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さんぽみちプロジェクト

さんぽみちプロジェクトの記録。
和歌山新報で日曜日一面に連載中の「WAKAYAMA NEWS HARBOR」と連携。

紀淡海峡から平安京へ 畿内と四国を結ぶ洲本の歴史

2025-08-30 13:30:00 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号より、海で繋がる和歌山市の隣町である洲本市を取り上げている。今週は洲本市の歴史を紹介したい。


【写真】洲本市の中心市街地から洲本城跡を望む

淡路島は平安時代まで朝廷に海産物を献上していた「御食国(みつけくに)」のひとつ。古くから畿内と四国を繋ぐ要衝として栄えてきた。市内の由良地区から紀淡海峡を隔てた和歌山を経て、平安京に至っていたという。

室町時代の末期には熊野水軍の安宅(あたぎ)氏により「洲本城」が築城され、淡路島一帯を治めるも、豊臣秀吉の淡路攻めにより滅亡。以降は秀吉の最古参の家臣として知られる仙石氏の居城となり、やがて徳島藩主・蜂須賀氏の支配下に入る。

当時、由良地区が淡路国の政治の要衝であったが、発展と共に手狭になったことを機に現在の洲本市の中心市街地へと城下町の機能を丸ごと移転。これを「由良引け」という。以降、淡路島全域を治める拠点となり現在に至る。その後も由良地区は海運の要衝として栄えた。

廃藩置県後、淡路島は兵庫県と徳島県に分割。一時期は徳島県に属するも、明治9年に島の全域が兵庫県の管轄となる。かつての城下町に紡績工場が建設されたことで、島内の商工業の中心となり、大正末期には淡路島を横断する鉄道が開通した(昭和41年に廃止)。

昭和60年の大鳴門峡開通により四国と、平成10年の明石海峡大橋開通により本州と陸続きとなったことで、アクセスが大幅に向上。海の幸に恵まれ、風光明媚な土地柄から京阪神を中心に多くの観光客が訪れている。

大阪府岬町の深日港と洲本港を結ぶ定期船が廃止されてから、和歌山からのアクセスは優れないかもしれないが、歴史を辿ると和歌山との繋がりがある。

(次田尚弘/洲本市)javascript:void(0)
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海で繋がる隣町 直線で約10㎞「兵庫県洲本市」

2025-08-23 13:30:00 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号まで、遠く離れた地域でありながらも、海を通じて様々な繋がりがあるホノルルと和歌山の歴史や文化について取り上げた。海の彼方にどのような地域があるのか、雄大な海を見て想像を膨らませることは楽しいもの。

和歌山市から西方向に開けた海を眺めると、天気が良ければ海の向こうに街が見える。兵庫県洲本市。ここは海を隔てた和歌山市の隣接市となる。遠く離れたホノルルと一転、今週から海で繋がる隣町を紹介していきたい。


【写真】洲本城跡から市街地を望む

洲本市は瀬戸内海に浮かぶ淡路島の中央に位置し、島内における行政の中心地である。人口は約3万9千人。洲本市(由良)と和歌山市(加太)とは紀伊水道を挟み、直線で約10kmの距離。仮に橋が架かっていれば、時速80㎞で走る車で10分足らずで到達する計算になる。

和歌山市からのアクセスは明石海峡大橋を経由するルートで約160km、時間にして約3時間。和歌山港から徳島港へフェリーで渡り、大鳴門橋を経由するルートもあるが、約4時間を要する。1990年代までは、大阪府岬町の深日港から洲本港へフェリーや高速艇が運行されており、船で洲本市へ行った記憶がある方がいらっしゃるかもしれない。

近年、洲本市と岬町が両市町の広域交流の促進と地域活性化を目的に、旅客船の定期航路の復活に向けた取り組みが進んでいる。令和7年度も洲本港と深日港を約40分で結ぶ旅客船を、夏季の土日祝日限定で運行するなど、海を通じた賑わいの創出が図られている。

かつての航路が復活し、和歌山市からのアクセスが向上している洲本市の魅力を伝えていきたい。

(次田尚弘/洲本市)
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これからも深い関係を 海で繋がる「ホノルル」と「和歌山」

2025-08-09 17:57:00 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では、市民と共に作り上げられる世界最大級のランナーの祭典として知られる「ホノルルマラソン」を取り上げた。開催される時期、街にはクリスマスツリーが飾られ、常夏の島をさらに華やかにしてくれる。


【写真】常夏の島を華やかにするクリスマスツリー(ホノルル市内)

アメリカではクリスマスを家族と過ごすことが一般的。12月中旬から年末年始にかけて休暇を取るケースが多く11月末の感謝祭から年末年始にかけて、ホリデーシーズンとして盛り上がる。

これまで25週にわたり、ホノルル市の魅力と、和歌山県との歴史や繋がりを取り上げてきた。今回の渡航で印象的であった、ライドシェアドライバーとの会話を紹介し、ハワイ特集を終えたい。

ホノルル市内を走るライドシェアの車内で、ドライバーのキース氏に「ワイキキビーチは綺麗ですね」と筆者が問いかけた。「あなたは日本人かな。日本にもワイキキに似た素敵なビーチがあるじゃないか」という。聞けば彼の祖母は沖縄の出身で何度か日本を訪れたことがあり、親しみを感じていると話す。

「そのビーチは日本のどこにあるの」と尋ねると「確か大阪の南の方にあって、白い砂浜がワイキキにそっくりなんだ。知らない?」と嬉しそうに答えてくれた。もしやと思い「シラハマといいませんでしたか」と聞き返すと「きっとそれだ」と和歌山の魅力を語ってくれた。彼から見た和歌山は、街が綺麗で人が親切、大都市の近くに位置するリゾート地という印象らしい。

遠く離れた地域でありながらも、歴史や文化を辿れば海で繋がる様々なエピソードに溢れている。ホノルルを訪れる機会があれば、和歌山との関係を思い出し、親しみをもって街の魅力に触れてほしい。

(次田尚弘/ホノルル)
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市民と共に、ランナーの祭典 世界最大級「ホノルルマラソン」

2025-08-02 13:30:00 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では、一度は途絶えたものの地域の文化として再興し、踊り継がれているハワイの「フラ」を取り上げた。これまで地域固有の歴史から市民が大切にする文化の例を挙げてきたが、近年になり生まれた新たな文化もある。今週は「世界最大級の市民マラソン」や「ランナーの祭典」として知られる「ホノルルマラソン」の魅力を紹介したい。


【写真】ホノルルの市街地

ホノルルマラソンは、心臓病の専門医の「心臓病のリハビリと予防には長距離を長時間かけて走ることが望ましいという考え方から始まった、健康のための市民マラソン。1973年に始まり50年以上の歴史を持つ。

初年度の参加者は162名と僅かであったが、現在では約3万人のランナーが参加。日本人の参加も多く1万人を超えることも。開催時期の12月には日本からの臨時の飛行機が多数発着し、大いににぎわう。今年は現地時間の12月14日に開催予定。

最大の特徴は制限時間がなく、フルマラソンは7歳以上であれば参加ができるという点。最後尾のランナーに伴走するスタッフに見失われなければ、何時間かけてもよいというもの。完走率は9割に達するといい、現在も企画意図が大切にされている。

スタートは午前5時と早く、盛大な花火と共に始まる。魅力は風光明媚な観光地を時間に追われず家族やグループで楽しみながら参加できること。そして、ホノルル市民と1万人に及ぶボランティアらが、沿道での給水に加え、楽器演奏やサンタクロースの衣装でもてなすなど、地域の方々とのふれあいがあるということ。

和歌山市にも楽器の演奏を聴きながら楽しめる「ジャズマラソン」がある。手法は様々だが、ランナーをもてなし一緒に楽しみながら思い出を作ろうという思いは同じ。地域と一体となったランナーの祭典がここにある。

(次田尚弘/ホノルル) 
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度は途絶えた地域の文化 踊り継がれるハワイの「フラ」

2025-07-26 13:33:00 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では、現地の植物を原材料とするボタンを使用することを、アロハシャツを名乗る条件であることを取り上げた。地域への思いと愛が込められたハワイ独特の文化。今週は「フラ(ダンス)」の歴史と文化を紹介したい。


【写真】古木の下で披露される「フラ」

フラダンスの「フラ」は現地の言葉で「踊る」「演奏する」「歌唱する」を意味し、ハワイでは「フラ」と呼ぶのが一般的。諸説あるが、起源は火山の神(火の神)に捧げるための踊りとして始まったとされる。元来、文字で伝承するという文化がなく、踊りで歴史を伝えるという役割を持ち合わせていたという。

1820年にキリスト教の宣教師らが島に入ってからは、火山の神を信仰する要素があるフラが脅威と見なされ、1830年に禁止令が出され、フラは表舞台から姿を消してしまう。

それから約50年後の1874年に禁止令が廃止。フラに加え、サーフィンやハワイ語の会話が復活するも、フラは市民から遠い存在になっていたという。転機が訪れたのは1950年代の公民権運動の活発化。ハワイ固有の文化を取り戻そうと「ハワイアン・ルネッサンス(文化復興運動)」が起き、過去の歴史や文化の意義を探り、再認識したうえで現代生活に復活させる流れから、フラの文化が再び根付くようになった。

宿泊したホテルの庭では、夕方になると古木の下で現地の音楽と共にダンサーが踊りを披露。海に沈む夕日を眺めながら、お酒を片手に、ゆったりとした至極の時が流れる。

20日、白浜町の白良浜ではホノルル市のワイキキビーチとの姉妹浜提携25周年を記念したイベントを開催。地元で活動するダンスチームとハワイ出身のミュージシャンによるフラが披露されるなど、国内でも馴染みのある踊り。ここにもハワイの人々の地域愛が溢れている。

(次田尚弘/ホノルル)
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地域への思いと愛が込められて 「アロハシャツ」と「かりゆしウェア」

2025-07-19 13:30:00 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号に続き、和歌山の捺染技術と縁深い「アロハシャツ」の特徴と、地域を象徴するウェアとして普及した日本国内の新たな文化を紹介したい。

アロハシャツにはその絵柄によって冠婚葬祭の用途が異なることを前号で取り上げた。アロハシャツを名乗るには一定のルールがあるという。皆さんは何だと思われるだろうか。


【写真】現地の原材料が使用された「ボタン」

ハワイの植物などの絵柄を使用することが条件かと思いきや、答えは「ボタン」の原材料。現地のヤシの木やヤシの実からできたボタンを使用することが、アロハシャツを名乗るための条件とされている。

プラスチック製などの場合は、絵柄が同じであっても「プリントTシャツ」や「アロハ風シャツ」と呼ばなければならない。生地は日本製であっても、シャツにおける唯一の装飾部分でアクセントとなるボタンは現地のものにするという地域愛とこだわりもまた、ハワイを象徴するウェアとしての魅力が増すストーリーである。

場所は日本に変わり、日本でもアロハシャツと似た文化が浸透しているウェアがある。沖縄県内で着用される「かりゆしウェア」である。「かりゆし」とは、沖縄の方言で「めでたい」を意味する。1970年に沖縄県観光連盟が「おきなわシャツ」として発売。夏を快適に過ごし、沖縄を訪れる観光客を温かく迎え入れようと始まった。

2000年の沖縄サミットを契機に、デザインの条件を緩和。名称を統一し、沖縄を代表するウェアとして浸透した。現在は県内産であることと、沖縄らしいデザインであることを条件とし、これを満たした製造業者に限り、販売時の証明となるタグの使用が認められている。南国を思わせ、涼し気なウェア。いずれも地域への思いと愛が詰まっている。

(次田尚弘/ホノルル)
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ブームから地域の文化へ 正装として扱われる「アロハシャツ」

2025-07-12 13:30:00 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号より、和歌山の捺染技術と縁深い「アロハシャツ」の文化と歴史を取り上げている。今週は現地でアロハシャツの文化が広がった経緯を紹介したい。


【写真】あらゆるシーンで着用できる「アロハシャツ」(写真は筆者)

ハワイでアロハシャツは正装として扱われる。高級なレストランではドレスコードとして、襟付きのドレスシャツまたはアロハシャツを指定されることが多い。

アロハシャツのブームを一時的なものではなく、文化として定着させようと、官民が一体となった着用を促す試みが行われた。1947年に実業家らがハワイの伝統文化を守り後世に伝えようと主催した「アロハウィーク」では、祭事期間中に職場でアロハシャツを着て働くことを許可。翌年には製造メーカーなどが「アロハウェンズデー」として水曜日にアロハシャツを着て働くことを呼びかけ。1956年には現地のファッション組合などが「アロハフライデー」として、金曜はカジュアルに過ごすことを呼びかけるなど、公私共に着用できるものとして地域に根付いていった。

仕事や冠婚葬祭に使用できる万能なアロハシャツだが、使い分けがある。例えば、結婚式では「結ぶ」を意味する「マイレの葉柄」、事業を始めるときはキャリアのスタートを意味する「ウルの木柄」、葬儀の際は万物の終わりを意味する「ラウハラの葉柄」など。

県内では、ホノルル市と友好都市提携をする白浜町の職員や鉄道会社の社員が、夏季にアロハシャツを着用するのは、夏の風物詩として知る方も多いだろう。南国情緒の表現や友好都市としての連携のみならず、観光客をもてなす正装としての役割をもつアロハシャツ。和歌山でもこの文化が広がってほしい。

(次田尚弘/ホノルル)
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和歌山の捺染技術に縁あり 「アロハシャツ」の文化と歴史

2025-07-05 18:27:00 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では、特産の果物と細かな氷を使用した、色とりどりの氷菓子「シェイブアイス」を取り上げた。シェイブアイスと同じく市民の暮らしに溶け込むものがある。今週はハワイを象徴するウェアである「アロハシャツ」と和歌山のつながりを紹介したい。


【写真】華やかなデザインの「アロハシャツ」

アロハシャツ(ハワイアンシャツ)は、やしの木やパイナップルなどのデザインがあしらわれ、華やかでカラフルな色彩が特徴の開襟シャツは、皆さんもご存知のことだろう。

アロハシャツの起源もまた、日本からの移民に由来する。ヨーロッパの船員が着用していたパラカという開襟シャツが「木綿絣(もめんかすり)」に似ていることから、農場で働く日本人が好んで着用するようになった。やがて、日本から持ち込んだ着物をリメイクし作ったシャツが現地の人々にも好評となり、1904年に日本人が服飾店を起業。以降、アロハシャツの名前が浸透していくことになる。

アロハシャツに使用される生地の素材は、シルク、レーヨン、綿など。ハワイには精緻な染色ができる工場が無いため、日本からの輸入品であったという。

和歌山市は1889年頃から地場産業として染色業が発展。2009年の統計によると、国内における「捺染(なっせん)」加工の全国シェアは3割以上を占めるほど。捺染とは、染料を糊に混ぜた「色糊(いろのり)」を使い、布に模様をプリントする技術。この技術がアロハシャツの生地を作るうえで適しており、古くから製造してきた歴史がある。

ハワイの文化と日本の技術が融合したウェア。和歌山との縁を知り、一気に親近感を覚えるのは筆者だけだろうか。


(次田尚弘/ホノルル)
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特産の果物と細かな氷を使用 色とりどりの「シェイブアイス」

2025-06-28 15:50:00 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では、環境に配慮した移動を促進する、米国のライドシェアの事例を取り上げた。今年は梅雨らしくなく既に真夏のような暑い日々。ハワイでも涼を求めて、氷菓子を食べる文化がある。今週はハワイで愛される「シェイブアイス」を紹介したい。


【写真】虹色のトッピングが美しい「シェイブアイス」

シェイブアイスは削った氷にシロップをかけた氷菓子で、日本のかき氷に近い。かき氷よりも氷を細かく削ることにより、シャリシャリとした食感ではなく、フワフワして軽い口当たりであるのが特徴。ここに、色とりどりのシロップがかけられ、さらにフルーツや練乳、アイスクリームなどがトッピングされる。カラフルなシロップで虹色を表現するシェイブアイスは、ハワイを代表するスイーツのひとつである。

起源は日本からハワイに移民した労働者。農園で暑さをしのぐため、日本から持ち込んだ機械を用いて氷を削るようになったという。そこにハワイのトロピカルなフルーツを使ったシロップや様々なトッピングが加わり、シェイブアイスの文化が定着した。

主に現地の農園で収穫されるマンゴー、パインアップル、ココナッツ、ストロベリーなど、濃い味の果物が使われ、お店によって種類は様々。オリジナリティのあるシェイブアイスを作ることができ、見ているだけで暑さを忘れ、晴れ晴れとした気持ちになれる。

気候が温暖な和歌山では、ハワイのようなトロピカルな果物の収穫は難しいが、全国に誇る果物の産地。新鮮で口当たりのよい水も存在し、ポテンシャルはあるはず。地域の特産品で作られた華やかなスイーツ。見る喜びと食べる喜びを兼ねそろえたシェイブアイスをぜひ。

(次田尚弘/ホノルル)
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環境に配慮した移動を促進 「グリーン」選択で地域に貢献

2025-06-21 14:30:10 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号より、安価で便利な移動手段として米国で浸透している「ライドシェア」を取り上げている。今週は電気自動車(EV)の配車を選択できる事例を紹介したい。

ライドシェアを利用しようとアプリを立ち上げると、用途に応じて様々な車種が選択できる。この中に「グリーン」という選択肢があり、「手頃な価格で環境に優しい車に乗れる」という記載が。配車を依頼し乗ってみることにした。


【写真】「グリーン」の選択で配車された電気自動車

配車されたのは日本でも浸透している米国メーカーの電気自動車。車種特有のなめらかな走りと静粛性、透明のルーフからは青空が見え、ワイキキのビーチ沿いの走行はとても快適であった。

乗車が完了すると、ガソリン車と比べ削減できた二酸化炭素の推定量が表示される。滞在中に複数回、グリーンを選択し乗車したところ、削減量が累積値として表示された。また「あなたがもたらしたプラスの影響」として、削減できたガソリン使用量も表示。自らの貢献が可視化されることで、旅行先の環境に配慮できたという自覚も生まれる。利用する時間帯にもよるが、料金は他の車種と比べ1割程度割高である程度。

このサービスを提供する事業者では、移動による二酸化炭素の排出を抑えることを掲げ、自動車メーカーと連携し、ドライバーに電気自動車への乗り換えを促進。一定の基準を満たせば購入費用の一部が補助されるなどドライバーにとっても、メリットがある仕組みである。

日本国内でも東京の一部の地域で、配車時にタクシー会社が運行する電気自動車を選択できるサービスがあるが、まだまだ限定的。サステナブルな社会の実現に向け、市民や観光客ができる選択が広がることを期待したい。

(次田尚弘/ホノルル)
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