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さんぽみちプロジェクト

さんぽみちプロジェクトの記録。
和歌山新報で日曜日一面に連載中の「WAKAYAMA NEWS HARBOR」と連携。

海で繋がる隣町 直線で約10㎞「兵庫県洲本市」

2025-08-23 13:30:00 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号まで、遠く離れた地域でありながらも、海を通じて様々な繋がりがあるホノルルと和歌山の歴史や文化について取り上げた。海の彼方にどのような地域があるのか、雄大な海を見て想像を膨らませることは楽しいもの。

和歌山市から西方向に開けた海を眺めると、天気が良ければ海の向こうに街が見える。兵庫県洲本市。ここは海を隔てた和歌山市の隣接市となる。遠く離れたホノルルと一転、今週から海で繋がる隣町を紹介していきたい。


【写真】洲本城跡から市街地を望む

洲本市は瀬戸内海に浮かぶ淡路島の中央に位置し、島内における行政の中心地である。人口は約3万9千人。洲本市(由良)と和歌山市(加太)とは紀伊水道を挟み、直線で約10kmの距離。仮に橋が架かっていれば、時速80㎞で走る車で10分足らずで到達する計算になる。

和歌山市からのアクセスは明石海峡大橋を経由するルートで約160km、時間にして約3時間。和歌山港から徳島港へフェリーで渡り、大鳴門橋を経由するルートもあるが、約4時間を要する。1990年代までは、大阪府岬町の深日港から洲本港へフェリーや高速艇が運行されており、船で洲本市へ行った記憶がある方がいらっしゃるかもしれない。

近年、洲本市と岬町が両市町の広域交流の促進と地域活性化を目的に、旅客船の定期航路の復活に向けた取り組みが進んでいる。令和7年度も洲本港と深日港を約40分で結ぶ旅客船を、夏季の土日祝日限定で運行するなど、海を通じた賑わいの創出が図られている。

かつての航路が復活し、和歌山市からのアクセスが向上している洲本市の魅力を伝えていきたい。

(次田尚弘/洲本市)
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これからも深い関係を 海で繋がる「ホノルル」と「和歌山」

2025-08-09 17:57:00 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では、市民と共に作り上げられる世界最大級のランナーの祭典として知られる「ホノルルマラソン」を取り上げた。開催される時期、街にはクリスマスツリーが飾られ、常夏の島をさらに華やかにしてくれる。


【写真】常夏の島を華やかにするクリスマスツリー(ホノルル市内)

アメリカではクリスマスを家族と過ごすことが一般的。12月中旬から年末年始にかけて休暇を取るケースが多く11月末の感謝祭から年末年始にかけて、ホリデーシーズンとして盛り上がる。

これまで25週にわたり、ホノルル市の魅力と、和歌山県との歴史や繋がりを取り上げてきた。今回の渡航で印象的であった、ライドシェアドライバーとの会話を紹介し、ハワイ特集を終えたい。

ホノルル市内を走るライドシェアの車内で、ドライバーのキース氏に「ワイキキビーチは綺麗ですね」と筆者が問いかけた。「あなたは日本人かな。日本にもワイキキに似た素敵なビーチがあるじゃないか」という。聞けば彼の祖母は沖縄の出身で何度か日本を訪れたことがあり、親しみを感じていると話す。

「そのビーチは日本のどこにあるの」と尋ねると「確か大阪の南の方にあって、白い砂浜がワイキキにそっくりなんだ。知らない?」と嬉しそうに答えてくれた。もしやと思い「シラハマといいませんでしたか」と聞き返すと「きっとそれだ」と和歌山の魅力を語ってくれた。彼から見た和歌山は、街が綺麗で人が親切、大都市の近くに位置するリゾート地という印象らしい。

遠く離れた地域でありながらも、歴史や文化を辿れば海で繋がる様々なエピソードに溢れている。ホノルルを訪れる機会があれば、和歌山との関係を思い出し、親しみをもって街の魅力に触れてほしい。

(次田尚弘/ホノルル)
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市民と共に、ランナーの祭典 世界最大級「ホノルルマラソン」

2025-08-02 13:30:00 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では、一度は途絶えたものの地域の文化として再興し、踊り継がれているハワイの「フラ」を取り上げた。これまで地域固有の歴史から市民が大切にする文化の例を挙げてきたが、近年になり生まれた新たな文化もある。今週は「世界最大級の市民マラソン」や「ランナーの祭典」として知られる「ホノルルマラソン」の魅力を紹介したい。


【写真】ホノルルの市街地

ホノルルマラソンは、心臓病の専門医の「心臓病のリハビリと予防には長距離を長時間かけて走ることが望ましいという考え方から始まった、健康のための市民マラソン。1973年に始まり50年以上の歴史を持つ。

初年度の参加者は162名と僅かであったが、現在では約3万人のランナーが参加。日本人の参加も多く1万人を超えることも。開催時期の12月には日本からの臨時の飛行機が多数発着し、大いににぎわう。今年は現地時間の12月14日に開催予定。

最大の特徴は制限時間がなく、フルマラソンは7歳以上であれば参加ができるという点。最後尾のランナーに伴走するスタッフに見失われなければ、何時間かけてもよいというもの。完走率は9割に達するといい、現在も企画意図が大切にされている。

スタートは午前5時と早く、盛大な花火と共に始まる。魅力は風光明媚な観光地を時間に追われず家族やグループで楽しみながら参加できること。そして、ホノルル市民と1万人に及ぶボランティアらが、沿道での給水に加え、楽器演奏やサンタクロースの衣装でもてなすなど、地域の方々とのふれあいがあるということ。

和歌山市にも楽器の演奏を聴きながら楽しめる「ジャズマラソン」がある。手法は様々だが、ランナーをもてなし一緒に楽しみながら思い出を作ろうという思いは同じ。地域と一体となったランナーの祭典がここにある。

(次田尚弘/ホノルル) 
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度は途絶えた地域の文化 踊り継がれるハワイの「フラ」

2025-07-26 13:33:00 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では、現地の植物を原材料とするボタンを使用することを、アロハシャツを名乗る条件であることを取り上げた。地域への思いと愛が込められたハワイ独特の文化。今週は「フラ(ダンス)」の歴史と文化を紹介したい。


【写真】古木の下で披露される「フラ」

フラダンスの「フラ」は現地の言葉で「踊る」「演奏する」「歌唱する」を意味し、ハワイでは「フラ」と呼ぶのが一般的。諸説あるが、起源は火山の神(火の神)に捧げるための踊りとして始まったとされる。元来、文字で伝承するという文化がなく、踊りで歴史を伝えるという役割を持ち合わせていたという。

1820年にキリスト教の宣教師らが島に入ってからは、火山の神を信仰する要素があるフラが脅威と見なされ、1830年に禁止令が出され、フラは表舞台から姿を消してしまう。

それから約50年後の1874年に禁止令が廃止。フラに加え、サーフィンやハワイ語の会話が復活するも、フラは市民から遠い存在になっていたという。転機が訪れたのは1950年代の公民権運動の活発化。ハワイ固有の文化を取り戻そうと「ハワイアン・ルネッサンス(文化復興運動)」が起き、過去の歴史や文化の意義を探り、再認識したうえで現代生活に復活させる流れから、フラの文化が再び根付くようになった。

宿泊したホテルの庭では、夕方になると古木の下で現地の音楽と共にダンサーが踊りを披露。海に沈む夕日を眺めながら、お酒を片手に、ゆったりとした至極の時が流れる。

20日、白浜町の白良浜ではホノルル市のワイキキビーチとの姉妹浜提携25周年を記念したイベントを開催。地元で活動するダンスチームとハワイ出身のミュージシャンによるフラが披露されるなど、国内でも馴染みのある踊り。ここにもハワイの人々の地域愛が溢れている。

(次田尚弘/ホノルル)
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地域への思いと愛が込められて 「アロハシャツ」と「かりゆしウェア」

2025-07-19 13:30:00 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号に続き、和歌山の捺染技術と縁深い「アロハシャツ」の特徴と、地域を象徴するウェアとして普及した日本国内の新たな文化を紹介したい。

アロハシャツにはその絵柄によって冠婚葬祭の用途が異なることを前号で取り上げた。アロハシャツを名乗るには一定のルールがあるという。皆さんは何だと思われるだろうか。


【写真】現地の原材料が使用された「ボタン」

ハワイの植物などの絵柄を使用することが条件かと思いきや、答えは「ボタン」の原材料。現地のヤシの木やヤシの実からできたボタンを使用することが、アロハシャツを名乗るための条件とされている。

プラスチック製などの場合は、絵柄が同じであっても「プリントTシャツ」や「アロハ風シャツ」と呼ばなければならない。生地は日本製であっても、シャツにおける唯一の装飾部分でアクセントとなるボタンは現地のものにするという地域愛とこだわりもまた、ハワイを象徴するウェアとしての魅力が増すストーリーである。

場所は日本に変わり、日本でもアロハシャツと似た文化が浸透しているウェアがある。沖縄県内で着用される「かりゆしウェア」である。「かりゆし」とは、沖縄の方言で「めでたい」を意味する。1970年に沖縄県観光連盟が「おきなわシャツ」として発売。夏を快適に過ごし、沖縄を訪れる観光客を温かく迎え入れようと始まった。

2000年の沖縄サミットを契機に、デザインの条件を緩和。名称を統一し、沖縄を代表するウェアとして浸透した。現在は県内産であることと、沖縄らしいデザインであることを条件とし、これを満たした製造業者に限り、販売時の証明となるタグの使用が認められている。南国を思わせ、涼し気なウェア。いずれも地域への思いと愛が詰まっている。

(次田尚弘/ホノルル)
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