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紀州の藩政に尽力 本居宣長の功績に触れる

2014-10-12 13:42:47 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では「松坂城跡」を取り上げた。松阪の地に生まれ、紀州藩に仕官した本居宣長は、この地において市民から厚く顕彰される存在。
今週は本居宣長の功績に触れたい。

本居宣長(1730-1801)は現在の松阪市の商家に生まれた。
商いよりも書を読むことを好んだといい、行く末を案じた母の勧めで医者となり、亡くなる72歳まで町医者として生計を立てた。

当時は解読できないといわれていた日本最古の歴史書である「古事記」の研究は30代半ばから始めたといい、医者の仕事と両立し、35年もの歳月をかけ44巻にまで及ぶ「古事記伝」を完成させた。
なお「古事記伝」の題字は、宣長が仕官していた紀州藩10代藩主の徳川治宝(はるとみ)から与えられている。

紀州藩との関わりは天明7年(1787)、宣長によるこれまでの国学に関する研究を通して明らかとした、藩政の心得について述べた「玉くしげ」や政治の根本となるべき道について述べた「玉くしげ別巻」を、当時の紀州藩第9代藩主であった徳川治貞(はるさだ)に献上したのが始まり。
寛政4年(1792)に紀州藩に仕官し、寛政6年(1794)には和歌山城吹上御殿(現在の吹上2丁目付近の徳川吉宗生誕地)で講義を行っている。
前々号で紹介した高見峠(和歌山街道)の詩は、その際、和歌山城へ向かう道中に詠まれたものだ。

紀州藩に仕官したといえ、宣長の生活の基盤は松阪にあり続け、亡くなった後は松坂城跡近くの神社に祀られている。


【写真】本居宣長を祀る神社(松阪市)

宣長の学問への懸命な姿勢と功績に肖ろうと、地元では合格祈願に訪れる人も多い。
紀州藩の藩政に尽力した宣長の功績に私たち和歌山県民も触れてみてはどうだろう。

(次田尚弘/三重)

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