さっそく西秋書店に発注しようとして、「待てよ」と思った。8巻で24,000円ということは1巻3,000円ということであり、あまり安い買物ではないのではないか。念のためにbk1で調べたところ、『村上春樹全作品 1979-1989』は現在も流通中の本で、全巻の定価は25,400円であることがわかった。西秋書店の値段より1,400円高いが、西秋書店で購入すると送料に1000円程度取られるから、差はないも同然で、であればわざわざ古本で購入する理由はなくなる(そうなると龍生書林の38,000円という値段は一体どういうことなかひどく気になる。初版本ということか)。実は、昨日、早稲田大学生協の「インタネットサービス利用者」に登録したばかりなので、これを使って生協に注文すれば価格は1割引(22.86円)になる。ただし、bk1に注文するより取り寄せに時間がかかり(bk1では「24時間以内に発送可能」とあった)、しかも本の受取りは生協文学部店でなので、8冊の本は自分で家まで運ばねばならない。まあ、急ぐ必要はないし(もう全部読んでいるわけで)、重いものを運ぶのは運動にもなろう。

 

4.11(金)

 誕生日。49歳になった。

 

4.13(日)

 ホームページを新しいサーバーに移す。これに伴って自宅のパソコンからでもアップロードができるようになった。いままでは研究室のパソコンからでないとアップロードができなかったのだ(自宅のパソコンからでもできたのかもしれないが、どうもうまくftpの接続ができなかった)。そのためこの「フィールドノート」なども数日分、ときによっては1週間分を、大学へ出たときにまとめてアップロードしていたのだが、これからは毎日更新が可能になった(もちろん毎日書けば、の話ですけどね)。

 

4.14(月)

 今週から、7月末まで、週に4日ないし5日の頻度で大学に出る生活が始まる。蒲田から東京までのJRの定期を購入(17,950円)。しかし、大手町から早稲田までの営団地下鉄の定期は購入しない。営団の定期(通勤)は割引率が悪く、週5日コンスタントに使うサラリーマンでトントンくらいなのである。具体的に言うと、大手町―早稲田の3ヶ月の定期代は19,940円であるが、大手町―早稲田の運賃は160円(往復で320円)であるから、週に4.5日(4日の週と5日の週が半々)で3ヶ月(13週)の運賃の合計は18,720円となり、なんと定期の方が高いのである。地下鉄はパスネットに限る。

 日本育英会に在職証明を送る。2年に一度の手続きである。大学院の5年間(修士2年、博士3年)、育英会から毎月いただいていた(正しくは借りていた)奨学金が500万円ほどあるのだが、これは15年間(奨学金を受けた年数の3倍)、大学に勤務すると返済が免除されるのである。実は、この3月末でその15年が経過した(文学部の助手で3年、放送大学の教員で3年、文学部の教員で9年)。やっと年季が明けたというか、晴れてご赦免という気分である。

 bk1からやっと『キャッチャー・イン・ザ・ライ』が届く。メール便というのは遅くていけない。出版されたらすぐに読もうと、早くから予約しておいたのに、街の書店で山済みになっているのを横目にこの数日を過ごすことになった。しかし、ようやく届いたのはいいが、いま、私は原稿に追われていて、読む時間が取れないのである。読むとなれば、十分に時間をとって、一息に読まなくては読んだ気がしない。丸一日、時間が取れるのは、早くて次の日曜日である。それまでは、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を机の上に閉じたまま、ひたすら原稿を書かねばならない。ああ、これは一種の拷問ではないだろうか。