フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

4月29日(木) 晴れ、一時雨

2010-04-30 03:06:37 | Weblog

  9時、起床。ハムトースト、牛乳の朝食。GWは好天に恵まれるようである。二度寝をして昼近くに起きる。妻が、「雨が降ってきた!」といってベランダの洗濯物をあわててとりこんでいる。しかし、雨は一時的なもので、午後からはまた好天になった。
  散歩に出る。駅前商店街の中にある「你好(西口店)」に初めて入る。間口の狭い店で、2階と3階が主たるフロアーになっている。2階がいっぱいで3階に案内される。3階には客がいなかった。「你好」は蒲田では有名な店で、本店、別館、西口店、南口店、大飯店がある。中国残留孤児だった店主が本店を開いたのは1983年12月のことで、それは私たち夫婦が結婚した年であり月でもある。「羽根付き餃子」で有名な店だが、餃子は妻の得意料理なので、わざわざ外に食べにいくことはなかったが、今日は定食の餃子とレタスの炒飯のセットを注文した。最初に餃子が運ばれてきた。なるほど、これが羽根付き餃子か。香ばしくて美味しい。少し間があって、レタス炒飯が運ばれてきた。これもよく火が通っていて美味しい。炒飯が美味しければ他のメニューも美味しいというのが、私なりの中華料理店の判断基準である。他のメニューもあれこれ注文してみたくなった。


  食後の珈琲は「シャノアール」で。1時間ほど読書。店を出るとチンドン屋さんの周りに人だかりができている。チンドン屋さんが物珍しい時代になって久しいが、女性の多い一座で、華やかだ。

  久しぶりにジムに行ってみたところ、木曜は定休日であることを忘れていた。運動する気満々だったので、せめて散歩をしようと、東邦医大通りを梅屋敷まで歩く。途中、「鳥久」で鶏の唐揚げを4つ購入。夕食はカレーライスと聞いていたので、カレーに入れて食べるとよいかと。揚げたての熱々だったので、我慢できずに、その場で一つ頬張る。う、うまい。唐揚げは3つになってしまったが、息子は今夜はコンパがあるとかいっていたから、家で夕食は食べないであろう。そうだ、そうだ。「琵琶湖」に立ち寄り、オレンジフロートを注文。1時間ほど読書をしてから、帰宅。風呂を浴びてから、唐揚げカレーを食べる。娘も夕食は外で食べるそうなので、3つの唐揚げを妻と分けて食べた。


あやめ橋の交差点


東邦医大通り


東邦医大通り


「鳥久」の店頭


「琵琶湖」のオレンジフロート


「琵琶湖」を出る


梅屋敷商店街


街灯がともる


4月28日(水) 雨のち曇り

2010-04-29 10:36:04 | Weblog

  8時、起床。個人的かつ実質的なGW初日である。自然と早く目が覚めてしまう。雨が降っていても微笑んでしまう。焼ソーセージ、トースト、紅茶の朝食。フィールドノートを更新し、GW明けの授業の準備をする。
  午後、散歩に出る。雨に濡れた新緑。「オレンチーノ」で醤油煮込みうどんを食べる。デザートにお焼(餡)を1つ。食後の珈琲は「シャノアール」で。読書をしながらウトウトする。

  有楽町のみゆき座に『ハート・ロッカー』を観に行く。アカデミー賞6部門(作品、監督、脚本、編集、音楽編集、録音)を受賞した作品である。上映時間は2時間ちょっとだが、途中で何度か腕時計を見る。退屈な映画のときに出る仕草だが、今日の場合は退屈だからではなく、緊迫した場面の連続から早く解放されたいためである。遊園地のお化け屋敷から一刻も早く外に出たい子供のような気分だった。イラクに駐留する米軍の爆弾処理班の話だが、爆弾を処理する場面のハラハラ、ドキドキだけがこの映画の重圧感の理由ではない。ハンドカメラで撮影された映像がノンフィクション的な臨場感をもらたしていることももちろんだが、主人公たちを遠巻きにして、街路から、あるいは家の窓から眺めているイラクの市民たちのまなざしが何とも重苦しいのだ。これに比べたらかつて日本を占領した米軍兵たちが浴びたまなざしの何と友好的であったことだろう。死と隣り合わせの、報われない仕事に従事する主人公たち。主人公がサイボーグか、完全にいかれたしまった精神構造の持ち主なら、観客も一種のアクション映画と割り切って観ていられるのだろうが、正気と狂気、親密さと孤独の間で激しく揺れる主人公の姿はあまりに人間的で、主人公=不死身というアクション映画のお約束はここにはないわけだから、任務明けまでの日数が「38日」からカウントダウンされていっていよいよ「2日」というあたりに来ると、はたして主人公は生還できるのか、それとも殉職してしまうのか、一体どっちの結末なのかとハラハラ、ドキドキし、しかも、映画の結末はそのハラハラ、ドキドキを越えたさらにその先にあったという、思わず、「う~む」と唸ってしまう映画なのだった。この作品がアカデミー賞を受賞したということから、アカデミー賞はやっぱりアメリカ人のものなのだなぁ、と改めて思った。


春の暮れ家路に遠き人ばかり 蕪村


4月27日(火) 曇りのち雨

2010-04-28 11:04:02 | Weblog

  9時、起床。炒飯の朝食。午前中、いつもの外壁塗装(今日で完了)の職人さんに加えて、床下のシロアリ対策の業者さんが来て、防虫剤の注入をしていった。作業が終ってから作業工程を逐一撮影したデジタル写真をTVの画面で見ながら説明を受ける。たしかに外壁の塗装作業と違って、床下での作業は何をやっているのか(いないのか)がわれわれには見えない。だからこういう説明を行うのだろう。もっとも悪質な業者は別の家で撮った写真を使って、あたかも作業をやったように見せるらしいから、結局は、信頼関係でやっていくしかない。
  午後から大学へ。4限は「現代人間論系総合講座1」。先週が休講だったので2週間ぶりである。来週はGWでまた1週あいだが空く。
  5限は空き時間。遅い昼食をとりに出る。「maruharu」のサンドウィッチか、「メルシー」のチャーシューメンか、どちらにしようか迷い、馬場下の交差点で、横断歩道の信号が青になっている方向へ行こうと決める。はたして直進する横断歩道(メルシー)は赤、左折する横断歩道(maruharu)は青だった。二日連続の「maruharu」に決定。今日は本日のサンドウィッチ(照り焼きチキン)とスープ(茄子のポタージュ)にありつけた。いま、キャベツが一個400円(普段の2倍)もして大変ですが、GWが明けるころには高原キャベツの出荷が始まるので急落するかもしれません、とマダムが言っていた。
  6限は演習「現代社会とセラピー文化」。GW明けからのグループ発表のグループを決める。12グループで各グループ4人ないし5人。案外すんなり決まる。これは近年の傾向である。以前は、人数不足のグループへの移動を促しても、、「どうしてもこのグループ=テーマがやりたい」と言ってなかなか学生が動かず、最後は、「しょうがないな、では、ジャンケンで」となったものだが、最近は私があれこれ言わなくても、集団の自動調節機能が働いて、各グループに学生が過不足なく配置される。
  授業が終って、電子辞書の忘れ物があることに気づく(前の時間からあったのものかもしれない)。仏和辞典が入っているからフランス語を履修している学生だろう。それなりの価格のものである。黒板に、電子辞書の忘れ物があったので事務所に届けましたと書いておく。さて、帰ろうかと思って、4限の授業をやった教室に本を忘れてきたことに気づく。7限の終る時間まで研究室で雑用を片付けて時間をつぶし、教室に行ってみると、ちゃんと教卓の上にその本があった。忘れ物をしても戻ってくるという記録をまた1つ更新した。さきほどの電子辞書もちゃんと持ち主に戻りますように。
  10時半、蒲田着。「中華つけ麺大王」で肉入りつけ麺を食べる。明日は会議の予定はないので、事実上、明日からGWの始まりである。旅行とかの予定はない。午前は授業の準備、午後は散歩(リクリエーション)、夜は研究、このサイクルがきちんと守れればそれでいい。



4月26日(月) 晴れ

2010-04-27 11:14:27 | Weblog

  9時、起床。今日も晴れている。晴れているとほっとするのは、外壁塗装の工事が進行するからである。外壁の塗装は今日であらかた終るはずだ。当初2週間の予定だったものが、雨のせいで、2倍かかってしまった。ベーコン&エッグ、トースト、牛乳の朝食。
  午後から大学へ。月曜は授業も会議もない日だが、今日が締め切りの書類を事務所に提出しなければならないのだ。長田先生、岡部先生の研究室にうかがって提出書類の最後の確認。
  昼食は「maruharu」で。本日のサンドウィッチも本日のスープも今日はなくなってしまったとのこと。それは残念。しかし、売り上げ好調はよいことである。バゲットにカマンベールチーズとサーモンとレタスを挟んでもらう。それと珈琲。マダムとおしゃべりをしながら、外の様子を見ていると、入口の小さなホワイトボードに書かれた品書きを立ち止まってながめる人がたまにいる。しかし、お店に入っては来ない。今度入ってみようと思っているのかもしれない。こちらから道を歩く人が見えるが、向うからもこちらが見える。ときどき視線が合う。大教室での授業をとっている学生が、授業のBBSに「先日、大久保先生がmaruharuにいるところを目撃しました」と投稿していた。書き込みは授業の感想だけでいいですから。


  あゆみブックスで以下の本を購入。

  川西政明『新・日本文壇史』第二巻(岩波書店)
  バーバラ・エーレンクライン『ポジティブ病の国、アメリカ』(河出書房新社)
  岸見一郎『アドラー 人生を生き抜く心理学』(NHKブックス)
  福岡伸一『ルリボシカミキリの青』(文藝春秋)
  柴田元幸『ケンブリッジ・サーカス』(スイッチ・パブリッシング)

  蒲田に着いて、電車の中でずっと読んでいた清水真木『これが「教養」だ』の続きを、「シャノアール」で切りのいいところまで読む。なかなか面白い。彼によれば、そもそも「教養」というものは、18世紀のヨーロッパの市民社会で、人々の生活が公共圏(政治)、私有圏(職場)、親密圏(家庭)の3つに分裂していく過程で、それらを統合するものとして求められたものである。

  「具体的に申せば、職場での役割、家庭での役割、政治の場面での役割の他にもう一つ、家庭内での立場からも独立した、政治的な主張からも独立した、職場での地位からも独立した、つまり、いつ、どこで何をしているときにも変化することのない「自分らしさ」なるものを見つけ出すということであります。・・・(中略)・・・「自分らしさ」なるものをあいだに立て、家庭と職場と政治のあいだの折り合いをつける、つまり、生活の「交通整理」をすることが期待されたのであります。・・・(中略)・・・この新しい「自分らしさ」を見つけ出すプロセスと、このプロセスの結果として見出されるはずの「自分らしさ」こそ、本来の意味での「教養」と呼ぶべきものに他なりません。」(41-42頁)

  このように考えると、一人一人の教養はオーダーメードの服のようなものであるわけだが、実際に歴史の中で生じたことは、教養の堕落形態としての既製服の普及だったということになる。「自分らしさ」が「人間らしさ(人間性)」という万人に妥当する概念にすりかえられてしまったのである。文学、音楽、美術、歴史・・・といったわれわれが「教養」という言葉からすぐに連想するものは、本来、教養とは何の関係もないものだったというのが清水真木の主張である。

  「「教育」「文化」「古典」「読書」等々は、教養とは関係のないものでありますのに、教養にピッタリと寄り添っているように見えます。いや、教養にへばりついているおります。そのために、外からは、教養の「お友だち」のように見えます。ところが、教養の方からしてみますと、この連中は、見ず知らずの他人、「あかの他人」なんであります。どういうわけか黙ってにじり寄ってきて、自分に抱きついている、あまり気持ちのよくない連中なんであります。見ず知らすの大勢の他人に黙って抱きつかれたら、誰でも気味が悪いはずです。・・・(中略)・・・当然、教養について語る作業の多くは、教養を教養でないものから切り離す作業というものによって占められることになります。言い換えますと、教養について語る言葉の大部分は、教養をめぐる誤解について語る言葉ということになってまいります。そして教養の歴史とは教養の誤解の歴史であることが否応なく明らかになってまいります。」(13-14頁)

  なるほどね。清水真木の祖父、清水幾太郎に彼が清水研究室談話会で行った報告を活字にした『戦後を疑う』(1980)という本があるが、清水真木の『これが「教養」だ』は、その「教養」編ともいえるもので、『教養を疑う』というタイトルの方が相応しいような気がする。実際、すでに清水真木は『友情を疑う―親しさという牢獄』(中公新書、2005)という本を出しているのだから、「○○を疑う」シリーズでタイトルを統一する手もあったと思うが、出版社が別々だとそういうわけにもいかないのだろうか。多元化し、分裂し、流動化した生活を生きる現代人(われわれ)の問題を考えるという視点から、本書は、現代人間論系の学生たちにも読んでほしいと思う。

  読売新聞の今日の夕刊の一面に「手乗りスズメ出現」という見出しの記事があって、公園で人の手のひらに乗って、パンくずをついばむ雀たちの写真が載っている。こうした「人慣れスズメ」が各地で増えているという(ただしスズメの数そのものは過去20年で半減しているそうだ)。昔、学生の頃、ロンドンの公園を散歩していて、まるで鳩のように人間から餌をもらっている雀たちの姿をみて、「なるほど、ロンドンの雀は社交的だ」と感心した記憶があるが、30年後のいま、その情景が日本でも見られるようになったわけだ。うちの小雀は手乗り(肩乗り、頭乗り)だが、ただそれだけではもう誰も感心してくれなくなるだろう。何か芸をしこまなければ・・・(そういう話ではないか)。教養を身につけさせなければ・・・(そういう話でもないか)。


はい、頑張ります!


4月25日(日) 晴れ

2010-04-26 10:36:37 | Weblog

  9時、起床。今日は晴れている。ハムトーストとアイスティーの朝食。午前中にブログの更新。本当はブログの更新は当日の就寝前に済ませたいのだが、途中で眠くなることが多く、眠いのを我慢して書くのは身体にも文体にもよろしくないので、書いたところまでを保存して、続きは翌朝書くことが最近は多い。
  午後、散歩に出る。「テラス・ドルチェ」で昼食をとる。生姜焼きライス+珈琲。日記(ほぼ日手帳カズン)を付けつつこの一週間を振り返る。先週は、途中で母の体調不良や会議が続いたりで、少々疲れた。今週は前半がんばればGWに入るので、なんとかいけるだろう。


生姜焼きライスが最近のお気に入り

  ユザワヤの文房具舘で雀のデザインのスタンプを購入。何かで使えるだろう(使えないかな)。


これ、雀だよね?

  「シャノアール」で、『社会学評論』の最新号の特集「記憶と場所―近代的時間・空間の変容ー」の中の一篇、桜井厚「ライフストーリーの時間と空間」を読む。昨日届いた日本社会学会のニュースレターで告知があったが、11月に名古屋大学で開かれる大会のシンポジウム「時間と経験の社会学」(仮)で報告することになっているので、関連のありそうな文献には目を通しておかなくてはならない。
  栄松堂で新書を10冊ほど購入。主として演習「現代社会とセラピー文化」のための参考文献である。

  前島賢『セカイ系とは何か ポスト・エヴァのオタク史』(ソフトバンク新書)
  日垣隆『折れそうな心の鍛え方』(幻冬舎新書)
  押生守『凡人として生きるということ』(幻冬舎新書)
  香山リカ『スピリチュアルにハマる人、ハマらない人』(幻冬舎新書)
  香山リカ『しがみつかない死に方』(角川ONEテーマ21)
  根元橘夫『「いい人に見られたい」症候群 代替的自己を生きる』(文春新書)
  斉藤孝『退屈力』(文春新書)
  勝間和代『自分をデフレ化しない方法』(文春新書)
  高橋昌一郎『知性の限界 不可測性・不確実性・不可知性』(講談社現代新書)
  清水真木『これが「教養」だ』(新潮社新書)

  最後の清水真木の本は、第3章で戦後日本の知識人(教養人)の典型としての加藤周一批判が展開されているのが注目されるが、内容はひとまずおくとして、目を引くのが文体である。「ございます」調で書かれているのだ。

  「さて、急に話を変えてまして恐縮ですが、加藤周一(一九一九-二〇〇八)という人がおります。最近亡くなった、大変に有名な評論家であります。とてもおっかない顔をした人でありまして、日本国憲法を守るとかいう「九条の会」だったでございましょうか、そういう集団のメンバーでございました。/加藤周一という人は、やることなすこと、そのすべてが、なぜかとても高く評価されている人でございます。研究者、特に人文科学系の研究者の間では、「加藤周一の意見に賛成しないような人間はインテリではない」という鬱陶しい空気すらございます。たしかに、主張がわかりやすい人であります。また、善意や悪意、無知にもとづく誤解に苦しめられる危険、そんな危険を伴う深みとは縁のなさそうな人であります。」(108頁)

  「あとがき」に書かれているが、本書は「書き下ろし」である。「語り下ろし」ではない。清水真木は自分よりも相当に年上の普通の人々を聞き手に想定して、語るように書いたのだ。言うまでもなく(といってもほとんどの人は知らないだろうが)、清水真木の母方の祖父は清水幾太郎である。私は清水幾太郎と直接に会ったことはないが、「土曜論壇」というラジオ番組で彼の話を聴いたことがあり(見かけによらず太い声だった)、そのときの彼は「ございます」調で話していた。おそらく清水研究室談話会でも「ございます」調で話をしていたのだろうと思う。つまり、私が思うに、清水真木は祖父の文体(語り口)を模倣しているのだ。彼は自分をかつての清水研究室談話会のゲストスピーカーに想定して語っているように思う。