フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

2004年10月(後半)

2004-10-31 23:59:59 | Weblog

10.15(金)

 ひさしぶりの青空である。せっかく買ったiPodを自宅でパソコンに向かっているときに使うだけではもったいないと、今日は家を出るときシャツの胸ポケットに入れて、駅までの道程、中島みゆきを聴いた。最初の曲が「地上の星」。ご存じ「プロジェクトX」のオープニングテーマ曲である。職場に向かうときに聴くと高揚感がある。もしこれから会議でもあって、誰も引き受けないような委員の仕事を誰がやるかなんて事態に遭遇したら、思わず手をあげて、「私にやらせてください」と(田口トモロヲの口調で)言ってしまいそうである。あぶない、あぶない。専修主任を長谷先生に引き継いで、ようやく身軽になったばかりなのだ。しばらくはこの身軽さに浸っていたい。3限の大学院の演習は、先週途中で終わったN君のミスチルをテーマにした報告の続きと(「イノセント・ワールド」が教室に流れた)、Uさんの江戸時代から現代までの礼儀作法の指導の変遷をテーマとした報告。4限の空き時間、去年の卒論ゼミの学生で、いまは司法書士試験の勉強をしているKさんが研究室に顔を出してので、「カフェ・ゴトー」にケーキを食べに行く(私はこれが本日の昼食)。Kさんの手提げがパンパンに膨らんでいるの見て、「何を持ち歩いているの?」と尋ねたら、研究室に来る前に早稲田の古本屋街を歩いて購入した文庫本が10数冊入っているとのこと。うん、うん、古本屋の梯子をするとそういうことになりやすい。本というのは、一冊一冊はそれほどでなくても、まとまるとけっこうな重量になる。わかってはいるが、気づいたときにはたいてい手遅れなのだ。5限の卒論演習は本日の報告者3人がなかなかやってこない。3人とも他の誰かが先にやっていてくれるものと勝手に思いこんでいるのだろう。困ったものである。30分ほど遅く始まり、終わったのは7時半ごろだった。昼食はケーキだけだったので、腹ぺこである。帰宅して、栗ご飯と鯖の塩焼きと茄子の味噌汁の夕食。熱い味噌汁が美味しくて3杯もお代わりをした。

 

10.16(土)

 台風一過の青空は昨日一日だけのものだった。朝から薄曇りで、しかも気温が低い。私はこの時期の段差の大きい冷え込みを徹底的に苦手としている。ついこの間まで家ではTシャツ、半パンで過ごしていたが、今日はジャージの上下にフリースのベストである。一歩も外に出なかった。娘も今日は外出しなかった。ただし、それは寒さのためではなく、ふだん散らかし放題にしている自室の掃除のためである。実は明日、「彼氏」を初めて我が家に連れてくるのである。そのような人物の存在はすでにわれわれの感知するところではあったのだが、知らぬ振りを通してきた。尋問によってではなく、自発的な告白によって事実が公開されるのを待っていた。あるいは、じわじわと包囲網を狭めていって、自発的な告白をせざるをえない状況に追い込んでいった。追い込みながら、ルパン三世を追い詰めつつ彼が包囲網をスルリとかわして逃亡してくれることを望んでいる銭形警部のように、決定的な事実が娘の口から語られることを回避したい気持ちが私にはあった。1985年11月25日、娘は大森の日赤病院で生まれた。分娩室の前の廊下で、タオルにくるまれた娘を医師から受け取ったとき、そのあまりの小ささと軽さに驚いたことはよく覚えている。それから18年10ヶ月と20日余り。体重は妻に及ばないものの(及んだら大変だ)、すでに身長は妻に追いつき追い越している。生意気な口を利き、ときに女らしい仕草をみせる。時は満ちたのである。

 

10.17(日)

 K君(としておこう)やってくる。娘の「彼氏」が来たらどう応対しようか、あれこれ考えていた。第一案、田中邦衛風(もちろん『北の国から』の)。「よく来たね~。さあ、入って、入って。いま、熱いお茶入れるからね~。あっ、珈琲の方がいいかい?」 第二案、田村正和風(『さよなら、小津先生』の)。「(読みかけの本から顔を上げ、眼鏡を少し下にずらして彼を見て)君、『檸檬』って漢字書けるか? じゃあ、『薔薇』は?」 第三案、高倉健風(『鉄道員(ぽっぽや)』の)。「・・・・(無言)」。しかし、結局は、「気さくで、ものわかりのよさそうな」父親を演じることになった。K君の家は神楽坂にあるので、神楽坂界隈の話で間を持たせることが出来た。「鳥茶屋なんかには、ときどきオヤジに、いや、父に連れて行ってもらいます」とK君。私は自分の両親のことを他人に話すときに「お父さん、お母さん」と言う若者を見ると情けない気持ちになるので、ちゃんと「父」と言ったK君に1ポイント。手土産に持ってきたのは地元のパン屋「ベッカー」のパンである。私の母が糖尿病でケーキなどは食べられないことを考慮してのことらしい。もう1ポイント。これは後で母から聞いたことだが、K君は玄関で靴を脱いだとき、靴を180度回転させ、爪先を向こうにして揃えたそうだ。さらに1ポイント。「彼女」の父親を前にしてK君はかなり上がり気味で(無理もない)、おそらく普段よりも饒舌で、しかし、娘は側から助け船を出すでもなく、ニヤニヤしながら、飼い猫の背中を撫でたりしている。面接(?)の時間は15分くらいだったろうか。「じゃあ、よろしくね」と言って、私は散歩に出た。川崎の「ダイス」に行き、1階の「さくらや」でiPodの各種アクセサリー(ケース、ボイスレコーダー、ヘッドホン)を購入。13,000円也。5階の寿司屋で昼食。2,000円也。4階の「東急ハンズ」で文具を購入。2,000円也。3階の「あおい書店」で本を12冊購入。26,000円也。帰りに川崎ステーションビルの2階でやっていた古本市を覗いて、本4冊と絵(印刷)一枚を購入。3,000円也。合計46,000円は一回の散歩での出費としては多過ぎる。たぶん何かストレスフルなことがあったのだろ。

 

10.18(月)

 最近、iPodをいろいろな場所で使ってみて思ったことだが、iPod(でなくても構わない)で音楽を聴くのに一番適した場所は本屋だ。立ち読み中でもいいが、できれば大きな書店では珍しくなくなった座り読み用の椅子に座ってBGMとして聴くのがいい。周囲の世界から遮断されるので、読書の集中力が高まる。ただし歌詞のある曲は駄目で(目からの文字情報と耳からの音声情報がバッティングする)、バロック音楽なんかがBGMとしては最適かと思う。反対に、一番適さない場所は、散歩の時の路上だ。散歩というのは周囲の世界との交渉であるから、五感全部が世界に対して開かれていなくてはない。街の風景を見、街の風を肌に感じ、街の音を聴き、街の匂いを嗅ぎ、小腹が好いたらどこかの店の暖簾をくぐらなければならない。散歩をしながら音楽を聴くことは、周囲の世界と自分との間に薄いシールドを貼ることになる。たんに聴覚を奪うだけでなく、他の感覚のレベルも引き下げるように思う。ただし、散歩ではなく、通勤通学の路上であれば話は別だ。同じく路上を歩く行為ではあっても、散歩と通勤通学はまったく違うものだ。一方は精神の解放であり、他方は社会制度への従属である。だから通勤通学の路上で音楽を聴くことはこの従属感の緩和に役立つだろう。電車の中で聴くのは、音漏れで隣に座っている人に迷惑をかけていないかが気になって、あまり楽しめない(これまで逆の立場で迷惑を感じることが多かったのだ)。ところで、今日、面白いものを買った。ホルンスピーカーと言って、内部が巻き貝のような構造になっているプラスチックのボックスなのだが、両側面にイヤホンをはめ込む穴が空いていて、イヤホンの小さな音が巻き貝の中を通って出てくる間に、トランペットやホルンと同じ原理で、大きな音になるというものである。無論、普通のスピーカーに比べて音質は劣るが、安価(1,980円)でコンパクト(8センチ四方で厚味は2センチ)なところがいい。大教室では無理だが、演習規模の授業なんかで、iPodに入っている曲を教材として使うときなどに向いていると思う。

 

10.19(火)

 超大型の台風23号(アジア名「トカゲ」・・・変な名前だ)が近づいてきている。大正大学では早々に明日(20日)は全学休講と決まったらしい。しかしずいぶんと早い決断だな。この前の台風のとき何かあったのだろうか。うちの場合は、授業開始時刻の2時間前までに23区西部に気象警報(大雨警報とか暴風警報とか)が出ない限りは休講とはならない。もっとも警報はよく出るんですけどね。私の明日の授業は3限と5限である。その頃はどうなっているだろう。休講になるかもしれないと思うと、授業の準備をしていてもいまひとつ身が入らない。調査実習のインタビュー調査も3件入っているのだが、やれるだろうか。担当の学生にメールを出して、気象情報に注意して、決して無理はしないように伝える。夕方、二文の基礎演習の学生が2人、専修変更の相談に来ることになっている。変更の手続きの締め切りは明日だから、もし明日天候がひどくなって大学へ来られないと困ったことになる。台風でやきもきすることの多い今年の秋である。

 

10.20(水)

 3限の「社会学研究9」は家族の物語の舞台である住宅の変遷をテーマにした話。途中、公団住宅(2DK)の誕生の物語を扱った「プロジェクトX」のビデオ(私が編集して作った短縮版)を流そうとしたら、映像が乱れて使えなかった。レンタルしたオリジナルテープにコピーガードが付いていたのかもしれない。こんなことならオリジナルをもってきて省略部分を早送りで飛ばしながら流せばよかった。5限の調査実習はいつもより学生の集まりが悪い。台風も接近していることなので、調査の進捗状況を確認して早々に切り上げる。二文は遅かれ早かれ警報が出ることを予測して6・7限を休講とすることに決めたが、担当している基礎演習の学生が数名、専修変更の相談に来ることになっているので6限の時間は研究室で待機。いつものことながら表現・芸術系専修への変更がほとんどである。帰宅してしばらくすると、窓を叩く雨の音が一段と激しくなった。

 

10.21(木)

 午前、病院で術後の経過観察のための検査(レントゲンと検尿)を受ける。結石の破片も残っていないし、新しい結石が出来ている様子もなく、潜血反応もない。除去した結石の成分分析の結果も問題なし。会計を済ませて、自転車に乗って帰ろうとしていたところに妻から電話が入る。検査の結果を気にしているのかと思ったら、そうではなくて、帰りにマルエツで安売りをしているアクエリアスのペットボトルを一箱買ってきてくれという電話だった。荷台に箱をくくりつける紐がないから無理だというと、じゃあ前の篭に入るだけで買ってきてと言う。結局、4本買って帰る。

午後、飯田橋ギンレイホールにシャーロット・ランブリング主演の『スイミング・プール』を観に行く。家を出てしばらくして財布を忘れてきたことに気がついた。しかし、スイカ、パスネット、シネマクラブの会員証はパスケースに入っているから、行って、観て、帰っては来られる。館内での飲食と映画観を出た後の「紀の善」を我慢すればよいだけだ。このところ出費がかさんでいるので、ちょうどいいかもしれない。映画館は上映開始の10分ほど前に着いたのだが、ほぼ満席状態。『キルビル2』のときは今日と曜日も時間も同じだったが、ガラガラだった。平日の昼間に映画館に足を運ぶのは圧倒的に女性が多いから、女性客に人気のある映画かどうかで混み具合が左右されるのだろう。『スイミング・プール』は、ランブリング演じるイギリスの初老のミステリー作家が、新作の執筆のために出版社の社長が所有している南フランスの別荘にやってきて、そこに突然現れた社長の娘との間にギクシャクした関係が生じるのだが、娘が起こしてしまった殺人の証拠を消すのに手を貸すはめになり・・・・という話。どこかの時点で、現実の世界から作家の頭の中にある新作のミステリーの世界に話が移行し、最後の場面で、殺人は現実の世界の出来事ではなかったことが明らかにされるのだが、あまり「してやられた」という感じはなかった。映画の中で一番印象に残ったのは、ランブリングがノートパソコンのキーボードを打つときのエレガントな指の動き。まるでポリーニがショパンの練習曲を弾いているみたいだった。もちろん、実年齢で60歳近い彼女のオールヌードにはびっくりした。

 

10.22(金)

 3限の大学院の演習は、私が主査であるI君の修士論文の途中報告。I君に限らないが、修士2年生はこらからが胸突き八丁である。発表すれば何か言われる(たいていは疑問点の指摘)。しかし根本からやり直すだけの時間は、修士をもう1年やると決断しない限り、残されていない。それは5限の卒論演習の面々も同じことで、締め切りまで残り2ヶ月を切って、いよいよお尻に火がついてきたのであろう、週に一度の演習の時間の外で個人指導を求めてくる学生が増えてきた。

 台風の影響で野菜の価格が急騰している。帰路、蒲田駅前の「銀だこ」で「ねぎたこ」(夏の限定商品が定番商品になったのだ)を買おうとしたら、店員が「ねぎがないのですが、それでもよろしいですか?」と聞いてきた。一瞬、意味がわからなかった。「ねぎ抜きのねぎたこ? それはねぎたこじゃないだろう・・・・」と、手のひらを振って店頭を離れたが、あれはたまたまあの店がねぎを切らしていたのだろうか、それとも「銀だこ」全店でそうなのだろうか。

 

10.23(土)

 午後、学会関係の会合があって大学へ。夕方、その会合が終わって研究室で書類の整理をしていたら、立て続けに地震があった。いまから帰るという電話を自宅に入れたら、新潟の方で震度6の地震があったらしいと妻が言った。地下鉄に乗っているときまた地震があり、少しの間、電車は飯田橋駅で停まっていた。帰宅すると、テレビ東京以外は、どのTV局も地震関連の報道特番になっていた(テレビ東京は大喪の礼のときも通常の番組をやっていたと記憶しているが、一つの考え方かと思う)。新潟には父の姉の一家が住んでいる。母が電話を入れてみたが、回線が混んでいて繋がらなかった。

 夕刊に本多孝好という作家を紹介する記事が載っていた。知らない作家だが、記事を読んで興味を覚えた。慶応大学を卒業した翌年、「眠りの海」という短篇で第16回小説推理新人賞。しかし、最初の作品集『MISSING』を出すまでに5年間の空白がある。「プロの作家としての蓄積不足を感じ、ひたすら映画を見て小説を読み物語の形に触れていた。社会人として歩み出した同世代を横目にエアポケットに落ちたような時間。」と記事にある。「作家歴十年で発表した本は四冊だけ。エンターテインメント作家としては寡作だ。」とも書いてある。この作家の作品を読んでみる気になり、夕食後、『復活書房』に出かける。私と同じようにこの新聞記事を読んで彼の作品を読んでみようと思っている人間はほかにもいるだろうから、リサイクル本屋に行くのは今日のうちがいいと判断したのである。はたして彼の四冊の本のうち一冊だけ、『ALONE TOGETHER』(双葉社、2000)が棚に並んでいた。迷わず購入。ついでに日垣隆『そして殺人者は野に放たれる』(新潮社、2003)、信田さよ子『家族収容所』(講談社、2003)、中野日出男『アンドレ・マルロー伝』(毎日新聞社、2004)も購入。帰宅して、『ALONE TOGETHER』を読み始める。夜が更けてからも何度か余震を感じた。

 

10.24(日)

 昼、菩提寺(下谷の泰寿院)のお十夜法要に妻と出向く。今回のお十夜法要は住職の交代の儀式を兼ねて行われた。58歳の現住職は、浄土宗北米開教区の総監をされていて、大正大学在学中のご子息が住職代行を務めていたが、そのご子息がこの4月に大学を卒業し、住職を継ぐことになったのである。23歳の文字どおりの若僧は、眉目秀麗(元シブがき隊のモックンこと本木雅弘に似ている)、今風に言えばイケメン住職である。新任の挨拶はいくらか声が上ずっていたが、それがかえって集まった檀家衆の間にみんなでこの若い住職を支えていこうという連帯感のようなものを生んでいた。帰路、蒲田駅東口のブックオフに寄って、堀江敏幸『雪沼とその周辺』(新潮社、2003)を購入。

 夜、本多孝好『ALONE TOGETHER』を読み終える。他人の本心(というよりも、心の闇)と交信することのできる特殊な能力(あるいは、一種の呪い)をもった青年が主人公の物語。透明人間になってどこでも出入りできたら・・・・というのは誰でも一度は夢想したことがあると思うが、他人の考えていることがわかったら・・・・というのも同じであろう。しかし、主人公の能力はそれとは似て非なるものである。彼の能力は、他人に知られずに他人の心を内を垣間見ることではなく、他人と意識の深いレベルで交信することである。彼がその能力を使うとき、相手は驚いたり、拒絶したりしようとするが、結局は、彼と交信することで、それまで抱えていた心の澱から解放される。ただし、心の澱から解放された結果は、必ずしも世間一般の目から見て幸福なものではなく、むしろ反社会的なものである場合が多い。それは考えてみれば当然のことで、人をがんじがらめに縛っているのは社会一般の通念や制度であるからだ。本多孝好は「村上春樹の甥」のような感じがする。その端正でクールな文章はあきらかに「伯父さん」譲りのものだが、「伯父さん」の世代が他者とのコミュニケーションの過剰から撤退して世間との間に意識的に距離を置いた生き方をしてきたのに対して、「甥」の世代は最初から「コミュニケーション不全症候群」(中島梓)の中で生きていて、にもかかわらずではなく、まさにそれゆえに、他者との深いコミュニケーションを欲している。主人公の不思議な能力はそうした欲望の寓話的な表現であるが、その欲望には他者と深いレベルで交信することの不安と恐れが伴っている。『ALONE TOGETHER』は2000年10月に出た本で、4年間も知らずにほっておいたことが悔やまれる。彼の他の3冊(近々新作が出るそうなので4冊になる)も読んでみようと思う。

 

10.25(月)

 夏の間は散歩は夕方と決まっていたが、だんだん日が沈むのが早くなり、冷え込むようになってきたので、今日はお昼に散歩に出た。「やぶ久」のすき焼きうどんで腹ごしらえをしてから、南天堂書店を覗いて、以下の5冊を購入。

(1)       小路幸也『空を見上げる 古い歌を口ずさむ』(講談社、2003)*735円

(2)       小路幸也『高く遠く空へ歌ううた』(講談社、2004)*735円

(3)       小路幸也『Q.O.L』(集英社、2004)*1134円

 たぶん同じ客が売った本なのだろう。同じ著者の本が3冊並んでいて、知らない名前の作家だが、最初の部分を読んで読むに値する作品だと感じたので、3冊まとめて購入することにした。

(4)       伊集院静『ぼくのボールが君に届けば』(講談社、2004)*735円

 この人の短編小説(しかも野球少年もの)は信頼している。家に帰って気づいたのだが、著者のサイン本であった。

(5)       モイラ・アンダーソン『ペットロスの心理学』(インターズー、2001)*1050円

 いまやペットは家族であるから、家族社会学の参考文献として。

 続いて、栄松堂を覗いて、以下の4冊の新刊を購入。

(6)       亀山郁夫『ドストエフスキー 父親殺しの文学』上下(NHKブックス、2004)

日曜日の新聞の書評欄で米原万里が本書を絶賛していたので。

(7)       大崎善生『別れの後の静かな午後』(中央公論新社、2004)

彼が雑誌『将棋世界』の編集長をやっていたときからの読者なので。

(8)       田中秀臣『日本型サラリーマンは復活するか』(NHKブックス、2004)

(9)       斎藤孝『生き方のスタイルを磨く スタイル間コミュニケーション論』(NHKブックス、2004)

上記2冊は『ドストエフスキー 父親殺しの文学』を買ったときについでに買ったもの。

最後に熊沢書店を覗いて(栄松堂と有隣堂には置いていなかった)次の本を購入。

(10)  本多孝好『MISSING』(双葉文庫、2001)

本多のデビュー作品集。文庫で35万部売れているらしい。彼の他の2冊の本、『FINE DAYS』と『MOMENT』は「日本の古本屋」を通して注文した。

 

10.26(火)

 私にとっての風邪の初期症状である、喉の痛み、寒気、そして首・肩・背中の筋肉痛が出る。このところの冷え込みと寝不足と土日に十分に休養が取れなかったせいであろう。明日から3日連続で授業があるので、かかりつけの近所の内科医院に行って抗生物質と鎮痛剤を処方してもらう。

 

10.27(水)

 3限の「社会学研究10」の授業で1960年代の電機洗濯機(に代表される家電製品)の急速な普及の話をしたところ、出席カードの裏にこんなコメントを書いてきた女子学生がいた。「数年前のことですが、父が母の誕生日に珍しくプレゼントをするということで、母は楽しみにしていたのですが、届いたのは洗濯機で、母はショックのあまり呆れて、しばらくすると怒りに変わり、涙まで流していました。」う~ん、と私は唸ってしまいましたね。確か「愛妻号」という名前の洗濯機があったと記憶しているが、洗濯機が愛妻へのプレゼントになると思っている夫と、そうしたものの考え方を「人を馬鹿にするのもいいかげんにしろ」と受け止める妻。両者の間には歴史時間にして30年くらいの、つまり親子ほどの深い溝がある。男の意識の変化は緩慢で、女の意識の変化は急激である。このことゆめ忘るべからず。ちなみにあと一月ほどで妻の誕生日である。私は台所で夕食の支度をしている妻に尋ねた。「誕生日のプレゼントは何がいいかな?」妻、答えて曰く、「そうね・・・・自分で買うから」。はい。

 

10.28(木)

 電車の中で本(本多孝好『MISSING』)を読んでいたら東京駅を乗り越して気づいたら秋葉原だった。ならばと上野まで行って国立西洋美術館で開催中のマティス展をのぞいてみることにした。しかし上野駅の公園口を降りてみると久しぶりの暖かな日射しが気持ちよかったので、美術館横のテーブルとイスがたくさんおいてある広場(何か名前がついていたが思い出せない)でしばらく本の続きを読むことにした。『MISSING』は5つの作品からなる短編集で、ジャンルとしてはミステリーということになっているらしいのだが(本書は「このミステリーがすごい!2000年版」で第10位にランクされた)、いわゆる犯人捜しの物語ではなく、不可思議な行為(たとえば小さいときに自動車事故で死んだ妹の振りをする姉や、アルバイトの若者を雇って女子高生の素行調査を依頼する老人)の動機を解き明かしていくところが見所なのだが、「真の動機」に迫っていくやり方は深層心理学的で、おそらくこのあたりが村上春樹風のスタイリッシュな文体と相まって「心理学化した社会」に生きる若い読者の人気を得ている理由なのだろう。最初の作品「眠りの海」を読み、さらに2番目の作品「祈灯」を読み終えてから、美術館に入る。かなりの人出で、おまけに場内は薄暗く、作品の数がなまじ多いものだから壁に掛けられた作品と作品の間隔が狭く、見て歩きながら窮屈で息苦しい感じがしてしかたない。だいだいマティスの絵というのは原色が基調で図柄も大胆だから、実物で見ても印刷で見てもそれほど大した違いはなくて、日当たりのいい喫茶店の白い壁に掛けられた実物大の複製を珈琲でも飲みながらゆったりした気分で眺める方がそのよさがよくわかる。もちろん美術館に外光を求めるのは無理だから、せめてもう少し館内が空いている雨の日にでもまた来ることにして、今日は早々に切り上げる。そして美術館の中で過ごすつもりでいた時間を動物園で過ごすことにした。動物園は去年の5月の京都の東山動物園以来である。動物園はベンチが多いので、読書には適した場所なのである。アシカやペンギンのいる区画のベンチで3番目の作品「蝉の証」を読んでいたら、9羽の王様ペンギンたちがえっちらおっちら檻から出てきて隊列を組んで散歩を始めた。ボーリングのピンが動いているような感じ。もちろん子供たちは大喜びで、私も読書を中断して、ペンギンたちと一緒に園内を散歩した。いや、楽しかった。それから大学に行き、大隈講堂の前でゼミの学生たちと卒業アルバム用の集合写真を撮った後、7限の授業に臨んだ。

 

10.29(金)

 3限の大学院の演習を終えて廊下を歩いていたら、同じく授業を終えたばかりの西洋古典学の宮城先生が前を歩いていたので、「よぉ」と肩を叩いたら、周りにいた女子学生(宮城先生の教え子たち)がわれわれを見て、クスクス笑いながら、「仲がよろしいんですね」と言った。もしかしてプラトニックラブについての講義の後だった? それにしても最近彼とは廊下や教員ロビーでよく会う。「なんだかいつもウロウロしてないか」と私が言うと、「うん、最近は、ウロウロしてるか、オロオロしているか、どっちかなんだ」と彼は答えた。うまいことを言うね。彼は9月から一文の教務主任という役職に就任した。気苦労の多い職務である。血圧も上がっているに違いない。だからキャンパスで彼の姿を見かけると、ついつい何か言葉を掛けたくなるのだ。とにかく健康にだけは留意してやってほしい。みんな、そう思っている。事務所に行って今年度の個人研究費の残額を確認したら4万9千円だった。昨日生協で購入した本の代金が1万2千円、今日生協で購入したプリンターの代金が2万6千円で、どちらも伝票が経理に回るのはこれからだから、実際の残額は1万1千円である。秋の風が身にしみる。「メルシー」でチャーシュー麺を食べる。

 

10.30(土)

 一昨日から家に来ていた前橋の叔母さん(母の妹)を上野駅まで見送る。前橋直通の高崎線の発車時刻まで30分以上あったので、構内の喫茶店で時間を潰すことにした。私がメニューもろくに見ないでブレンドコーヒーを注文すると、叔母さんはメニューをしっかりと見てからグレープフルーツジュースを注文した。たぶんグレープフルーツジュースは自分が指名されるとは思っていなかったに違いない。角柱のグラスに入って運ばれてきたグレープフルーツジュースは、「本日はご指名いただき、誠にありがとうございます」と叔母さんに挨拶をしていた。叔母さんと私はその後ずっと生命保険の諸問題について語り合った。叔母さんを乗るべき電車に乗せてから、東京駅まで戻り、東西線に乗り換えて大学へ。途中、東京駅構内の本屋で本日発売の本多孝好『真夜中の五分前』上下2巻(side-A、side-Bという言い方をしている)を購入。地下鉄の車内でさっそく読み始め、「五郎八」で注文した揚げ茄子のみぞれおろしうどんが出てくるまでの間も読んでいた。村上春樹と佐藤正午を足して2で割ったような既視感のある文体だが、サラリーマン小説と恋愛小説を組み合わせたプロットは効果的で、たちまち物語の世界に引き込まれる。大した吸引力である。教員ロビーに紙コップの珈琲を買いに行って、日本文学の十重田先生に出くわす。実は、一昨日が地下鉄の中、昨日が路上、これで3日連続である。「今日は授業ですか」と尋ねると、「いえ、原稿書きです」とのこと。「自宅でなく研究室で書くタイプですか」と重ねて尋ねると、「家で書く原稿と研究室で書く原稿を区別しているんです」とのこと。なるほどね、几帳面な人なんだ。ちなみに私は研究室で書くのは書類の類だけで、原稿はもっぱら自宅で書く。夕方から『社会学年誌』の編集委員会。しんしんと冷える感じ。まだ暖房の入らないこの時期は寒がりの私にはなかなかつらい。研究室には自分で買った小さな電気ストーブが置いてあって、足もとだけは暖をとっているのだが、 冷え込みの厳しいときは焼け石に水というか、氷柱にマッチの火である。夜、『真夜中の五分前』のsaide-Aを読み終える。ただちにside-Bに移りたい気もしたが、side-Bの最初の場面はside-Aの最後の場面から1年7ヶ月後という設定になっている。わざわざ2巻に分けたことの意を汲んで、side-Bを読むのは明日にしよう。

 

10.31(日)

 午前中ははっきりしない空模様だったが、午後になってしだいに回復した。『真夜中の五分前』のside-Bを読み終えて、散歩に出る。近所の専門学校が学園祭をやっていて、ずいぶんな人出である。東急プラザ6階の文具店ACTでクレールヌフォンテーヌの糸綴じノートブック(A5サイズ・方眼)とロディアのメモパッド(A4サイズ)を購入。ACTは最近店内を改装して、そのときからいろいろなサイズのロディアを揃えるようになった(ポール・スミスがデザインしたマルチストライブ入りのものまである)。これでロディアを購入するためにわざわざ丸善に出かけなくてもよくなった。蒲田という街の文化水準が一段上がったような感じがする。同じフロアーの栄松堂書店で、坪内祐三『まぼろしの大阪』(ぴあ)、佐伯真一『戦場の精神史』(NHKブックス)、原田稔『相対性理論の矛盾を解く』(NHKブックス)を購入。栄松堂書店も店内改装をした。新刊本のコーナーが拡張されたのはよいが、文庫本が増えて単行本(とくに専門書)が減ったのは残念である。同じフロアーにあった喫茶店が紳士服売り場の拡張に伴って撤退してしまったはもっと残念である。せっかく一段上がった蒲田の文化水準だが、これで0.5段ほど引き下げられたと思う。街には、本を売る場所だけでなく、本を読む場所も必要なのだ。


2004年10月(前半)

2004-10-14 23:59:59 | Weblog

10.1(金)

 昼休み、学生会館1階の学生生活課のカウンターに出向いて、調査実習の合宿(12月19日~21日)のための鴨川セミナーハウスの利用申請を行う。今回は抽選ではなく、その場でOKとなる。これで一安心。合宿ではこれから始まるインタビュー調査のケース報告会を行う予定。3限の大学院の演習は全員(5+1名)が顔を揃える。前期に消化できなかったAさんの文献報告。4限の時間帯は、昼食を兼ねて、二文のT君の卒論相談を「フェニックス」で行う。最初、客はわれわれだけだったが、心理学のI先生がたくさんの学生を引き連れてやってきて真ん中の大きなテーブルで演習を始めたのをきっかけに、どんどん客が入ってきて、われわれが店を出るときには満席状態になっていた。こんな「フェニックス」は初めて見た。5限の一文の卒論演習までまだ時間があったので、穴八幡神社の境内で今日から始まった古本市をのぞく。以下の本を購入。

(1)       出久根達郎『佃島ふたり書房』(講談社、1992)*500円

山口瞳がこんなことを書いていた。「一言一句が粒だっているとか、活字が立ち上がってくるとかいう言い方があるが、そういう文章に久し振りにお目にかかったような気がする。実際、読み進むのが惜しくなって、この余韻を一晩寝かせておきたいと思ってみたりもした。出久根達郎さんの『佃島ふたり書房』は、そんな小説だった。」(「出久根さんの文章」、『私の読書作法』所収)。

(2)       吉行淳之介『暗室』(講談社、1970)*300円

川西正明『小説の終焉』によれば、近代日本の小説の主要テーマは、「私」と「家」と「性」と「神」である。このうち「性」を女性の側から本格的に描いた最初の作家は田村俊子で、男性の側から本格的に描いた最初の作家は永井荷風である。荷風の跡を継いだのが吉行淳之介で、『暗室』は彼の到達点である。

(3)       石川達三『四十八歳の抵抗』(新潮社、1956)*200円

日本文学史上、「中年の危機」を最初に描いた小説は田山花袋の『蒲団』であるが、『蒲団』の主人公はまだ30代の半ばであった。それから約50年後、石川達三が「中年の危機」を描いたこの新聞小説がベストセラーになるわけだが、主人公の年齢は大きく上昇していた。中年期とは青年期と老年期の中間地帯であり、青年期の延長(大人になれない)と老年期の先延ばし(老人になりたくない)によって、時代が下るとともに上方に移動してきたのである。ただし、主人公が思いを寄せる相手の女性の年齢は、どちらも19歳である。若い女性を好む男の心理は50年程度では変わらないようである。

(4)       赤坂憲雄『新編 排除の現象学』(筑摩書房、1991)*700円

 今日の大学院の演習の報告の中でAさんが赤坂憲雄の仕事に言及したのだが、あいにくと私は彼の本を読んでいなかった。聞くとそれなりに話題になった本のようである。その直後のことなので、これも巡り合わせと思い、購入。

(5)       大森英『労農派の昭和史 大森義太郎の生涯』(三樹書房、1989)*500円

(6)       松浦総三『戦後ジャーナリズム史論』(出版ニュース社、1975)*500円

(7)       杉森久英『大政翼賛会前後』(文藝春秋、1988)*500円

上記3冊は清水幾太郎研究の参考文献として購入。もう1冊、山口正之『忍者の生活』(雄山閣、1963)という本を買おうかどうしようか迷ったのだが、雑学もほどほどにしないと本の置き場に困ることになると思い直して、元に戻す(動物のもの真似の術について書かれた章が面白かった)。今日はなかなかいい本が買えた。この7冊を鞄に入れて1週間ほど温泉旅行に行けたら楽しいだろう。

 5限の卒論演習は12名中8名が出席(今日は内定式というものをやる会社が多いようである)。全員に章立て案を提示してもらった上で、夏休み中の進捗状況を報告してもらう。サクサク済ますつもりでいたら、結局、一人平均30分、8時過ぎまでかかった。卒論提出まであと2ヶ月半。インプットからアウトプットへの切り替えの時期である。仕入れた知識を全部盛り込むことはできない。何を書くかということは、何を書かないかということである。覚悟を決めなくてはならない。「ごんべえ」で夕食(辛子カツ丼)を食べてから、家路に着く。

 

10.2(土)

 TBS恒例の「オールスター感謝祭」を観た。いつもながら島田紳助の司会ぶりは見事で、芸能人200人を相手に5時間半の生番組を仕切れるのは、紳助以外には明石家さんまただ一人であろう。途中、紳助がミニバイクのモトクロスに参加するために、武田鉄矢が代役で司会を務めた時間帯があったが、それはいかにこの番組が紳助の司会なしには成り立たないものであるかを証明するための時間であった。企画的には今回は失敗が目立った。その最たるものは、ミニ・マラソンと駅伝におけるハンデの付け方である。せっかくアテネ五輪の女子5000メートルの金メダリストを呼んでおきながら、ハンデの計算にミスがあったために(ミニ・マラソンではハンデが辛すぎ、駅伝ではハンデが甘すぎた)、「先行するランナーを金メダリストがゴボウ抜きしてゴールテープを切る」というみんなが期待する展開とはほど遠いレースになってしまった。紳助が「プロデューサーを減俸処分にします」と言って笑いをとっていたが、あれは本音に違いない。それから番組の常連である大分コスモレディース(女子の綱引き日本一チーム)を今回は呼ばず、芸能人同士に綱引きをさせていたが、何の面白みもなかった(どちらのチームが勝つのだろうと固唾を飲んで見守るわけではないから)。ロシアから呼んだサーカス団が披露した空中ブランコも単調なもので、前回あるいは前々回の上海雑伎団(?)の「人間業とは思えない」演技と比べてだいぶ見劣りがした。きっと今頃番組の反省会が開かれていて、紳助が厳しい口調で意見を言っているに違いない。

 

10.3(日)

 朝から雨の降る日曜日。通り雨でも台風の影響による雨でもない、本格的な秋雨である。もう夏の名残は微塵もない。「昨日はどこにもありません/あちらの箪笥の抽出しにも/こちらの机の抽出にも/昨日はどこにもありません」(三好達治「昨日はどこにもありません」より)。大森英『労農派の昭和史』と吉行淳之介『私の文学放浪』を読み、日中を過ごす。夜、生命保険文化センター主催の中学生作文コンクールの最終審査作品35編に目を通す。思わず居住まいを正す作品が何編かあった。

 

10.4(月)

 モールスキンの2005年の一日一頁タイプのダイアリー(ポケット版およびラージ版)をインターネットで注文する。ポケット版が2300円、ラージ版が3150円、これに送料が加わってそれなりの金額である。私の場合、スケジュール帳は大学から支給される能率手帳(左頁が一週間のスケジュール欄で、右頁がメモ欄というオーソドックス・タイプ)をずっと使っている。ときどき市販の新しいタイプのスケジュール帳を買ってみたりもするのだが、結局、使い慣れたものが一番いい。具体的に言うと、(1)時刻目盛りが午後12時まで付いている(二文の授業や7限後のアポまでちゃんと書き込める)、(2)土日の欄も平日の欄と同じだけのスペースを与えられている(大学では土曜は休日ではない)、(3)一週間は月曜始まりである(日曜始まりというのは感覚的になじめない)、(4)メモ欄が広い(見開き二週間タイプはメモ欄がなく、見開き1週間タテ割レイアウト・タイプはメモ欄が小さくて、私には使い勝手が悪い)、(5)大きすぎず、小さすぎない(上着の内ポケットに入る)、(6)クリーム色の用紙が目にやさしい(白色の用紙はボールペンのインクとのコントラストが強くて細かい文字を書いていると目が疲れる)、(7)付録に年齢早見表が付いている(ライフコース研究者必携)、などの点が優れている。しかし、能率手帳はあくまでもスケジュール管理のための手帳であって、あれこれと思いついたことを書き留めておくための手帳ではない。現在という過ぎゆく時間を形にとどめておくための手帳、それがモールスキンのダイアリーである。私という人間の社会的価値はスケジュール帳の中にあり、私の人生の個人的意味はダイアリーの中にある。

 

10.5(火)

午前10時から戸山図書館運営委員会。しかし、午前10時半から(1限の授業が終わってから)と勘違いしていて、30分の遅刻。お恥ずかしい。昼食は「たかはし」の秋刀魚の刺身定食。醤油に薬味(生姜、茗荷、葱)をたっぷり入れて、脂の乗った刺身を付けて食べると、ご飯がいくらでも食べられそうである(実際はお代わりはしませんけど)。穴八幡神社の境内の古本市はこの雨の中を今日もやっている。しかし、お客は気の毒なほど少ない。山本健吉『漱石・啄木・露伴』(文藝春秋、1972)、佐伯章一『日米関係のなかの文学』(文藝春秋、1984)、粕谷一希『戦後思潮 知識人たちの肖像』(日本経済新聞社、1981)、朝日新聞企画報道室編『どうなる社会主義』(新興出版社、1990)の4冊を購入。合計で1700円。先日、どうしようか考えて、結局買わなかった『忍者の生活』はもうなくなっていた。どんな人が買って行ったのか、ちょっと気になる。古本市は明日が最終日。明日は雨は上がるようだ。夕方まで研究室で教材の作成。帰りがけに生協文学部店で小浜逸郎『正しい大人化計画』(ちくま新書)を購入。車内で読む。夜、今日が初回のTVドラマ『めだか』を観る。山田洋次監督に定時制高校を舞台にした『学校』という映画があるが、あの映画の先生役を新米の女性教師にしたようなドラマだ。主演女優のミムラの演技は上手とはいえないが、林隆三、小日向文世などの脇役陣が魅力的。岡田恵和脚本の『マザー&ラヴァー』はビデオ録画して後日観ることにする。主役の坂口憲二の役所はなんと「マザコンの役者の卵」。若い女性をターゲットにしたTVドラマでは禁断のテーマである。10年前のTVドラマ『ずっとあなたが好きだった』で佐野史郎が演じた「冬彦さん」以来だろうか。はたして視聴率は取れるのだろうか。

 

10.6(水)

 午前、有楽町の新国際ビル内の生命保険文化センターで中学生作文コンクールの最終審査会。今回は、自分が上位三賞に推した作品がそのまま上位三賞に入った。ちょっと拍子抜けするほどあっさり決まった。午後、大学。3限の「社会学研究10」は、藤山一郎の「夢淡き東京」から沢田研二の「TOKIO」まで、「東京」をテーマにした戦後の流行歌の変遷について。5限の「社会学演習3D」はライフストーリー・インタビューのやり方を説明してから、各自が現時点で考えている対象者(候補)について話してもらう。ところでインタビューのときはICレコーダーとテープレコーダーを併用するのだが、ICレコーダーは研究室所有のものを貸与するが、テープレコーダーはできるだけ自前のものを使ってほしいと話したらところ、テープレコーダーを所有している学生は25名中なんと1名しかいないことが判明した。テープレコーダーの歴史的使命はすでに終わったのであろうか。感慨深いものがあった。夜更け、ちょっと大きめの地震あり。

 

10.7(木)

 大学に出る途中、飯田橋ギンレイホールで『レディ・キラーズ』(脚本・監督:コーエン兄弟、主演:トム・ハンクス)を観る。大学教授を装って黒人の未亡人の家に間借りをした泥棒(トム・ハンクス)が、仲間を募って、未亡人の家の地下室からカジノの事務所までトンネルを掘って売上金を盗み出す。しかし、未亡人に見つかってしまい、彼女の殺害を企てるが、仲間割れやアクシデントで泥棒一味は結局一人残らず死んでしまうというお話。コメディータッチで随所で笑いが起こる一方で、次々と人が死ぬので心からは笑えない。「笑い」と「死」の結合は「ブラック・ユーモア」というのだろうが、われわれ日本人には「ブラック・ユーモア」は理解しがたいところがある。日米和親条約調印から150年、われわれもようやくユーモアのセンスは身に付けてきたが、ブラック・ユーモアのセンスの方はまだまだである。

映画館を出て、神楽坂の坂上にある「花」という甘味処に入って、クリームあんみつと玉子ぞうにを注文する。玉子ぞうにを食べているとき、女将さんから「味が濃くはありませんか」と聞かれた。「いえ、私は東京の生まれなので、関東風がちょうどいいです」と答えたが、クリームあんみつを食べた直後だったこともあり、内心、確かに少し濃い目かなと感じていた。すると女将さんは、「ほとんどのお客さんはちょうどいいよって言って下さるんですけど、年に一人くらい、ちょっと味が濃いねと言う方がいらっしゃるんですよ」と言った。・・・・危うくその「年に一人の客」になるところだった。

 

10.8(金)

 新宿区西五軒町2丁目に「神楽坂die pratze」という小劇場がある。9日(土)の午後2時から、および午後7時半から、「密の日」という芝居が打たれる(開場は開演の30分前)。しかし、生憎と当日の東京の天気は「暴風雨」と予想されている。劇団関係者には気の毒だが、客足が遠のくことは必定である。だが、私は妻と一緒に午後2時からの回を観に行こうと思っている。知り合いが舞台に立つからだ。どういう知り合いかというと、ちょっと複雑なのだが、私の両親の長男の嫁の娘である。なぜか私似である。一緒に道を歩いていると、十中八九、父と娘に見られる。そういうわけだから、彼女のことは他人とは思えない。そう妻に話したら、妻は「実は私もそうなの」と言った。長年連れ添っていると考え方も似てくるのかもしれない。チケットは1000円。10日(日)が千秋楽で、午後1時30分からの回のみとのことである。遠路はるばる観に行くほどの芝居ではないかもしれないが、近場にお住まいの方は、暴風雨もなんのその、散歩がてらにのぞいてご覧になるのも一興かもしれない。もし芝居に満足されなくても、帰路、「紀の善」や「花」に立ち寄ってクリームあんみつを召し上がれば、きっと満足されるだろう。

 

10.9(土)

 「密の日」を観る。台風が接近中であったが、お客はそこそこ入っており、まずは一安心。ヌッポン国の奥地の自治区(あるいは隣国)メライには奴隷を生き埋めにする風習があり、その人骨の発掘のためにヌッポンから発掘団がやってきて、一悶着あるという話(大雑把な紹介だが、寓話的な設定なので、細かく説明してもストーリーが明確になるわけではない)。多くの役者の演技は安心して観ていられたが、メライの殿下の側近の一人を演じている私の知り合いは、新人の故、台詞回しに余裕が感じられず、彼女が舞台に登場する度にこちらはハラハラ、ドキドキした。終わったときは、正直、ホッとした。劇場を出ると雨は一段と強くなっていたが、われわれは神楽坂を「紀の善」まで歩き、私は御前しること玉子ぞうに、妻はクリームあんみつを食べた。帰路、風雨はさらに激しくなり、蒲田に着いた頃は一番風の強いときで、しばらく駅ビルの本屋で台風の通り過ぎるのを待った。柏井壽『「極み」のひとり旅』(光文社新書)と泉麻人『新・東京23区物語』(新潮文庫)を購入。地階の魚屋で夕食の寄鍋に入れる蛸と鮟鱇を買って帰る。

 

10.10(日)

 台風一過の青空のはずではなかったのか・・・・。小雨が降ったり止んだりの日曜日となった。「社会学研究10」の前回の講義記録を作りながら、出席カードの裏に書かれた「私の東京ソング」のアンケートに目を通していて、尾崎豊と長渕剛の曲が一曲も入っていないことに気がついた。尾崎の「僕が僕であるために」や「十七歳の地図」、長渕の「とんぼ」や「しゃぼん玉」は自分が自分であるための戦場としての東京を歌った典型的な東京ソングだと思うのだが、いまの20歳前後の大学生はもう尾崎や長渕の歌を聴いたり口ずさんだりする世代ではないのだろう。彼らが一番言及したアーティストはミスターチルドレンだった。先週の大学院の演習でもミスターチルドレンに言及した発表があったが、90年代に思春期を迎えた世代にとって、ミスチルは格別の存在らしい。私もミスチルは嫌いではないが、音楽的にはスピッツの方が好きだし、メッセージ性の点からはブルーハーツの方が好きだ。確かに歌詞のもつ物語性という点ではミスチルは優れており、サビの部分の盛り上げ方も見事でカラオケにはうってつけだが、同工異曲というのだろうか、類似の物語(自分探し)がくり返し歌われているという印象が強い。

 

10.11(月)

 午後、天気がいくらか回復してきたのを見計らって散歩に出る。「TSUTAYA」でCDを10枚ほどレンタルする。学生たちが出席カードの裏に書いてきた「私の東京ソング」の中には私の知らない歌、たとえば、ケツメイシ「トモダチ」、19「果てのない道」、175R「空に唄えば」、「ふるさと」(モーニング娘。)、GLAY「Winter Again」、中島みゆき「ファイト!」などがあり、それがどんな曲なのか聴くためである(タイトルを知らなかっただけで、聴いてみたら知っている曲もあった)。借りた以上はアルバムに入っているその他の曲も聴くことになるが、するとけっこういい曲があったりする(どれもベスト版なので、いい曲が多いのはあたりまえなのだが)。なかでも19のベストアルバム(青版と黄版)は、私が親しんできた70年代フォークソングの系譜に連なる曲調の作品が多かったせいか、しばし聴き入った。

 CDをたくさん借りた勢いで、「ラオックス」に立ち寄って、AppleのiPod(20GB)を購入。33,390円也。若いカップルが、「これがiPodだね」「欲しいけど高いよね」と会話している側で、「これを下さい」と何のためらいもない口調で店員に言うと、2人は一瞬あっけにとられたような顔をしてこちらを見た。若者よ、君たちにはお金がないが、私にはない若さがある。一生懸命働いて(親の脛をかじることなく)iPodを手に入れなさい。家に戻って、さっそくレンタルしてきたCDをパソコンに読み込み、それをiPodに転送した。最初、iPodをパソコンに接続したとき、うまく認識されず、やれやれ最初からトラブルかと思ったが、指示にしたがって一度初期化して復元したらちゃんと認識してくれた(簡易マニュアルの説明は不十分)。PCに読み込んだ曲をiPodに転送するスピードは驚くほど速い。CD10枚、137曲(演奏時間約11時間)があっという間に転送されてしまった。使用した容量は約600MB。5000曲転送可能(一曲平均4分とした場合の計算)だが、ハードディスクを全部音楽ファイルで占領する必要はなく、大容量のデータを持ち運ぶときの外部記憶装置としても使えるし、別売りのボイスレコーダーを装着すれば長時間のインタビュー調査も可能だ。肝心の音質だが、なんら問題はない。クイックホイールの操作性も大変によい。美しいフォルムだが、壊れ物だから(途中で一度、イヤホンジャックが抜けて床に落としてしまい冷や汗をかいたが、大丈夫だった)、やはり携帯用のケースは必要だろう。インターネットで注文しよう。

 

10.12(火)

 授業はない日だが、午後、専修の会合と調査データの整理のために大学へ。9時になったので、作業の続きはまた明日ということにして、引き上げる。「ごんべえ」でカツ丼を食べようと思ったが、混んでいたので「天や」にする。カウンターに座ると目の前の店員に挨拶された。社会学専修の学生のようである。「先日、長谷先生も来られました」という。「彼は何を注文しましたか」と聞いたら、「普通の天丼だったと思います」と答えたので、「じゃあ、私は特撰天丼を」と注文する。天丼は500円で、特撰天丼は620円である。何が違うのかというと(実は知らないで注文したのだが)、天丼はえび、いか、きす、かぼちゃ、ししとう。特撰天丼はえび2本、大きす、なす、ししとう、である。いか→えび、きす→大きす、かぼちゃ→なす、という交換である。いかが消えたのはちょっと残念だが、全体としては満足すべきバージョンアップといえよう。しかし、今回は天ぷらとご飯の配分を間違えてしまい、最終盤でご飯だけが残ってしまった。「特撰」にした分、倹約してお新香を注文しなかったのが敗因と考えられる。

 

10.13(水)

 調査実習の後期の課題であるインタビューによるライフストーリー調査がいよいよ始まる。今日の授業ではアポが取れましたという報告が4件あって、それぞれの対象者のプロフィールと調査日時・場所の報告がされたのだが、A君がアポをとったのは屋台のラーメン屋のご主人。場所はどこかというと、「トヤマ」とのこと。大学の近辺(戸山)かと思ったら、そうではなくて、A君の郷里である富山のことだった。交通費がかかるにはかかるが(サブの調査員が同行する)、去年の調査実習のことを考えれば、何ら問題はない。去年は北海道から九州までかなりのケースが地方でのインタビュー調査となり、夏休みが終わった時点で調査費用が底をついてしまったのだった(急遽、外部資金を導入し、乗り切った)。今年はそういう心配がないので、対象者への謝礼に図書券(2000円)を用意した(去年は1000円程度の手土産だった)。インタビューは3時間ほどかかり、後日、補充調査やテープ起こしをした原稿のチェックもお願いすることになるので、この程度の謝礼は妥当なものだろう。ボールペン1本の粗品で調査ができる時代ではもうないのだ。

 

10.14(木)

 大学からの帰り、TSUTAYAでCDを2枚借りる。ジャパハリネット『現実逃走記』とNUMBER GIRL『SCHOOL GIRL DISTORTIONAL ADDICT』。どちらのバンドも初めて聞く名前である。ジャパハリネットは「社会学研究10」で学生が出席カードの裏に書いて来た「東京ソング」の中に「哀愁交差点」という彼らの歌があったのだ。ずいぶんとレトロなタイトルである。「哀愁」という言葉が歌謡曲のタイトルに頻繁に登場したのは1950年代半ばである。「哀愁日記」(コロンビア・ローズ)、「哀愁列車」(三橋美智也)、「哀愁の街に霧が降る」(山田真二)・・・・。高度成長前夜の日本にはまだ「哀愁」というものが漂う余地があったのであろう。やがて「哀愁」は狼のように社会の片隅に追いやられていった。そして田原俊彦が1980年に「哀愁デイト」を歌ったのを最後に歌謡界から完全に姿を消したものと思っていた。そこに突然の「哀愁交差点」である。聴いてみると、ブルーハーツの系譜に属する歌詞重視のロックである。惜しむらくはボーカルの声質が甲本ヒロトほど魅力的ではない。あっさりしているというか、ちょとか細い感じがする。でも、基本的に好きなタイプのバンドである。iPodに転送する。一方、NUMBER GIRLは調査実習の授業の夏休みのレポートの中にこのバンドのことを採り上げたものがあったのだ。「このバンドを知っている人は?」と尋ねたらけっこう手があがった。そうか、有名なのか。じゃあ、聴いてみるか。と聴いてみたのだが、こちらはジャパハリネットとは対照的に演奏重視のロックである。あたかもマイクが一本しかないスタジオで、ボーカルよりもギターがマイクの近くに陣取って録音したようなCDである。歌詞を聴き取ろうとしても、何と言っているのか判然としない。驚いたことに歌詞カードを見ても判然としない。「路面電車が走るのをオレは見たことがない 普通に物事を見すえる力が欲しい 私は海を抱きしめていたい 桜のダンスをお前は見たか?」(「桜のダンス」より)。シュールな詩を読んでいるようである。不思議な味わいのある詩だが、聴き取れないのではしょうがない。たぶんCDで聴くよりも、ライブでギター演奏のバイブレーションを思い切り皮膚に感じながら聴くべきバンドなのだろう。