さんぽみちプロジェクト

さんぽみちプロジェクトの記録。
和歌山新報で日曜日一面に連載中の「WAKAYAMA NEWS HARBOR」と連携。

夜の風物詩の確立は、観光促進に有効 呉市・屋台街の取り組み

2011-08-29 20:35:29 | WAKAYAMA NEWS HARBOR

広島市から電車で1時間。戦艦大和の建造地としても有名な呉市では、屋台を使った観光促進の試みが行われている。

夕方になると、呉駅からほど近い蔵本通り(通称、ちょうちん通り)の歩道に、ラーメン屋、おでん屋、イタリア料理、鉄板焼き、創作料理など、ユニークな屋台が十数件並ぶ。この屋台街、実は上下水道と電気を完備している。

戦後まもなく構成された屋台街だが、昭和60年代、道路の整備に伴い撤退を検討された。しかし、街の風物詩として市民らに受け入れられていた屋台街を継続し、観光促進に活かすことができないか、行政主導で検討されたという。

結果、昭和61年、道路の整備に併せ、歩道の端に上水道と電気を供給する設備と下水口を用意のうえ、行政が窓口となり、屋台の公募を実施。現在は、衛生的で女性や子供も気軽に利用できる屋台街として、夜に楽しめる呉市観光資源になった。

 【写真】歩道端に設置された上水道と電気を供給する設備(呉市で次田尚弘撮影)

広島県は世界遺産を中心に観光資源に恵まれた地域であるが、観光客の滞在時間が短いことが課題だ。夜の観光資源を生み出したことで、宿泊客の増加が期待されている。

和歌山市でも、行政や商店街、自治会などが主催する「わぁーと!手づくり市場(マーケット)」や、和歌山大学の足立ゼミが事務局を務めるオープンカフェ「カフェWith」など、中心市街地活性化を目的とした まちづくり活動が活発だ。

和歌山の観光資源として定着した和歌山ラーメンは、戦前の屋台にはじまる。中心市街地の再開発などに絡め、呉市のような屋台街を形成する素質が和歌山にはあるのではないか。

屋台街に限らないが、和歌山市にとって夜の風物詩の確立は、観光客の滞在期間延長など、観光促進や中心市街地活性化に有効であると思う。

(次田尚弘/広島)


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夏の思い出を話そう 私たちにできる観光発信

2011-08-22 09:08:22 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
沖縄県の農作物を「めっけもん広場」で販売するため、紀の川市に来られた、沖縄本島在住の陽気な青年をお城の見えるホテルでマッサージさせていただきました。
主力商品であるマンゴーは2日目であらかた売り切れる盛況で、うれしい悲鳴であったそうです。

「沖縄では毎日のように海で泳いでいるのでしょう?」と尋ねますと意外な返事が返ってきました。
「観光客の皆さんはね。地の者はあまり泳がないのです。サーフィンをする人も少ないです。チームを作って草野球を楽しむのが一般的かな」と。

観光県・沖縄にとって海は商品だから、売り手は商品に手を付けないというのです。
県内の広い範囲を米軍基地に提供し、その上コバルト色のきれいな海までもっぱら観光客に捧げている沖縄の人々のけなげさ、心優しさに心打たれる思いがしました。

この夏、和歌山県内の海水浴場へ行ったという県民の方は大勢いらっしゃるでしょう。
私たちは地域の観光資源との関わりが深いと思います。
実際に訪れて体感した良さを思い出にしまい込んでしまわず、県外の親戚や知人に話すことは、観光資源のPRにつながるのではないでしょうか。

「ところで和歌山の産品で、これは気に入った、ぜひ沖縄へお土産に持って帰ろう、と思ったものはありましたか?」と質問してみました。
「ありました。桃です。びっくりするほどおいしいですね」と絶賛してくれました。

「明日、もう一泊するのでマッサージをもう一度受けたいです。でも、明日の晩は打ち上げの宴会があるから、酔っぱらってしまうかも」。
翌日、ご依頼はありませんでした。 しっかり仕事をし終えた後のおいしい酒に、すっかり酔いしれてしまったのでしょう。

(宮本年起/和歌山)
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平和を考える機会に 鎮魂の祈りに包まれたヒロシマ

2011-08-14 13:27:07 | WAKAYAMA NEWS HARBOR

8月6日午前8時15分。サイレンの音と共に、ヒロシマは鎮魂と平和の祈りに包まれた。

66年前、広島市中心部でさく裂した原子爆弾により、27万5千人もの命が失われた。

爆心地近くの平和記念公園では平和記念式典が、その周辺にオフィスを構える企業は慰霊式を行った。

爆心地から300㍍に位置する私の職場でも慰霊式が行われた。学徒動員の生徒たちが多数亡くなったといい、遺族や級友らが参列し、深い祈りを捧げていた。 

              

【写真】原爆ドーム近くの元安川を流れる灯籠=広島市中区、6日午後8時35分

日が暮れると原爆ドーム平和記念公園近くの元安川灯籠を流す催しがあった。ことしは東日本大震災の原発事故で核や平和への意識の高まりで参加者が増え、灯籠が売り切れた。主催者によると、灯籠が売り切れることは珍しいという。

近くにいた高齢の夫婦は「みんな元気にしているか、私たちはなんとか頑張っている」と、家族連れは「原爆で亡くなった、ばあばが安らかに眠れるようにバイバイしようね」などと話し、灯籠を流していた。家族や友人を亡くした人びとの思いに触れられ、平和について考え直す機会となった。

昭和20年7月9日、和歌山市大空襲を経験している。私の祖母は被災者の一人だ。灯籠を流す人々を見て、祖母が語ってくれる戦時中や空襲の記憶を思い出した。戦後66年。じかに話を聞ける戦争の経験者は高齢となってきた。私たち若い世代は、 経験者の記憶を後生に伝えていかなければならない。

明日(15日)は終戦記念日だ。お盆休みで帰省されている方も多いだろう。ぜひ、平和について話し合う機会にしてほしい。 

 (次田尚弘/広島)

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和歌山へ行った気になれる コミュニティ放送をサイマルラジオで

2011-08-09 15:33:20 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
兵庫県出身で広島県に住む阿部創志郎さん(23) はサイマルラジオで全国のコミュニティ放送をよく聴くという。

サイマルラジオとはインターネットでラジオを聴取できるサービス (http://www.simulradio.jp/) で和歌山県内では、 エフエム和歌山(和歌山市)と南紀白浜コミュニティ放送(白浜町)が相次いで配信を開始。
放送エリア外であってもさまざまな「地域の声」を聴けることはたいへん魅力的だ。

阿部さんに和歌山県内のコミュニティ放送を聴取してもらい、その感想を尋ねた。 (聞き手・次田尚弘)


6月から配信が開始されたエフエム和歌山の放送を1カ月以上聴いています。
大阪や兵庫とは違う、ゆっくりとした和歌山市の方言が落ち着きます。
地元のニュースやイベント中継、パーソナリティの会話の端々から、和歌山の雰囲気を想像でき、和歌山へ行った気になれます。
エフエム和歌山のコマーシャルはとてもユニークで、ふと口ずさんでしまうような音楽や、時代劇のようなストーリーは愉快です。

サイマルラジオで全国のコミュニティ放送を聴いていると、地域の良さを感じられることはもちろん、東日本大震災の際には、 物資の選定や安否情報など、全国放送では得られない細かな情報を入手できました。

サイマルラジオは家にいながらにして、放送エリアに入った気分になれます。
8月1日には、南紀白浜コミュニティ放送が配信をスタートしたので、広島から白浜の夏を満喫したいと思います。
和歌山市と白浜町の方言の違いや街の雰囲気も感じていき、いつか実際に和歌山を旅したいと考えています。

(阿部創志郎/広島)
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原子爆弾投下から66年 和歌山県民による慰霊の心(広島市・三瀧寺)

2011-08-01 13:19:01 | WAKAYAMA NEWS HARBOR

広島市西区にある三瀧寺(みたきでら)にある多宝塔は、和歌山県と深い関係がある。

 

【写真】 三瀧寺多宝塔(広島市西区)

809年に弘法大師(空海)により創建された同寺は高野山真言宗の寺院で、紅葉やハイキングの名所だ。

1945年8月6日。広島市に原子爆弾が投下されたことはご存知の通りだ。

同寺は爆心地から離れていたため、被害は無かったが、多くの被災者が爆心地から逃れてきたという。

原子爆弾投下から6年後の1951年、境内にある多宝塔は、原爆犠牲者供養のため、和歌山県広川町の広八幡神社から移築された。同塔は広島県の重要文化財に指定されている。

和歌山県など近畿地方に住む広島県出身の方々が、故郷の惨状に心を痛め、交流のあった広八幡神社に、多宝塔を広島へ移築し、御霊を慰めて欲しいと働きかけたことに始まる。

同塔は神仏分離(神と仏を区別させること)により明治初期に解体のうえ、境内で保管されており、移築可能な状態であった。

多宝塔を、広島市内を一望できるところに移築することが犠牲者の供養になるとして三瀧寺が選ばれ、三瀧寺住職と広八幡神社神主の合意のもと、移築が実現したという。

三瀧寺によると、現在も広八幡神社の神主や氏子との交流があり、互いに広島と和歌山を行き来しているという。

原子爆弾投下からまもなく66年。多宝塔は今なお、和歌山県民による慰霊の心を広島で発信し続けている。

(次田尚弘/広島)

 ◇三瀧寺へのアクセス
 広島駅から広島バス(22系統)で約30分、もしくは、JR可部線三瀧駅から徒歩約20分。

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